落ちた男✕2
高速の拳が迫る。
イチトはそれを寸前で躱した。
だがその呼吸は荒く、もう限界が近いことは誰の目にも明らかだった。
「この程度でヘバっちまうのかよぉ!」
「ぐはっ!」
放たれた連撃の最後の一発を、肩に食らう。
だが痛がっている時間などない。
即座にその手を掴み、肩に押し付ける。
痛みは増すが、それでもやらなければ空中に投げ出されて死ぬ。
それを見たコーレスが、手を振り回す。
イチトは敢えて掠る程度に食らい、胸に激しい痛みを感じつつハンドルの上へと飛びのいた。
技巧も何もあったものではない、素人の拳だが、それでも回避は困難。
何故なら足場が非常に狭い上に不安定だから。そしてその上、相手の行動速度が人間の域を超えている。
「やっと一発か、手間かけさせやがって。でもまだまだ、俺の単車をやった分には足りねえよなあ!」
怒りに任せ、乱暴に放たれる拳の全てが致命的かつ回避困難なスピード。
明らかに刑務所で鍛えられるレベルを超えている。『星群』のせいだと見て間違い無いだろう。
だがそう考えると、別の疑問が浮上する。
「お前、いつの間にこんな強くなった!」
この男が、いつ『星群』を手に入れたのか。
「はっ!オマエが弱いだけだろうがよぉ!」
逮捕時には持っていたなら、異様に力が強い等と記録されていてもいいはずだ。
だが実際は、二人の警官が暴れるコーレスをあっさりと抑え込んだとされている。
動画まで残っていたのだから、信じるしかない。
しかし実際に戦ったイチトにはわかる。
今戦っている男を、普通の警官二人如きで抑え込める筈がない。
ならば結論は一つ。コーレスは、逮捕後に強くなった。
もっと言えば、この男は『星群』を逮捕後に手に入れたのだ。
「おらよっと!」
コーレスが前蹴りを放つ。
これだけ足場が悪ければ足技は使うべきではないのだが、『星群』により底上げされたであろう力が、そんな理屈ごと蹴り飛ばす。
「チイッ!」
狭い足場の上で距離を取ることも許されず、攻撃の間隙を塗って思考を続ける。
逮捕後に手に入れたとなれば、刑務所の中で手に入れたか、もしくはーーー。
「出所後に、力を与えられたな」
「っ!」
僅かにコーレスの眉が引き攣った。
そして直後、今まで以上に大振りの一発を放つ。
「随分焦ってるな」
大胆に言い切る。
実際には僅かな変化だが、あたかも大きな失敗であったかのように堂々と。
「そうか。出所後に突然強くなったのか。捕まる前はあれだけ弱かったのにな」
先程動揺したことでわかった。
この男はブラフに弱い。
だから畳み掛け、確信を得られるまで追い詰める。
「一体どうやって強くなったのか、教えてくれよ」
「黙れっ!」
理性を失った獣の、荒々しい連撃がイチトに襲いかかる。
だが荒くなった分、一層隙は大きくなる。
「焦るようなことじゃない。教えてくれって頼んだだけだ」
「黙れっ、黙りやがれっ!お前は!今、ここで殺す!」
咆哮と共に、拳が放たれる。
防御は間に合わず、渾身の一撃はイチト腹に直撃した。
「おっ、ゔぉっ!!」
口から胃液を吐きながら、吹き飛ばされる。
だが何とかステップに片手をかけ、落下だけは免れた。
「がほっ、げほっ!」
遅れてやってきた痛みが、脳に危険信号を伝える。
状況は、絶望的だ。
体を支える手は一本。増やそうと動けば間違いなく殺される。
当然相手を倒すことなどできやしない。
飛び降りようにも地面は遥か彼方にあり、ここから落ちれば、例え『星群』を使っていても命の保証は無い。
増して生身では、ギリギリ死なない程度の高さになるまでですらあと数分を要する。
実力差がある上、有利な高所を取られてしまっては、そのたった一分の時間を稼ぐことすら不可能に近い。
「グズの警察が!俺達の空に入ってくるんじゃねえよ!」
よほど探られたくない事情があるらしく、コーレスは過剰に思えるほど激高した。
「とっとと死んで地上に、いや、地下に埋められちまいやがれっ!!!」
少しでも空から遠い所にイチトを送るべく、体重を支える手目掛けて足を振り下ろした。
躱したところで、すぐ次の踏みつけがやってくる。
