即興不殺技 久遠逃亡兎
渾身の一撃は、全く効かない。
だというのに敵の軽いジャブは、こちらの体を吹き飛ばす。
彼我の実力差を、一秒ごとに思い知らされ続ける。
「ゲホッ!ゲホッ、無事?」
「自分の心配だけしてろ」
壁に叩きつけられたイチトとニコラは、少しふらつきながらも何とか立ち上がった。
「そうしたいけど、君が潰れたらマジで終わるじゃん」
ちらりとニコラは、敵の姿を見る。
一撃で自分たちを吹き飛ばしたその男、コーレス・ダルスターは、肩慣らしか腕を振り回している。
「駄目だな、こんなガキすら直ぐに殺せねえなんて。これじゃ仕事が遅れちまう」
「瞬殺が前提だよ。舐められまくりだね」
「気抜いたらそうなるだろ。気合入れろ」
「おいおい、気合なんか無駄だろ。精々一発、殴る回数が増えるだけだ」
舐め腐った煽りに、イチトは何も言い返すことが出来ない。
今でさえ、直撃せずとも全身が痺れるのだから、下手に相手をやる気にさせてしまうと、間違いなく死ぬ。
「ね、マジでどうやって時間稼ぐの、これ」
「簡単なことだ」
コーレスは笑い、足を上げる。
「「っ!」」
瞬間、二人は全力で走った。
そして内臓全てを揺さぶるような鈍い音が鳴る。
同時に砂埃が舞い上がる。
壁には、体よりも大きな罅。
それら全てをコーレスは、ただ一度殴るだけで生み出して見せた。
「サンドバッグになるなら、一分ぐらいは構ってやるよ」
「あの壁、確か結構硬いんでしょ?どんくらい?」
「鉄」
「聞かなきゃよかった」
喰らえば死は免れない。
化け物を相手にしたことを実感し、顔に冷や汗が伝う。
「だから、避けるな。正面から殴られてた方が、長生きできるぞ?」
「なら提案なんだけど、じゃんけんして負けたら帰ってくれない?」
「良いぜ。なら、チョキ出す気になったら言えよ」
部下を殺しまくったこと、そしてその分身を殺したことを知られていないのか、その態度は前のコーレスよりは落ち着いており、煽り返す余裕まであるようだ。
「それまでグーで殴り続けてやるからよ」
だが厄介な敵であることだけは、今でも変わらなかった。
言っている間に、その足の筋肉が膨張する。
二人がそれを見て横に飛び跳ねる。
ドゴァアアン!
寸前まで立っていた場所が弾丸のような速度で突進したコーレスによって抉られた。
「っ!!やっぱ速っ!」
「馬鹿っ、叫ぶなっ!」
口を塞ぎ、壁を蹴ってその場を離れる。
ズドオオオン!
すると蹴った場所に新しい亀裂が生まれた。
勿論、それはイチトの力によるものではない。
それを生んだのは、声の主を殴り殺さんと襲来した、化け物だった。
「チッ!掠っただけかよ!」
粉塵を散らしつつ、化け物、コーレスは虚空に向かって吠える。
一方、狙われた二人は声を殺していた。
「せっかく煙あるんだから、場所知らせんな。今回は静かにしとけ」
「……ごめん」
ニコラの声には、いつものような鬱陶しさが無い。
ヴィーシがやられたのを見たあたりから、少し調子を崩していたが、一層その声を萎ませたのは、罪悪感。
視線の先は、イチトの右足。
膝は前を向いているのに、爪先は斜め後ろを指している。
たった一発、拳が掠っただけだというのに、その足はほぼ百八十度捻れてしまっていた。
「手、逆にするぞ。外側に無事な足があった方がやりやすい」
「平気、なの?」
「痛えよ。でも、動かなきゃもっとやられる」
ニコラは直ぐに、聞いたことを後悔した。
痛くないわけがないだろう。
額の冷汗を見ておいて。
歪んだ顔を見ておいて。
捻れた足を見ておいて。
そんなことを聞いてしまった自分がたまらなく嫌になる。
「それより、早く動け」
「……うん」
イチトは自ら動かず、ニコラに命令した。
歩けもしないほど、足が痛むのだろう。
ニコラは罪悪感に飲まれつつも手を離し、即座に逆側の腕を繋いだ。
どくん、と全身の血が跳ね、同時に土煙で覆われていた視界が晴れる。
