目に見えぬ黒
「何だアレは!」
「アレ何!」
突如として発生した異常な華を見て、二人は同時に叫んだ。その視線は、直前に指示をし、奇妙なボタンを押した人間に向いていた。
「ペンキの中で爆弾を爆発させた」
風圧による防御は、硬い物体なら吹き飛ばせる。だが雨水のような液状の物体は、細かく散らして被害を無くすのが限界だ。
だから毒性の強いペンキを浴びせてやれば、防御を貫通して被害を及ぼすことができる。
「っ、そうか、黒い格好で騙せるのは一般人!もし誰かがこの光景を見た時に、責任を犯罪者に押し付けられるようにか!」
「ほんっとクズだね!」
「見損なったぞ!」
「何とでも言え。それよりも、ヴィーシ。下で生きてる奴らに止め刺しとけ。それと、服を脱ぐなら風圧防壁はずして、降りるときにペンキとばせ。マジで死ぬぞ」
イチトの呼びかけにも、返事は返って来ない。
「既に死んじゃったんじゃないの、これ」
ニコラの呟きが空に消え去った瞬間、黒い華の中心から何かが浮上した。
「あははははははははははは!!!!最っっっっっっっ高じゃないのぉ!」
そして耳を劈くような声が響き渡った。止まらない笑い声が、延々と反響し続ける。
狂ったように笑う女は、黒く塗りつぶされたヘルメットの視界を服で拭った。
ニコラはその中身を見た。いや、見てしまった。
どんな悪党すらも敵わない、邪悪な笑みを。
自分の命を燃やして嘲笑う、醜悪な生物を。
「イ〜チトッ!あははっ!やっぱり貴方最高!いきなり爆破するなんて、死ぬかと思ったわ!もうこんなにドキドキしたの久しぶりよ!まだ全然収まらない!」
黒い華の中心から生まれ落ちたのは、黒く染まった化け物だった。
その化け物は間違いなく、危険に晒されたことを心から喜び、そして笑っていた。
「どうでもいい。それより、即死毒じゃなから生きてる奴もいるだろう。万が一にも復活しないよう地上の掃討をやれ。ああ、もう服は脱いでいいぞ。黒いとこは触れたら死ぬと思ってな」
「ふふふふふ!デザートまで用意してくれるなんて、もう文句なしよ!貴方のこと、好きになっちゃいそう!それじゃあ、地上は全部消しとくわよ!」
軽口を叩くと、黒点は落下していく。それもただ落下するのではなく、重力操作機と噴射も利用して。流星にも迫る速度で。
空を駆ける黒い狂気は、地上へと吸い込まれていった。
「いやー、まさか本当にここまで狂ってたとはね。正直、口だけだと思ってナメてた」
本当の恐怖は、理解ができないものへと向けられる。
そしてヴィーシは、他の人間が誰一人理解出来ないであろう哲学を持っている。だからあの怪物は、あらゆる人間を恐怖させ得る力を持つ。
また、理解不能であるが故に、他の人間が尻込みするような命令にすら即座に従う。
そして何よりも恐ろしいのが、その危険物の特性を理解して、悪用してみせた少年がいるということだ。
「しっかし威力エグいね。またあの手榴弾?」
「そうだ」
「何がそうだ、だ!貴様は今、一体何人の命を奪ったと思っているんだ!?相手は家畜や魚ではない、人なのだぞ!」
アルバーは怒りに体を震わせ、声を荒らげた。
人を傷つける事すら良しとしない神の下僕が、味方を爆弾にした虐殺を見て黙っているはずがない。
「見たとこ五十人ちょっと、か。人だからやったんだろ。家畜を毒殺したら育てた意味がない」
「よくもそんなことが言えるな!お前が殺した人間にも、同じことが言えるのか!」
「言ったら何だ」
「救いようのない悪徳だというのだ!」
「知るか。悪人を殺して何が悪い」
根本の考え方が違う以上、口論は平行線を辿る。
絶対の正義を掲げても、正義に毛ほども興味が無ければ何も意味はない。
放った言葉は唯の振動としてのみ、通信機を通して伝えられる。
「まあでもイチト、流石にやり過ぎ。まだ君は、アイツらが犯罪者だってことを確認してない」
