8.ボールじゃないから!
……来ちゃった……
って一回言ってみたかったんだよねえ。
これが彼氏の家の前で言うセリフだったらどんなに嬉しかったか。
そう、やって来たのはルシーン王国の首都にある学校の中の事務局前だ。
私とハルが住んでいた家がある、キーラの街からまる一日、馬車でガタガタと揺られたところにあるのがここ王都ルシール。さらに、その東側に位置するように立っているのが、このルシーン王国立アカデミーになる。
事務局でハルが入学書類を申請しているスキに、スタッと肩から飛び降りて、周りを軽く確認して歩き回る。
正門からすぐ左に事務棟、その先左奥が学校になっている。各学年の寮は右側に位置しているようで、一番奥の方から一年、二年、三年の寮棟だと表示がされていた。
中央を占めるのが、図書館や武道館、カフェテラスなど、公共の建物が林立しているのがわかった。
これからの三年間はハルと共にここで過ごすことになるのだろう。私の人間に戻る方法や日本に戻る方法も、ここルシールでなら見つかるのかもしれない。
サランディアさんの言っていた、力のある魔術師をまずは探して、人間に戻れるようにお願いしてみよう。
私なりの目標も見つかったことだし、もう少し学校周辺を探索してこようかな。
鼻歌交じりにご機嫌で歩いてたら、目の前が人間の足で塞がれた。
「おい、ネコが入り込んでるぞ。ボール替わりに遊ぶのってどーよ?」
「いいぜー、どーせ入寮手続き済ませたらやることもねーし。どこか広いとこあるかー?」
なっ、コイツら私を蹴って遊ぶだと!
じょおっだんじゃないっ。誰が素直に応じるかってんだ。
ここは逃げの一手……のあん? 足が空を切る。思いっきり駆けようとしてるのに、パタパタとするだけで一向に動かない。なぜだ、と思ったら、首根っこを捕まえられて身動きが取れなくなっているのだ。
ヤバい……このままだと私の体はガンガン蹴られてズタボロの雑巾のような扱いに……
こんな時にカッコいいイケメンな王子様がきて、悪者の手をパシンと掴み「やめろよ、可哀想だろ」とか言っちゃったりすんのよねぇ。そんで、悪者が「覚えてろよ」とか言って逃げてくのを見送ったら私に向かって「大丈夫かい、怪我してない?」とか聞いちゃったりすんだよね。
もー、期待しちゃうわー!
……ってなんで誰も来ないのよ。広場に連れてかれてるじゃん私。ヤバイよヤバイよ、これは雑巾コース真っしぐらじゃないか。
期待虚しく広場に到着。
「そーれっ」という掛け声で思いっきり高く放られ、落ちてきたところのお腹を見事にスマッシュヒットされた。
「ガッ……」
あまりの痛みに声すら出ない。一回蹴られたらドサっと地面に落ちたので、連続蹴りにはならなかったが、私を拾いにまたアイツらが近づいてくる。
クッソー、痛えじゃねえかっ! バカヤロー!
逃げなければ、と頭で思うのだが、体が悲鳴をあげて動くことができない。次蹴られたら、たぶん意識がなくなるだろうと思いながら、軽く目を閉じる。
私は蹴り殺される運命だったのか……ただの平凡な事務員さんが、何の因果でこんな目に遭わなければならないのか。世の中理不尽にも程があるよ……
襟首を掴まれ、持ち上げてヤツらと同じ目線に対面させられる。キュッとキツく目を閉じて、蹴られる痛みに耐えようと身構えたその時だった。
「やや、や、やめた方がいいかと思います……」
消え入りそうな小さな声で悪者たちを制止する人がいた。
ビクビクしてるけど、どっかのイケメンが助けにきてくれた……と薄っすら目を開くと、メガネの小太り男子が、本を数冊腕に抱えながら必死になって声を出してくれたようだった。
「あん? お前、俺たちに意見すんのか? ならお前がコレの代わりに殴られてみるか?」
「ひっ……し、失礼しましたー」
慌てたように小太り男子が走り去っていく。
あーん、カムバーーック、小太り男子クン。私を見捨てないでくれ……
再び奴らが私に凶悪な顔を近づけて、仄暗い笑みを貼り付けて腕を振りあげようとした。
終わった、と思い、全身から力を抜いて為すがままにされようと、身を任せた。
と、いつまでたっても痛みが襲ってこない。
あれれ? なんでかな?
