包帯の男
部屋の中央に、一人の男が立っていた。手や顔など、制服を着ても肌が出る部位全てに包帯が巻き付いており、その素顔を窺い知ることはできない。僅かに覗く瞳と髪は茶色く淀んだ沼のようで、底が見通せない不気味さがあった。
その男に、一人の青年が飛びかかり、右腕から火を放つ。男は当たる寸前で躱し、手を掴んで投げ飛ばした。
直後、背後から別の青年が急速に接近し、拳を放つ。男はそれを僅かに手を添えるだけでずらし、胸の中心に一発、重い拳を叩き込んだ。
今度は投げられた青年が立ち上がり、もう一度火を吹く。今度は避けられないようにより広範囲に。
男は炎を避けず、胸を殴った青年の腕を掴んで引っ張り、盾代わりに燃え盛る炎の中へ突っ込んだ。
炎で視界が遮られていた青年はそれに気付かず、突然現れた敵に当惑する間に吹き飛ばされた。
「強い」
部屋の隅でその戦いを眺めるイチトは、その男の強さに魅せられていた。
『星群』の影響か、人の限界を超えた速さで動いてはいるが、目で追えない程ではない。だがあの男は二人相手に戦い、圧倒している。
しかも少なくとも片方は『星群』を使っているのにだ。
全ての動きを予測し、先手を打つ。間違いなくイチトよりも多くの戦闘訓練を積んでいなければできない。
あの速さでは流石に『星群』の相手はできないだろうが、一人での戦闘訓練をするにはこの上ない強敵だ。
一歩踏み出し、訓練を始めようとした瞬間、後ろから肩を引かれる。
「待て待て」
肩に乗せられた手を辿ると、そこにいたのは二週間前の任務以来、姿が見えなくなっていたトレハだった。
「お前、なんでここに?実力者しか入れないところに、後方支援が入っていいのか」
トレハは前回の任務の際、任務から逃亡したせいで、前線から外された。
正直なところ、実力が無いと入れない部屋に入室できるとは思えない。
「実力が認められた!と言いたいとこだけど、清掃担当。線も没収されちまったしな」
「線?」
トレハは無言で、その袖を引っ張って見せた。
そこには白い地の布にぴんと二本、真っ赤な線が刻まれている。
イチトが少し違和感を覚えて、ニコラと自分の袖を見ると、そこには赤い線が三本刻まれている。
「二本は後方支援、三本は前線。咄嗟に人を引っ張ってくる時、本数で区別できるようにって」
「なるほど」
「まあ、ともかく説明始めるな」
「説明、って何のだ」
「戦闘訓練のだ。雑に説明すると、武器は使用不可、包帯の男を倒せば昇進。周りを囲む線を超えたら負け。どうだ、シンプルだろ」
そう言ってトレハは床に描かれた太い白線を指差す。白線は一辺が十メートルほどの正方形を描いていた。少し気をつけて戦えば、飛び出すようなサイズでは無い。現に今戦っている二人も、圧倒されながらも線だけは割っていない。
「へーわかりやすくて良いね。ほらイチト、早く行こうよ」
もはや一切悪びれることなく、平然と話を盗み聞きしたニコラは、イチトを急かして昇進のための一歩を踏み出そうとする。だがイチトは頑として動かない。
「まだだ。今戦ってる奴の火を出す『星群』は動くのに邪魔だ。それに相手の『星群』をしっかり見極めてからでも遅くはない」
