その女、致命的
乱雑に服が脱ぎ捨てられる。
ヘルメット、ジャケット、ズボン。制服全てを脱ぎ棄てたところで、女は満足そうに笑った。
「手袋は、無いと死んじゃうから残しておこうかしら。にしても……ああっ、堪らないわねっ」
サイクルウェアのような服に身を包んだ女は笑い、体が毒性のインクで黒く染まった犯罪者達の元へと歩いていく。
これだけ強い毒に触れたなら、放置しておいても数分もすれば死に至るだろう。
だがそれまでに暴れる可能性があるため、先んじて止めを刺す。それが彼女、ヴィーシに与えられた任務、兼玩具だった。
「ふふっ、ねえ!それ、分かってると思うけど、貴方達が使ってるのと同じインクよ!触っちゃった時点で、死ぬってこと!」
だからその玩具で愉しみ尽くす為に、彼女は限界まで工夫をこらす。
「あははっ、それじゃ精々、その惨めに苦しむ姿で!私を楽しませなさい!」
どこまでも傲慢な言葉を紡ぎ、ヴィーシは一人哄笑する。
「ふざけんじゃねえ!」
笑い声がぴたりと止まった。
声の聞こえた方を見れば、頬をインクで侵された男が立っていた。
毒が回ったのか白目が赤くなっているが、それ以上に赤く怒りの炎を滾らせて、男はヴィーシを睨む。
「苦しんでなんかやるもんかよ!どうせ死ぬなら、お前を殺してからだ!」
声は枯れ、どう見ても立ち上がれるような容態ではない。だがそれでもこの男は、暴走族の一員としての誇りにかけて立ち上がった。
「上等じゃねえか!一泡吹かせてやらあ!」
「逃げんじゃねえぞポリ公!」
それに呼応するように、他の男達も立ち上がり、怒りをぶつけようと意気込む。
「もう二度と、笑えないようにしてやるよ」
男の声に応じ、立てる者は全員立ち上がった。何人かは完全に意識を失っていたが、それでも五十人近くの男達が立ち上がり、ヴィーシを取り囲んだ。
「あはははははっ!もうそれが笑えるわね」
「行くぞてめえら!」
「「「「うおおおおおおおお!!!」」」」
男達は、最後の力を振り絞ってヴィーシに立ち向かう。
それは毒で弱っているから、一人では倒しきれないと考えたから。
そして目の前の女を、空恐ろしいと感じたから。
「やってみなさいよ。できるもんなら、ね」
全てはヴィーシの思い通りに。
「オラァ!」
一人の男が殴りかかる。ヴィーシはそれを難なく躱し、腹に一発拳を叩き込んだ。
「がっ!?」
「くそっ、こいつ速え!」
「数だ、数で押せ!」
軽くあしらわれたのを見て、男達は俄に色めき立ち、全方位から襲いかかる。
「どうしたの?調子でも悪いのかしら?」
だが、その攻撃は一つとして届かない。
投げ飛ばし、殴り飛ばし、蹴り飛ばす。
『星群』で強化された速度を以て、一切毒のついた場所に触れず、かつ殺さずに距離を取り続ける。
殺さない理由はただ一つ。追い込まれた状況を保つことで、胸をより高鳴らせるため。
決死の攻撃だろうと関係ない。命の危機は、ヴィーシにとっては娯楽でしかないのだ。
「くっそ、おい!殺すことに集中しろ!ペンキで触ればこっちの勝ちだ!」
勿論男達も黙ってやられるばかりではない。
バイクに残ったペンキを腕にかけ、触れれば即死の即席毒手を作り上げ、飛沫をまき散らしながら殴る殴る。
そして更に攻撃を組み合わせることで、より効率的に逃げ場を無くした。
その結果、追い詰められたヴィーシがより速く、強くなることも知らずに。
「いいわ、ちょっとはマシになってきたわよっ!」
周囲に逃げられないなら上に飛ぶ。
上も対策されれば包囲網の一部を蹴破る。
どれだけ工夫を繰り返しても、圧倒的な速さを誇るヴィーシ相手では、全くと言っていい程歯が立たない。
迫りくる肉の壁を幾度となく打ち破り、そして敢えてまた囲まれる。
その異様な行動に、男達の恐怖はより確かな物へと変わっていく。
この女は、狂っている。
「ごっ、ばっ!」
力と狂気。それが備わった敵に正面から立ち向かって、心が折れないはずが無い。
精神力だけで立ち上がっていた男達は、もはや立ち上がる力を失った。
体は毒に逆らうことを諦め、震えて地に這いつくばる。
