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75.ごめんっ!

 あれからハルは、私の部屋へあまり来なくなってしまった。


 たまに顔を出したと思っても、ほんの数分の会話ですぐに帰ってしまう。

 会う度にアザや擦り傷が増えているようなのだが、心配して様子を聞くと、なんでもないと、それ以上深く尋ねることを拒否される。


 ルディやレイニーさんに聞いても、渋い顔をするだけで、その件に関しては話すことを制限されているらしい。私だけ蚊帳の外に置かれているみたいで、釈然としない気がするのだが、レイニーさんから今はまだそっとしておくこと、と言われてしまうと、我慢して言葉を飲み込むしかない。


 なんとか聞き出した情報によると、あの戦闘で、去り際のシンに言われた言葉が響いているらしく、魔術や戦闘の訓練を倍増して自分を鍛えている、という話しだった。


「何も、そこまで自分を追い込まなくたっていいのに……ハルは自分一人なら身を守ることができるんでしょ?」


 レイニーさんに、今感じているモヤモヤを聞いてもらいながら愚痴をこぼす。彼女は小さく笑いながら、それはですね、と説明してくれた。


「男性の多くは女性を守ってあげたいものなんですよ。その対象が自分の好きな女性なら余計に。今回の襲撃でご自分の力不足に気づかれたのでしょう。ああいった時は、他人が何を言ってもやめるものではありません。本人が納得するまで見守るしかないのですが……」


 そこまで言ってから、ふうっと小さくため息を漏らしながら、心配そうに頬を押さえる。


「いろいろなことを吹っ切るためにはいいのかもしれないですけどね。少し意地になり過ぎというか、無謀というか。まあ、あの時のあなた達の雰囲気と様子をみたら、察しない訳にはいかなかったのでしょうが……」

「あー……それって、あの人が来た時ってことだよねぇ」


 私の指摘が正しかったようで、レイニーさんは無言で頷き、どちらからともなく、なんとも言えないため息が漏れてくる。


 たぶん二人とも思い出してる場面は一緒なんだと思う。

 思い出してみると、私の抱いていた気持ちがハルにバレてしまったのと同時に、その想いが彼を傷つけてしまったかもしれない罪悪感を感じたりもする。


 あの時というのは、シンからの攻撃が未遂で終わり、やっとの思いで部屋に戻ってきた時のことだ。



  ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ミリィちゃんがレイニーさんとルディに襲撃された時の詳細を報告し、私とハルは、とりあえず落ち着くために休憩していた。


「サーラ、俺……ごめん、全然歯が立たなかった……今回は見逃してもらえたけど……俺、俺、君を見殺しにしてたかも……弱くて、ごめん」

「ううん、私よりハルが傷つかずに済んでよかった。あなたが巻き込まれでもしたら私、誰にも会わす顔がない。自分の身の安全を優先して。私は私で自衛するわ」


 ハルはテーブルをドンッと叩き、拳を握りしめて悔しそいに歯噛みしている。その様子に、気を遣わせないようにとフォローの言葉をかけた。


「俺、甘かったんだと思う。魔術も剣術も、教官から褒められるだけで満足しちゃって。そこまででいいと勘違いしてたんだ、バカだよな」

「そんなことないでしょ。及第点もらえるレベルだったから、ってことなんじゃない? あんまり思いつめないで」


 不満顔のハルを無理矢理納得させて、少し落ち着いたところで、ラッセルがノックもそこそこに部屋へと飛び込んできた。

 ここまで血相を変えたのをみたことがなかった私は、ビックリしたままフリーズした。


「沙羅っ、怪我はないか? 襲撃を受けたと聞いて……」


 そう言いながら、私の頭の先から顔までひと通り撫で回して、どこにも怪我の痕跡がないと確認すると、両の手を私の両肩に置き、深々と息を吐ききった。


「どこをどう触られた? また蟲を仕込まれたワケではないな?」


 私のノドや首筋を何度も触りながらミリィちゃんの方を確認するラッセル。その氷のように冷え冷えとした表情に、私も頭から血の気が引いてくるのを感じた。


 その(やいば)のような視線に対し、彼女がラッセルに向かい深々と一礼してから、もう一度経過報告をし始めた。

 以前、私に対して蟲を仕込んだ事実がある以上、自分に対して厳しい処罰を下されると覚悟を決めていたようで、その表情はやや蒼ざめつつも、的確に報告を済ませて判断を待っていた。


「ふむ、経緯はわかった。王族は殺されない、というならば今後の対処も変わってくるな。ミリアル嬢、沙羅を守ってくれてありがとう」


 ミリィちゃんからの報告で、私に怪我がないことを確認したラッセルが、表情を緩めて彼女に労いと感謝の言葉を述べた。それを聞いた彼女は安堵のため息をつき、私まで連動してため息がこぼれた。


