92.これは危険!
「お疲れさまでした。お嬢様もいい運動になりますね。このくらいの練習ならば私も歓迎です」
日課のナイフの練習が終わって部屋に戻ると、メガネ侍女さんから労いの言葉をかけてもらった。
「お嬢様ー、刺繍はこんなものでいいですかぁ? なんか面白くっていっぱい溜まっちゃいましたぁ」
ぅおっ……コイツいつの間に。やるなぁ、ハムスターのくせに。
ハンカチやらコースターなんかは山のように。厚みのあるのは……テーブルクロス? ベッドカバーやん!
この間渡した材料全部仕上げちゃったとか?
マジでお店だせるレベルだよね、これ。こりゃ商売して食べていけると思うわぃ。
「とりあえずバザーに出すけどさ。アンタ街でお店出してみない? 成功すると思うよ?」
「え? お店出すのって王宮をクビになるってことですよね? サボりや、あまり侍女の仕事をしないっていうのは予定通りなんですけど……クビは予定に入ってない……」
「何言ってんの。そんな予定が決まってる人なんて聞いたことないし。まあ、あとで話し合いましょ。ラッセルが帰ってきたら、相談できるから。アンタのお店に買い物しに行くのも私の楽しみになるかも?」
「はあ……」
あまり気乗りのしない返事は聞き流して、私はひとり自分の考えに埋没していった。ハムスターちゃんも着実に趣味の域からステップアップし始めている。私も子供たちのためになるような何かを考えてみようかなと。
とは言ってもゲージュツ系は厳しいし、読み書き……は私が教えて欲しいくらいだな。あとは料理?
うん、簡単なヤツならいけるかも。お菓子とかだったら子供受けするだろうし。
ラッセルに……は相談できないからハルにでも頼むか。
早速ハルを捕まえて、クッキー作りの相談を持ちかける。
最初はまた私が突飛なことを始めるのだろうと渋い顔をしていたが、実物を見て評価を得てからは、ずいぶん態度が軟化した。
対外的な調整をしてもらって、教会へのお裾分け分を手持ちのカゴに入れ、いざ私のパティシエールデビューの日を迎えた。
「あのさぁ、ルディはまだわかるよ? 私の護衛なんだし。なんでハルとミリィちゃんまで付いてくるの」
呆れた声で二人を咎めると、しれッとした表情のままハルが答える。
「いいじゃん別に。付き添いは多い方が安全だろ? 万一お前に何かあっても大変だしさ。それにミリィは俺の世話してくれるからセットだよ」
「私は……殿下が面白いところに連れて行ってくださるというので……」
ミリィちゃんは今日の目的を知らされていなかったのか、オドオドしながら返事をする。
「まあいいわ。ハルはバザーに出すクッキーが目当てなんでしょ? この間から味しめちゃって、困ったモンだわ」
「へへ、美味かったからな。その代わり荷物持ちと護衛を引き受けるんだ、安いモンだろ?」
悪びれなく言ってのけるハルに、軽くため息をついて、付いてくることを容認した。彼のことだ、外出許可も抜け目なく取ってるんだろう。
まるでヤンチャな弟ができたみたいな気分になる。
やっぱり私とハルの関係は、恋人よりも友達やそれに近い関係の方がすんなり受け入れられる。
しっくりと落ち着いた距離感に、つい笑顔が溢れた。
「到着ーっ。ほらな、安全に送り届けたぞ? 帰るまで自由時間な。ミリィ、クッキー食べに行くぞ」
ハルのキラキラした目に、気後れしながらついていくミリィちゃん。二人の可愛いカップルに、手を振って送り出した。
さあ、ここからは私の番だ。刺繍入りのグッズとクッキーを並べて、販売のお手伝い。空いた時間は、教会にきた若い子たちにクッキーの作り方を伝授する。
充実した時間を満喫し、しばしの休憩を取るため、少し離れた路地に出た。今日は天気もいいし、ひと伸びして足元の木箱に腰掛けて休むことにした。
緊張もあったのか、瞼が少しずつ重くなり、うとうととしていると、不意に目の前に影がさす。
顔を上げると誰かが私の前に立ちはだかっているのだった。顔はよく見えなかったが、壮年か、もしくは初老にかかるくらいの人物だ。だが彼が着ている見覚えのある色のローブに、ギクリとして身構える。
「アンタ誰?」
「はじめまして、だな。我の名はソン。トカゲ使いのソンと言えば理解できるか?」
「ああ、ソンさんね。お名前だけは聞いているわ。ちなみにアンタらの目的もね」
「そうか、ならば話が早い。ゴンとカンを失った代償、貴様の首で贖ってもらおうか」
そう言ってローブを翻すと、右手を構えて自分が使役するトカゲを周りに配置した。私が知っているカナヘビみたいな大きさのモノよりはるかに大きく、ゾウガメかコモドドラゴンを連想させる大きさだ。
しっかしおかしいでしょ、何よ二人分って。本気で納得できないわっ。カマキリ使いカンは解るよ? 私らを襲ってきたから返り討ちにしたしね。でもハチ使いゴンは違うでしょ。ヤツは自分が足抜けしたいって言って逃げ切れなかったから死んだんだよ! 私に関係ないって!