それを眺める女の肌に、一切の傷はない。
今この瞬間、五十を超える屈強な男達は、たった一人の女相手に完膚なきまでの敗北を喫した。
「残念、毒が効いてきたみたいね」
心の底から残念そうに、息を吐く。
最初から毒を食らっていたことを考えると、よく持った方だろう。
だが死線を楽しんでいたヴィーシからすれば、それは玩具を突然取り上げられたようなもの。
彼女にとっては、我慢ならない苦痛だった。
「せっかく高鳴ってきたのに、直ぐ終わっちゃったら意味無いじゃない!」
再び溜息をつく。
不完全燃焼、という他ない。
触れられただけで終り、という状況自体は面白かったからこそ、ものの数分で終わってしまったことがたまらなく口惜しい。
終わったという現実を受け入れたくないヴィーシは、目の前に転がる人間を眺める。
「もう一回ぐらい、起き上がって来ないかしら」
しゃがみこんで眺めてみても、男は声も上げず震えるばかりであった。
「はあ」
ヴィーシはつまらなさそうに息を吐くと、イチト達が戦っているであろう上空を眺める。
すると唐突に、青空の中に黒い点が複数現れた。状況的に十中八九バイクの集団だろう。
「変ね。上からペンキかけたら勝ちなんだから、降りる理由も無いでしょうに」
不思議に思ったヴィーシは、手庇をして黒点を眺め続ける。
よくよく見ればその集団は、やけに前方に飛び出した一つの点と、それ以外の大勢といった具合に分かれていた。
そしてその黒点はヴィーシの真上に差し掛かると、急激に巨大化していく。
その正体は、降り注ぐペンキ。地上にヴィーシがいることに気付き、攻撃を仕掛けたのだ。
「やっぱりそう来た。中々良い挨拶ね」
それをヴィーシは、皮肉でも何でもなく称賛した。
直後、大量のインクが降り注ぐ。
「あははっ、良いわね!こういうの好みよ!」
黒い雨の中、ヴィーシは笑った。
そして上から襲いかかるインクを、華麗な足捌きで延々と避け続ける。
その完璧な躱し振りは、ヴィーシが元からどこにインクが落ちるのか知っているかのようだった。
「最っ、高!」
激しくも美しい、黒い雨とのダンスを終えた後でも、ヴィーシの体には一切の汚れは無い。
黒く染まった大地の上で、金髪と白肌が一層強く輝いていた。
「何をしているのだ貴様は!」
その美しい風景を台無しにするような怒声が響く。
騒ぎ立てるのは、地面に転がるヘルメット。この声は、間違いなくあの男だろう。
「何か文句でもあるの、アルバー」
「当たり前だ!貴様は他人の命だけでは飽き足らず、自分の命すら弄ぶのか!」
「ええ。私の命をどうするかは私の自由でしょう。それより、他に用は無いの?」
「……まだ文句は言い足りないが、仕方ない。今、上から来た暴走族が十人程そちらへ向かった!決して殺すな!そして死ぬな!失われた命は戻らないのだぞ!」
ヴィーシは顔を顰めると、ヘルメットを踏み潰した。
「煩い」
ヴィーシは、命の重さを誰よりもわかっている。
彼女は昔に一度、知らない男に突然腹を裂かれて死にかけたことがあった。そしてその後散々他人からその大切さを諭されたのだ。学ばない方がおかしい。
だからこそ彼女は、自らの命を危険に晒す。
この世で最も尊いものを失うかもしれない危機が、どうしようもなく胸を高鳴らせるのだ。
だから死にかけたことすらない人間から、命の尊さについて説かれるのは、彼女にとって我慢ならないことだった。
「殺すつもりはないわよ。ただ、楽しみ終わる頃には死んじゃうだけじゃない」
空に黒い機体が見える。
明らかに高度が下がっている。恐らくタイムラグを減らし、ペンキの回避を難しくするためだろう。
そこにあるのは、純粋な殺意。
だからこそヴィーシの胸はより強く高鳴る。
説教されたことへの苛立ちは、未だに胸中で燻り続ける。だから状況を楽しむ為に、ヴィーシはより高らかに笑って苛立ちを押し潰す。
そんなヴィーシの真上から、再びペンキが投下される。
「ちゃんと楽しませてよね」
黒と白の輪舞、その第二部が幕を開けた。




