帰還と言う名の決死行
「遅い、遅い、遅い!」
白髪の少女は自らが乗ったバイクの移動速度の遅さに、苛立ち、機体を蹴り飛ばした。
「だからって暴れるな!手元が狂う!」
そんな少女を、黒髪の少年は叱りつける。
「多少狂っても遅いから大してブレないでしょ!何でこんな遅いの!」
「一人乗りに二人で乗ってるからだろ!付くまで大人しくしてろ!」
言った少年もどこか落ち着きなく、フットレストに乗せた足で拍子を刻む。
そうなるのも無理はない。
なぜなら今、二人ーイチトとニコラーが目指しているのは、突如連絡が取れなくなった宙域警備隊の本部だからだ。
ただの職場ならまだしも、宙域の仕事というのは、基本的に犯罪者との戦闘と逮捕
その任務中に本部との連絡が取れないのは、どう考えてもおかしい。
何らかの危機に瀕していることは、間違いない。
「これじゃあ残って探した方がマシだったでしょっ!」
「見つけても、俺たちじゃ殺されるだけだ!良いから大人しくしてろ!」
焦りとは裏腹に、バイクの速度は上がらない。
更に悪いことに、二人の『星群』は『双騎当千』。一人だけ先に行かせてもまともに戦えない。
タイタンに残したアルバーと交替すれば多少は速く動くだろうが、運転があまり上手くない上に戦いを忌避するので、空中で敵と出会せば恐らく落とされる。
取れる選択肢の少なさに、イチトは歯噛みした。
「到着まであとどれくらいだ!」
「えーっと、この速度だとだいたい五分!出発してからもう十分経ってるし、相当ヤバいんじゃない!」
出発したのは、連絡が止まっていると気付いてから。
既に壊滅していたとしてもおかしくない時間だ。
だが両親を殺した犯罪者を殺すため、イチトは今宙域に潰れてもらうわけにはいかない。
「ニコラ、今からちょっと無理するぞ!」
「そう来ると思ってた!んで、何すんの!」
「今は必要のないパーツを外す!」
「そんなんあるなら最初からやってよ!」
ニコラは叫ぶ。そしてその直後、思い出した。
出発する時に、いくつか部品を外していたことを。
「ちなみにパーツ名は?」
「酸素生成機と空調、それから風圧防壁」
「必要なやつじゃん!」
「無くても、即座に死にはしない!」
「つまり何、酸素も防御も何もかも投げ捨てて、鉄砲玉みたいに突っ込むってわけ!?」
「そういうことだ。やめるか?」
今、呼吸ができているのは酸素生成機と、気体を逃さないように張られた風圧防壁のおかげだ。
それらのパーツを外せば、二人を包む空気は一瞬で消え失せる。
そしてその後に訪れるのは、宇宙と言う名の真空。
言い換えれば死だ。
「外したら、何分かかんの」
だから聞いてはいけなかった。
ニコラは何も聞かずに、やらないと言うべきだった。
「一分だ」
普通の人間ならば死に絶える、もしくは生き延びても意識を失い障害が残るであろう時間だ。
だが今この場において、二人は普通ではない。
一人ずつなら一般人だが、二人ならばその枠に収まらない力、『双騎当千』を使うことができる。
「何すりゃいいの!」
そう、はじめからニコラに選択肢は無かった。
彼女も、目的を果たすためには宙域を生きながらえさせる必要がある。
「ここを『星群』使って、全力でひっぺがせ。それでその時、絶対に俺から手を離すな」
イチトは少し緩められたネジを指差し、そして手を差し出した。
「……ちゃんと握っててよね」
ニコラは引きつった笑みを浮かべ、その手を取った。
どくん。
『双騎当千』が発動する。
そしてその瞬間、ニコラはネジを引き抜き、部品の塊を投げ捨てた。
「呼吸は続けろ!死ぬぞ!」
「先に言ってよ!」
直後、二人の周囲の空気は消滅した。
「……!」
「……!」
悲鳴は上がらない。
否、上がっているが、聞こえないのだ。
土星付近の宇宙空間で、イチトとニコラは誰にも聞こえない悲鳴を上げていた。
息を吐くことはできても、吸うことができない。
横隔膜を目一杯引き、必死で息を吸おうとしても、逆に口から空気が漏れていく。
何もない空間の中で、二人の肺の中は虚無に侵食されていく。
また体の外側も、また別の未知の感覚に晒された。
真空だ。
人間がこの世に生を受けてから、ほんの一瞬たりとも離れることなく過ごす唯一の存在、圧力。
それが突然、消え失せた。
脳では幾らでもその現象を理解できる。
だが体はそれに従ってはくれない。
感覚の正体を理解していても、圧力が存在しないという事実は脳を混乱させる。
一分で終わるはずの移動は、終わりの見えない責苦として二人を苛み続ける。
だがそれでも、繋いだ手だけは変わらない。
