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54.イライラする!

 あの後、レイニーさんにお部屋に来るように誘われたのだが、丁重にお断りしてラッセルの部屋で彼を待っていた。結局彼が戻ってくることもなく、私は一睡もできないまま朝を迎えた。


 ホント人が心配してるってのに、どこほっつき歩いているんだか。


「サーラ、おはようございます。一晩でお考えはまとまりましたか?」


 コークス先生が挨拶と共に部屋へと入ってくる。ヤツが一緒かとその奥を確認したが、そこに姿はなかった。


「あ……ハルとの婚約ですか……まだわからないです。それよりアイツは? なんで戻んないのよっ。昨日の朝からずっと様子がおかしかったし。キチンと寝ないと心配するでしょうが」


 ぷりぷりて怒って不満を口にする。

 するとコークス先生は苦笑いのような表情で、私の呟きに応対してくれた。


「長としては、最初は殿下とあなたの婚約を当然と考えていたのでしょうが、今となっては複雑なのでしょう。少し時間を差し上げてはどうですか?」

「うーん、よくわかんないけど、少ししたら元通りなの? なら問題ないわね」


 ラッセルが深刻な状況や窮地に陥ってるワケではないとわかったので、先生にニコリと笑顔を見せた。

 先生は私の頭に軽く手を乗せて独り言のようにつぶやく。


「果たして、長が殿下よりもほんの少し早くあなたに会えていれば。この状況も変わったのか……全く長はいつも我慢を強いられる」


 話の途中で扉が開き、ようやくラッセルが戻ってきた。


「王宮での受け入れ体制が整った。今日中に移動する。コークス、各人員へ連絡を。沙羅、君の一切はレイニーが面倒をみる、彼女に従え」


 昨日とは別人にみえるその態度に、びっくりしてただ眺めるだけになる。私の視線に気づいたのか、ツカツカとこちらへやってきた。


 コンッと杖で床を叩くと、ネコの姿から人間の姿へと戻る。そして彼の手の中にあった二本の細い銀のブレスレットを私に見せて、こう言った。


「これは君の姿を安定させるアイテムだ。これ以降、君がネコでいる必要はないと思うからな」


 確かに王宮でネコの需要はないでしょうね。この部屋ではラッセルと同居だったから、ネコの方が都合が良かったけどね。王宮に移ったら逆にネコでいる方が不自然なんだろう。いろいろ先回りして考えてくれることに感謝だわ。


 ブレスレットを私の両手にセットして、小さく呪文らしき言葉を呟いたと思ったら、パァッと輝いて瞬く間に手首に絡みついてきた。

 やがて皮膚と一体化したと思ったら、跡形もなく溶けてなくなってしまった。


 目の前で起きた不思議現象に、片方ずつ手首を擦ったり、光に手をかざしたりして確認してみる。

 こっちの世界では何てことないことなんだろうけれど、今まで過ごしてきた日本での常識からは、あり得ない、信じられない、といった気分にしかならない。


「うっわぁ、やっぱ信じらんないわぁ。魔法ハンパないわねぇ」


 自分でも興奮してるのがわかる。私の表情を確認してなのか、コークス先生が楽しそうな笑顔をみせてくれている。


「沙羅、君が婚約に踏み切れないでいることは王宮側にも伝えた。今は白紙に戻して、殿下と改めて話し合ってから決めてもらうことにした。それで良いか?」

「は、はい。良いです、ありがとうございます」


 なんか、居心地悪いよ……

 私たち二人とラッセルとのあまりの温度差に、会話までもがギクシャクとしてしまう。


 無表情な上に事務的な発言……ここ最近の態度や感情の軟化で、ずいぶん親近感がわいてきたと感じた矢先にこれだ。


 一番初めにこの部屋にきた時と同じくらい冷たい態度になっている。せっかくこの人が抱えている分厚い壁を取り払えたと思ったのに。

 また彼の周りを冷たい壁がぐるりと囲んだように感じ、少し寂しくなってしまう。


 もう一度彼の言葉に暖かさを取り戻すにはどうしたら良いのだろう。今の彼と会話をすると、こちらまで心が凍りそうだ。そのくらい彼の言葉には感情というものが感じられなかった。


