その目の光
想定外の事にコーレスが膝をつくと、僅かにその両手に加わる力が弱まる。
ニコラは爪で皮を削がれながらも、その手を引き剥がし、即座に、同じように手を剥がした相棒の元へと向かう。
「行かせるわけがねえだろ!」
まずいと思う暇もなく、直後、ニコラは吹き飛ばされた。
「ぐぶっ!?」
声を上げる暇もなく、近くのドアに叩きつけられる。
そして壊れたドアと共に、広間の中まで吹き飛んだ。
脳が揺れ、全身から一斉に痛みの信号が送られる。
地面に倒れ落ちるニコラの口から、血の混じった赤黒い吐瀉物が溢れた。
もはや死に体。だがこれは、被害を最小限に抑えた結果だ。
蹴り飛ばした後、即座にイチトがもう一度足を触れさせていなければ、今頃ニコラはあの世へと送られていただろう。
「邪魔してんじゃねえよ」
「がっ!ばっ!」
そしてイチトも、暴力そのものとなった足で、吹き飛ばされる。
「あー鬱陶しい!人が、楽しんでる時に何邪魔してみてんだよ!」
殺意。殺意。殺意。タガが外れた憤怒は、もう誰にも止められない。
「もう、加減はしねえ!!!」
イチトの視界が歪んだ。
それが蹴り飛ばされたからだと気付いたのは、次の一撃が右肩を撃ち抜いてからだった。
そして即座に喉を殴られ、悲鳴を上げることすらも許されずに這いつくばる。
「この俺が、こんな貧弱なクソガキに、膝をつかされるなんてよ!!思い出すだけで胃が爆発しそうだ!」
言うや否や、イチトの腹に拳を叩き込む。
急な衝撃に耐えきれず、胃が破裂した。
「ごばっ、あ、ぶ」
「情けねえ音だな。俺はこんな薄汚くて情けないゴミに一杯食わされたってのか?ああ!?」
ダァンッ!
受け身を取ることも許されず、壁に叩きつけられる。
その度に、骨が何本か砕け散る。
殴る、蹴る、その全ての動作が、致命的なまでの威力を誇る。
体調が万全で、『星群』があったとしても、この暴力に対抗することはできない。
それだけの覆しようのない力の差を何度も何度も、執拗なまでに見せつけられた。
だが、それでもイチトは地面を這った。
「ああ?どこ行こうって……」
コーレスは、目を疑った。
その先にいたのは、自分がついさっき吹き飛ばした少女。
それが、全身から血を流しながらも、亀より数段遅い速度で、だが間違いなく、こちらに向かってきていたのだ。
「まさか、まだ戦おうってのか?」
その全身は、余すところなくボロボロにされた。
だがその心だけは、まだ折れていなかった。
「どうせ死ぬのにいつまでやんだよ。気持ち悪い」
千切れたバッタを見るような目で、コーレスは蠢く二人を見た。
そしてニコラに近づくと、その腕を掴んで床から剥がした。
「もう面白くもねえから足掻くなよ。逆らってごめんさないって、泣きながら謝って死に晒せよ。何で抵抗してんだよ」
「そんなの、決まってるでしょ。イチトが諦めてないからだよ」
「……は?」
「私は、復讐する前まではイチトと組むって誓った!だからあいつが諦めるまで、私は絶対に死ねないんだよ!」
血に濡れた髪の隙間から、瞳が覗く。
どれだけ血に塗れようとも、その瞳は全く変わらず光り続けていた。
「そんなことの為にわざわざ血反まで吐いてるってのか?」
「わかって貰おうなんて思っちゃいないよ。これは私が、納得する為にやってることだっ!」
「あー気に入らねえ。こんだけボコボコにされて、なんでお前はまだそんな目してやがる」
気に入らない。
力の差を見せつけても、戦えない体にしてやっても、それでもまだ生きるのを諦めない。
その目から光が消えないのが、どうしとうもなく気に入らない。
「消すか」
「は?」
困惑をよそに、ニコラの左目に手が当てられる。
グチリ。
「ああああああああああ!!!?!」
そして、その眼孔へと指が押し込まれた。
ぐちゅ、にぢ、ぐちゅり。
血と気色悪い音を撒き散らし、中を荒らしまわる。
ニコラは半狂乱になって指を抜こうとするが、全くもって力が足りない。
限界を超えた悲鳴に喉が潰れ、掠れた音が力なく溢れるようになった頃、ようやく指は引き抜かれた。
その中にあった球体は蹂躙され、目も当てられない程に潰れていた。
「何で、こんな、ことっ」