「やけに慎重だね。でもまあ、勝ったら昇進!って言われるとなんか警戒したい気持ちもわかるけど」
昇進、という言葉を使った煽り文句は、どうも信用ならない。一回目は圧倒的に実力が上の相手と戦わされ、二回目は敵の『星群』持ちと戦うはめになった。これで警戒するなと言う方が無理だろう。
だからイチトは包帯男の一挙手一投足を具に観察する。勝てば昇進させても良いと言われるほどの、あの包帯男の強さを見極める為に。
すると偶然、回し蹴りをする包帯男と目があった。ほんの一瞬のことだったが、間違いない。
男が、直後に笑顔を浮かべたのだ。
「っ!」
それから男の動きは急変した。
今までは攻撃を受け流すように動いていたのが、敢えて正面きって力比べに持ち込むようになったのだ。
放たれた蹴りに合わせて蹴りを放ち、反動で後ろに退かせてから更にもう一度蹴り飛ばす。後ろから襲いかかるもう一人の青年の炎が届く前に、更にその後ろに回り込んで一瞬で線の外まで突き飛ばす。
既に疲労で動きが悪くなっていた青年達は成す術もなく、一瞬で線の外に追い出された。
包帯男はコキコキと首を回すと、イチトの方を見て笑い、かかってこいと言わんばかりに人差し指を振る。
「もう少し観察したかったが、ご指名だ。行くぞ」
「オッケー。全力で飛ばしちゃおっか」
二人は瞼を下ろし、視界を遮断する。
直感的にお互いの位置と動きを感じ取り、そしてそれに従って手を動かす。
真っ直ぐ、迷うことなく進んだ二つの手は空中で巡り会い、繋がれる。
どくん。
繋いだ手が脈動する。生まれた力は細胞を通り、腕へ、脚へ、躰へと行き渡る。
二人の肉体はお互いに浸潤し合い、ありとあらゆる境界を取り除いていく。
呼吸はとうに揃った。皮膚も間もなく融合する。血液すらも混じり合う。
一つに、なっていく。
ーーーそして二人は目を見開いた。
瞳に映るは、包帯を纏った男。
直感が囁く。戦いは線を超えた瞬間に始まると。
力を込めて足を踏みしめる。筋肉が膨張し、ぎち、ぎちと音を立てた。
ばん、と貯めた力を解き放つ。十メートルの彼方にいる包帯男も、同時に二人の元へと走った。
イチトの右手、ニコラの左手が同時に放たれた。男はそれを両手で受け止め、力尽くで抑えこもうとする。
力は拮抗し、手は震えながらもその位置を保つ。
「っ!やっぱ、手抜いてやがったか!」
速さも力も、青年たちを倒した時とは別物だった。最初から全力で挑んだ判断は、正しかった。そうしなければ、やられていた。
しかし全力で戦ってしまったことは同時に危機を招いた。相手の『星群』が判然としないまま、取っ組み合うことになったのだ。
押す。押される。その繰り返し。足を使えば力で負ける。いくら歯を食い縛ろうと、『星群』の上限は変わらない。力を上げる奥の手も無い。
「レティーーー」
だというのに、イチトは突然叫び、拳を開いて包帯男の手を握る。
ニコラもその意図を察して手を握り、男が驚いている間に、その腕を引っぱった。
引き寄せられる男に、拳が迫る。それはイチトの左手と、ニコラの右手が重なって作られた第三の拳。
奥の手は無くとも、繋いだ手は使われずに残っている。二人は背中合わせで回転するように動き、拳と男の体を加速させていく。
「「キュラム!」」
ドグッッ!
