99.誘拐かよ!
毎週木曜日更新にお付き合いください〜
空中に四散していた意識が、徐々に中心に集まってきて、やがて朧げながら自分自身の意識を持ち始めてくる。例えるなら、海中深くからだんだん浮上してくるような気分だ。
「んん……」
「ああ、やっと気付いたかな?」
ラッセルの声が聞こえてくる。
まだ完全に目覚めていないので、目を瞑りながら会話することにした。
「んー。大変だったのよ……誘拐されかかってね。でもアンタが居てくれて助かったわ。ずっと会いくて……我慢してたし」
自分の体ごと抱っこされてるらしく、ゆったりとした動きで何度も頭を撫でられているので、私もついつい甘えて本音を漏らしてしまう。
「そうか、それはよかった。僕も会いたかったよ」
ギョッとして体が固くなり、同時に目を見開いて、慌ててこの場から逃げ出すために両手足をバタバタさせる。
ラッセルは『僕』という言葉は使わない……ということは、明らかに違う人が私を抱えているのだ。
ーー誰だ、これーー
瞬間的にヤバい、と反応して、素早く抵抗を試みるが、ガッチリと羽交い締めにされていて身動きが取れずにいる。
ラッセルの声だと思っていたのは気のせいだった。
その声の主は彼とは似ても似つかぬ人物ーーーー『シン』だ。
彼の声が聞きたい、という思いが強かったせいなのか、もしくは蝶を操る女性が見せた幻覚によるものなのか、またはそのどちらもが影響した結果だったのか。
「そんなに暴れると危ないよ? やっと手に入った僕のお姫様を傷つけたくないからね」
「ぅおいっ。誰がお前の姫じゃいっ。こっちから願い下げだっちゅうに。シバくぞコラッ!」
体の動きは封じられていたので、せめて口での反撃をした。喧嘩を吹っかけられたシンの方はと言えば、実に楽しそうに笑っている。
「あはは、やっぱりサーラちゃんはそのくらいの勢いがないと面白くないね。泣くどころか喧嘩売ってくるなんて。ますます僕のお嫁さんにしたくなっちゃった」
悔しい。自由に動きまわれるんだったら、隠し持っているナイフを取り出して、コイツの腹にブスっと一発かましてやるんだが……
歯噛みをしながらシンを睨んでいると、私の考えていたことを先読みしたように喋りかけてくる。
「ああ、その物騒なナイフはこちらで撤去したから。僕のサーラちゃんには似合わないから。君には花や鳥の方がよく似合う」
余計なお世話だっつーの。
「そうだ、君、やっぱり面白いね。ネコが君の本体? それとも今の姿が本来のサーラちゃんなのかな?」
何を言っているのか、今ひとつピンとこなかったので、小首を傾げてシンの様子を窺った。
シンは私の拘束を解いて向かい合い、その場に座るよう促してくる。
それを受け、今は脱走することもできないか、と判断して、渋々ながらも言われた通りに座って話を聞くことにした。
「君の姿が不完全な状態で、少し揺らいでいたからね。ケンに頼んで少し人間よりに固定させてもらったよ。僕の独断だったから、一応確認しておこうと思って」
そう言われ、ギョッとしながら焦って自分の顔や腕を撫でて確認した。
よかった……自分の体のままだ。思わず安堵のため息が口から漏れる。
同時にいきなり拉致された不満を思い出し、シンに向かって悪態をつく。
「何勝手に私の姿をいじってくれちゃってんのよっ。だいたい私は、アンタじゃなくて別の人を待ってたの。早く元の場所に戻してよ、アンタに用事なんてないわっ」
「おお怖い。サーラちゃんには不満かもしれないけど、もう少し我慢してもらおうかな。きっと満足することがあると思うよ」
クスクス笑いながら私の右手をとり、その甲に軽くキスを落としてくる。
小馬鹿にされたような喋りと仕草に、ただ拳を握ることしかできずイラっとしていると、後ろの方から第三者の声が聞こえた。
「シン、コレに会えたのならもう十分でしょう。さっさと首を刎ねてケンに差し出せば良い」
この声は……眠りに落ちる寸前に聞いた女性の声。
姿を確認したくてシンの肩越しにヒョイと覗く。
目に飛び込んできたのは、全身からセクシーさが溢れてくるような美人。両脚を肩幅に開いて軽く腕を組んでいる姿は、ムチを持たせたら最高に似合いそう。