それを見かねたニコラは、鬱陶しい振動を止めるべく、二人の話に割って入った。
「確認すれば良いというものではない!」
「君は黙ってて。考えが違いすぎる相手が何かを言っても、どうせ聞きやしないよ。言いたいだけなら通信切って」
どちらが正しいか、といった些事に構っている時間はない。ニコラはそう伝えるようにぴしゃりと言った。
「今飛行許可が出てるのは警察関係だけだ。アレが警察に見えるか」
「だとしてもやりすぎ。だからルールを守るために、やりすぎじゃ無くしてやればいいんだよ」
「どうやってだ」
「こうすんの」
ニコラは軽く咳払いをすると、通信機を操作してより広範囲に広がる周波数に変え、息を吸い込んだ。
『えー!そこの黒いバイクの集団!止まりなさい!今日は飛行禁止です!それと職質するから今すぐ止まりなさい!ついでに、そこの指名手配犯を引き渡しなさい!』
再び元の周波数に戻すと、満足そうにふう、と息を吐いた。
「これで従わない奴には公務執行妨害と、逃走幇助ぐらいは付けれるでしょ。あとは違法改造と速度超過と危険運転も追加。それに多分ペンキ持ってるだろうし、劇物取締法。これでそろそろ死ぬまでムショの中の危険人物だ。厳罰化様様だね」
だから、捕まえるのも殺すのも同じだ。
口にはしなかったが、ニコラの言葉からは、そういった感情が読み取れた。
「貴様が法に明るいとはな。だが、殺すのは許さんぞ」
「法を知ってることよりも、法を守る方が驚きだ。らしくない」
散々な評価にも、ニコラは眉一つ動かさない。
「生憎だけど、私らしくないんじゃなくて、君が私を知らないだけ。法律は守るよ。現に宙域に来た理由も、借金を踏み倒さず返すためだし。そして守るには、知らなきゃだめだから知ってる。それだけ」
「だとしてもそれはお前の都合だ。俺には関係ない」
「いーや、だめだよ。法的な根拠付けのない無くなったら、君の行為は唯の殺人だ。誰かさんが忌み嫌う、殺人鬼と変わんないんだよ」
殺人鬼と変わらない。イチトはそう言われた瞬間、息を飲んだ。だが直ぐに浮かんだ感情を、無表情で覆い尽くしてしまった。
「だとしても、もうお前の基準なら殺して良いんだろ」
「良いわけがないだろう。何時如何なる時も、殺人は悪徳だ」
「お前は黙ってろ。そろそろ、敵も冷静になって向かって来てる。殺すぞ」
爆発による混乱も収まったのか、暴走族は欠けた人員で組める陣形へと以降していた。その構築速度からするに、運転技術の高い者だけが残ったらしい。
数は半分ぐらいに減少したが、下手な奴が敵の動きを阻害しない分、そこまで楽にはならないだろう。
「殺させはせんぞ」
「で、この砲台ってどう使うわけ?ってか、まさかこれもペンキ?」
「ああ。前方に陣取ったから、空気抵抗無視して打ち放題だ」
「だからさせんと言っている」
「じゃあお前にも仕事をやるよ。下行け」
「誰が貴様の言うことを聞く」
「恐らくヴィーシは犯罪者と遊ぶ。その間に周囲の人間にはどれだけ被害が出るかな」
「っ!」
勿論、イチトもアルバーが素直に命令を聞かないことはわかっている。
ならば、相手の思想上無視することが出来ないものを与えてやればいい。
「命を見捨てるのは、何だっけ?」
「……いいだろう。今回は貴様の口車に乗ってやる。万が一にも無辜の民を傷つけてはならないからな」
神は言った、誰かが傷付くのを傍観してはならないと。
だが神は、誰を優先して救うべきなのかを、聖書に記さなかった。
だからアルバーには、より正しき人間を救いたいという感情を抑える理由がない。
今まで何人もの人に危害を加えた暴走族より一般人を優先することを、神は少なくとも禁じていない。
だからアルバーは迷うことなく高度を下げる。罪の無い人々を救うという、崇高な使命を帯びて。
「いやー、君やっぱクズだね」
アルバーに電波が届かなくなった瞬間、ニコラはイチトを罵倒した。
