誇り高き神の使徒
その瞬間、コーレスの足を掴んでいた手が外れる。
「っ!」
ニコラの顔が歪む。
わかってはいた。
あれだけ体を潰された人間が、生きていられるはずがないと。
それでも、力なく落ちる手を見るのは、その命が間違いなく尽きたのを見せられるのは、どうしようもなく辛かった。
「うっ、ううっ!」
涙が溢れ出す。
何か最後に言おうとしても、嗚咽が漏れるだけで言葉など紡げやしない。
「手を、握ってやれ」
だが言葉は無くとも、できることはある。
イチトは繋いだ手を離すと、その腕に手を添え、ニコラが両手を使えるようにした。
「ゔ、ん」
そっとその手を掴む。
血で真っ赤に染まっているのに、肌が見えるところは青白い。
死人の腕だ。
そう思う度に胸が痛む。
もう、死んだことは知っているはずなのに。
それでもまだ、その死を感じる度に、どうしようもなく悲しく、悔しく、辛い。
眼孔の痛みも忘れるぐらいに、心が悲鳴を上げ続ける。
神の話ばかりするつまらない奴だった。
小言が多い、面倒な奴だった。
出来る事なら関わりたくないと、そう思っていた。
それでも、間違った人間では無かった。
寧ろ誰よりも正しく真っ直ぐで、だからこそニコラは、彼のことを嫌っていたのだ。
だが、決してこんな死に方をしていいような人間では無い。
無念のまま、その命を奪われて良いはずがない。
何故こんなことになったのか。
どうして、彼はここで死ぬことになったのか。
「私の、せいだ」
呟いた。
呟いてしまった。
そうだ、アルバーは私を守る為に戦い、死んだのだ。
私が弱いから、私がコーレスを倒せなかったから、この腕は青白く、生気を失っているのだ。
「う、ああ、あ、ああ」
泣く権利など、殺した私にはないはずなのに、涙がどうしても止まらない。
その手を握る資格など無いのに、手が離れてくれない。
広がる血の中で蹲り、涙を垂らして叫ぶ叫ぶ。
涙は血と混ざり合い、その透明な体を赤く染めて消えていく。
「おい。おい。おい、おい!」
「ぁ?」
微かに声が聞こえ、ニコラは意識を取り戻した。
そしてようやく、体が揺すられていることを認識する。
「声かけてんだ。返事ぐらいしろ」
「えぁ、あ、う」
「聞こえてるな。なら、行くぞ」
「どこ、に?」
「敵を、探すんだよ」
「え?」
「弔うのは、後で幾らでもできる。今俺達は、戦いに行くべきだ」
イチトも、家族と同僚という違いはあるが、目の前で冷たくなっていく人間を見送る辛さは、五年前に経験している。
そしてそこから立ち直らせる術にも、心当たりがあった。
「アルバーは、死人を出すなって言ってただろ。なのにお前は、ここで蹲っているだけか」
それは、目的を持たせること。
強く強く心に絡みつく、呪いのように強い目的を。
それで人が立ち上がることを、イチトはその身を以て証明している。
「違、う」
ニコラは名残惜しそうにその手を離し、幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。
「これ以上、死なせるわけには、いかない」
痛々しい姿だった。
顔は血と涙で汚れ、目は片方しか残っていない。
その上痣や骨折が散見される。
だがそれでも、立たないはずがない。
彼女が与えられた目的は、死者から直接与えられた言葉なのだから。
「……行くぞ」
罪悪感はある。
それでも、復讐を成すために、この状況を終わらせなければならないなら、イチトは進んで心を殺す。
それが、彼が立ち上がれる理由なのだから。
二人は、振り返らずに部屋を後にする。
だからこそ、気付けなかった。
誇りを汚され、体を潰され、無念のままに死んだはずの死体が、笑顔を浮かべていることに。




