厭忌の鉛矢
視線を前に戻した瞬間、嫌でも二人の視界に入る、雲の下からせり上がる複数の黒い塊。
間違いなく先程下に向かった部隊の一部だ。
「あーくっそ、そうか、高度一定に保つと丸く動くことになるもんね。直線的な動きには勝てないわ、そりゃ」
二人は惑星の周囲を一定の高度を保って、つまり円弧を描くような動きをしていた。一方、下に降りた部隊は弦を描くように移動したのだろう。
どちらが長いかは一目瞭然。二人が等角航路を辿っている間に、大圏航路を行かれたようなもの。速度でも負けているのだから、追いつかれて当然だ。
「救いは人数が減ってることぐらいか」
「そうだね。でも、これで完全に挟み撃ちだ。そんな数なんか慰めにもなんないよ」
ガキィン!
呟いた瞬間、後方から銃弾が飛来する。
それに留まらず、前方からもイチト達が使ったものに似たペンキ弾が飛来する。
「うわっ、ちょっ、これ無理っ!」
弾丸、ペンキ、弾丸、またペンキ。前後から濃密な弾幕が襲いかかる。
「っ、やっぱり、ペンキの扱いはあっちが上か!ニコラ、どっちにも当たるなよ!視界塞がれたら、死ぬぞ!」
「その前に脳焼ききれて死にそう!」
長年空を飛んだ経験からか、その弾幕は回避するものをとことん追い詰める。
派手に動けば逆噴射でも止まれない内に撃たれるし、動かなすぎれば集中砲火される。
更に敵は一切同士討ちをしないよう、徹底して距離を保っていた。だから二人に攻撃する余裕すら無いならば、味方の事など一切考えず、一方的な蹂躙を行える。
「うひゃっ、今掠った!イチト!もっかいさっきの爆発!」
「警戒されてるからやっても避けられる!それより前方警戒!あいつら、銃も一緒に撃つつもりらしいぞ!」
「はああああああ!!!!???」
耳が破裂しそうなほど、不愉快な金属音が響き続ける。風圧による防壁を通れはしないが、その音で集中力は途切れ、更に自分がどれだけ被弾し、どれだけ動けるかの検討も付かなくなってくる。
まるで雨が鉛玉になったかのような地獄に、二人の精神が削がれていく。
『よお、ポリ公。聞こえてるか?』
更にそこに追い打ちをかけるように、通信機が耳障りな声を再現する。
『俺が久しぶりに飛び回ってやろうって時に邪魔しやがって。てめえらは、もう二度と偉そうな顔できないようにしてやるよ。顔全部削り取ってな』
圧倒的な戦力差、その上陣形も圧倒的不利。そこで放たれる脅しは、通常の数倍の恐怖を与える。
「その声、コーレス・アルケイドだな。聞いてるぞ。粋がって地球近くで暴走して、懲役食らったんだったか?」
与える、はずだった。
「へー、何だ一回捕まった雑魚じゃん。なら私達だけで十分捕まえられるね」
追い込まれているとは露程も思わせない眼で、二人はコーレスを睨みつける。
現状、敵を全部消し飛ばすのは不可能だ。
だが一人、敵の司令官と思われる人間が現れたなら。そしてそれが、刑務所に入ったというのにリーダーになれる程のカリスマなら。
その一人を吹き飛ばせばこの暴走族は崩壊する。
今のままでは無理でも、一人仕留めれば状況をひっくり返すことができる。
心を折る為に繋げた通信は、逆に二人に希望を与える結果となってしまった。
『おい、野郎ども。予定変更だ。弾全部使ってでも蜂の巣にしてやれ』
そして心を折れなかったこと、挙げ句子供のような声をした二人に侮辱されたことは、コーレスの神経を逆撫でした。
指示をした瞬間、弾幕から僅かな隙も消えた。人の急所を狙い撃つ弾は、使い切ってでも二人を殺すという意思を伝えてくる。
「さてと、イチト!これどうするか考えてよ!まじでもう無理っ!」
さっきまでの威勢は何処へやら、ニコラは悲鳴を上げながら回避を繰り返す。だがそれでも増えた弾に対応できず、弾が機体を掠めることが増えていく。
「策はある。だが危険だ」
「今の状況よりも?きっついね!」
「だからお前に選択肢をやる。命賭けて戦うか、このまま死ぬか、選べ」
ニコラはその選択肢を鼻で笑った。
「決まってんでしょ。どうせ君は私が手伝わなくったってやるし、そうなったら死ぬしかない」
元から選択肢なんてない。今ここで死ぬことなど、ニコラには許されない。
「力貸すよ、イチト」
ニコラは不敵に微笑んだ。
イチトは頷くと、なるべく敵に聞こえないように、電波の届く範囲を絞ってから説明をした。
「ったく、おっそろしいこと考えくれるね、君も」
「やらないのか」
「冗談!さっきも言ったけど、やらなきゃ死ぬじゃん!やっても死ぬかもだけど!」
ニィ、と口角を引き上げ、笑みを浮かべる。追い詰められているのに、その顔はいつもより輝いて見えた。
「軽口叩く余裕があるなら問題無さそうだな。行くぞ」
「オッケー!ミスんないでよ!」
二人は機体につけられた、同時にガラスで囲まれた赤いスイッチを叩き割って押した。