「そこか」
視界が晴れれば、コーレスを止めるものは何も無い。
「クソッ!」
トレハは叫ぶと、ニコラを抱きかかえて飛んだ。
「なっ!?無理だよイチト!片足で二人なんて!」
「指示してる暇ねえんだよ!これで少しは持たせるから、どうにかする方法考えろ!」
「ってやば、声!」
「もういい!良く周り見ろ!」
言われて周囲を見渡すと、イチトとコーレスが飛び回っているにも関わらず煙は前ほど立っていない。
そして粉塵の白の代わりに、視界を埋めるのは鮮烈な赤。
壁も、床も全てが赤い。
その正体は、そこらに散らばる肉塊を見ればわかる。
血だ。
「血で、粉塵を抑えてる……!?」
「そういうことだろうな。胸糞悪い」
同じ大きさの粉なら、軽い方が舞い上がりやすい。
だから液体を吸わせて重くする。
非常に合理的で、人の道理に反した手段だ。
「外道っ!」
「犯罪者に何を期待してんだァ!?気に入らねえならかかってこいよいいこちゃん共!」
ニコラの見せた怒りも意に介さない。
抱えられ、逃げ回る女の訴え如きが、身勝手の塊たる犯罪者に通じるはずもない。
「騒いでねえで考えろっ!」
「口に出した方が考え纏るタチなの!そんで一個だけ、策思いついた!」
「成功率とメリットは!」
「……メチャクチャ低い!成功しても精々が数秒の足止め!」
「それを策とは言わねえよ!」
「でも、今のままだとジリ貧でしょ!」
イチトは密かに歯を食いしばった。
『星群』の補正があるとはいえ、ニコラを持ったまま飛び跳ねるのはもう限界に近い。
更に壁が血に濡れたことで、滑らないように神経を張り巡らせる必要も出てきた。
限界は、すぐそこだ。
「細かいこと言われても対応仕切れねえぞ!喋るのがキツいぐらいにはギリギリなんだよっ!」
イチトらしくもない弱音だった。
そんなものが口から出てしまうぐらいには追い詰められているのだ。
捻れた足の放つ痛みも、一瞬判断を間違えたら死ぬ現状は、少年の精神を擦り切れさせていた。
ニコラは予想外の言葉に息を詰まらせた。
「ぶふっ!」
そして吹き出した。
不自然なまでに口で弧を描き、そして震える笑い声を高らかに上げる。
「お前、何を」
「私と喋るのがキツいって、それ、いつも通りじゃん!まだまだ冗談かます余裕はあるってことだね!」
「ーーー!」
確かにそうだった。
ニコラと話すのが億劫なのは、普段通り。
変わったとすれば、精々足が傷むこと、そして行動を止めた瞬間死ぬことだけだ。
そう、たかがその程度だ。
「耳元で笑うな。煩え」
呆れ返ったような罵倒が返ってくる。
それだけで、ニコラは確信する。
「言いたいことがあるなら、背中降りてから言え」
死ぬほど弱気が似合わない相棒が、いつもの調子を取り戻したことを。
「良いよ、お望みとあらば、私の華麗なステップを見せてあげる!」
ならこれはもう虚勢じゃない。
口角は定位置へ。
いつも通りの不敵な笑みが、その顔に戻る。
「やるんだな?」
「モチロン!一発デカいの咲かせてやろうじゃん!」
「それで、何をすればいい!」
「手を握ったら、全力でブっとばす!そんだけ!」
「成功率が低いのも納得だな。着地の瞬間に握ったら、次で交代する」
イチトが交代の合図を伝えた瞬間、強く手が握られた。
「早いなっ!」
次に壁に触れたのは、ニコラ。
高速で壁に打ち付けられた少女は、『星群』もあって、その衝撃を全てそのか細い足で受け止めた。
そしてその力を溜め込んだ膝を伸ばしきり、全力で跳ねる。
それだけなら、今までと変わらない。
ただ、向かう先はコーレスの真横だった。
「舐められたもんだなぁ!?」
当然、正面から迫る怪物は、二人を殴り殺さんとその拳を強く握り締める。
同時にニコラも、その両手を握った。
そう、イチトと繋いだ側の手も。
「おっ、らあああああ!!」
イチトは雄叫びと共に、その踵をコーレスの頭に叩きつけた。
「ぐっ!?」
ズドオォォン!
