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55.勘違いって何よ!

 たぶん、今この場にいる私にしか見せていないであろう表情に、少しの優越感と嬉しさを感じて笑顔になる。

 右手で彼の頬に手をあてて、これが夢なのか現実なのかを体感しようと試みた。


「……何を考えてる?」


 ラッセルの問いに、淡々と、今思ったことを伝えた。


「んー、何か実感ないっていうか、夢っぽいっていうか……ふわふわしててよくわかんない」


 ラッセルがクスッと小さく笑い出したのに釣られて、私もクスッと小さく笑い返す。


「ならば全て夢ということで……」


 そう言うと、頬に置いていた手をとり、その手首に触れるか触れないかのキスをされた。


 それを皮切りに、右目、左目と片方ずつ瞼に、更にはこめかみ、あごからのどにかけて、と少しずつずらしながらゆっくりとしたキスを次々と落としてくる。


 触れられたところ、一つ一つが次第に熱を帯び、、甘い痺れを伴って、キスが一つ落ちる度に全身が火照ってくるのを感じ、思わず吐息がこぼれ落ちる。

 再び唇に唇が重なった時、今までの人生の中で感じたことのないような、快感が頭の中を突き抜けた。


 気持ちいい……いつまでもこの快感の中に浸っていたい……もっと欲しい、もっと欲しいと互いが互いを求める、貪るようなキスに変わり、時間が経つのすら忘れるくらい夢中になる。


 自分が自分でなくなるような感覚が全身を覆い、本能が求めるまま、何度もキスを受け入れる。

 彼の唇がのどから徐々に胸の谷間に移動し、その手が私のドレスの襟元にかかる。グッと掴まれた瞬間に聞こえた音が、私たちを一気に現実へと引き戻した。


 コン、コンッ


 その無機質な音で、二人の動きがピタリと止まった。


「サーラ、予定より早いが、移動の準備が整った。あなたの都合でよいのだが、いつぐらいに動けるかな?」


 ノックの音に合わせてレイニーさんの声が聞こえる。


「……もう少、し、……準備のためのお時間をください」


 できるだけ平静を装って、それだけを伝える。

 密着していた体を離し、ある程度の距離をとって居住まいを正し、俯いたまま両手で顔を覆った。


 恥ずかしい……我に返った今、頭を支配しているのはこの感情でしかない。自分自身、こんなに快楽に忠実になる人間だとは思ってもいなかった。


 なんでこんなことなっちゃったんだろ。

 自分の中では、ファーストキスって甘酸っぱい、とか妄想してた程度だったんだけど……こんなぶっ飛んだ展開までは考えてなかった。


「……すまなかった。これからの君の立場を考えると……今のは……忘れてくれ」


 は? なんだって? 立場? 忘れろ?


「……ふざけないでよ、なんで謝るの。謝るくらいなら最初から仕掛けてくんなっつーのっ!」


 思わず彼の服をグッと引き寄せて、その大きな胸をバンバンと叩く。彼のあまりな言葉に、恥ずかしさを通り越して、怒りと悔しさが込み上げてくる。

 涙目になりながらラッセルを殴り、終いにはその胸にしがみついて泣きじゃくるしかできなかった。


「なかったことになんかできないっ、夢なんかじゃない……自分の気持ちに気付いちゃったんだもの。今さら後戻りなんてムリ」

「君は勘違いしているだけだ。感情が昂ぶって、私に気持ちが傾いていると感じているに過ぎない」


 言い訳をしてはぐらかそうとしているのが丸わかりだ。なんで私が素直に気持ちをぶつけているのに、それを受け入れようとしてくれないのだろう。


「私はアンタが好きなんだと思う。アンタだって私の気持ちを受け入れたからキスしてたんでしょう? 違うの?」


 私の告白に、ラッセルは顔を背けるようにして呻くように答える。


「……頼む、気の迷いということにしてくれ。これ以上私の心に踏み込んでくるな。わかって欲しい。この話はここで終りにしてくれ」


 そう言いながら苦しそうに顔を歪めて歯をくいしばっている。震える息で大きく深呼吸すると、しがみついていた私の両肩に手を置き、グイッと自分から引き離して、こう言った。


