かつての『最強』
「そこで止まって」
入口から一歩進む前に、静止命令が下る。
「わかったよ。んで、どうだ最近は」
呆れて呟き、ベッドに座る少女の顔を見る。
目の下には色濃く隈が刻まれ、周囲には堆くゴミが積もっている。
部屋が出来てから、本当に一歩も出歩いていないのだろう。
奥にあるトイレと風呂も、外に出ない為につけさせたのだろうか。中々の高待遇だ。
「元気に見える?」
「いいや。それで、何があったか聞いても良いか」
「聞かないで」
「……そうか」
「いや、そうか。じゃないよ」
引き下がろうとしたイチトだったが、ヴィーシの持つタブレットから不満の声が飛び出す
「昨日ぶりだね、ヴィーシ」
「何の用かしら。私、昨日言ったわよね、貴女とは話したくないって」
「それでも、聞かなきゃ言わないでしょ。君が、あそこで見たのは」
「っ!!!」
質問を聞いた途端、ヴィーシの体が小刻みに震える。
そして即座にタブレットを壁に叩きつけ、通信を強制的に遮った。
それでも尚震えは止まらない。
「おい、大丈夫か」
「近寄らないでっ!」
たった一歩、踏み出しただけだった。
それなのにその少女は、刃物でも向けられたかのように怯え、呼吸は今にも死にそうな程に荒くなる。
「わ、かった」
ゆっくり、刺激しないように、踏み出した一歩を戻す。
そして望まれてもいないのに、両手を見せて武器が無いことを示した。
そうするべきだと思えてしまうぐらいに、錯乱している。
あの、ヴィーシが。
危険を愛し、爆弾特攻をさせられても笑った少女が。
知り合いの、『星群』も使えない人間ただ一人に、一歩足を動かすことすら許さないほど怯える。
確かに、腹を裂かれるというのは相当な恐怖だっただろう。
それでも、窮地に生きる少女が、一度の怪我でここまでなるとは思えない。
だが何があったか探ろうにも、どこに爆弾があるかわからない以上、下手な質問はできない。
「とりあえず、息を吐け。全部、できる限り」
一応言葉は聞こえていたようで、時折呼吸を乱しながらも、ゆっくりと息を吐いた。
「……落ち着いたか?」
「少し、だけね」
「そうか。日を改めた方が良いか?」
「……改めても、変わらないわ。あと、あの女を二度とここに近づけないで」
「しつこく聞いてくるのが嫌ってことなら、俺が止めても無駄そうだが」
「……わかった。なら、言うから、伝えておいて」
ヴィーシの声が震えだす。
見た目だけなら成人していると言われても信じてしまいそうだが、それでもその中身は、まだ未成熟な子供なのだ。
恐ろしい目にあえば恐怖に震えてしまうのも無理はない。
「近付いて、良いか?」
いつまでも怯え、何も話さないヴィーシを見かねて、イチトは状況を変えることにした。
「……武器、捨てて、ゆっくり」
「持ってきてねえよ」
一応形だけでもと、イチトはジャケットを脱ぎ捨て、ポケットの中身を全て床に置いた。
そしてゆっくりと近づき、近くきあった椅子に座る。
だがヴィーシは震えるだけ。喋ろうと必死になっているのだが、どうしても声が出せないらしい。
「少し、触るぞ」
イチトはヴィーシの手を両手で覆った。
ヴィーシは目を剥いたものの、指先に伝わる熱を感じる内に、少しづつ表情を和らげていった。
「少しは、落ち着いたか?」
「……らしくないわね」
「体の末端を温めると落ち着く、って昔教わったから、やっただけだ」
「貴方がそういうこと覚えてるなんて、意外。誰に教わったの?」
「母」
「……ごめんなさい」
問われたから答えただけだったが、ヴィーシは嫌なことを思い出させてしまったと思ったらしく、俯いて顔を暗くした。
「家族との思い出自体は悪いものじゃない」
話す前に塞ぎ込まれたら面倒だと思い、イチトは即座にその空気を払う。
実際、復讐さえ終えていたならば、少し気分が上向いていただろう。
「無理そうなら言え。こっちも他にやることがある。その時はニコラには適当に嘘伝えとく」
「あの女が、それで引き下がるとは思えないけど」
「あいつが金に関係ないところでそこまで粘るとは思えないがな。ともかく、いけそうか?」
