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神の手が届かぬ場所で

 祈りを捧げるアルバーの元に、三台のバイクが迫る。


 前回の反省を活かし、その間隔はギリギリまで狭められている。

『横は完全に塞いだ。どうやって避けるのか、見せてみろよ!』


「難しいことはない。左右が駄目なら、上下だ」

 そう言ったアルバーは懐から手錠を取り出すと、何もない空中でその輪を閉じ、頭上に掲げた。


 するとアルバーは、手錠ごと空に浮上した。

『なにっ!?』


 その現実離れした、正に神のような所業に誰もが空を見上げる。


 突進していた三人も、ブレーキを忘れて真っ直ぐその下を走り抜ける。


『くそっ、またそれも神の加護とか言い出す気か!』

「この程度が神の力なものか。これは単に、機械の性能だ」


 呆ける後続に向けて、アルバーは空中からいくつかの手錠を投げつける。

 それは動いて躱すことのできない相手の手を拘束した。


 すると直後、手錠から突然リール音が響き、強い力でどこかに引っ張られる。

 捕まった人間は抵抗しようと必死で手を引くが、機械の力に押されてもう片方の手錠がついた相手と引き寄せられてしまった。


「機工手錠、ハードレー・テイマーン。両側を閉じれば縮むようにできた、リール付きの手錠だ。浮いたのも、あのバイクに手錠をつけておいただけだ」


 空に飛ばしたバイクに乗り上げると、アルバーは浮いたカラクリをあっさりとバラした。


 知られたところで大した問題は無いのと、偉大なる神をこの程度だと思われたくない信心が働いたのだ。


『それはそれは、単純だ』

 だが単純な仕掛けだからこそ、その程度を見抜けなかったことをストマイチオは屈辱に感じた。


『おい、まずは誰かあの浮いてるやつ落とせ』

『し、しかしあの上には……』

『殺すのが嫌なら回収しろ。とにかく、あの男の機動力を削げ』

『は、はい!』


 指示に従って、数人の部下が宙に浮かぶ機体に向かって突進する。

 それを見たアルバーは、跳んだ。

 躊躇うことなく、向かってくるバイクに向かってその身を投げたのだ。


『うわっ!?』

『加速しろ!』

 咄嗟に止まろうとした部下に向けて、ストマイチオの命令が下る。


 突然の命令に、ライダーの動きが止まる。

 だがそれこそが、ストマイチオの狙いだった。

 本能と命令で板挟みになれば、咄嗟に止まるための操作はできない。


 今でも十分に人を轢き殺せるだけの速度は出ているのだから、それを保ちさえすれば、あの狂信者を冥府の底に送ることができると考え、敢えて混乱するような命令を下したのだ。


 そして目論見通り、百キロを超える質量が高速でアルバーに迫る。

 危機が目前に迫る中、アルバーは手を合わせた。


「神よ、我が身を守り給え」

 それは、祈りだった。

 多くの人間が死を目前にした時に行う、全く無意味で価値の無い行為。


 だがアルバーにとってそれこそが、今この瞬間に一番必要な行為であった。


『っ!?』

 ストマイチオは困惑する。

 死を目前にしたとは思えない、穏やかな祈りに。


 その祈りが神など信じない者にさえ、神々しさを感じさせる、美しい祈りに。

 直後、アルバーは両膝を曲げた。


 だがそれで変わったのは、衝突する位置とタイミングだけだった。

 抵抗虚しく、アルバーの両足は正面から迫るバイクと接触する。


 バンッ!