空中であるが故に抵抗もできず、コーレスは地面に落ちる。
「これで満足か!?」
「バッチリ!いやー、さっすがイチト様!」
二人の攻撃は通じない。
だがその衝撃は伝わる。
空中で蹴り飛ばされて、動かないことは不可能だ。
「お前ら、どこまで俺をバカにしてやがんだ?」
しかしコーレスは当然無傷で、即座に立ち上がって再び二人を追いかける。
「こんな程度の攻撃で、俺を倒せるわけがねえだろうが!」
僅か三秒で、二人が危険を侵してまで放った一撃の効果は消え失せた。
どころか怒りが増した分状況は悪くなった。
「だろうね!」
「ああ?」
予想外の肯定に、コーレスは心底不機嫌そうにニコラを睨みつけた。
「意味無いってわかってんならやるんじゃねえよ!」
「違うよ」
そして今度は予想外の否定がぶつけられる。
「私は、『倒せない』ってのに同意したんだ。『意味がない』なら最初からやらないよ」
「何ほざいてやがる!倒せねえ攻撃に意味はねえだろうが!」
跳躍。
その軌道は再び交わる。
「しつけえんだよっ!」
「お前もだろっ!」
「ぐっ!?」
そして再びコーレスは地面に叩きつけられる。
だが即座に、更に怒りを増幅させて立ち上がり、飛び回り、二人の命を狙う。
しかしその甲斐なく、何度空中ですれ違っても、コーレスは攻撃を当てられずにいた。
それは、イチトとニコラが二人で戦っているからこそ引き起こせる事象。
「邪魔だな、その手!」
肝心要は、繋いだ腕。
何も触れるもののない空中では、進行方向を変えることは困難だ。
だが二人は、お互いに触れることができる。
それを活かし、攻撃を避けるようにお互いに動き、動かしを繰り返すことで、一方的に攻撃を加え続けているのだ。
「気付いたところで対策は無え!」
「そゆこと!君は延々と、蹴られ続けるんだよ!」
「だったら何だ!俺をキレさせて、もっと酷い死に様でも晒したいのかぁ!?」
「違うね。また、違う」
警戒されたところで、今度はニコラがその背中を蹴りつける。
それでも衝撃は伝わり、コーレスの体は制御を失う。
「一回につき、たった数秒だよ」
「ああ!?」
「君が着地に失敗してから、また飛び回るまでは数秒だって言ってるの」
「それが何だ!」
「それが、この攻撃の意味だよ」
またすれ違い、蹴り飛ばす。
「私達は、君に勝ちたいんじゃない」
蹴り飛ばす。
「生き残りたいんだ」
蹴り飛ばす。
「生きて、いつか目的を果たせればそれでいい」
蹴り飛ばす。
「だから勝たなくていい」
蹴り飛ばす。
「君を倒せる人が来るまで、時間を稼ぎ続ける」
蹴り飛ばす。
「ただそれだけの、単純で、重要な意味が」
蹴り飛ばす。
「この攻撃にはあるんだよ!」
跳び、跳ね、そして蹴り飛ばす。
それだけの、身体能力だけで組み立てられた、技とも呼べないような粗末な作戦だ。
「失せろ猟犬、我は永遠の脱兎なり」
だが、敢えてニコラは詠唱した。
技ならぬ技を、命を繋ぐに足る技へと昇華させるために。
倣う星座は兎座。
オリオン座の真下で、今も尚逃げ続ける、逃げの寵児。
逃げに徹する二人にとって、希望の星とも言える星座。
「即席不殺技、久遠逃亡兎!」
その技は、敵の命を奪うことを目的としない。
故に必殺ではなく、不殺の技と書いて不殺技。
兎のように飛び跳ねては、敵の動きを鈍らせる為だけに蹴り飛ばす。
蹴り飛ばす。
蹴り飛ばす。
蹴り飛ばす。
蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。
「ふっ、ざけんじゃねえええええ!!」
ドゴオオオン!