「いいか、よく聞きなさい。君はこの部屋を出た時から、リンスター子爵令嬢になる」

「リンスター? 令嬢?」


 唐突に言われた内容が理解できなくて、キョトンとしたまま彼の顔を見るだけになる。

 ラッセルはコクリと頷くとさらに詳しく説明してくれる。


「君はリンスター前魔術師団長の養女ということで話をつけてきた。リンスター殿の身内は誰もいないから、君が養女になっても問題ないということだ。むしろ喜ばれたよ。後ろ盾はこの国の王がついてくれるから、そちらについても何の心配もない」

「心配ないって、いきなりそんな……」


 突然養女などと言われて、今ひとつ頭がついていかない。わけがわからないままだが、とりあえず黙って話を聞くことにした。


「王宮では私と君との間には必ずカシアス殿下が入ることになる。私は殿下の補佐、君は彼の親しい友人として。表面上はただの顔見知り、ということになるな」

「え? 私の後見人ってのは変わらないでしょ?」


 ラッセルは首を軽く横に振って、それが違うのだと話を続ける。


「君の後見というのは、この部屋に君を預かるための便宜上の設定だ。もともと私は殿下から君をお預かりしているだけなのだ。私が彼の補佐に就くと同時に君も殿下の元へと戻る。それに……」


 そこまで話したところで一旦話しをやめ、下を向いて苦しいような表情をして黙り込む。


「私に関わると、君にマイナスなイメージがついてしまうだろう。いづれカシアス殿下より正式な婚約の申し込みもくると思う。それまでは私に近づかない方が良い」

「マイナスだから距離をとって話しかけるなってこと? そんな根拠も理由もわからないことで、なぜそんな指示されなくちゃいけないのよ。私はやりたいようにやるわ」


 ラッセルは私をマジマジと見つめ、困った、という顔をして苦笑気味に呟く。


「君の頑固さには目を見張るよ。しかし、いづれ王宮に行けばわかる。世間が私をどうみているのかを」


 彼はソファから立ち上がると、私の手をとって同じように立ち上がらせた。

 コンッと杖をつくと、私のドレスや髪の乱れが直り、涙で赤くなった目もスッキリと元通りになった。


「さあ、もう行きなさい。殿下は君の支えを必要としていると思う。それに応えてあげるのも優しさではないか? 前にも伝えたはずだ。殿下の愛情を受け入れる幸せもあると。よく考えてから君の中で答えを出しなさい」

「私の気持ちはどうだっていいって言うの? そんな中途半端な気持ちでハルと向き合ったって、不誠実になるじゃないのよ」


 私の必死の訴えに、聞き分けない子供を諭すような口調で優しく話してくる。


「私を好きだというのは君の勘違いだ。君がこちらの世界に来て、庇護を求める気持ちが好意かも、と勘違いしたのだろう。ただそれだけだ」

「そんな……そんなことない。私のことは自分が一番わかるもの」

「面倒をみてくれる者に対して、愛情や愛着を感じているだけなはずだ」


 ラッセルは再び困ったような表情をつくり、小さく何かを呟いた。


 途端に頭の中が冷たくなって、意識が朦朧とするのを感じた。

 私ってば脳貧血起こしてるんじゃない?

 感情的になりすぎちゃったかしら?

 学生の頃に朝会で具合が悪くなった時と似たような症状に、体がグラついて倒れそうになる。ラッセルに支えられてるらしく、そのまま気を失いかける。


「全ては夢の中の出来事に。私に対する気持ちも勘違いと思いなさい」


 意識を閉じる瞬間、ラッセルが私の耳もとで、そう呟いていたのを薄らと聞いた気がした。


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