『復讐』
描く、殴る、塗る、切る。
二人の人間は向かい合っているが、その心は全く向かいあっていない。
ただイーゼルは絵を描くこと、イチトは命を狙うことにのみ執心し、相手の考えや思い等には目もくれずに動き続ける。
「ああっ、描きづらい!意欲は無限に沸いてくるのに、それを出力できないのがもどかしい!少し止まれ!」
「もうお前の『星群』で止まってるよ!お前こそ、さっさと首を差し出せ!」
「首を切られたらもう何も描けないじゃないか!」
「それでいいっつってんだよ!テメエの作品が未完に終わろうと、燃やされようと、心底どうでもいいんだよ!」
イーゼルはその言葉に激高し、首に鮮烈な赤を突き刺すべくパレットナイフを振り回す。
イチトはそれをナイフで正確に受け流し続け、傷を負うどころかその刀身に乗った絵具を一切塗らせない。
「ああ、もう、どうしてなんだ!?こんなに筆が自由に進まないのに、どうして私は、こんなに良い描き方を思い浮かんでしまうんだ!これじゃあ、生殺しじゃないかっ!」
「走馬灯ってやつだろ」
「なるほど!死を実感することによって高みへと至る!素晴らしい発想だ!」
「気に入ったなら、もっと死にかけさせてやるよ!」
向かってくるパレットナイフを下から突き上げる。
するとその衝撃で、パレットナイフはイーゼルの手から離れ、宙を舞う。
イチトはそれをもう一度ナイフで叩き、矢のように撃ちだした。
「ぐぼっ!!!は、ははっ、曲芸もできるのか!図面変更だぁーッ!」
胸に突き刺さったそれを、イーゼルはノータイムで引き抜き、自らの血に絵具を混ぜて振り回す。
そしてイチトの体に、飛沫でピエロの顔のようなものを描いた。
「ははっ、飛沫ならまあまあ描ける!でも、やっぱ筆の質感が欲しいんだ!」
「こんだけやっても、一瞬痛がるだけかよ!」
イーゼルの胸の傷は、決して浅くない。
骨に阻まれて肺には届かなかったものの、大胸筋は半分以上切れた。
もはや常人ならば腕を上げることなど不可能、痛みで呼吸すら止まっているだろう。
だが、イーゼルは常人ではなく芸術系犯罪者だった。
常軌を逸した創作への執念は、真っ当な芸術家を含め、誰もが立ち止まるような危険地帯でさえ、その足をまっすぐ前に進ませ続ける。
「描き終わったら存分に痛がるさ!今はそれより描くべきだ!!」
「反射を後回しにするな!」
金属音を高らかに響かせ、激しく互いの獲物がぶつかり合う。
だが主導権は常に『星群』を使えるイーゼルにあった。
イチトが足を動かせないのを良いことに、状況が悪化すれば一歩引いて、パレットで望む色を作り上げる。
近接戦闘においてはイチトより数段劣るイーゼルが、大けがを負いながらも死んでいないのは、偏に引き際をしっかりとわかっているからだ。
「逃げるんじゃねえよ!」
「違う。こうすると狭まっていた視野が広がって、作品の全体像が見えるんだ」
「俺はお前の作品じゃねえ」
イチトは腹に据えかね、ジャケットを脱ぐと振り回し、パレットを吹き飛ばした。
丹精込めて作り上げた理想の色彩は、一瞬にして土埃の混ざった薄汚い色に変わった。
「ああああああああ!私の絵具が、作品が!」
今まで絵具をぬりたくっていたのは、あくまでイチトが羽織ったジャケットの上。イチトがそれを脱いでしまえば、それ以外の部位を前提としたイーゼルの絵は壊れてしまう。
「くそっ、もう一度着ろっ!」
「断る」
イチトは投げつけられたジャケットを、一刀両断した。
はらりとキャンバスだったものが地に落ちると共に、イーゼル裂かれた布を見、酷く動揺した。
「貴様っ!なんてことをしてくれたんだっ!」
「知るかよっ!」
イチトは全速力で接近し、ナイフを振り下ろす。
そして同時に、足が自由に動いていることに気がついた。
だがその混乱を見透かして、イーゼルはナイフを弾くと、懐に潜り込んで絵具のチューブをイチトに直接押し付けた。
「だが、何度邪魔されようと、私は決して諦めん!」
「どうでもいいから消え失せろっ!」
イチトは近寄ったのを良いことに顎を蹴とばす。
しかしその直前に地面から画架が現れ、再び足を固定した。
「キャンバスの意思など関係ない!何度でもやり直す!」
イチトはナイフを振り、強引に距離を取らせる。
だが全身から流れる冷や汗はとまらない。
絵具だから良かったものの、もし刃物を突き立てられていれば、もはや戦闘の継続は不可能だった。
