95.やった!
「グッ……フッ……」
胸に刺さっているナイフを左手で引き抜き、もう一度態勢を整えようとするソンだったが、自分が思っているほど力が入らないようだ。たまらず自身の剣を取り落とし、そのまま仰向けに倒れて動けないでいる。
彼は荒い息を繰り返し、天を仰いでいるだけだ。
呆然とするミリィちゃんを、ハルは自分の背後に隠し、代わりに自分が前に出てソンを見下ろすようにして話しかける。
「なあ、お前らの親玉だって、サーラを見れば考えも変わるかもしれないぜ? サーラは無害だよ、見てわかるだろ? 無抵抗の女の子をただ殺すなんて酷いと思わないか?」
ハルは情に訴えて、私を殺すことを踏みとどまってもらうように話しかけている。できれば私も考え直してもらえれば、みんなを危険に巻き込むこともなく、安心して生活できるわけだ。
私は魔法を使えるわけでもないし、誰かを害したりしたわけでもない。私のせいで破滅を迎えた人なんて聞いたこともないし、このままこの世界で穏やかに生きていくわけにはいかないのだろうか?
私の言い分を聞き入れてもらえはしないかと、ゆっくりとソンの側まで歩いた。
「我は管理者であるケンの意向を尊重するまで。よいか、この世界を球体と考えてみろ。球体に突起があれば、それは削ぎ落とされるべきだろう。逆にヘコみがあれば、それを埋めるべく動くがな。あの娘は突起物だ。突起物が残っている限り削ぎ落とすべく動くのが我ら一族だ」
そう言うと、ソンは、私の顔をジッと見つめてくる。
既に瀕死の状態であることからすれば、彼が私を害することはないだろう。
殺意のない、彼の真摯な視線に、私も礼を尽くして向き合わなければならないと感じ、真っ直ぐにソンに向かって見つめ返す。
「ふっ……良い顔つきだ。シンが貴様を評価していたが、わかる気もする。貴様はこの世界に存在する人々とは違ってみえるな。貴様が生き延びるかどうかは、貴様の生命力の強さで決まる。削ぎ落とされないくらいの強さならば……もし生き延びられたならば……それもまた一興……」
最後は呟くように声がかすれ、それと共に彼の息も浅くなり、最後に大きく深呼吸して息を引き取った。
カマキリ使いカンとの闘いに続き、この闘いが今終わったのだと実感し、深いため息が漏れる。
そして辺りは闘いの場であったことを忘れたかのような静けさを取り戻していた。
* * * * * *
「サーラ、調子はどうだ?」
部屋の窓辺を眺めながらボーっとしている私に、腕を吊ったハルがやってきて声をかけてくれた。
「ああハル、私は平気よ。みんなのおかげで怪我することもなかったしね。ハルこそ体調は?」
「おう、絶好調さ。あと何回か集中して毒を抜く作業をしてもらえば完全復活だって。心配かけたな」
毒を受けた左腕は、当初は赤黒く変色してるのを見て、あまりの酷さに気を失いかけたのだが、治療の甲斐もあって今はだいぶ良くなってきているという。
赤黒い部分は丁寧に削ぎ落とし、周りの細胞を活性化させる薬と魔術でほぼ元どおりになるらしい。
さすがファンタジー世界だ。あっという間に治ってしまう怪我のことを思えば、死んでも実は生き返ることができるんじゃないか? 治療の現場を見る度に必ず脳裏にその考えが浮かぶ。
以前、ルディに面白半分でそんな話題を振った時、妙に真面目な顔をして怒られたっけ。
生きていれば、怪我をした部分を修復することは可能だが、死んでしまったならば元に戻ることはない。同様に心臓が止まったならば生き返ることもない。
魔力や魔術をあまりよく知らないままに過ごした人々には、誤った考えの方が伝わり、死んでも生き返ると信じている人が多いのだそうだ。
そのために命の扱いは軽くなり、殺した殺されたが当たり前の世界になっている、と教えられた。