 風圧防壁が激しくアルバーを拒絶する。重力の数十倍の、莫大な負荷が両足を襲った。

 人間の骨如きが耐えられる力ではない。


「『匪石の信心』!」


 そう、普通の人間ならば。


 だがマッザロート・アルバーは、普通の人間などではない。その体は『星群』の力により、鋼よりも固くなっている。


 足に力を込める。

 そして曲げられた関節全てを一気に伸ばし切るように、力が放出される。


 跳んだ。

 いや、飛んだ。

 防壁の反発すら味方に変え、その男は空に抱かれる。


『何、だよこれ……』

 翼代わりに右手を広げ、大空へと飛び立つその姿は、まるで天使のようだった。


『クソッ、どんな手を使った!』

 あれだけの衝撃を受けても折れた様子のない骨を見て、ストマイチオは恐怖した。

 だからこそ、恐怖を押しつぶす為に叫ぶ。


「どうしてまた間違える」

『ああ!?』

「何の仕掛けもありはしない。何故ならこれこそがーーー神の加護だからだ」

『何が神だっ!』


 絶叫。

 そして直後に、アルバーに向けて突貫する。

『神なんていねえよバァカ!』


 ストマイチオは、小さい頃に両親に捨てられてからずっと裏社会の掃き溜めで生きてきた。

 幾度となく泥水を啜り、自らの境遇を呪った。


 だがそんな彼を、神は救ってくれなかった。

 彼の絶望を忘れさせたのは、人を殺して奪い取る薬物の快楽だけだ。


 それなのに、目の前の男は神を信じて止まない。

 体を侵され、未来を捨ててまで手に入れた生きる希望を、目の前の男は何一つ失うことなく手に入れている。


 ただ、神とやらを信じただけで。


「そうか、貴様は救われなかったか」

 再び、手錠を投げつける。

 それはいとも容易く、風圧防壁をすり抜けストマイチオの手を拘束する。


「ならば私が!貴様を救おう!」

 そしてアルバーは、反対の手錠を閉じる。

 ワイヤーが巻き取られ、急速に二人の距離が縮まって行く。


『何意味わかんないこと言ってんだよっ!』

 それは悲鳴だった。

 近づかれたくない。


 救われた男の戯言など、耳に入れたくもない。

 必死の拒絶も虚しく、ワイヤーは無情にも二人の距離を縮めていく。


「来るなっ、やめろおおおおおおお!!!」

 叫ぶ。その叫びは周囲の空気を震わせ、更にはアルバーの体すら震わせた。


「ぐふっ!?」

 それは悲鳴と言う名の攻撃だった。

 ストマイチオの『星群』自体は大したことのない、同時に複数の周波数の声を出すことができるだけものだ。


 だがそれを使って全ての波を同じ場所で重ね合わせれば、そこには莫大な力が生じる。

 ストマイチオはそれを神がかり的な直感と経験から、この土壇場でそれを繰り出したのだ。


 生み出された振動は体の内側からアルバーを破壊していく。

 血管は破裂し、口からは血が漏れ出す。


「なん、で」


 だというのに、その男は。


「なんでまだ動けるんだよっ!」


 血を吐きながらも、ストマイチオの手を掴んだ。


「触るんじゃねええええええええ!!!!」

 拒絶する心を声量に変え、再び必殺の音波が放たれる。

 直接触れる距離まで近付いたことで、より強く、正確に急所を狙った音の暴力が襲いかかる。


「がっ!」

 振動は見事に腹の中心を貫き、内蔵に甚大な被害を及ぼす。


 だがその程度だ。動きを止めてしまいそうなほどに痛むが、動けないわけではない。

「懺悔せよ!さすれば赦されん!」

 手錠がかけられる。


 そして次の口撃を放とうとした瞬間、アルバーはストマイチオの手を今にも音波を発しそうな口に宛行った。


「くそっ、離せ、離せよこのゴミがっ!」

 その言葉は攻撃的だったが、攻撃ではなかった。

 自らの手に音撃を浴びせる勇気は無かったらしい。


 だがそんな抵抗を無視して、アルバーは抑え込み続ける。

 ストマイチオは叫んだ。叫んだ。何度でも、声が枯れるまで叫んだ。


 だがどんな罵倒も悲鳴もまるで意味を成さない。