 ミリィちゃんが頑張ってくれたことを私もラッセルに伝えたくて、フォローの意味で少しだけ言葉を繋いだ。


「……ほとんど接触なんてなかったから、大丈夫だったよ。ミリィちゃんもハルもしっかり守ってくれたし。まぁ、何だかね、最後にちょっと……」

「ん? 最後にどうした? 何かあったか?」


 両頬に手を添えて質問してくるラッセルが、やたらと心配して眉根を寄せる。思わず全部言いそうになったのだが、『例』(キス)のことまで喋るのはどうかと迷って、言葉を濁しつつ目をそらした。


「沙羅? はっきり伝えなさい。誤魔化すのは良くないと教えてくれたのは君だ。私も誤魔化す君を見るのは辛い」


 あー、確かにそう言ったなあ。

 やばいっスよねぇ、まさかあの時無理矢理聞き出そうとして迫った時の言葉がブーメランしてくるとは。


 人に問う時には強気になれるのに、自分が問われているとキツいわな……

 くーっ、月宮沙羅、ここはひとつ、腹をくくりますか。


「……私は悪くないからね、だから怒らない?」

「君は守られてるしかないのだ。何をそんなに恐がる、悪いことなどひとつもないだろう?」


 優しい笑顔で頭をひと撫でされると、別に大したことでもないことだったかもしれない、と思えたので、サラッと軽く言ってみた。


「えーっと、キス……をされました」

「ほう、そうか。キスされたのか。なるほど……どこにだ」


 こ、怖っ……目が、目が……笑ってなーーいっ!


 ガクガクと揺さぶられてせっつかれると視界がグラグラして酔いそうになる。


「く、口……」


 やっとの思いでそれだけ呟くと、今度はラッセルの手のひらが私の口をグニグニと潰す。思いっきり動かして手のひらを押し付けるものだから、鼻まで半分塞がれて窒息しそうになった。

 苦しさのあまり両手をバタバタさせると、今度はラッセルの袖でゴシゴシと、口を中心に顔全体を思いっきり擦られる。


「ぷっ、はっ……ぐ、苦、じ、ぃ」

「ふっふっふ。使い魔たちからもおおよその報告は受けたが……そこまで詳しくは聞かなかったな。しかし、とんでもないことをしてくれたものだ。次は必ず私がヤツの息の根を止める」


 笑ってるけど……笑ってないよ、この人。

 いっちゃってるっ、絶っ対いっちゃってるよー。


「ああそうだ、沙羅。襲撃がひと段落するまでは、君は私の保護下に入りなさい。望むならネコの姿で私の部屋にいても良いぞ。そうだな、それが良い。そうしなさい」


 笑顔で脅されるっていう初めての体験に、抵抗する気力は木っ端微塵にくだかれて、コクコクとただ頷くしかなかった。


「お待ち下さいユーグレイ公。サーラが心配なのは、みな一緒です。ましてあなたはカシアス様の補佐ではないですか? まずは仕事を優先なさってください。ここで他の貴族に付け込まれでもしたら、殿下の立場が揺らぎます」


 レイニーさんがラッセルの暴走を止めようと、必死で私たちの間に割り込んでくる。

 レイニーさんが間に入ったことで、彼女の後頭部からワンクッションおいてラッセルを見ることができるようになったのだが、その表情と目は、初対面の時に感じたあの薄気味悪いほどの冷たさだ。


 一瞬みただけで、あまりの怖さに首をすくめてラッセルを見ないようにしたのだが、氷を触ってるかのようなこの殺伐とした気はひしひしと伝わってくる。


「いや、私のことは自分でなんとかするから。ユーグレイ公はサーラを守ってやってくれないか。私の補佐も解任するから。君たち……そうか、知らなかった、すまない」


 ゆらりと立ち上がったハルの口からは、感情が抜け落ちたかのように淡々と言葉が出てくる。


「あ……殿下……申し訳、ございません。私は……」


 ラッセルはハルに向かって膝をついて頭を下げた。ひと言謝り、次に言葉を繋げようとするが、口を開けては閉じるの繰り返しをするばかりで、出てくる言葉がない。


「いいよ、サーラの気持ちが俺に無いのはわかってたから。それでも……サーラの誰かへの片思いなら、いつかこっちを向いてくれるかなってね。ムダだとわかってアピールしてただけだし」

「ハル……ごめん」


 私もハルに何かを伝えなければいけないと思うのだが、かける言葉が見つからない。


「あ、気にしないで。まさかユーグレイ公、あなたがライバルだと思ってなかったから、ちょっと混乱してるだけ。こんなことなら、サーラの……サランディアの家から戻って来た時、サーラを、この子をあなたに預けるんじゃなかったよ」


 自嘲気味にラッセルに向ける力ない笑顔に、誰もかける言葉が見つからず、ただひたすらハルが喋るのを聞いてるだけだ。


「判断を誤るってことは、サーラは俺にとって縁がなかった女性だったってことかな。ふふ、しょうがないな俺って」


 そう言ってひと伸びすると、部屋から出て行くようだ。

 追いかけて何か声をかけようと、私も二、三歩出口に向かったが、レイニーさんから肩に手を置かれて、その場に留まる。


「今はそっとしてあげることが優しさです」


 彼女のその言葉を受け入れて、黙って見送ることにした。

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