第十一話 焼き菓子で朝食を
私がベッドから出て着替えをしている間、チャッピーはちゃんと部屋の隅に行って顔を壁に向け、おすわりをしていた。一応狼の姿でも紳士的な態度でいるつもりらしい。
ふと気づいて「昨日お風呂に入りたがらなかったのは、私が濡れた服を脱いで肌を見せるかもしれなかったから?」と彼の背中に声をかけたら、こちらを振り向かずに尻尾だけパタパタと左右に振った。
「そんな風に気遣いをするなら、なぜ私の寝込みを襲うようなことをしたの?」
ちょっと意地悪く言ってみたら、チャッピーの尻尾がピンと上を向いたあとしおしお……と垂れていった。それを見ているとまたモフりたくなってしまう。私は欲求を抑えつつ手早く着替えた。
「着替え、終わったわよ」
するとチャッピーは起き上がり、のそのそとシーツの下に潜り込む。
「……襲ってない」
声がした方を見るとシーツを被った彼はいつのまにかヒト型に変身していた。端正な顔をちょっとだけ歪め、不服そうに唇を突き出している。
「寝込みを襲ってなんかないからな。オーカがうなされてて、眠りながら泣いてるから可哀相だと思って慰めてたんだ」
……確かに。手籠めにするつもりなら私が完全に寝ている間にやってしまえばよかったのだ、と今更に気づいた。彼が私の頭を撫でてくれた時の優しい手つきを思い出すとちょっとだけ顔が熱くなる。私はそれをチャッピーに悟られないよう、ワザと意地悪な口調を続けた。
「ふうん。そぉ? でも私が起きた後は抱きしめてきたじゃない。あれは完全に襲ってる扱いよ」
「あ、あれはさぁ、目が覚めたオーカがかわいかったから……」
「ふはっ」
その言葉が私にはあまりにも似合わなくて、でも凄く照れ臭くて。思わず軽く吹き出してしまった。
「かわいいって。私もうアラサーよ?」
「アラサーって何だ?」
キョトンとするチャッピーを眺める。やっぱり彼はとても魅力的だ。こんな人に聖女の力とはいえ「惚れた」と言わせたのは女として嬉しい気持ちもある。……でも、彼はちょっと若すぎるわね。クライヴ王子よりも少々年下、二十歳そこそこに見えるもの。私じゃとても釣り合わないな、なんて事を考えてしまった。
「なんでもないわ。さ、狼に戻ってよ。朝御飯にしましょ」
◆
部屋の外で控えていたメイドさんを呼ぶと、さっきの騒ぎの時に居た人とは別の人だった。多分時間がきて交代したのだろう。
彼女に朝御飯をお願いすると、申し訳なさそうに「実はもう宴の準備が始まっていまして……」と説明された。
確かに王は「宴は明日」と言ってはいたけれど午前中から宴会とは珍しい。宴の料理も準備しているだろうに別で朝御飯を作らせるのも料理人の人達がかわいそうだなと思い、ごく軽くつまめるものが残っていないかと言ったらお茶と焼き菓子が出てきた。サクサクのバターサブレと、ふんわりとしたきつね色のフィナンシェ。私はサブレに手を伸ばしひとくち齧った。
「んん~っ!」
かりっとした歯触りを伴ってバターの素晴らしい香りと蜜の濃厚な甘さが口の中に広がる。紅茶との相性も最高。こんなに美味しいもの、以前の世界なら東京の有名店にでも行かなければ口にできなかっただろう。フィナンシェも美味しくってついつい食べ過ぎてしまう。
「ヤバっ、太っちゃうわ!」
「オーカ様はいつも身体を鍛えてらっしゃると伺ってますから、少しくらい平気ですよ」
「ああ、そう。魔物との戦いに備えて毎日訓練はしてるわね」
「オーカ様、流石聖女様です。私たち民を守るために努力を欠かさないなんて……オーカ様がいらっしゃればこの国は安泰ですわね」
「……そうかな」
メイドさんの言葉はお世辞も含まれているだろうが、少なくとも嘘を言っているようには思えなかった。でも安泰と言われると私の心に陰が射す。彼女はきっと昨夜の婚約破棄騒ぎを知らないのだろう。
大丈夫とは思うけど、万が一私が追放でもされたら? 残ったヒナがこの国一番の聖女となるだろう。でも彼女はきちんと魔物の驚異からこの国を守ってくれるだろうか――――
「オーカ様? どうかされましたか」
「あ、ううん、何でもない。チャッピーも食べる?」
「ワフっ♪」
ご機嫌で焼き菓子をもりもり食べるチャッピーにメイドさんは驚いてこう言った。
「……ワンちゃんって、お菓子も食べるんですね」
「あ、あ、うん。この子は身体も大きいし言葉もわかるし特別なんじゃないかな?」
「あ、そうですね! かわいいなぁ」
危ない危ない。そしてこのメイドさんには狼じゃなくて犬だと思われてたんだ。……うん、この幸せそうな顔を見たらワンちゃんと思うかもね。私がチャッピーなんて名前を付けちゃったし……。
朝食後に軽く腹ごなしも兼ねて王宮内を早足で散歩する。チャッピーも一緒だ。
「オーカ様、おはようございます!」
「おはよう」
いつもの事だけど、いろいろな人たちが声をかけてくれる。だが、反応がいつもと違う。
「オーカ様! 僕はオーカ様を信じてますからね!」
「私もです!」
「ん? あ、ありがとう」
ことさらに熱く言われたり、逆に少しだけ引いている態度の人がいたり。
これは……昨夜の婚約破棄騒ぎのせい? 熱心な人は私に求婚するつもりなのかも。だけど引いてる人は王家寄りの人間なのかな? それかチャッピーを怖がってる?
そのままカーンさんに預けたワインを回収しようと執務室に行ってみたけど不在だった。
「何か急務があるとかで、出て行きました」
「えっと……カーンさんに預けたものがあるんだけど、私に渡すようにことづかってない?」
「? いいえ」
カーンさんの補佐官にそう言われては引き下がるしかない。でもちょっと変だな。いつもキッチリしている彼なら言付けくらいしていそうなのに。
あれが誰かの手に渡ったら本当にマズイ。どうしよう。修行が足りない私が再封印するには瓶に触れるくらい近づかないと無理だ。ああ、遠距離でも出来るようにマクミラン王妃にコツをそれとなく聞いておくべきだった……。
モヤモヤしながら私は宴の会場になる大広間に向かう事にした。宴にはカーンさんも来る筈だからだ。大広間は城の中でもわりと高い階層にあるので幾つかの階段を登っていく。時折窓からは城下町の光景が見える。
この国の平民と呼ばれる人達は皆、気持ちのよい人達ばかりだった。彼等は聖女によって魔物の驚異から守られていることを感謝し、日々を明るく過ごしている。今後も彼等を守らなければと改めて思いながら大広間に入る。と、まだまばらにしか人が入っていなかったがなんだか会場の雰囲気が少し違った。
「オーカ様!! お待ちしておりました。さあどうぞどうぞ」
大臣の一人が私に寄ってきて席を薦め、ゴブレットまで手渡して私にお酌をする。あれ、この人王家にべったりすり寄ってる人だったのに。今クライヴ王子と揉めている私のご機嫌を取るの? でも大臣は確か既婚者だから私に求婚はできない筈。息子を紹介するつもりとかかな?
困惑しながら注がれたワインを飲む。ああ、こんな時でもこの世界のワインはべらぼうに旨いわ……。
「オーカ!!」
突然、大声がすると同時に、横にいた大臣が私の腕を強く掴んだ。





