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62.嫌っ!

 来たー。


 ハルは真剣だ。待ったなしだな、これ。

 私は熱を出す前にたどり着いた返事を伝えようとゴクリと唾を飲み込んだ。


「ハル……ごめんなさい。やっぱり結婚はできない。私とじゃ幸せになれないと思う。他の子を愛してあげて?」


 ハルは呆然として私の両手を握ったまま固まっている。

 私はプロポーズを断った手前、都合が悪くなり、握られた手をスッと抜いて椅子から立ち上がった。


「い、やだ……なんでっ。幸せになれないって何だよっ! 俺はサーラが好きなんだ。愛してる。幸せになれないなんてことは無いっ!」


 ガタンっと椅子を倒してハルが立ち上がると、大股で近づいて私の両腕を掴んで面と向かいあった。

 恐いくらいに真剣な表情で、その視線を受け止めきれずにツッと顔を背けてしまう。


「ご、ごめん。でも無理。あなたは王族、しかも次の王様になるかもしれない人だよ? 国の中枢を支える……その役目や義務に私は耐えられない」

「くっ……何でっ、そんなの関係ないっ、だ、ろっ」


 悔しそうな表情を一瞬みせたかと思ったら、強引に唇を奪われてしまった。


 いつも優しいハルしか知らなかった私は、目の前にいるこの男性がハルには思えず、必死に顔を背けて抵抗を試みる。唇をふさがれているので、喋ることができず、止めて、と胸をバンバンと叩く。


「やめっ、てっ。こ、こんな……」


 一瞬唇が離れたところで抗議の声をあげるが、無言のまま抱き抱えられ、ベッドにドサリと降ろされてまた唇をふさがれる。


 無理やり舌をねじ込まれ、荒々しく口の中を這い回る。涙を流しながらそれにひたすら耐え、そのうち抵抗する気力もなくなり、されるがままにして力を抜いた。


 塞がれた唇は、一旦離れると今度は耳、アゴ、ノドとどんどんと移動していく。押しのければすぐにも離れられそうな緩い拘束の中で、体は重い鎖をつけられたかのように全く動かない。


「いやぁ、やめ、てぇ。やだ……いやぁ」


 泣き声をあげて拒否すると、不意にベッドに何かの気配を感じた。

 ラッセルが私につけた、ヘビとヒョウが両脇に現れたのだ。ヘビの尻尾が私とハルの間に入り、ヒョウの前脚がハルの肩をどかすようにして私を守ってくれている。


 それがきっかけだったのか、ハルが我に返り、私からガバリと離れて頭を抱える。


「あ……俺、何てこと……」


 ハルの呟きが聞こえてからほんの少しの間を置いて、二体の気配がフッとなくなった。


「ごめんサーラ。わけがわからなくなった。俺、帰るよ。これ以上居たら何するかわかんない」


 私はそれに答えることもできずに、ベッドの上で天井を見つめるだけだった。


 去り際にハルがもう一度私の方へ向き直り、声をかけてきた。


「俺、サーラのこと諦めないから。頷いてくれるまで何度でもプロポーズするよ」


 パタンと扉が閉まる音を遠くに聞き、しばらく動けずに寝たままの状態でいた。


 ハルが恐かった。

 これが男の人なんだ、と思い知らされた。

 一人になってから恐怖が身にしみてきたのか、次第に涙が溢れて嗚咽が止まらない。

 嫌だ、今の出来事を忘れたい……

 私は膝を抱えて丸くなったまま深い眠りの中に身を委ねた。


 気がつくと、田舎にある大きな公園の中に立っていた。


 実家から車で一時間くらいのところにあるこの公園は、四季折々の花がいつも満開で、今の時期は何の花が咲いているのか、とワクワクしながら遊びに行った記憶がある。


 おばあちゃんも大好きな場所で、そこに行くと必ず二人でフラワーアレンジメントのレッスンを受けて一日中笑って過ごしたものだった。


 懐かしいなあ……この色はラベンダーかな。腰の丈まで伸びた一面の花畑の中をどこまでも歩いていく。どのくらいの時間を過ごしたのだろうか、自分の大切な時間を僅かに邪魔してくる何かを頭の端で感じる。