咆哮と共に放たれた拳は、宙域の本部を大きく揺らした。
「たった数秒稼いだから何だ!俺を倒せる奴だ?いるわけねえだろそんな奴が!」
「数秒も、積み重なったら数時間にだってなるよ!」
「お前を倒せる奴なら少なくとも二人、心当たりがある」
「ああうるせえうるせえ!二人いるから二倍うるせえ!今すぐ潰せば一秒も稼げねえだろうがよっ!」
コーレスは怒りに任せ、再び跳び上がる。
「そんなこと言わずに一緒に積み重ねてこうよ、塵みたいな時間をコツコツと!」
「うるせえ死ねええええええ!」
また、その進路が交差する。
コーレスは繋がれた手を見るも、握った様子はない。
これだけやられれば、何を基準にして攻撃を振り分けているのかぐらいはわかる。
近づく少女を警戒して力を込める。
するとニコラは繋いでいない方の手をパッと手を開いた。
「っ!」
来る。
「ま、たまに蹴るのサボっちゃうけどね〜」
そう確信した瞬間、手のひらがひらひらと舞っ。
特段、変なことをしたわけではない。
飛び回っているだけでも、ある程度時間は稼げるのだ。
だから警戒されている時には手を出さず、やり過ごす。
合理的かつ効率的な、普通の行動だ。
だがやられた側からすればそうではなかった。
「死ね」
コーレスは、消えた。
速すぎて一瞬認識できなかったのだ。
「速っ!」
「近付くなよ!あの速さを捌くのは無理だ!」
「近寄れって言われても行かないよあんなの!」
肉体の強度にものを言わせた、攻撃とも言えないような一撃。
だが、それで十分だった。
それだけで二人は反撃すらできず、逃げ回るしかなくなったのだから。
「今、ここで、死に晒せ!」
「是非ともお断りしたいね!」
「死んでやる理由はねえよ!」
「お前らに選択肢はねえんだよ!」
巨体を豪速で振り回す。
単純な、考えなしの一撃が、どうしようもなく強い。
「足限界なったら言え。一分程度なら代われる」
「いらない。言ったでしょ。君はただ、合図に合わせてぶちかませば良いの」
ニコラは気遣いを跳ね除け、限界も近い足で跳ね続ける。
「アレにぶちかます機会なんてもう無いだろ」
「いや、あるよ」
「何?」
「言ったでしょ?成功率は低いけど、たった数秒足止めできる策があるって」
ニコラは不敵に笑うと、窓ガラスの枠を蹴飛ばして空中へと飛び出した
「今までのがそうだと思ってるんなら」
そしてその直後、二人を追うコーレスがその窓を踏み抜く。
パリィン!
「!?」
怒りに飲まれたコーレスは気付いていなかった。
その窓が、もはや人が飛びまわる衝撃に耐えられないことに。
「ちょーっと私を舐めすぎだよ?」
コーレスの巨体が、とてつもなI速度でぶつかったことで、強化ガラスの窓は一瞬で砕け散った。
その外に存在するのは、真空。
周囲の全てを引き寄せ、無を有に変えようとする力。
コーレスも例外ではなく、その引力に引き寄せられる。
「窓ぐらいまともに作れ貧乏警察があああああ!」
圧力差で吹きすさぶ風の中、咄嗟に壁を掴んで戻ろうとする。
だがその瞬間、壁は砕けて消え失せた。
「何っ!?」
「脆い壁でしょ!散々君が飛び回ったおかげだよ!」
「クソがっ!!」
憤怒。
それは力を増強する代わりに、周囲を見えなくする劇薬。
コーレスはこの危機を、力で強引に乗り越えるべきだと判断してしまったのだ。
それと同時に、二人は全力で壁を蹴る
その軌道は、今二人が通った場所を、寸分違わず逆向きに辿る。
「全てを飲み込め虚無の力!」
詠唱が始まる。
倣う星座はポンプ座。
比較的最近に作られたその星座が表すのは、真空ポンプ。
繋いだ空間の気体を排出し、その場に真空を作り出す機械。
そして繋いだ手が握られた。
それは強力な一撃を放てという、単純な合図。
「虚空への誘い(アンリア・イナニス)!」
コーレスの顔面にその全力の蹴りが直撃する。
「効かねえよっ!」
強がりでもなく、全く聞いていない様子で吠える。
だが、掴んでいた壁には相当堪えたらしく、砕けて船から切り離される。
支えを失ったコーレスは、まるで真空ポンプに吸い込まれる空気のように、宇宙へとひきずり込まれる。
「確かに私達の蹴りは効かないかもね。でもーーー」
反動で船内に戻ったニコラが指差したのはコーレス。ではなく、そのさらに先の、宇宙
「真空は、案外効くよ」
もはやその声は聞こえない。
伝える空気が存在しないのだから。
「逃げるつもりかクソガキ共っ!」
戻ろうと藻掻くが、宇宙に触れる物などあるはずがない。
仮に何かがあったとしても、今も空気が吹き出し続ける窓に戻ることは不可能だ。
「クソッ、クソッ!ふざけんじゃねえっ!俺が、こんな雑魚にっ!」
空気も、宙域も、全てが離れていく。
残ったのは、恨みと怒りだけ。
「ーーーーー!」
音のない雄叫びを上げ、コーレスは虚空に呑まれていった。