右目から涙を、左目から血を流し、ニコラは声を絞り出して理由を問う。
「気に入らねえ目をしてたからだろ。話聞いてたか?」
「……そう。そんで、気に入らない目、潰してやった気分は、どう?」
「最悪だ」
その答えに、耳を疑った。
人の目を、敢えて神経を繋げたまますり潰しておいて、最悪の気分だと宣う。
なら潰すなと、叫びだしそうになる。
「片方潰したら諦めるかと思ったが、駄目だ。まだお前、生き残ろうとしてるだろ」
「たりまえ、でしょ」
「そこだ。骨折った程度のやつならそんなセリフを吐くが、大体ケジメで目潰されたやつは、全員同じセリフを吐くもんだ。『もう、殺して下さい』ってな」
「言えば、逃してくれんの?」
「本心から言うまで殴る。それから殺す」
「言う意味、ないじゃん」
「なら、右目だな」
その目に、再び指が近づく。
ガシッ。
「あ?」
足首を掴まれる感覚。
この場でそんなことをするのは、一人しかいない。
「何の用だ、クソガキ」
「その手、引っ込めろ」
這いつくばりながらも、クロイ・イチトはコーレスを睨みつけた。
「バカ!私の目なんて無視しろよ!」
声が裏返る。
今まで、彼女が諦めなかったのは、イチトがいたからだった。
目を潰されようと、その時間の間に何か良い策を思い付けばそれでもいいと、そう言い聞かせて耐えていたのだ。
だがその努力は水泡に帰した。
「バカはお前だ。こいつは、目も見えねえ荷物抱えて勝てる相手じゃねえだろ」
「だからって、今来ても死ぬだけでしょ!」
「何か勘違いしてねえか」
コーレスはそう言うと、足を振り上げた。
直後、イチトは数メートル先の壁にぶち当たる。
その体が滑り落ちた後には、鮮やかな血の華が残された。
「今更何をしようと、お前らは死ぬんだよ」
「イチトッ!」
「人の心配してる場合か?」
ニコラが気付いた時、眼前は壁だった。
バキッという音の後、壁にもう一輪の赤薔薇が咲く。
「でもまあ、続きは後だ。今俺が殺したくなったのは」
ポケットに眼球ごと手を突っ込んで、一歩一歩、地面を砕いてコーレスは突き進む。
そして地面で藻掻く少年の首を掴んで持ち上げた。
「お前だ」
「……」
それには、もはや言葉を返すだけの体力も残っていなかった。
朦朧とした意識の中で、それでも必死で呼吸を繰り返し、その命を数秒先の未来へと繋ぐ。
「それじゃあ、死ね」
だがその道も、コーレスが少し力を加えるだけで途絶えた。
血流も、呼吸も、生命維持に必要な機能の全てが、首で堰き止められる。
抵抗のために伸ばした腕も、まともに上がっていない。
「あばよクソガキ。俺に敵対したことを後悔して死ね」
「生憎だが、私の前で死人は出させんぞ」
唐突に、声が響いた。
ニコラではない。ましてイチトのはずもない。
だがその声は、確かにコーレスの鼓膜を震わせた。
「……誰だお前」
その問には答えず、声の主は何かを投げつける。
コーレスは不愉快そうに払ったが、それは寧ろ強く、その手にしがみついた。
「……おい、お前誰に手錠なんかかけてやがる」
その腕につけられたのは、ワイヤーがついた手錠だった。
「決まっているだろう。悪人だ」
その青年は、手錠の逆端を近くの壁に括りつけた。
すると、輪を結ぶワイヤーが、高速で巻き取られる。
「何っ!?」
予想外の動きに戸惑い、一瞬腕が引かれる。
だが直ぐに力を入れ直して腕の動きを止め、逆の腕でワイヤーを引き抜いた。
「この程度で俺を止められると思ったのか?」
「貴様の実力など知らんのだから、思うはずもあるまい」
「ああ?なら何でこんなゴミ投げつけてやがる?」
「例え拘束出来ずとも、外すのに両手が必要なら十分だ」
そう言って青年は視線を奥へと向ける。
そこには、首を開放されてえづく少年が転がっていた。
「ああ?こいつの仲間、にしては妙な服だな。何者だ?」
「そこの男のせいで、黒いのを着る羽目になっただけだ」
斜めに切られた髪からは、覚悟の籠もった単眼が覗く。
改造手錠をしまい、右腕だけで祈るような仕草をとると、青年は堅苦しい名乗りを上げた。
「我が名は、アルバー。アドナイ神の下僕にして、宙域警備隊の隊員だ」