「……、……」


 後ろから誰かに呼ばれている気がするのだが、そちらに意識を向けようとする瞬間に花の種類が切り替わり、自分の興味が声から花へと移っていく。

 そうしたことが何回か繰り返されていくうちに、後ろからの呼びかけがしつこいくらいに頭に残る。


「……、ら……」「さ……、……」


 ああ、しつこい。もう少しここに居させてよ。

 頭の中に響く声が、煩わしいと思いながらも、なんとなく心地いいと感じ、次第に花畑から声の方に注意を向けることにした。


「……羅、沙羅、起きなさい。沙羅」


 聞こえる声がよりハッキリとして、ずっと聞きたいと願った声だと感じ、嬉しさのあまり笑顔になる。


「……ぁ……」


 口を開いて声を出そうとするが、吐息のような微かな音しか出てこない。


 振り返って声のする方を確認したいと意識を集中させるのと同時に、急激に落下するような感覚に陥り、びっくりして衝撃から身を守ろうと体を固くする。


 パチリと目を開けると、心配そうに私の様子をうかがうレイニーさんやルディの姿が見てとれた。

 ルディの後ろには、椅子に座っまま、前のめりになって私を心配するハルが見えた。


 あまりにみんなが不安そうな顔をしているので、安心させるため、小さな笑顔を見せた。


「やっと目覚めたか。どこか不調に感じるところはあるか?」


 頭の上から降ってくる言葉に、目だけ動かして姿を確認しようとする。何しろ頭をその両手でガッチリと押さえつけられて、首から上は固定されたように動かない状態だった。


 王宮に来てから全く聞いていなかった、ラッセルの心地いい声に、くすぐったさを感じて笑みがこぼれる。


「特別どこも悪く感じない。ただ少しだけ喉が渇いた」


 そう言うと、メガネ侍女さんが冷たい水を差し出してくれた。もらったお水を一気に飲み干してひと息つくと、自分がどのような状況なのかに考えが及ぶ。


 恐る恐る斜め後ろを確認すると、どう考えてもラッセルの上に乗っかっている。

 あろうことか、ベッドの上で後ろから抱っこされた状態になってるらしい。


 明らかに恥ずかしい格好になっているのを察知したのと同時に、バタバタとそこから離れてベッドの端っこにこぢんまりと正座した。


「ご、ごめんなさいっ。私、何やらかした? 何も覚えてないの」


 ラッセルに向かって頭を下げてから、何が起きたのかを尋ねてみた。


「十日間目覚めなかった。さすがにこれ以上続くとなるとマズいと判断したレイニーから連絡を受けて、私が対処した。私も君を呼び戻すのに半日以上かかったがな」

「そ……んなに……」


 無言で頷くラッセルに、これは冗談なんかではなく、本当に起きたことだと実感する。


「さて、私はこれで失礼する。あとは殿下に面倒見られるが良い」

「あ……ねえ、待って」


 せっかく会えたのに……また目の前から消えてしまう。ダメ、行かないで。

 つい引き留めようと、ラッセルに向かって手を伸ばす。


「ありがとうございました。あとは俺が」


 私とラッセルの会話を断ち切るように、固く強張ったハルの声が響く。その声にビクリと反応して伸ばしかけた手を引っ込めて手を握る。


 ほんの少しの間、私とラッセルの視線が絡まるが、すぐに視線を外されて出口の方へと移動していく。

 ラッセルが部屋から出るのを先頭に、みな部屋から退出し、ハルと私だけが残された。


「サーラ……目覚めてくれて本当に良かった。心配したよ」


 優しい声で近寄ってくるハルに、あの時の恐さは感じられない。一瞬体が固くなるが、大丈夫だと自分に言い聞かせてリラックスする。

 私の様子をみたハルはピタリと足を止め、ためらいがちにゆっくり近づいて、体ひとつ分スペースを空けるようにして距離をとってから、ベッドに腰をかけた。


「ごめんね、心配かけて。気持ちに体がついていかなくなったのかな。少し休みたかったから」

「ごめん……俺のせいだよね、それ。俺、結構焦って余裕なくしてたから」


 ふるふると首を横に振り、ハルに肩身の狭い思いをさせたくなくって、ゆっくりと慎重に微笑む。


「周りの貴族に早く認めて欲しくってさ。父上……王にも。サーラを婚約者に据えれば、君に対する責任とかでてくるし、いつまでも甘ったれた小僧じゃないって思われたかった。それに、君を奪って自分の手元に置ければ全て思い通りに進むって考えた」


 力なくボソボソと私に話すハルは、いつもよりひと回り小さくなったように思え、私から少しハルに近づくとその手に私の手を重ねた。


 触れた瞬間、ビクリとハルの体に緊張が走り、少し怯えるような視線を私に向けてくる。


「ハルが違う人に見えて少し恐かった。もうあんなことしないって思ってくれるなら、仲直りしよ?」

「うん、もう乱暴なことはしないよ。約束だ」


 重ねた手を握り返したハルが、真剣に答えてくれる。

 ニッコリ笑って頷くと、ハルもいつもの笑顔を返してくれた。


 うん、仲直りって心があったかくなるね。ギスギスした関係は心も神経も削られるから。

 軽くなった気持ちに満足して、ハルと二人いつまでも笑っていろんなことを話し続けた。

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