「……今から話すから、一つお願い」
「何だ」
「私を、守って」
誰より強いはずの少女は、庇護を求めた。
実際には、ヴィーシが怯えるような相手に、イチトがまともにやりあえるはずもない。
だがそれでも、心の支えになる何かを、求めずにはいられなかったのだろう。
「まあ、散々利用させてもらったしな。復讐に関わらないタイミングなら幾らでも」
「ブレないわね」
無理に笑って深呼吸。
それでも恐怖は抑えきれず、イチトの手を全力で握る。
だがイチトはその痛みを悟らせることなく、静かに言葉を待った。
そして覚悟を決めたヴィーシは、その重い口をゆっくりと開いた。
「私を切ったのは、以前にも私を切った男。前と同じように突然現れて、何一つ痕跡も残さず、私以外の誰にも姿を見せずに消えて行ったわ」
ヴィーシが異常な行動を取るのにも納得した。
強くなる前にトラウマを植え付けられた相手ならば、それに影響されて力を出せないこともあるだろう。
「なるほどな。でも、何で切られて怯えてるんだ?毒爆破特攻でも喜んでたくせに」
「……前に切られた時、心臓がありえないぐらいに動いたの」
前後の繋がりはわからないが、遮れば情報を引き出せないだろうと、口を噤む。
「それ以来、心臓が動く度、あの男が、犯人がやって来るような気がずっとしてたの」
「捕まってないのか」
「ええ。どころか犯人の正体もわからない、世界に十件とない未解決事件よ。どこにいても、何をしても、この音を聞きつけて、寄ってくるんじゃないかって」
作戦前のヴィーシのイメージとは異なるが、震えながら言葉を紡ぐ今の姿をみれば、その時の怯えようも想像がつく。
「それなら寧ろ、家に籠もるんじゃないか。それが許されるぐらいの金はあるだろ?」
「暫くはそうしてたけど、見兼ねた親に言われたの。いっそ一度、限界まで心臓を鳴らせたらどうかって」
「一度鳴っても来なかったなら、次も大丈夫ってことか。荒療治だな」
「そうね。でも、それが結構効いてね。何だか胸が高鳴るのが楽しくなってきたの」
限界を超えた恐怖によって追い詰められた精神が、それを乗り越えたことで一気に弛緩する。
相当な脳内麻薬が放出され、それの虜となったのだろう。
「それでハマって、もっと高鳴るために宙域にまで来たら、その犯人と出くわした、と」
「……ええ」
現れないことを証明するはずが、偶然か必然か、ヴィーシは過去のトラウマそのものと、再び出会ってしまった。
「今はもう、心臓が鳴っても怖いだけ。もう私は、戦えない」
その瞬間、今は過去と繋がり、ヴィーシは昔の、怯えて部屋から出られもしない少女へと戻ってしまったのだ。
鼓動から得られた高鳴りは、恐怖へと変わった。
「なるほどな。それで守れって話だが、できれば敵の情報が知りたい。見た目とか、事件の詳細を教えてくれるか」
「み、ためは、真っ白な髪の、わ、若い、男。二十代、かも。あと、多分、だけど、機械腕だった」
とん、とんと鼓動と同じ速度で手の甲を撫でつつ、真摯に話を聞く。
下手に焦らせると、また恐怖でおかしくなりかねない。
「機械腕か。それなら手術履歴探せば見つかるんじゃないか?」
「警察には、そんな男いないって言われた。そもそも腕が無くなったのが、裏社会で何かあったからじゃないかって」
「まあ、表で手術受けるなら生体だろうしな。そろそろ限界みたいだし、後はこっちで調べておく。事件の日付、教えてくれ」
「確か五年前の、二月の、二十七日、だったはず」
息を飲んだ。
「っ、事件について詳しく聞かせろ!」
そしてそれを吐き切るような勢いで、ヴィーシに詰め寄った。
「ひゃっ!?えっ、何、どうしたの?」
日付を言っただけで豹変したイチトに、ヴィーシは当然困惑する。
「五年前の、三月、七日!俺の両親は、殺された!こんな短期間に、似たような事件が起こるか!?」
だが、その理由も理解出来た。
ずっと追い求めた犯人と、ヴィーシが言った犯人は、偶然で片付けるにしては共通点が多すぎる。
「そいつが、俺の家族を殺したんじゃねえのか!」
「それは、違うわ」
だがヴィーシは、イチトの推測を即座に否定した。