 数秒後には、ワイヤーで雁字搦めにされた惨めな子供ができあがった。


「おいっ!お前らっ!助けろっ!」

 それでもストマイチオは抗った。

 他の誰に負けても、自分を救わなかった神の使徒にだけは負けたくなかった。


「ははっ、何言ってやがんだ」

 だが懇願に返ってきたのは嘲笑だった。

「お前みたいなガキに従ってたのは、お前が変な力持ってて強かったからだろうが。負けたガキに価値は無えよ」


「っ!」

「だいたいお前、さっき上に飛ばされたアイクの奴を無視して落とそうとしたじゃねえか。何で部下を見捨てる奴が助けて貰えると思ってんだよ」


 反論の余地も無い正論だ。

 立場が逆転した時だけ、助けて貰おう等という都合のいい考えが通用するわけがない。


 ストマイチオが生きるのは、弱肉強食の裏社会。殺されようが捨てられようが、誰もそれを咎めない世界で、誰が偉そうな子供を助けるだろうか。


 しかしそれを理解できる程、ストマイチオは大人ではなかった。

「黙れっ!お前は俺の部下だろうがっ!助けろって言ったら助けるんだよ!」


 感情が昂り、叫びは口撃に変わっていく。

 しかし振動は届く前に減衰し、僅かに体を震わせることしか出来ない。


「ははっ、テメェの射程はもうわかってんだよ。お前の声は、俺達にはもう届かねえ!」

「届、かない?」


 届かない。

 脳裏に思い出したくもない記憶が浮かび上がる。

 捨てられる時、親の名を呼んだ。

 捨てられてからは、周囲に助けを求めた。


 追い詰められて、神に縋った。

 だがそのどれもが、救ってくれなかった。

 きっとそれは、声が聞こえなかったからなのだろう。


「違う!」

 今までで一番甲高い悲鳴だった。

 だがそれも、距離には勝てずに力を失っていく。


「俺の声は、届いてる!」

 この力を手に入れてからは全てが変わった。

 周囲の人間は、全員俺の言うことを聞いた。

 口にするだけで、願ったことはなんでも叶った。


 聞こえてるんだ。

 今までの奴らも、俺を助けなかったんじゃなくて、助けを求める声が聞こえなかっただけなんだ。


 心の声を聞くとかいう神は、きっと存在しないのだろう。

 口に出さなければ叶わないし、出しさえすれば全てが叶う。

 それがこの世界なんだ。


「助けろよ!」

 なのになんでお前達は助けに来ないんだ。

 助けろって、何度も叫んでるじゃないか。

 それにお前は返事をしているじゃないか。

 なんで助けに来ないんだ。


「あー、煩え煩え。射程外だって言ってんだろ。お前の声なんか怖くもなんともねえよ」


 なんでだよ。

 これじゃあまるでーーー


 俺の声を聞いていて無視してるみたいじゃないか。


「そして俺達の銃は!」

 ガチャリ、と全員が銃を取り出す。そしてその銃口は、這いつくばるストマイチオへと向いた。


「お前に届くんだよ」

「っ、やめろお前ら!命令だ!聞こえないのか!」

「される筋合いはねえ」


 引き金が引かれる。

 銃弾は正確に、脳天に向けて放たれた。

 だが銃弾が届く前に、その瞳から光は失われた。


 今までは、聞こえていないだけだと思い込むことが許された。

 だが今度は違う。


 正面からはっきりと、聞こえていて無視していることを突きつけられた。

 もはや現実からは逃げられない。


 声は出ていたのだ。聞こえていたのだ。

 その上で、誰も助けてはくれなかった。


「だれか、たすけてよ」

 声が、漏れ出した。


 だが銃声はそれをかき消す。


 死が、目前に迫る。


 ガキィン!


 甲高い金属音が響いた。

「なん、で」

 少年は、どうしようもなく混乱する。

 自分が生きているのは何故だ。

 自分を狙った銃弾が地面に突き刺さっているのは何故だ。


 目の前に滴るのは誰の血だ。

 理解できない。困惑し、上を見上げる。

 そこにいたのは、手から血を流す青年だった。

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