変な言いがかりをつけられたので、抗議をしようと口を開きかけた時、ソンの足元に待機していたトカゲが動き出した。
雰囲気がゾウガメだったのでのっそりとした動きを想像していたが、予想外に素早い動きをみて焦りを感じる。
「アンタが私を望もうと、簡単に首を差し出す気なんてないからっ。この間のカンと同じように返り討ちにしてあげるわっ」
ここで戦闘になってもこちらが不利だ。とにかくルディと連絡をとってソンを撃退してもらおう。会話をしながらジリジリと移動し、なるべく人目につきやすい場所へと誘導する。
「そんなあからさまな動きはしなくていい。誰を呼んでもムダなことだ。貴様は素直に我の元へ来い。さもなくば、此奴らの毒によって死の苦しみを味わうことになる」
ニヤリと嗤う顔には、嗜虐的な感情が溢れているようだ。
カンのカマキリほどの量はないが、トカゲも十匹くらいはいるだろう。これら全てが毒を持っていると考えると、この敵もかなり手強いはずだ。
ゴクリと生唾を飲んで、ゆっくりと携帯しているナイフに手をかける。
「サーラお嬢様? ずいぶん長い休憩ですので心配に……」
ミリィちゃんが私の様子を確認しに来て、ソンの存在に反応する。すぐさま攻撃の構えを取って油断なく対峙する。
「ミリィちゃん、今はルディを呼んでっ。あなただけだと危険なだけよっ」
ソンから目を離さずにミリィちゃんへ大声で指示を出した。彼女もこのままでは分が悪いと踏んだのか、一瞬悔しそうな顔をしたが、体を翻して教会へと駆けていく。
「ムダだ」
短く言い放つと、一匹のトカゲがミリィちゃんの行く手を阻み、そのまま彼女に飛びついた。
「きゃあっ。ひぃっ」
「ミリィちゃんっ! 毒持ちだよっ。気をつけて!」
直接トカゲに触れることはなかったようだが、ドレスの裾に毒が飛び散ったらしい。その毒に反応してなのか、生地がドス黒い色に変わっていく。
「ミリィちゃん、振り切って! なんとか応援を呼ばないと!」
「やってみます。でも、あぁ、やっぱり先回りされてしまいますっ! どうしたら……」
なかなかトカゲを振り切れないもどかしさに、ミリィちゃんの口からは絶望の声色が漏れてくる。
「三つ数えたら目を瞑って! いくわよ、一、二、の三!」
三を数えると同時に、私はナイフの鞘の飾りを引きちぎって地面に叩きつけた。
ピカッ!
投げつけた飾りは閃光弾となって、強烈な光を出してトカゲを足止めした。
「今よ! 走って!」
うまくトカゲを巻いたミリィちゃんが教会の中へ走り込んだ。
よし、これで増援は可能になった。少しだけ余裕を感じてソンへと視線を向けると、先ほどの嗜虐的な表情を浮かべてている時とは違って負のオーラが全身から立ち上り始めているのがわかった。
「我を出し抜くとは貴様、いい度胸をしているな。よかろう、貴様には極上の死を与えてやろう」
高笑いをしているが、ソンの周りの空気だけ異常に低い。笑っていない目を見つめ、彼を本気で怒らせてしまったと自覚した。
「その言葉、そのままそっくり返しますわ。あなたに極上の死を!」
震える足に力を入れて、煽る言葉で自分を鼓舞し、ナイフを構え直した。
年内はここまでにします〜。詳しくは活動報告にて〜。