「……お姉さん、赤いハイヒールと黒のボンテージ着用をお勧めします。ちなみにムチは別オプションで付けさせていただきたく……」
「はあ? 何? ワケわかんないこと言わなくていいから。アンタは捕獲された動物と一緒。首斬られるまでの間、助けてくださいってアタシたちに泣いてすがりな。アンタが口を開けること自体、ムダな時間なんだからね」
お姉さんは意地悪な笑みを浮かべて、私が怯えて涙目になるのを待っているようだ。
だがしかーしっ。ここで泣き寝入りするほどか弱くないんだなぁ。
会社でのクレーム対応やネチネチした上司の嫌味にも耐えた私だ。多少の意地悪だと逆に燃えてしまうタイプなんだなぁ。他人の痛みには涙が流れてしまうけど、私自身への嫌がらせだと屁の河童クンですからぁっ。
「私が泣くとでも思ってるの? ハン、甘いわね。こんなんじゃ全然ダメージにならないわ」
「くっ……」
悔しがる女性を尻目に得意げな顔をしていると、シンが愉快そうな声を彼女にかけた。
「あはは。コン、今回は君の負けかな。お嬢さんには直接攻撃は効かないみたいだから。そうだな、この子を落とすなら……周りの誰かを傷つけるのが得策かな。それは誰か、な?」
誰か、と言うシンの目は鋭く、私がどのような反応をするか、状況を窺っている様子。
コイツは私が懐近くに置く人物を探っている。悟られてはいけない。ここでバレてしまったら、コイツは容赦なくその人たちに攻撃を仕掛けに行くだろう。
私が人生に関わったことで、他の誰かが危険な目に遭うことだけは避けたい。私はあえて無表情を装った。
シンには下手な小細工は通用しない。動揺して誤魔化せば、さらに酷い状況になることは火を見るよりも明らかだ。
「ふうん……まぁ、今はいいよ。コン、君はダーの側に付いていてあげて。彼は君の術を欲しているだろう、か……ら……」
「っ、シンっ! でも……」
「そうしなさい。私も今の段階ではダーの元に行って周りの人間を手中に収めるのが望ましいと思う。私も、ね」
「うっ……何で今、あなたが……」
コンと呼ばれた女性ーーおそらく胡蝶使いのコンだろうーーが、一瞬にして全身に緊張を走らせ、かしこまった佇まいで頭を下げる。
「……はい……わかりました」
従わざるをえない、といった風情で返事をするが、表情には不満があり有りと出ている。
シンは笑顔でコンに話しかけているのだが、その丁寧な物腰とは裏腹に、醸し出す雰囲気がゾクリとする寒気を伴っていた。
まるでシンの中に知らないシンがいるような、最後の言葉だけ別の人間が喋っているような感じだった。
あまりの違和感に、座っていたその場所から一刻も早く離れたい一心で腰を浮かす。
しかしながら圧倒的威圧感に体が固まって身じろぎするだけになる。
シンの容姿をした何かは私に顔を向けると、頭からつま先まで物色するようにじっくりと眺めてから、おもむろに口を開いた。
「お嬢さん、あなたの存在は厄介だ。あの子に悪影響を及ぼす。今のうちにあの子から離れてもらうのが最善…… 」
その声は、実際にはシンの口からでているのだが、つい先ほどまで話していた彼とは全く別物の、無機質で聞いている者を震えさせるような響きを放っていた。
何も言い返すことが出来ず、ただ固まっているだけの私に向かって、その声の主はさらに語りかけてくる。
「シンの策に乗るのも良いかと思うたが……今のうちに処分しておくのも悪くない……さて、どうするか……」
徐々に小さくなる声がやがて消えた時、シンの頭がガクンと下がり、同時に張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。
「はぁ……」
たまらず、ほんの少しの吐息が口から漏れる。
しかし何故だろう。
脅威は既に去ったというのに、先ほどの声の呪縛から未だに解き放たれることができないでいるかのように、指先ひとつ動かすこともままならない。
その状態から解放されたのは、シンが再び自分の意思で動きはじめた時だった。




