2 古川ノエルの最も古い記憶
芳野小春について述べたいと思う。冗長であるので、読み飛ばしてくれても構わない。
小春とは幼稚園の頃からの付き合いである。いわゆる良いところの上品なお嬢様で、他の園児達とは端的に言えば『格』が違った。
一度だけ何かの弾みで彼女の髪留めを無くしてしまい父親に弁償してもらった事があるのだが、その時父は溜め息混じりで、「将来、ちゃんと働けるようになったら返せよ」と真剣に説教を垂れたのを良く覚えている。
ハンカチもティッシュもちゃんと持ち歩くし、うがいも手洗いもかかさないし、かけっこや鬼ごっこは苦手でも、お遊戯や歌では、園児は勿論の事、幼稚園の先生までも度肝を抜くセンスを秘めていた。先生の一人が本気で芸能事務所への紹介を両親に勧めたと聞いた事がある。……無下にされたらしいが。
小春は、まるで絵の具を雑多に混ぜ込んだ灰黒色に塗られたカンバスに落とされた白色絵の具のように、場違いな存在だった。いわゆる『ハナタレ』のガキではなかったのだ。それ故に並のハナタレクソガキ共は、彼女に一目置き、何となく彼女を仲間外れにする雰囲気になっていき、次第に彼女を虐めるようになった。
小春は気弱な性格で、罵声を浴びせかけられると何も言い返せずに首を竦めるので、その仕草と足の遅さから「亀女」と呼ばれていた。
「やぁいやぁい、亀女ぁ!」
「返してほしけりゃここまで来てみな!」
イジメと言っても所詮は幼稚園児。暴力に訴える事はなかったが、小春は頻繁にガキ大将率いる一団にお絵描き用のクレヨンを取り上げられていた。小春の描く絵を先生達は手放しで絶賛するので、ガキ大将達はそれが面白くなかったのだろう。その日も小春は、ガキ大将とその腰巾着によって禿びた緑と赤のクレヨンを取り上げられていた。幼稚園の先生達も叱ってはいるのだが、そんなもんで懲りるようではガキ大将は務まるまい。
園のジャングルジムのてっぺんで高笑いする一際体の大きいボスザルと子分を見て、小春は泣いていた。当時ジャングルジムの頂上まで上れる園児は限られており、運動音痴な小春が例え追いかけた所で、落下して怪我するのは目に見えていた。一方で俺は運動の出来る男ではなかったが、負けん気が強くて、無謀で、純粋で、ヒーローに憧れる熱血漢だった。
「お前らぁ、いい加減にしろ! 芳野が泣いてるだろ!」
等と格好良く大見得を切ってみせたが、脚も声も震えていたような覚えがある。そもそも当時の俺は非常にチビで、ガキ大将とは三階級くらい体型に差があった。だが、当時流行っていたヒーロー番組で、主役のヒーローが自分の数十倍もある超巨大怪人をあっさりと伸していたのだ。だから俺にも出来る。根拠のない自信があった。
「なんだよ古川ぁ! お前亀女の味方すんのかよぉ!」
「亀女が好きなんだろ! やぁいやぁい、亀女とノエルはお似合いカップルー!」
「うるせー馬鹿! そんなんじゃねーよ!」
泣いている女の子と正義のヒーロー。その二つは組み合わさって然るべきなのだと俺は信仰していた。そして都合良く、女の子が泣いている。俺が助ければ、俺は憧れの正義のヒーローに一歩近づけるのではないか。……と、要するに俺は本当に小春を思いやっていた訳ではなく、女の子のために体を張る自分に陶酔していた。ようするに格好付けだ。
とは言え気分が高揚していたお陰か、俺はそれまで登りきった事の無かったジャングルジムの頂点に猿の様に辿り着き、考え無しにガキ大将に飛びかかった。流石のガキ大将も俺の特攻には驚いたようで、対応し切れず俺達二人は揃いも揃ってジャングルジムから転落した。幸いにして二人とも打ち身と擦り傷で済んだものの、俺達は親にも先生にも大目玉を食らった。転落は主に俺が原因だったので先生方には「どうしてあんな事したの」と問われたが、「どうして俺がああしなきゃならなかったんだ」と先生に切り返すと、先生達も押し黙ってしまった。