イチトは改めて、目の前の犯罪者の危険性を認識しなおした。
それと同時に、その『星群』の正体にも、一歩近づいた。
「おい、自称芸術家」
「創り、名乗れば芸術家だ!自称も他称もあるか!」
「どうでもいいよ。そんなことよりも、俺はお前に描かれる気はねえ」
「キャンバスの意思などどうでもいい!私は描く、それだけだ!」
「なら、俺も勝手にさせてもらう」
イチトは腹に塗られた絵具を、手で広げた。
その瞬間、足の拘束が消え失せる。
「なっ、貴様!」
「これで、お前の作品は消え失せたな」
先ほどイチトの拘束が外れたのは、色を塗られたジャケットを脱ぎ捨てた時、つまりイチトがキャンバスではなくなった瞬間。
だから作品を意図的に壊すことでイーゼルの認識を書き換え、再び描く対象ではなくなったのだ。
「お前の『星群』は、描く対象だと思った人間を、画架に拘束するんだろ?」
「……!」
「良い反応だな、観者」
「黙れ!私は、創作者だっ!」
新たに湧き上がった怒り、それを目の前に立つキャンバスにぶつける。
『星群』の発動条件は単純。創作意欲を持ち、相手をキャンバスだと思い込むこと。
その思い込みが強固であるほど、その拘束は強くなる。
イチトが上半身だけとはいえ動くことが出来たのは、キャンバスらしからぬ徹底的に抗う姿勢を見せたからだ。
絵具でしかないと判断して受け続ければ、一分足らずで物言わぬキャンバスにされていただろう。
「描く、描いてやるっ!この薄汚い怒りを、美しく荒々しい絵画に変えなければっ!」
「じゃあ、俺もやるか」
「何?」
イチトは腰に手を伸ばし、ひゅんっ、と紐を勢いよく引っ張った。
そう、液体タブレットケースの紐を。
あまりの勢いにケースはタブレットを作れず、ただ磁性を帯びた液体を水鉄砲のように発射した。
その液は、イーゼルの服にかかって、黒く染め上げた。
「俺は芸術家として、お前に絵を描く」
「何だとっ!?」
それは、まるでキュピズムのように、状況を一変させる。
イーゼルが掲げた芸術家の定義は、自称と創作のみ。
つまり今、イチトが芸術家を名乗ってしまった以上、それを否定することができない。
芸術家とキャンバスという相反する二つを組み合わせることで、動きを封じられるのを防ごうとしたのだ。
「散々人に描いてくれたんだ、お前の体に描くが、文句はないな?」
イチトは挑発の意志を込めて、ナイフを空中でくるりと回した。これでイーゼルの『芸術家』という化けの皮は剥がれる。
「当然だ!例え一瞬前まで素人だろうとも、創り名乗ると決めたなら芸術家!私は、その美を見たい!さあ、描け!」
だが、その予想は外れた。
確かに動きは封じられなかった。が、それはキャンバスでなくなったからではない。イーゼルは今も筆と絵具を構え、虎視眈々とイチトを狙っている。
目の前の芸術家は、絵を描くという言葉を信じ、その作品を見るために敢えて動きを封じていないのだ。
「……あんた、思ったより本気だったんだな」
「は?当然だろう!本気でないのに人を殺すか!宙域なんぞと戦えるか!」
イーゼルは決して、その場凌ぎの適当を言っているわけではない。彼が語るのは全て彼にとっての真実だ。
殺人も、戦闘も、全てが本気で必要だと感じたからこそ、何を犠牲にしてでも行ったのだ。
イチトはその考えに絶対共感しないし、許せないと感じている。
だが、イーゼルが命を捨ててでも譲らなかった価値観は、何も知らない人間が踏みにじっていいものではなかった。
「まず、謝るよ。俺はあんたのことを、ただ自分の都合の良いように理屈を振り回すクズだと思ってた」
「心外だ。芸術は、価値観の結晶だぞ?自分の都合のいいように価値観を変える奴から、美しい結晶ができるものか」
「ああ。根幹が違うだけで、どこまでも愚直に生きてやがるんだな」
「それがわかるなら、君の作品は良いものになる。益々、見たくなった」
致命的なまでに価値観が違う。
だが、違うなりに、その信念に背く行動だけはしないとわかった。
犯した罪が消えるわけではないが、自分なりの哲学を持って進み続けるイーゼルを、イチトは微かに、尊敬すらした。
勿論、殺すことを前提として。
「悪いな、芸術家を名乗ったのは嘘だ。お前を偽物と思って、『星群』を無効化する為に言った」
「……何だと?」