日本では殺人は犯罪になるし、モラル的に許されないことなのだが、こちら側の世界では人の生死が軽んじられていることに哀しみを覚える。私を排除しようとしたカンとソンの死を思うと何とも複雑な気分になった。
「ところでミリィちゃんはどうしてる? ハルのところの専属侍女でしょ? 気を遣ってあげて」
最初こそ私の侍女としてお世話してくれていたミリィちゃんだったが、ハルと戦闘訓練を繰り返しているうちに、ハルの専属侍女とした方が効率が良いということで、だいぶ前から移動はしている。
「ああ、直接ソンを倒したのは彼女だからな。多少の衝撃はあったらしいが、平気だと言っていた。小さい頃の方がもっと凄惨だったらしい」
返事をするハルは、あまり浮かない表情をしていたので、どうしたことかと尋ねた。
「俺は貴族社会で暮らしていたから何とも思わなかったが、貧困層の民は未だに苦しんでる状況を知ったからな。父上にも何らかの対策が取れないか進言してみようと思ってるんだ」
へえ、ちょっと前だと甘ったれのヘナちょこハルだったのに……このくらいの男の子って、いろんなことを吸収して成長するんだなぁ。
パッと見は全く変わらないが、顔つきや考えがずいぶん大人になった彼を見て、頼もしく感じる。成長の一因がミリィちゃんってところもプラスポイントだね。
微笑ましさも相まって、小さな笑いが溢れた。
「それはそうと、今日はこれから兄上たちが帰って来られるだろう? サーラも出迎えの準備をするのか? 行くなら一緒に行こうぜ」
ん? 兄上たち? ああ、第一王子とその奥さんたちのことだな、たぶん。
王子たちとは直接面識ないし、あえて会う必要性もないと思うけど……一番上は一応まだ王太子の看板は降ろしてなかったよね。それなら形式だけでも挨拶すするかな。
昔の大奥の例えで言うと、貴族女性社会では、第一王子の正妻が一番の権力者になるはず。次いで二番、三番の奥さんかな? 下手したら、専属侍女さんとかが裏で牛耳ることだってあるわ。
初見は大事。まずは当たり障りのない挨拶をして、害のない人間と認識してもらおう。周囲の人たちに紛れていれば、変に注目されたりもしないよね?
「確か第一王子は療養中だったよね? もう全快したの? みなさんとも会ったことないけど、私が顔出したりして平気なん?」
「アンドリュー第一王子は確かに面識ないよな。アンディ兄上は俺が事故起こす前、ずいぶん可愛がってくれてたんだ。実はブラン兄上より……ラムダスに行ったブランドール兄上よりも仲良かったんだぜ? 紹介するよ」
「うーん、でもさぁ……」
小さかった頃を思い出しているのか、顔が上気して目までキラキラしている。
本当に仲のいい兄弟だったんだろうな、私は一人っ子だったから、兄弟の良さがわからないが、ハルを見ていると、少し羨ましい。
「ハルがそう言うなら、優しいお兄さんなのね。ハルと同じ顔してるの? 兄弟だから似てるんでしょ?」
「ああ、兄上は母上似かな。髪は金髪で顔は……」
ハルが言いかけたタイミングで、メガネ侍女さんが、王家の家族肖像画をスッと差し出してくれた。
王様の隣に座っているのが亡くなった正王妃様。間にチョコンと座ってるのはハルだ。後ろに並んでいる二人の若者が兄たちかな。
「こっちがアンディ兄上、こっちがブラン兄上だ」
指差した先を見ると、キリリと精悍な顔立ちをしているのがジョフリー、若干垂れ目気味で優しく笑っているのがブランドールのようだ。二人とも金色の髪の毛が眩く、かなりハイランクの男性だ。
ほお、やっぱりイケメンよねぇ、二人とも。これだったら兄の話をするのも誇らしいさ。
相手がイケメンとみるや、ちょっと会って見たくなった。現金なもので、目の保養と刺激を求めて脳が活性化してくる。
メガネ侍女さんにお願いして、身支度を整えてからよそ行きのドレスでバッチリと決めこんだ。
あまり乗り気でなかったクセに、自らハルの背中を押して、早く場所へ連れて行けと急き立てて自室を後にした。