反撃は不可能。
「ならお望み通り落ちてやるよ!」
だがイチトは吠え、そして大きくその手を動かした。
踏まれないためと言うには、余りにも過剰な大移動。
コーレスもその不自然な動きに顔を顰め、手の行き先を見た。
するとその瞬間、体が浮いた。
いや、正確には足場の落下が加速した。
「なっ、お前!何勝手に動かしてやがる!」
イチトの手の先にあったのは、上下操作用のペダル。
イチトはそこに全体重をかけ、片方のバイクを急激に落下させたのだ。
「降りるならお前一人で勝手に落ちやがれぇっ!!」
再びコーレスはその手を踏みつけようと、足を振り下ろす。
だがそれも想定済み。
回避のため、イチトは手をスライド移動させるのではなく、完全にペダルから離した。
「なっ!?」
落ちる気か、と思ったのも束の間、イチトの体は下ではなく横に移動していった。
そして機体は突然、後方に加速した。
「逆側の、ペダルっ!」
「楽に掴めて助かった」
イチトが掴んだのは、同じバイクの逆側、後方へと加速するためのペダルだった。
そして二つ繋がった機体のうち、一つだけが加速すれば、当然二つの機体は回転するように動く。
「ぐっ、あっ、あっ、このっ!」
高速回転は遠心力を生み、しがみつく二人の体に負荷を掛けていく。
特に中心から遠いバイクに足を乗せた者には、より強い力を。
「いい加減、その手を離しやがれっ!警察の犬如きが、どこまで俺をコケにしやがる!」
だがより強い力を受けながらも、コーレスはサドルを握り潰してそれに耐え、中心に近づく。
その形相はもはや悪鬼羅刹の如く歪み、自分を今の状況へと追い込んだ一人の少年に殺意を放ち続ける。
「お前を殺すまでだ」
イチトはそれに動じることなく、バイクから一本のネジを抜き取った。
すると金属が圧し折れる音と共に、牽引用ワイヤが宙を舞う。
二台のバイクを繋ぎ止めているものが減り、その距離が開く。
「っ、お前、逃げる気か!」
高速回転するものを二つに割れば、真逆の方向に吹き飛ぶ。
そうすれば当然、今別の機体に掴まっている二人は、真逆の方向へと吹き飛ばされる。
イチトはもう一本かかったワイヤーの近くのネジに狙いを定め、それを爪で無理矢理回転させた。
「すぐに戻ってくるから待ってろ」
「何を世迷言言ってんだ!ビビって逃げるだけじゃねえかよ!」
身を焦がす程の怒りが爆発し、コーレスは限界を超えた力で回転の中心に近づいていく。
「好きに言え。俺が戻ってくるまでの間にな」
バキッ!
ネジが緩まったことで、遠心力に耐えられなくなり部品が吹き飛ぶ。
そしてそれにつけられたワイヤーも、二台の機体を繋ぐことができなくなってしまった。
瞬間、一つになっていた機体は空中で分裂して吹き飛んだ。
「くそがああああああああっ!」
コーレスの怒声が一瞬で遠ざかった。
とてつもない風圧が全身を突き飛ばす。
そして眼下には、数十メートルにまで迫った地面。
このままの速度でいけば、肉の全てが原型をとどめないミンチになってしまう。
イチトは手に無理矢理力を入れ、サドルの上に乗ると、進行方向とは真逆に全開の重力をかける。
「止、ま、れっ!」
速度が落ちる。だがまだ人をすりつぶすには十分な速さだ。
「チッ!」
イチトは止めることを諦め、敢えて機体を横にして、牽引用ワイヤーを手に取った。
そしてできる限り機体の後ろに立ち、地面との距離を具に見て接触のタイミングを予測する。
ギャリリリリリッ!
着地。
瞬間、イチトは僅かに跳んだ。
同時に地面と衝突した機体は、その足を支えるように跳ね上がる。
「よ、しっ!」
イチトはワイヤーで角度を調整しつつ、地面を跳ねながら転がるバイクをロデオのように乗りこなす。
そして多少速度が落ちた所で飛び降り、焼けた芝の跡を転がる。
「熱っ!とか、言ってる場合じゃねえっ!」
イチトは全身の神経に焼ける痛みを感じながらも、即座に起き上がって走る。
その直後、半ばスクラップになりながら地面を滑っていたバイクはついに限界を迎え、砕け散る。
厳重に囲まれていた重力調整器が姿を表し、赤熱した地面へと落下していく。
ドオオオオオオンッ!!