「でも、あんたは本物だった。適当な言葉で騙して、殺していいような野郎じゃない。だから、名乗った責任は果たす」
「はっ、人のことを言えない程には愚直じゃないか。だが、いい。その雁字搦めの筆から描かれるものを、絶対に見たい!さあ、筆を比べよう!」
イチトはナイフとタブレットケースを、パレットナイフと絵具に変え、目の前の男を見据えた。
「クロイ・イチト。芸術家としてお前に描いてやる」
イーゼルは絵具、筆、パレットナイフを全て使いやすい位置に固定すると、真摯な瞳で一人の芸術家と向かい合う。
「『万物画材』、イーゼル・ヴェルーリア。貴様を至高の絵画にする」
甲高い金属音。
それは二人が互いに描こうとし、その結果ぶつかりあったパレットナイフが奏でたものだった。
「ぐ、お前もそこか!」
「ああ、一筆目から先が思いやられる!」
互いにノーガードで筆を動かし、塗りあい、作り合う。
致命的な一撃のみは回避するも、それ以外は偶然画材がぶつかる以外、防御はしない。
何故なら今二人がするべきは、防御でもなく攻撃でもなく、創作なのだから。
頬に橙、耳に黒。肩赤紫、腹赤黒。
塗って、切って、作り上げる。
作り上げたい芸術を。
今、この瞬間だけは、イチトも殺人者への嫌悪を捨て、ただパレットナイフを振る。
「どうだ、イチト!作るのは楽しいだろう!」
「その気持ちはわかんねえな」
「ははっ、今はそれでいい!ただ、描け!」
「言われなくてもっ!」
描く、描く。
互いに好きなように、心のままに。
積み重なる色と血が、その体を染めあげる。
「ぐ、クソッ、タブレット液だと垂れる!」
「液の量を減らして、垂れる方向をナイフで決めろ!垂れることを前提に描くんだ!」
「わかってるよっ!それより、避けるなっ!」
「それはこっちのセリフだ!」
描き終える頃には、どちらかの命が尽きる。
二人が描こうとする景色は、そういうものだった。
だがイーゼルは惜しみなく技術を伝え、イチトはそれを吸収し、作品へと叩きつける。
全ては、新たな芸術を完成させるため。
疲労と傷で全身が痛み、自由に動かない。
それでも、二人は体力と気力が尽きるまで描き続ける。
「あああああああっ!」
そして数分にも渡る激突の後、イチトは叫び、最後の一筆を書き上げる。
イーゼルは掲げられたナイフの、タブレット液の反射越しに、自分の体に描かれたものを見た。
「ははっ、趣味は合わないが、本物だ」
満足そうに微笑み、倒れた。
足元に溜まった血が、その体に描かれた作品を掻き消した。
「……すまない。消えてしまった」
「いい。あんた以外に見せるつもりもない」
「……そうか。なら、私のも消しておいてくれ」
「いいのか、あんたの作品はきっと、これ以外残ってないぞ」
「未完成品を残すぐらいなら、残せない方が良い」
イチトは即座に残りのタブレット液を頭から被り、未完成の絵画を黒で塗りつぶした。
その瞬間、イーゼルの作品はこの世から完全に消え失せた。
「ああ、もっと眺めていたかった。あれは、間違いなく君の全てをかけて描かれていた」
「だろうな。本気で描いた。タイトルは」
「『復讐』だろう。それ以外のものなんて描かれていない、純粋な復讐で、だから美しかった」
絵を見た瞬間、イーゼルの脳は、それが復讐の絵であると理解した。
余計なものを全てそぎ落とし、復讐という要素のみで描いた一枚の絵。
そういった、そぎ落とす美をイーゼルは好まないが、それでもその美しさは胸の奥に突き刺さった。
「……さて、ここからは宙域警備隊隊員で、復讐者のクロイ・イチトだ」
液を振り払うと、イチトはナイフを握り直した。
もう、イーゼルは答えない。
既に声も出せないほど衰弱しきっている。
放っておいても死ぬし、その方がイーゼルにとっては、趣味は合わずとも美しい作品を長く反芻できる分、幸せだろう。
イチトもその信念を知り、互いに描きあった男には、微かに敬意も抱いた。
だが、今のイチトは復讐者。
絵を描くために、人を殺し続けたイーゼルを、決して許せない。
「犯罪者、イーゼル・ヴェルーリア。お前を今から、死刑に処す」
首に深々と、ナイフが突き刺さる。
描くためではなく、殺すための刃が。
イーゼルはびくりと体を震わせ、それ以降、二度と動くことはなかった。
「……あばよ」
イチトは二度と死体を見ることなく去っていった。




