『万物画材』
「ああっ、邪魔をするなっ!抵抗するキャンバスなど、聞いたことがないぞっ!」
イーゼルは叫び、怒りを描くべくペインティングナイフを振り下ろす。
鋭く磨き上げられた先端は、それが本来の用途以外に使われていることを示していた。
「なら、キャンバスじゃねえんだろうよ!」
イチトはそれを受け流すと、脇腹に蹴りを叩き込んだ。
「うぐっ!か、描き辛いっ!」
「なら地べたにでも描いてろ」
「だがっ、描けないという抑圧が、怒りがっ、逆に良いっ!インスピレーションが湧きまくりだっ!」
「チッ!気色悪いんだよ!」
地面を転がり、土に汚れようとも、その目に宿った創作意欲だけは決して汚れず揺るがない。
「ははっ!私が気持ち悪かろうとどうでもいい!完成した作品が全てだ!」
イーゼルは、自らの行く末に全く興味がないのだ。ただそれまでに、どれだけの美しいものを作り、見、残せるか。
それ以上に価値あるものは、彼の世界には何一つない。
「なら、完成する前に殺してやるよ」
「抵抗する上、自分で色をつけるキャンバスか。なるほど、描き甲斐がある!」
イーゼルがどん、と地面に手を叩きつける。
するとイチトの周囲の地面に亀裂が入り、地面から土の塊が迫り上がる。
「何だ、台座!?」
「違う、画架だ」
ぐいん。
イチトは、気づいた時には土製の画架に吸い寄せられる。
これがこいつの『星群』か、と考えながら、イチトは警戒してそれを避ける。
「足が、動かないっ!?」
だが動き出すのが遅かった。
既にイーゼルの『星群』は発動していた。
立つだけならば何も感じないが、一歩踏み出そうとした瞬間、地面と一体化したかの如く足が重くなる。
上半身だけなら少しは動かせるものの、下半身は例えどれだけの力を込めようと動かない。
「当然だ!キャンバスは画架の上に有るべきだろうっ!」
「……!絵を描く対象を、その位置に固定する『星群』!」
「正解っ!」
イーゼルは倒れそうなほどの低姿勢でイチトに接近し、ペインティングナイフを連続で投げつける。
「ぐっ!」
足を固定されたイチトはそれを躱しきれず、脇腹に一本、突き刺さった。
「触媒、入りかっ!」
「ああ。防刃繊維のせいで作品を作り損ねたこともあったからね」
ボタボタと流れ落ちる血を、イーゼルは筆で掠め盗り、紙に塗ってその色を確かめた。
「ああ、やっぱり良い色だ。怒りと自責から絞り出したような、最高の色!これをどこから塗っていこうか!」
「血なんてどれも同じだろうがっ!」
「いいや、違う。同じ人間から取ろうとも、その色は時々刻々変化する。誰よりも人に向き合った私が言うんだから間違いはない」
「何が向き合っただ。切って楽しんでただけだろ」
「私は、一度たりとも人を切るのが楽しいと思ったことはない。良いのは色だけだ!」
再びイーゼルは走り、ペインティングナイフを投げる。
イチトは冷静にその軌道を読んで弾き飛ばす。
そして全てを弾き終えた瞬間、《《自分の脇腹に》》ナイフを振り下ろす。
「ぐあああああ!?」
悲鳴が上がる。イーゼルの。
ナイフは脇腹ではなく、そこから血を抜き取ろうとしていたイーゼルの手の甲に、深々と突き刺さっていた。
「な、何故っ!」
「一瞬で色が変わるんだろ。なら、この色を即座に回収しておきたいはずだ」
「っ!流石キャンバス、誰よりも芸術家を理解している!」
「してねえし、したくもねえよ」
イチトはナイフをぐるりと回転させ、イーゼルの手を二つに裂いた。
「ああああああああああっ!」
あまりの痛みに、イーゼルは一瞬、全てを忘れて慟哭する。
イチトは止めを刺すべく、その煩く吠える喉笛に向かってナイフを突き出した。
「がああっ!」
だが既に逃げようと動いていたイーゼルに止めをさすことはできず、肩に浅い傷を残しただけだった。
「ふぅーーーっ!手!私の手がっ!これでは、作品が作れないっ!」
「そりゃ良かったなっ!」
イチトはいつの間にか動くようになった足で走り、これ以上動かれる前殺そうとナイフを構える。
「良くないっ!利き腕が使えないまま描くなんて、屈辱だっ!」
だがイーゼルは動いた。
手を失った悲しみも、痛みも、二度と元のように描けないかもしれないという恐怖も、全てを創作の糧として。
「例え腕を失おうと!私は絶対筆を止めないっ!」
口に筆を咥え、懐から絵具を取り出す。
そのチューブには、手書きで人の名前と時間、そして臓器の名前などが描かれていた。
「絵を完成させずに死ぬなど、芸術家の恥!」
再びイチトの足が、長らくパレットの上で放置された油絵具のように固まる。
「この身に代えても描ききってみせる!」
「お絵描きしてえなら紙に描いてろよ!」
鋼鉄の筆と、ナイフがぶつかり合う。
火花と、そして筆の先の絵の具が激しく飛び散った。
その一部は、イチトの体を染めあげる。
「まずはドリッピング、絵の具を飛ばして描く方法だ」
「誰が説明しろなんて頼んだ?」
始まった。
それを戦いと呼ぶか、創作と呼ぶかは、最後に立っていた者が決めるだろう。