「パーーーーーージッ!」
ニコラが叫んだ直後、バイクの装甲が全て剥がれる。
重力調整器すら曝け出した、危険極まりないフォルムだ。当然コーレスはそれを隙と捉え、全力で落としにかかる。
だがより速く、小さくなった機体に弾を当てるのは困難を極めた。
「っはは!あの変態女の気持ちも少しはわかっちゃったかも!ちょっと楽しい!」
「手早く済ませるぞ!」
直後、イチトの機体は静止した。一切左右や上下に動く事なく、一定のスピードで前に進み続ける。
もはやそれは的でしかなかった。
直前まで目障りなまでに動いていたイチトが、急にサンドバックへと成り代わったのだ。
誰もが全力で銃を放ち、イチトを沈ませようと打ち続ける。
「そして皆様隙だらけってわけだよね♡」
誰もが意識をニコラから外した瞬間、ニコラは圧縮されたインク全てを空中にぶちまけ、空を塗りつぶした。
そして後方の敵がそれに気付いた瞬間、発信音量と範囲を最大に上げた通信機に向けて、叫ぶ。
「あーーーーーー!!!!!」
喉が壊れそうな程の大声。
短距離通信には、いくつかの弱点がある。その一つは、緊急時の使用しか想定されていないため、聞かせる相手や聞く相手を選べないことだ。
だからニコラの叫びは、その場で短距離通信を聞いていた全員へと届く。鼓膜が破れそうな程の振動を防ぐには、音量を下げるしかない。
その隙にインクは迫る。後方の敵が混乱する中、叫び続けるニコラは急速にイチトに近づいた。
『おい!男を撃て!動く前に仕留めろ!』
コーレスの指示も、ニコラの声に掻き消されて届かない。よしんば届いたとしても、ペンキを避けながら撃つ余裕のある者はいないだろう。
ニコラは尚も接近を続け、イチトと風圧防壁が接触するスレスレで停止したーーーかに見えた。
叫ぶのを止めると、覚悟を決めて防壁の側面を解除した。イチトもそれに応じるように、解除する。
防御が消えたことで、機体はガタガタと震えだす。
だがそれでも二人は距離を詰める。
そして握り拳ぐらいの距離しか無くなったところで、その動きを止めた。僅かでも操作を間違えば、間違いなく死に至る危険な距離だ。
追い打ちをかけるように、後方の部隊が復活し、銃弾を放った。
だが二人は迫りくる銃弾の前で、あろうことか目を瞑った。
そして手袋を外すと、引き付けられるように手を伸ばした。
どくん。
手が、繋がれた。
掌が鼓動を刻む。
触れた手から力が湧き出しては、銃弾が空を駆けるより速く、二人の間を流れていく。
それは人類の限界を超える、『星群』の奔流。
腕が、脚が、躰が、力を受け取ってより強く変化する。
そして全身が力で溢れた頃。
二人は、目を見開いた。
「せーのっ!」
間髪おかず掛けられたニコラの声に合わせ、二人は全力で右足を踏み込んだ。
瞬間、グンと爆発的に加速する。
装甲を外したことで明らかに加速度は増している。
だがそれは諸刃の剣だ。速度が上がれば、当然回避は難しくなる。
更に二人は手袋を外している。今ペンキを当てられれば間違いなくその毒に侵されて死に至る。
だからこそ二人は、ペンキを飛ばしにくい上方へと進む。
「ニコラ、準備は良いか」
「バッチリ。もう腕が結構キツくなってきたぐらいだもん」
二人の乗る機体には、性能差がある。よってお互いに全力で走れば、繋いだ手は開いた距離に応じてぴんと張る。そして今、それによって腕にかかる負荷が限界に達していた。
「それじゃあマジできついし、行くよ!」
ニコラは肺から溢れそうな程に息を吸うと、射殺すような視線をコーレスに向けた。
憎しみを込めて矢を放ち、その命を奪う為に。
「胸に沸き立て嫌悪の情!」
詠唱。
即ちそれは、互いの息を完璧に合わせた、必殺の一撃を食らわせるという宣言。
そして即座に二人は、幾度となく繰り返した動きを開始する。
繋がれた腕を、機体の速度差よりも速く引き、矢を放つかのように、人間そのものを発射する。
「「『厭忌の鉛矢』!」」
四つの星を紡いだ星群、矢座。
愛の神クピードーのものだと言われるその鉛の矢は、射たれた後初めて視界に入れた者を、心の底から憎むようになると言われている。
ニコラはイチトをその矢に見立てて、敵の首魁めがけて全力で射掛けたのだ。
放たれた鉛矢は、轟音を立てて空を飛ぶ
あまりの速度に、風圧防壁を発動しなおしても貫通して銃弾が襲いかかった。ヘルメットに罅が入る。それでも尚イチトは速度を緩めない。
「クソッ!」
狙われていると感づいたコーレスは、全速力で逃げる。だがそれでも速度は及ばず、距離は狭まっていく。
残り、三メートル。
手持ちの銃弾を全て正面からブチ込むも、迫りくる矢は止まらない。
残り、二メートル。
「覚悟しろ、犯罪者」
通信機から、声が響いた。
残り、一メートル。
「お前を今から、死刑に処す」
残り、ゼロメートル。
ズガガガガッ!