そんな事がありガキ大将達も反省したのか、小春を虐めるのを止め、幼稚園のジャングルジムの撤去が決まり、小春は俺にやたらと懐くようになった。先に言った通り、俺は小春の為に体を張った訳ではないのだが、小春に取ってみればそんな経緯はどうでも良かったようだ。
幼稚園ではほぼ接点の無かった彼女が、それ以来何かと俺に付いてまわり、お絵描きに誘うようになった。俺はお絵描きは苦手な部類で、何か描く度に周囲からヘタクソだ何だと罵られるので、いつも小春から逃げていた。先生達は俺と俺の後を付いてまわる小春を指差して、微笑ましそうに「まるでアヒルの親子みたい」等と宣っていたが、俺にしてみればたまったものではない。やがて小春が何か先生に言ったのか、終いには「ノエル君、ちゃんと小春ちゃんと仲良くしなきゃダメよ」等と叱られてしまった。
俺が小春と遊ぶ時は、小春が絵を描くのを俺が見ているか、俺が遊具で遊んでいるのを小春が見ているか、と言った具合だったので、俺達が一緒に遊んでいるとは到底言えない状況だ。
そんな事があったのが、俺と小春が五歳の頃であった。
*
俺と小春の交流は、小学校入学後も途絶える事は無かった。
幼稚園を卒園後、俺も小春も地元公立の市立秋吉小学校に入学した。小春は近場にある、大学まで一貫教育を行なっている私立松乃河原学園の小等部に通う筈だった。小春のスペックを持ってすればお受験など造作も無いと見積もられていたにも関わらず、彼女は失敗した。
「お受験、失敗したの」
と、苦笑いする小春は、無理をしているようにも、そして特段残念そうにも見えなかったのを未だに覚えている。かくして我らがハナタレ幼稚園児共と肩を並べて進学した小春は、当然と言うべきかあっという間に小学校の人気者となった。女子からは慕われて、男子からは憧れられる。小春は美少女で、控えめで、家は金持ちで身なりも整っていたからか、皆が皆、彼女に何かしらの興味を抱いていた。一部の男子生徒達からは未だに「亀女」と呼ばれていたが、他の幼稚園や保育園上がりの気の強い女子達が睨みを利かせていたため、「亀女」のあだ名は半年も保たずに立ち消えた。
幼稚園の頃はしばしば虐められていた小春にも友達が出来、もうヒーローもお役御免と思っていたのだが、小春はそれでも俺と疎遠になる事はなかった。登校するのも下校するのも、小春は頼んでもないし頼まれてもいないのに、俺に毎日着いてきた。「友達と帰れば?」と言えば「ノエル君のがいい」と頑ななので、俺はそれ以上は何も言えなかった。
学年が上がり、男女間に照れがでてくる年頃になってもそれは続き、俺はいつも「女と遊んでやがる」と男子連中に嘲られた。俺も年相応に女子に対する照れと言うものがあり、一度だけ小春に「俺は女と遊びたくねえよ!」と言ったことがあったのだが、その時小春は何も文句を言わずに、ただ口を真一文字に引き絞って、目にたっぷり涙を浮かべ、この世の終わりを見てきたかのような目でこちらを見るので、罪悪感のあまり俺が折れる羽目になり、以来それは俺の中で禁句となった。
小学6年になり、小春はいよいよ、秋吉小学校のマドンナとして開花していく。
下駄箱には毎日の様にラブレターが入っていた。しかし小春は男女の付き合いには頑なだった。小学生の分際で付き合うもなにもない様な気がするけれど。俺とは相変わらず親しかったため、「芳野はノエルが好きなんだろ」とよく囃し立てられていた。小春は「お父様とお母様に止められてるから断っているだけよ」と、どうやら本当らしい弁明を周囲に触れ回っていたが、効果の程は微妙であった。
それでも彼女は俺との親しい付き合いを止めなかったので、俺としては少々複雑な気持ちでもあった。『あの』芳野小春が心を許している唯一の男子、と言えば聞こえは良いのだが。
男として見られていないのでは、と言う懸念に苛まれ、少々堪えた。それは何故かと言えば、言わなくても分かるだろうし、当時の俺は全力で否定しただろうが。
俺は芳野小春に心底惚れていたからだ。