「突然何だ」
「わかってて聞かないでよ。圧倒的に数が少ない敵が、更に二手に別れたんだよ?そんなの、警戒しないわけがないじゃん」
ニコラがちらりと視線をやった先には、二十人程度の地上に向かう影があった。
「ほらね」
「確かに狙ったが、法には触れてない。お前の基準なら問題ないだろ」
「まあ、ぶっちゃけ鬱陶しいからいない方が楽だよね。ヴィーシもいるしどうにかなるでしょ。むしろ、こっちのがやばそうだしねっ、とぉ!」
掛け声と共に発射ボタンを叩く。すると後方に取り付けられた発射台から、黒いインクの弾丸が発射される。
あらゆる色を消し飛ばす黒の塊は高速で暴走族の集団へと向かって行き、そして躱された。
そしてそれへの反撃か、後方の集団は小型の銃を抜くと、ニコラに向かって一斉に引き金を引いた。
キンキンキン、と金属音。そして微かに装甲が歪む。
「うわわわわわ、ヤバイヤバイ!どうにかしてイチト!」
焦るニコラに、次から次へと弾丸が届く。ニコラも必死で動いて射線から外れようとするが、それでも弾は着実に装甲を削っていく。
「この距離でこれか。通りで真後ろ着いてくるわけだ」
「どゆこと」
「風圧防壁は基本機体の前を重点的に守ってる。後ろからバイク以上の速度のものが飛んでくることはまずないからな。だから、後ろから銃弾撃たれるとまずい」
「……まじ?」
「うまく動いて照準を合わせられるなよ」
「この数相手じゃ無理!というわけで減らす!」
ニコラは苛立ちを発射ボタンにぶつけ、ペンキを放ち続ける。だが銃弾より大きく見えやすい攻撃を、回避できない弱卒は敵にはいなかった。
「おい、無駄に使うな!」
「無駄じゃない!攻防一体の奥義!」
「せめて一台落としてから言いやがれ!」
「でもほら、防はいける!ペンキが銃弾遅くしてくれる!」
「ならもう好きに撃て。ただ今から三十秒、息止めろ」
そう言うとイチトはインク弾を撃つと同時に、懐から何かを投げ入れた。
しかしその軌道はニコラのそれより少し上に向かっているだけで、当然敵はさっと避けて距離を詰めるべく動き出す。
「ミスってんじゃん!」
「息止めろって言ってんだろ!」
偉そうな物言いを不満に重いながらも、ニコラは仕方なく口を閉じる。
するとペンキ弾が一瞬で膨張し、空を黒く染め上げる。そして直後、黒かったはずのその弾が一瞬で赤く染まった。
燃えるような赤。いや、実際に炎が上がっている。広がった赤は、数人の敵を燃え上がらせると直ぐに消えてしまった。
「もう口開けていいぞ」
それから数十秒後、イチトが許可を出すと、ニコラは大きく息を吸い込んだ。
「っぷはあ!爆弾好きだね!ってか、あれだけ派手なの使って二人だけって!」
「黙っとけ。効いてくるのはこれからだ」
そう呟いた途端、一台のバイクから人が落ちた。それを皮切りに、次から次へと敵が落ちていく。
「ほんとだ……でもあいつら、当たって無かったよね?」
「当たってたから落ちたんだろ」
「いやそうだけど、でも当たったようには見えなかったよ?」
「大体の毒物は、蒸発させた方が吸収されやすい。奴らには、蒸気にして吸わせた」
「あー、だから炎なんか出すような、温度重視の爆弾にしたってわけね」
ヴィーシの時は、余りにもインクの量が多い為に殆ど蒸発はしなかった。だが今回は、敢えてインクを絞り、火力を上昇させることで十分蒸発できるだけのエネルギーを確保したのだ。
「ああ。それにあれは気化爆弾っていう、撒き散らすのに向いた爆弾を混ぜてある」
「で、吸っちゃえば死ぬってわけね。悪質だなーって、うわっ!」
油断していたニコラに、再び弾丸が打ち込まれる。だがその一発以降は、殆どイチトに向けて撃たれていた。
「あれ!?私じゃない!?」
「先に俺を潰すべきだと思ったんだろ。それよりもニコラ、ここからきつくなるぞ」
「……わーお、まじで最悪」