防御も回避も許さない、二人だけの言葉で紡がれた攻撃は、腹の奥底まで衝撃を伝えた。
使える。
そんな確信が二人に生まれる。
詠唱を破棄したことでタイミングは完璧ではなくなっていたが、それでも十分な威力が発揮されている。
食らった男は口を開いてたたらをふむ。その隙を見逃すはずもなく、二人は再び攻撃に移った。
「レティーーー」
拳を振りかぶり、もう一度男の腕を引きつつ拳を繰り出す。
その瞬間、男の顔が視界に映る。その顔は、笑っていた。
「っ!」
本能的に危険を察知して腕を止める。しかしニコラにはそれが伝わらず、拳は止まらず進んでしまう。
轟音が響く。二度目の拳は腹までの行程を進みきることができなかった。
「ぐっ!」
「いづっ!?」
拳を迎え入れたのは靴底。力比べで無くなったことで空いた足を振り上げ、一撃を受け止めたのだ。
靴底に衝突したことで、手が激しい痛みを放つ。イチトはそれを予見し耐えきったが、ニコラは痛みで反応が遅れる。
その隙をついて、男はそのまま繋がれた手に体重をかけ、後ろに飛んだ。
意識が抜けていたこともあり、あっさりと掴んだ手は抜けてしまい、まんまと逃亡を許すことになってしまった。
「むっかつくなあ。人を足蹴にしやがって。ねえ、なんかやり返す方法無いの?」
「無い。そんな舐めた考えで倒せる相手じゃないってわかったろ。このまま全力で行くぞ」
「チッ。ざーんねん」
再び二人は男に接近する。そして手数の多さを活かし、反撃を一切許さずに攻め立てる。
右は経験的に、左は本能的に、敵の嫌がる攻撃を延々と繰り返す。だというのに、男は一歩も引かない。力や速さは同じで、手数が多いのに攻め切れない。
理由は単純、技術の差。イチトの経験も、ニコラの直感も、勝てば昇進させても良いと言われる程の力を持つ英傑を倒すには足りていないのだ。
そして攻め手に無駄が多い。二人で同時に攻めると、時折お互いに動きを阻害し、またそれを警戒してどちらも隙に手を出さないといったことが起きる。
そして男はその都度、咎めるように反撃する。それが二人に失敗できないという意識を植え付け、次の失敗に繋がっていた。
「あーもう、うざったい!」
それに焦れたニコラは、単身前に飛び出して苛烈な連撃を放ち始めた。そして今まで以上に直感のまま動き、敵味方共に撹乱する。
だが飛び出したことでイチトは前線から離れ、技術で劣るニコラに手数が少ないという枷まで付いた。当然その差は致命的なものとなり、数回打ち合うだけで腹に強力な一撃が叩き込まれた。
「うぶっ!?」
年頃の少女が出してはいけないような声を上げながら、ニコラは吹き飛ぶ。当然手を繋いだイチトの腕にも力が加わる。
だがイチトはそれを止めず、寧ろ加速させた。ブン、と風切り音を鳴り響かせ、円を描くようにニコラを振り回す。
無防備に向けられた背中に、包帯男が襲いかかろうとするも、ニコラが飛び出してできた距離のせいで僅かに届かないと見て、回避の為に後ろに跳ねる。
それに合わせて、イチトも足を動かした。回転しているとは思えない正確な足取りで、躱した気になっていた男の方へと近寄り、首元に遠心力を乗せたニコラの足を直撃させた。
「っ!!!」
ニコラの蹴りを正面から受け止めた男は、蹴られた直後にその足を掴み、線を割ることがないように床を滑る。
だが掴めたのは片足だけだ。ニコラは歯を食いしばると、もう一方の足に全身が弓なりになるまで力を注ぎ込み、矢のごとく男の心臓に叩き込んだ。
直撃。だが男は既に上体を逸し始めていた。
衝撃を逃しつつ倒れ、地面に衝突する寸前で両手を付いてバネのように跳ね上がる。
「まだ動くのかよっ!」
叫びながらも、イチトは反撃を防ぐために回転を加速させる。だが男は地面に体が触れてしまいそうなほどに倒れ、回避しつつイチトの足を払った。
回転速度が仇となり、二人は勢いよく転がってデッドラインを越える寸前まで追い詰められた。
「チッ!」
「やっば!」
そして追い詰められた二人は立ち上がり、反射的に線から離れようと足を動かす。
危機が目前に迫った時の反射的な行動は、多くの場合状況を悪化させる。今回も例に漏れず、二人の移動はより二人を窮地に追いやった。
眼前には、包帯を靡かせる男。動き出した足は止まらず、二人は男の懐に無策で飛び込む形になった。
男の左腕が、ニコラの腹にめり込む。吹き飛ばされ線を割りそうになるが、イチトは腕を上げてそれを防いだ。
だがもう、イチトには身を守る手段すら残されていない。
回し蹴り。倒れぬようにと、上体を起こす筋肉全てを収縮する。それでも体は傾いていく。
「弱すぎる」
その時、初めて包帯の男が口を開いた。
失望を口にした男は、中央に戻っていく。
決着は、既に付いていた。




