8 二度目の邂逅
デパート爆破テロ事件から数日経った。この事件は、世間では未だトピックスとして扱われている。それもそうだ。死者48名、重軽傷者計78名。平成の日本で発生した事件では、恐らく最大数の死者が出ている。どの局のニュース番組でも取り扱っているし、駅の売店あたりで売られているあらゆる新聞の一面を独占している光景も、まだしばらく続くだろう。
芳野小春の葬式は、市内のセレモニーホールでしめやかに営まれた。当日は天高い秋晴れだった。ホールには、小学校の同級生達とその親が集った。金持ちの世界には色々あるのだろう、芳野家の親戚は誰一人として顔を出さなかったし、小春の両親はそれを当然として受け止めていたようだった。
背が高くて細身の女と、筋肉質で色黒の男が時折、俺を凝視する。この日、俺が小春と共に出掛けていた事は既に周知であり、当然小春の両親もそれを知っている。謝らなければ、と思った。
だが、出来なかった。怖かったのだ。
小春は、両親に愛されていた。過保護だった。俺のような育ちの悪いガキとつるんでいる事を、快く思っていなかった。まるで小春の死が俺のせいだと言わんばかりの視線が、何度も俺を刺し貫く。それは別段、小春の両親に限ったものじゃない。同級生からも、その親からも。小春の死の責任を俺におっ被せようとする。親父もお袋も仕事を抜けられなくて、葬式には来ていない。親の居ない小学生なんて無力なもんだ。一切の遠慮がないその視線の矢を一身に受けるしかなかった。
……否定は、しない。出来ない。
俺だってそう思う。小春は俺が殺したようなものなんだろう。俺が連れて行かなければ。俺がアイツと仲良くしなければ。きっと今日も小春は笑っていた筈なんだ。自責の念に押し潰されそうになっても俺がまだ葬式会場で二の足で立っていられたのは、小春の最期の瞬間が安らかであった事を知っているからだ。
痛みなく、眠るように息を引き取った小春を知っているから。彼女の死の重みに耐えていられる。白髪の男を思い出した。猫背でがに股でボーッとしてて、でも爆破テロの犯人を一撃で打ちのめした男を。あの男は何者だったのだろうか。目的は何だ。何故あの現場に居たのだろうか。そして何処に行ったのだろうか。
「古川君……」
考え事をしていた俺に、担任の先生が声をかけてきた。いつの間にか経が終わっていたらしい。出棺前の、最期のお別れの時間であった。
「行ってきなさい。……貴方は、芳野さんと仲が良かったんだし」
「……いや、いいよ」
「行きなさい」
「行かないっ!」
強情な俺の態度に担任は何を思ったのか、俺を憐れむような眼で見た後に肩を強く抱いて泣きながら、「しっかりね、古川君」と呟いた。俺は小春の死がショッキング過ぎて受け入れられていないから最期の挨拶に行かない、とか別にそんなセンチな気分ではない。
最期の挨拶はとっくに済ませた。あそこにあるのは小春の体だけ。魂は、もう白髪の死神が持っていったのを、俺だけが知っている。今更この葬式で涙も出ない。流す涙は全部流れきった後なのだから。
お別れに向かった同級生達が、小春の死に顔を拝んで、より一層泣き声を大きくして去って行く。ホール内に溢れて止まない同級生の女子の声が強く響いている。男子だって、声は上げていないけれど、涙は零れている。アイツは人気者だった。俺が死んでも、きっとこうはならない。
「小春ちゃん……天国でも元気でね……」
同級生の誰かがそう言った。
アイツは、天国に行けるのだろうか。行けたのだろうか。あるいはまだ、あの死神が小春の魂を持っているのだろうか。親より先に逝った子は不孝者として地獄に堕ちると、親父に脅かされた事をこんな時に限って思い出す。
別れの挨拶も終わり、出棺の挨拶も終わった。運び出される棺に着いていく。
霊柩車がホールの前に止まっている。小春の棺が仕舞われ、遺影を抱えた彼女の両親が同乗する。全員でそれを見送り、そこで葬式は終わりだ。初七日、精進落としに参加するのはごく少数のようで、殆どはここで家路に着くようだった。俺はポケットに仕舞い込んであった帰りの電車賃を握り締めたまま、しばらくそこを動く気になれなかった。
ホールの従業員が、この後の段取りを葬儀屋達と淡々と確認し合っている。これもまた、世界中の大多数の人に取ってはありふれた日常の風景でしかないのだと思うと、急に虚しさが心を支配する。
「俺も、帰るか……」
家に帰ってゲームでもやって憂さ晴らしするか、天気が良いし散歩でもするか。たまには担任の先生のためにも宿題をやってやるのも良いかもしれない。そんな事を考えながら、親と一緒に帰宅していく同級生の背中をずっと眺めていると、ふと視界の端っこに何かが映った。
道を挟んだ、反対側の歩道。行き交う車の隙間から覗くのは、揺らめくような白い髪。見覚えがあり過ぎるその男は、真新しい松乃河原学園高等部の制服を身に着け、口にタバコをくわえてこちらを見つめていた。日常への帰り道が、音を立てて崩れ去った。だが、それを望んでいた節は、俺にもある。
「あいつ……」
こんな所で何をしているんだろうか。小春の葬式会場だと知っていて、わざわざここに来たのだろうか。故人を弔うような殊勝な性格をしているとは思えない。白髪の男は一筋口から煙を吐き出すと、俺に向けて小さく手招きをした。
その表情に僅かに悲しみの感情が浮かんで見えたのは……俺の気のせいではなかったと思う。