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窮地、窮地、窮地

 それは正しく地獄だった。


 絶え間なく降り注ぐ黒は地を覆い、動く度に致死毒が跳ねる。

 その中で一人、笑いながら踊る女がいた。


 その名は、エフェメラ・ヴィーシ。


 命の危機にあるほど笑い、追い詰められるほど速くなる狂人。

 そんな彼女からすれば、現状は理想郷だった。


 落ちる毒に触れれば死に、跳ねた毒に触れれば死ぬ。そして何度躱しても、終わる気配すら見せない。

 常に危険に晒され続ける、完璧な窮地だ。


「あはははは!!もっと、もっと落として来なさいよぉ!」

 踊る、踊る。

 絶え間なく落ちる毒が、愛しい相手であるかのように。

 止まることなく情熱的な輪舞を舞い続ける。


「くっそ、こいつ化け物かよっ!」

 その姿に焦るのは、空から一方的に毒を撒く犯罪者の側だった。

 一方的に攻撃しているはずなのに、一切当たらず、どころか喜ばれるようでは不安になるのも当然だ。


「どうすりゃいいんすか、隊長!」

 そして混乱の中、男達は一人の人間に助けを求める。

「もー、俺の事はリーダーって呼べって言ってんじゃん。隊長なんて固苦しくて嫌なんだよ」


 それに答えたのは、軽薄な声だった。

 声の主はコキコキと首を鳴らして起き上がると、真下で踊る女を見た。


「うっはは、すげー速い」

「笑ってる場合じゃないっすよマカリさん!どうするんですかあの女!あの速さ、多分使ってますよ!」

「だからリーダーだっての。うーん、体は良いけど捕まえるのめんどいな。殺すか」


 マカリと呼ばれた男は、インクが詰まったタンクを取り外すと、片手で地面に投げつけた。

 重力を味方につけて、タンクは高速で地面に接近する。


「っ!」

 それに気が付いたヴィーシは、直ぐに走って距離を取った。

 追い詰められるのが好きな彼女が、待つこともせずに全力で走る。


 それは即ち、その時点で逃げなければならないほど、死が間近に迫っていたということ。

 次の瞬間、地面にタンクが激突する。


 そして、地上に黒い華が咲いた。

 溢れ出るペンキは周囲を侵し、死に包まれた黒の領域を拡大する。


「あは、ははっ!」

 ヴィーシは笑うが、呼吸はままならない。

 それも当然、彼女は本気で走り、本気で逃げているのだ。

 走り、走り、そしてようやく、迫りくるペンキの波を避けきる。


「ははっ、はー、なかなか、いいわね」

 呟いて振り返る。するとそこには、大量のタンクを抱えた男が二人。

 そしてその間に、マカリと呼ばれた男が立っていた。


「あっれー、避けた?んじゃ、的当てゲームしちゃいますか」

 マカリは隣の男がやっとのことで持ち上げたタンクを片手で受け取ると、ヴィーシ目掛けて投げ飛ばした。

「ははっ、最っ高ねっ!」


 鍛えている、程度で説明できる力ではない。間違いなく、『星群』が関わっている。

 だがそんなことはどうでもいい。

 今すぐ避けることが、今のヴィーシにとっての最優先事項であった。


 即座に走り、ペンキの広がる範囲から抜け出す。

 そして息を吐こうとした瞬間、何か奇妙な音が聞こえた。


「っ!」

 その正体を察知したヴィーシは、呼吸を止めて再び走りだす。

 それは、何かが高速で進む音だった。


 何か大きな塊が、空気抵抗を押しのけて進む音。

 直後、爆音と共にヴィーシが立ち止まっていた場所に黒い華が開いた。


「はっ、ははっ、盛り上がって来たじゃない!」

 走る。走る。走る。

 二度目の投擲を回避しても、まだまだ危機は去っていないのだから。


「おいおい、さっきまでの余裕はどうしたんだ?」

 薄ら笑いを浮かべ、マカリは再びタンクを投げ飛ばした。

 人の頭が二つぐらい入りそうなサイズのタンクを、マカリは軽々と持ち上げ、振りかぶり、投げつける。


「ふっ、はっ、ふふふっ!」

 逃げ切ったと思った瞬間、次の弾が放たれる。

 終わらない地獄に、呼吸すらまともにできやしない。


 だが、そんな状況でも彼女から笑顔は消えなかった。

「なあ、なんか笑ってない?」

 それを眺めるマカリは、不満そうな声を上げた。


 今まで敵対した相手は恐怖に震えて死んでいった。

 だが今、あの女は間違いなく心の底から笑っている。

 少なくとも自分より、この状況を楽しんでいる。


 楽しく生きるのが信条のマカリは、それがどうしても気に入らなかった。

「タンク追加」


 ただならぬ様子に、両脇の部下は即座にタンクを差し出す。

「俺よりも、楽しんでんじゃねえっ!」

 怒声と共に、タンクが投げられた。


 当然、ヴィーシはその軌道を読み、回避を試みる。

 だが回避の一歩を踏み出した瞬間、ヴィーシは気付いてしまった。


 マカリが、今までとは違って左腕を使っていたことに。

 そして右手で、新しいタンクを掴んでいることに。


「っ!」

 全力で走る。

 もう瞬きする余裕すら無い。

 只管に足を動かし、地面を蹴飛ばして距離を取る。


 だがそれを嘲笑うように、マカリは右手で掴んだタンクを投げ飛ばした。

 両手による、連続投擲。

 攻撃速度は単純に倍になる。


「良いっ!最高!!」

 断続的に巨大なタンクが飛来する。

 その合間に周囲の男達の放った銃弾が行動を阻む。


 もはや一分の猶予もなく、ヴィーシは回避に明け暮れる。

 だがそれでも、その顔には一層強く笑顔が刻みこまれていく。

 僅かなミスも許されない窮地が、ヴィーシの気分を最高潮まで高める。


「だから何笑ってんだよ」

 だが、マカリはそれがどうしても気に入らなかった。


 タンクを片手に二つずつ。

 そして遥か上空に向かって、同時に投げ飛ばす。

 計四つのタンクはヴィーシの真上で衝突し、潰れていく。


 ついにその圧に耐えきれず、封じ込められたインクは居場所を求めてその殻を突き破った。

 ドッパアアアアアアンッ!


 再び、漆黒の華が開花する。

 大きさは、空で爆発した時の倍以上。


「いいよなあ、花火」

 華は帳を下ろすように、 昼に暗闇を作っていく。

「や、ば」

 ヴィーシの声は、そこで途切れた。


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