風圧防壁同士が接触し、悲鳴を上げる。
その接触面に、イチトは自らの手を叩きつける。強い反発に晒されながらも、強く、より強く押し付ける。
機体の性能差により距離が開きかけたその瞬間、バンという音と共に、コーレスの防壁内に何かが押し込まれた。
手で掴むのに丁度いい大きさ。そして飾りっけの一つもない無骨なデザインと、コンクリートに馴染む色合い。
「っ、手榴弾!」
ドゴオオォン!
閃光と轟音が辺りを支配する。気が触れたような大爆発と共に、手榴弾はその破片を周囲に撒き散らした。
至近距離でそれを食らった二台のバイクは、黒煙を上げながら地面へと落下していく。
「さて、私もやっちゃいますかなっ!」
爆風に飛ばされて落ちていくイチトを見届けた後、ニコラは元気よく声を上げる。
そしてヘルメットを外してから、手榴弾を投げ捨てた。
当然、今まで散々爆弾を投げつけられてきた暴走族は、瞬時に危険物から距離を取り、かつその動向を見逃さないように注意する。
「いやー、ありがたや。バカが相手だと動きが読めるから助かるよ」
ニコラの投げた塊に罅が入る。そして一瞬で罅は広がり、爆発する。
ただし、その爆発の威力は今までよりも随分弱いものだった。精々周囲数十センチぐらいしか被害を与えられないような、弱い弱い爆発だ。
それもそのはず、ニコラが投げたのは、爆発と共に広がる光と音がメインの、非殺傷兵器。
スタングレネードだ。
太陽が、落ちてきた。そう錯覚しかねない程の光が、注視していた人間全てを襲う。
直接見れば失明、目を閉じても後遺症が残るレベルの光量だ。
「ぐああああああ!!!!」
「いでぇえぇぇ!!!」
各地で悲鳴が上がる。だが、その悲鳴を聞く者は誰一人いなかった。
そしてニコラは、ヘルメットの通信機を外して、同時に投げていた。スタングレネード。光の後は、音による蹂躙が始まる。
送信対象は、近くの人間全て。
音量は最大。
空中に浮かぶ人間達は、パン、と乾いた音を聞いて以降、一切の音を聞くことが出来なくなった。
唯一、通信機を耳につけていないニコラを除けば。
「じゃあね!来世があったらちゃんと真面目に生きろよゴミ共!」
ニコラは無情にもペンキを放つ。
視覚と聴覚を突然防がれた人間が、それを回避できる筈もない。
空に浮かぶ的となった暴走族達は、一人、また一人と毒を食らい、現状を把握することすらなく死んで行った。
それだけの大量殺人を終えたあとだというのに、ニコラは気に病むこともなく、平然と伸びをした。
「あー、終わった。さーっ、てっ、と、こっからどうするかなぁ」
彼女がイチトの殺人を否定したのは、あくまでそれがなんの基準もない虐殺だったからだ。
しかし死刑になる犯罪者が相手なら、躊躇なく殺す。
そして後で気にかける事も一切ない。
それが、ニコラという少女だった。
「まあ、普通にイチトに加勢するかなあ。あー、めんどい」
大きくため息をついて、首を鳴らす。
ヒュン。
その真横を、何かが通り過ぎた。
「銃っ!?まだいたのっ!?」
この高さで、あれだけの速さで移動するものは、他に無い。
ニコラは射線から外れる為に高速で運転すると、弾が飛んできたと思われる方向を見た。
「全部倒したと、思って……」
その姿を見た瞬間、ニコラから余裕が失われた。
額からは冷や汗が垂れ、頬が引き攣る。
「見間違いじゃ、無いよね?」
そこにいたのは、先程イチトと共に落ちていったはずの犯罪者、コーレス・アルケイドだった。




