死闘マレンの戦い 06
通信と条約の文書に調印を終えたメーラーは、体調を心配した医師の指示でベッドに横たわる。用も済みフランは病室で長居するわけにもいかないので、退室することにした。
「それでは、元帥。これで失礼させてもらう。無事に帰国なさることを祈ります」
フランはそう社交辞令を言ってから、敬礼をして老元帥の病室を後にする。
旗艦ブランシュの自室に、フランが戻ってくるとクレールが訪ねて来て、先程の条件で抱いた危惧の提言をおこなう。
「殿下、このまま彼らを帰国させてよろしいのですか? 彼らが帰国した後に、再び戦場に戻ってくる可能性は充分あると思いますが…」
「今回の戦役中には、間に合わないだろう。だが、次の戦いならあり得るかもな…。だが、貴女も知っての通り、今の我が国の財政に捕虜を養うだけの余力はない」
「そうでしたね…」
条約で捕虜を虐待できない以上、食事や衣服、収容所を維持する人件費と捕虜に労働させたとしてもそれ以上に費用はかかり、そのような余分な予算はこの国にはない。
例え人員だけ返しても、その者達が乗る戦闘艦がなければ戦力にはならず、ドナウリア帝国が大国とはいえ、艦数を揃えるには時間がかかる。
それに、捕虜を逐次解放していれば、敵兵の心の中に『降伏して捕虜になっても、すぐに祖国に帰れる』という考えが生まれ、敵兵は徹底抗戦よりも降伏を選ぶようになると期待しており、そうなりつつあった。
そのような理由から、表向きは人道を理由に、捕虜を返還している。
「あと、彼らが我軍との約束を守って、大人しく帰国するでしょうか?」
「心配する必要はないだろう。仮にとはいえ、条約文書に調印しているし、何よりあの老元帥なら、そのような真似はしないだろう」
仮とはいえ停戦条約を一方的に破るのは、国際的信用を落とす問題行為であり、何より今の敗残のドナウリア艦隊の兵士達に再び戦うような気力はない。
もし、無理にでも戦いを強要すれば、暴動が起きる可能性は高いであろう。
その事はメーラーもオトマイヤーも承知しているために、フランの読み通り彼らは大人しく帰国する事になる。
こうして、マレンの戦いはガリアルムの辛勝ではあるが、勝利することが出来た。
ガリアルム艦隊の被害は、戦闘に参加した11000隻の内、撃沈283隻、大破476隻、中破1368隻、小破2659隻。
ドナウリア艦隊の被害は、12000隻の内、撃沈3376隻、大破2398隻、中破502隻、小破3882隻、拿捕537隻(乗員は後に返還)
ガリアルム艦隊は、手放しで勝利を喜ぶ事は出来なった。それは前回の戦いを遥かに超える、大勢の戦死者や負傷者を出していたからだ
イリスは座乗する旗艦『ジェモー』の自室で、一人ヴァイオリンを弾いていた。
コミュ障である彼女は子供の頃から将来は、他人とコミュニケーションをあまり取らなくてもいいであろう画家か音楽家(※あくまで子供の頃の彼女のイメージです)になろうと考えて、幼い頃から習っていたヴァイオリンの”ソロ”演奏者を目指す。
だが、ガリアルム貴族はノブレス・オブリージュを重んじるため、男子の子供がいなかった彼女の親は仕方なくイリスとアリスを軍人にすることを決め、5年ぐらい軍務をこなせば体裁を保てるので、軍を辞めても良いという条件で士官学校に入学させる。
彼女達の親は、彼女達を安全な基地勤務になれるように根回しを始めるが、フラン政権樹立によりそのような不正は許されず、ルイやロイクと違って優秀な成績で士官学校を卒業したイリスは艦隊勤務となってしまう。
イリスだけでは心配なので、アリスが一緒に艦隊勤務となれるように人事部に願い出ると二人一緒のほうが良いだろうとイリスに目をつけていたクレールによって、それから二人は常に一緒に配属されることになった。
そして、彼女は今も”ソロ”ヴァイオリニストを目指しており、暇な時はこのように一人ヴァイオリンを弾いて腕を磨いている。
「おね~ちゃ~ん!」
そこに煩いアリスが、ドアの外から部屋の住人に窺いも立てずに入室してきた。
アリスのこの入室方法にイリスは何度も注意したが、次の日にはまた勝手に入室してくる妹に姉はもう諦めており、気にせずにヴァイオリンを弾き続けることにする。
「あれ? 今日はいつもの寂しい曲じゃないんだね?」
入室してきたアリスは、双子の姉がいつもの寂しい曲ではなく、少し明るめの曲を演奏していることに少し驚く。
イリスはその大人しい性格どおり、曲調がもの静かな曲や落ち着いた曲をいつも好んで演奏しており、アリスはそれを聞く度にいつも途中で眠ってしまう。
だが、今日は少し明るめの曲を演奏する姉を不思議がる妹は、すぐにその真意を読み取る。
「あ~! 入院しているルイっちを応援する曲なんだね! 確かにいつもの寂しい曲だと応援にならないもんね!」
(コクッ)
イリスは妹の見事な読みに対して、頷いて肯定した。
アリスがイリスの副官を任されている理由は、この姉の思考を的確に読める能力ともう一つある。
アリスはその言動から頭が緩いと思われがちであるが、実はそこまで緩くはない。
現に彼女は、イリスの命令の意図するところを間違えずに自分の言葉に変換して、艦隊に伝えている。
だが、それは不思議なことではなく成績が悪かったとはいえ、彼女は士官学校に入学できており頭が緩い訳はなく、副官をこなせるだけの能力が“一応”あると認められているからであった。
因みにあの様な言動を行っている理由は、<性格に難がある>というだけである。
「おねえちゃん。ワタシ、これからクレール姐さんに呼ばれて、遊びに行くんだ~。きっと、今日の戦いで頑張ったから、褒めてくれると思うんだ~。だから、お姉ちゃんも一緒に行く~?」
アリスの誘いにイリスは、首を横に振ってその誘いを断った。
「そう? じゃあ、私は行ってくるね~」
そう言って、アリスは楽しそうに姉の部屋から出ていき、その姿を部屋の中から見送ったイリスは無表情な顔でこう思っている。
(アリス… それ、たぶん楽しいお誘いじゃないよ…。アリスの軍人らしくない言動へのお説教と指導だよ…。 いつもお姉ちゃんが言っても直さないから、クレールさんにお説教されるといいよ…)
彼女はその明敏な頭脳で、クレールの呼び出しの真意を看破しており、そのため妹の誘いを断り、更にクレールに自分の言うことを聞いてくれない妹に、ガツンと言って貰おうという思惑からその真意を語らず沈黙しているのだ。
数時間後、クレールにこってり絞られたアリスが、涙目でイリスの元に帰ってきたので、イリスは可哀想に思い慰めることにした。