「サーラ、移動のための荷物をまとめましょう。ここにあるもので全部ですか? それ以外に何か?」


 コークス先生に改めて確認されて、意識を現実に引き戻す。軽く首を横に振って、気を取り直してから先生に向かって返事をする。気づくとラッセルは既に部屋から出ていった後のようだった。


「あー、はい……特にないです。もらった本くらいだし。あ、あと万華鏡」


 この間もらった万華鏡を胸元でギュっと握りしめた。

 先生によれば、各自の引き継ぎの最終確認が終わるのが夕方から夜にかけて、その後に移動となるらしいので、私には一旦休んでおくようにと指示を受けた。他の人たちの調整もある中、わざわざ足を運んでくれたことにお礼を言って、忙しい先生を送りだした。


 一人残された私は、指示された時間まではやることもなく、ソファに座ってボーっとする。


「せっかく仲良くなったと思ったのに……何よあの態度、本っ当ムカつく。沙羅って名前まで読んでくれるまで近くなったと思ったのは私だけかよ」


 誰もいない部屋だからこそ、一人で毒づいて不満を吐き出した。


 なんだろ、私ってばアイツのことばっかり考えてるじゃん……ムカつくからだよね、そうそう。イライラするもんだから、頭の中からアイツが離れないんだ。


 ずっと考えてると余計にむしゃくしゃしてきて、苛立ちを今座っているソファの背もたれにぶつける。


 ボスッ……ボスッ


 あー、ちょっとはスッキリ、かな?

 たまにはモノに当たるのも悪くないわ。フンッと鼻を鳴らして満足することにした。


 レイニーさんが迎えに来るまでは少し時間があるようだ。万華鏡を回して暇を潰すことにしようかな。


 そのうちガチャリと扉を開ける音がして、そちらを向くとラッセルがそこにいた。向こうも私が部屋にいるとは思ってなかったようで、戸惑った表情をしている。


「……君の準備は終わったのか?」

「はい。あ、これお返しします。大事なものなんでしょ?」

「いや、それは君に。君が持っててくれれば有難い」


 万華鏡を目の前に差し出された彼は、決してそれに触ろうとせずに私に預けると言ってくれた。今しがたの冷たい態度とはまた違って、少しだけ柔らかな雰囲気をまとっているように感じる。


 そんな彼を確認しただけで、なぜか私の気分までウキウキしてくる。ついニコニコして万華鏡を片手にひと回りしてクスッと笑いかける。

 さっきまでのこの人に対する苛立ちなんてどっかに吹っ飛んでしまった。


「そう? なら遠慮なく。これ楽しいのよね、キラキラして」


 言いながら鼻歌まじりに万華鏡を覗きキラキラを堪能していると、不意に薄暗くなって目の前の光が遮られたことに気づいた。


 顔を上げると半歩の距離にラッセルが近づいていたらしい。いきなりの近さにギョッとして体がぐらついた。

 スッと差し出される手に体を預け、顔を上げると、更に至近距離。

 うっは。ドアップなんですけどぉっ。


「あ……ごめ、んぐっ……」


 唇のフニャっとした感覚と遮られた言葉で、キスされたんだと感じた。


 ああ、これかぁ。キスってこんななんだぁ。


 どこか客観的に感じている自分がいた。


 もっとイベント的に起きるとか、劇的なシーンでするとか、そんな風に思ってたんだけど、そんなこともなかったなぁ。

 しかも、めいっぱい盛り上がってからの嬉し恥ずかし、みたいな感じでもなかったし。

 まあ、そんな設定とかって乙女ゲームくらいなモンだろう、現実と違うなんて当たり前なことなんだよねぇ。


 唇が離れ、この目一杯の至近距離で見つめ合ったまま、なぜか笑いが込み上げてきた。

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