ゆっくりと目を開けたら、悪者二人が宙吊りになって足をバタバタさせている。
あんぐりと口を開けて、その様子を眺めていたら、ヒョイと襟首を掴まれた。
ヤダ、せっかくアイツらから解放されたのに、また捕まっちゃった。慌てて私もバタバタと暴れて逃れようとしたが、ハッと気づいて暴れるのをやめた。
この手は大丈夫、ハルの手だ。
「悪いけど、この子は俺のだから。返してもらうよ」
右手をアイツらに向けているのは、魔法で二人の動きを制御しているからのようだ。おもむろにその手を上にあげ、結構な高さまで吊り上げてから、一気に手を外す。
ドサっと落ちた二人は悲鳴をあげて逃げ出していった。
「サーラ、大丈夫? 怪我してない?」
「ん、助けてくれてありがと。お腹一回蹴られたけど、平気だから」
「アイツら……次は潰す……」
ハルの顔が仄暗い笑みを浮かべる。
それはまさに、さっきのアイツらと同じような表情で、背筋が冷えるような感覚になってくる。なんだか居心地が悪くなって、取りなすようにハルの頬をペロリと舐めた。
「ホントに平気だから。そんな顔のハルは好きじゃない。いつもの顔がいい」
ボンっと音がするかってくらいにハルの顔が赤くなり、私を抱いていた腕が緩まった。両手で顔を隠し、軽く唸っている。
「もー、サーラ。ダメだよ、俺免疫ないって言ったじゃないか。そんなこと言われたら……照れる」
あ、いやいや、そんなつもりじゃなかったんだけど……思いながら私もだんだん恥ずかしくなってきて、体が熱くなってくる。
しばらく二人で赤くなっていたが、立ち尽くしていてもしょうがないと思い、深呼吸してハルに話しかけた。
「ハル、入寮の手続きも終わったんだよね、連れてって?」
「うん、わかった。行こうか」
一年の寮なので、一番奥にある三階建ての建物だ。その二階部分の一番奥がハルに割り当てられた部屋になる。
「あら、意外と広いお部屋じゃない? 私の昔の部屋よりいい造りだし。同室の子はまだ来てないみたいだね」
コンコンと扉をノックする音がして、ハルが返事を返すと、入り口から男の子が顔を覗かせた。
「は、じめまして。僕、フィリーズ・コークスです。これからよろしくお願いします」
「はじめまして、俺はハルムート・エクセル。長い付き合いになるね、よろしく」
あ、れ? この子、さっきの小太りメガネ君じゃないか。
ハルの胸元をカリカリして私がそっと耳打ちをする。途中までとはいえ、助けてくれたんだ。私に代わってお礼を言ってもらおう。
「君、コークス君、うちのサーラを助けてくれたんだって? ありがとう、サーラがお礼をきちんとしたいって」
「え、そんな。僕、怖くて途中逃げちゃったし。お礼言われるより、逆にこっちが謝りたい」
「いや、君が間に入ってくれたから、俺が間に合ったんだ。サーラがあれ以上傷つかなかったのは君のおかげだよ、ありがとう」
ハルの言葉に合わせて、私もハルの腕の中からペコリと頭を下げた。
コークス君は照れくさく笑って「今度は逃げずに助けるよ」と言ってくれた。
うん、この子はいい子だ。
いずれ私がどういう事情を抱えているかを話しても、協力してくれそうな感じがする。
寮に入る前に抱いていた不安が少し消え、なんとなく胸のつかえが軽くなったように思えて私も笑顔になる。
これから始まる生活に、前向きになれそうな気持ちになり、ちょっとだけ胸が熱くなった。