風圧防壁を通さず、強い衝撃を加えられた重力調整器は、数メートルにも及ぶ空間を消し飛ばした。
そして直後、イチトは空で耳障りな音を放っている何かを見た。
そこにいたのは、浮上しようとするバイクと、それを上から押さえつけて降りるバイク。
即座に袖を捲り、落ちてくる金属塊へと走る。
防壁を下面にしか張っていないのは、敵は爆発で殺すが自分は飛び降りて生き延びようと考えたからだろう。
ライダーの性根が透けて見える。
だがそいつこそが、今、イチトにとって一番必要なもの。
「こっちだ、ニコラ!」
『星群』で繋がれた、唯一無二の相棒。
「オッケー、イチト!」
バンッ、とサドルを蹴り飛ばし、バイクから飛び出したのは白髪の少女。
そして少女は飛び出て直ぐに、再び足を曲げ、空中で伸ばした。
するとその足は見えない何かと衝突し、バチチチッと音を立てて、反作用で更に吹き飛んだ。
少女はニコッと不敵な笑みを浮かべ、地面を走る黒髪の少年目掛けて手を伸ばす。
瞬間、バイクが落ちる。
爆炎が木木を燃やし尽くす。
だがその炎の中で、確かにその手は結ばれた。
どくん。
燃料を熱と光に変え、バイクは煌々と燃え盛る。
だがそれよりも熱い『何か』が、炎の中で鼓動する。
中心に立っていたのは、たった二人の人間だった。
焦げた地面の上で、手を繋ぐ少年と少女。
だが人を焼き尽くすの焔ですら、二人避けて進む。
まるで、近付くのを恐れているかのように。
全てが燃え、業火が残火に変わる時。
二人は、目を見開いた。
「さて、イチト。ぱっぱとやっちゃうよ」
「ああ。足引っ張るなよ、ニコラ」
その二人の名は、イチトとニコラ。
触れ合った時にしか使えない、不便な力を持ったツーマンセル。
偶然にも近い位置に舞い降りた二人は、数分ぶりの再会を果たした。
「取り敢えず、お前が落とした方に止めさすぞ」
バイクが落ちる瞬間、イチトはそこから飛び出た影を見た。
あの状態でも生きるのを諦めない輩が、炎程度で死ぬとは思えない。
「良いよ。でもちょっと気をつけた方が良いかもね。何せ、」
ニコラがちらりと視線を遣った先、そこに落ちてきた何者かが立っていた。
「お前は……」
見間違う筈も無い。
その顔は、ついさっきまで死闘を繰り広げた相手。
イチトと真逆の方向に吹き飛ばされ、今ここにいるはずのない男。
コーレス・アルケイドがその場所に立っていた。
「おい、黒い方。お前は後で甚振って殺す。どいてろ」
「後で、か」
もしこの男がさっきイチトと落ちたコーレスなら、真っ先に殺しに来るだろう。
戦略的な意味があるにしても、先程まで散々戦った挙げ句決着直前で盤面をひっくり返してやったのだから、恨み言や殺害予告の一つぐらいあってもいいはずだ。
だがコーレスは、機体ごと投げ飛ばされたことなど忘れてしまったかのようにイチトに関心を示さない。
「ニコラ、お前こいつと戦ってたんだよな」
「少なくとも、私が地面に落としたのはあのオッサンだったよ」
「俺がコーレス・アルケイドと一緒に落ちた後に戦ったと」
「そうなるね」
「じゃあ顔が似た男が二人いたか、もしくは……」
「そういう力を持ってるか、だね」
だが散々近距離で殴り合った時に見た顔と、今目の前にいる男の顔は、完璧に同じだ。
ならば変身か、もしくは分裂に関する『星群』を持っていると考えた方が自然だろう。
「あいつは力がやたらと強かった。分裂に加えて力も強いってのは、流石に対価が多すぎる」
「じゃあ私の戦ったほうは変身系かな。まあどっちにしろ、戦えばわかるよね」
「お前ら、俺を無視して喋ってんじゃねえよ」
警察のガキに舐められたことで怒りに支配されたコーレスは、ドン、と派手な音を立てて襲いかかった。
イチトはその拳を横から叩き、その軌道を逸らす。
そしてニコラは、戦う構えをして、後ろを振り返った。
「バレてるよっ!」
わざとらしい音を立てようと、強化された二人の聴覚は誤魔化せない。
後方から襲いかかる何者かの攻撃を、ニコラは受け止めて弾き返した。
「邪魔すんなクソアマがぁ!」
その顔を確認したニコラは、予想していたにも関わらず後ろを振り返った。
そこにあったのは、寸分違わず同じ顔。
双子にしても、皺の位置位は違いそうなものだが、そんな僅かな差異も無い。
「おい、白いのは俺の獲物だ!手出すな!」
「ああ!?お前こそ、その黒いガキと戦ってんじゃねえか!そいつは俺が殺すんだよ!」
不意打ちを狙ったのは、イチトが遠心力で吹き飛ばした男、コーレス・アルケイド。
前後に立つ、気味が悪いまでに同じ顔をした二人のコーレスは、イチトとニコラを挟んで言い合いを始めた。
「あーもう、気狂いそう」
「もっと単純に考えろ。両方殺せばいい」
「おい、やっぱりその男も俺に殺させろ」
「駄目だ。俺が殺す」
二人で一つのイチトとニコラ。
そして同じ顔をした二人のコーレス。
奇っ怪な二組による、二対二の死闘が始まった。