「何でだ!」
「私は地球出身。貴方は金星でしょ。流石に証拠を残さず星間移動するのは無理よ」
「そ、うか」
考えて見れば当然の話だ。
警察も、不可解な事件が続けばそれを一つの事件として考えようとするはずだ。
だがイチトが昔、事件について調べた時には、ヴィーシが切られたであろう事件の資料は一切出て来なかった。
警察が不可能だと判断するだけの証拠が、そこにはあったのだろう。
「いやでも、もしかすると密航?いや、流石に正体不明の船として記録が残るな。そうだっ!『星群』で姿を消すとか、誰かに化ければ船に乗れるかも!」
「落ち着いて、イチト。貴方、星間移動はしたことないの?」
「……いや、ある。そうだな。たかが顔変えたり姿消したぐらいで、あの警備はすり抜けられない」
パスポートの情報、移動管理局のデータに、体内のチップ、それから本人の顔。
ただ星間移動するというだけでも、これら全てが一致しなければならない。
更に犯罪が発生したのならば、それに加えて指紋の採取、現場に残った痕跡次第でそれに応じたあらゆる証拠を提出する義務が生じる。
それら全てを『星群』で通り抜けた上で連続殺人を行うとなると、命を捧げても対価が足りないだろう。
「違う、か」
「イチト、落ち着いてと言ったでしょ。その、少し、距離を取って」
その言葉によって、イチトは現実に引き戻された。
そして自分が情報に惹かれて近付き、今にも顔が触れそうなところまでヴィーシに近付いていたことに、漸く気が付く。
「悪い。近づくなって言われてたのに」
即座に手を離し、入口まで下がる。
勇気を持って話をしてくれた相手を怖がらせるのは、流石に人として間違っている。
「というか、大丈夫か?これだけ怯えさせるようなことしたのに」
「結構やばかった。でもそのせいで『星群』が発動したから、これ以上近づいた瞬間殴り殺そうって思って、無理矢理抑えた」
「……そうか。無理させて悪かった。次からは殴って止めてくれていい」
「せっかく我慢したのに、殴らないわよ。で、守ってくれるのよね?」
「ああ。復讐には、関係なさそうだしな」
「そう。その、ありがとね。それじゃ、私仕事に戻るから」
ヴィーシは来た時よりも少し色を取り戻した顔で、タブレットを二枚出し、片方をキーボードとして使って作業を始めた。
「書類仕事も出来るんだな」
「最近、常に『星群』が発動してるの。書類捌く速度も上がってるわ」
ヴィーシの『星群』は追い詰められることで発動する。
だからこの世で最も恐ろしい男と出会い、追い詰められている今、『星群』が発動しても不思議はない。
「なるほど、だからエースか」
「エース?」
「なんでもない。それとこれ、返す」
イチトはドア近くの床に置いたボトルを拾い上げると、そっと近付いて机に乗せた。
「何これ」
「コーヒー、微糖のだ。返すって言ったろ」
「ああ、任務の時の。律儀ね。でも、いらない」
「好きだって言ってなかったか?」
「言ったけど、今は少し、違う気分」
ゴミの山に目をやると、一口しか飲まれていない、同じコーヒーが捨ててあった。
そしてその上に、飲干されたカフェオレのボトルが数多く積まれている。
「それは、持ち帰って。もし返さなきゃ気が済まないなら、そこのカフェオレでも買ってきて」
ヴィーシはそう言うと、机の上のボトルを押して遠ざけた。
「……欲しいなら買ってくるが、それとは別に、これは渡しておく。約束したからな」
イチトはそれを冷蔵庫に入れ、部屋から去って行った。
「約束、ね。本当に律儀。任務ではあれだけ非常識な行動するくせに」
守ると約束した以上、お前を守る。
それを示す為に、敢えてイチトは微糖のコーヒーを置いて行ったのだろう。
根は真面目なのだ。
ただ、その方向が少し人とはズレている。
アルバーが神の言葉を絶対と仰ぐのと同じ。
イチトにとって、復讐は原理なのだ。
「歪ね。でも、これであの女は遠ざけられる」
そう、今何よりも恐ろしい、あの嘘くさい笑顔を浮かべることすら止めた少女を。
ヴィーシは一人、甘いカフェオレを飲みながら振られた仕事を片付けて行った。