小さな手で掴まれる、いつもの感覚がそこにある。
大きな手で包まれる、確かな感覚がそこにある。
それだけを拠り所に、イチトは全力でペダルを踏む。
地上において、バイクの最高速度を決めるのは空気抵抗だ。
だが宇宙では空気抵抗は無い。故に力を加える程に加速し、どこまでも速くなっていく。
「!」
そんな中、ニコラは突然その手を強く握った。
その直後、イチトはその理由を理解する。
宙域の本部である宇宙船が、遥か遠くに現れたのだ。
その瞬間、イチトは上着をめくると、ニコラに自分の腰を直接掴ませ、両手をハンドルにかける。
これから先は、片手では乗り切れない。
上手く突入できるようにスピードを落としつつ、入口が既に敵の手に落ちていることを考えて高速で突入する必要がある。
それには繊細な速度調整とハンドル捌きが要求される。
失敗は死。
突入してからが本番だというのに、その前段階ですら命が危険に晒される。
きっとヴィーシがここにいたら、最高の笑顔を見せたことだろう。
だが今ここにいるのは狂人ではない。
いるのは目的の為に命を張らざるを得なかった、少年と少女だけだ。
イチトの全身に力が入る。
ニコラもそれを感じ取って、抱きつくようにして体を固定した。
そしてイチトは叩きつけるように足を後ろに下げた。
その操作に従って、バイクは後方への重力を発生させる。
ぐん、と全身が引っ張られる。
それでも操作だけは間違えないよう、必死でその引力に耐える。
目指すは最初の作戦で使った出入口。
任務中、あの出入口は弱い風圧防壁がシャッター代わりに使われている。
窮地に陥った隊員が逃げ込める場所として、敢えて穴を残しているのだ。
当然その穴を狙われた時の為に、入口は相応の実力者によって警備されている。
故に、そこにいるのが誰かを見るだけで、宙域の状況が手に取るようにわかるのだ。
視認できる位置まで入口が近付く。
そこには、人がいた。
見覚えの無い服装に身を包んだ、人相の悪い男が。
「っ!」
肩に、線は入っていない。
間違いなく犯罪者の側の人間だ。
宙域は何者かによって占拠されている。
そして男もこちらに気がついたようで、何やら端末を触る。
──不味い。
それが連絡であろうと攻撃であろうと、圧倒的不利に追い込まれることには変わりない。
イチトは直感的に、ペダルを踏んで再加速した。
結果から言えば、それは正解だった。
その男が押したのは、開閉スイッチ。
イチトが狙った出入り口は、ゆっくりと、だが確実にその開口部を狭めていく。
加速する、加速する、加速する。
だが間に合わない。
二人が辿り着いた頃には、もはやバイクが入れる場所はどこにもなかった。
閉めた男は勝利を確信し、その表情を嫌らしい笑顔へと変えた。
だがその笑顔は一瞬で消えた。
狭まる隙間から落ちてきたのは、生身の人間二人。
「!」
驚き、声を上げる間もなく、その首は圧し折られた。
そして二人は周囲を見渡すと、人生で一番大きく息を吸い込んだ。
「人って、バイクより、ちっちゃいんだよ?」
息も絶え絶えになりながら、ニコラは横たわる死体に声をかけた。
バイクで入れないなら、生身で入る。
それだけの判断だったが、男はそれを予想できなかった。
何故なら彼は、二人が防壁を捨てる等という愚行を冒しているとは知らなかったから。
入れなければ別の入り口に回るだけだと、そう信じていたから。
だが実際には、来訪者は狂っていた。
真空を生身で移動し、ここを逃せば窒息死する他ない程に追い詰められていた。
そんなことを予測しろというのは、あまりにも酷だろう。
「呼吸、整えたら行くぞ」
「了解。にしても、マジでヤバそうだね」
そこに転がる死体は三つ。一つは今殺したばかりの敵。もう二つは肩に線が刻まれた制服を着た、宙域の人間。片方は鋭利な何かで体をブツ切りにされ、もう一人は心臓を潰されていた。
「……イチト、この切られた人、確か訓練室Bで見た」
「こっちの潰された奴も、確かそうだ」
周囲の壁等に大きな傷がないことから、恐らく決着は一瞬でついたのだろう。
上位戦闘員のみが入れる訓練室Bにいた隊員が、瞬殺されるほどの化け物が、少なくとも二人いる。
前線から逃げ、後方支援をしているような人間では、止められるはずも無い。
戦闘員が少ない今、宙域で暴れられれば、どうなるかは考えるまでもない。
「今すぐ止めるぞ」
「当然!」
呼吸は整わず、まだ全身に怠さが残っている。
それでも二人には、進む以外の道は無かった。
進まなければ、宙域自体が滅びかねないのだから。




