覇皇様と献上品
小さいながらも戦があった。複数の國を有する大國カムイモシリに属する國の一つであるコオンカムイとそれに接する國アウンクルの戦。
これは、その途上の事であった。
「なんだ、これは」
圧倒的な覇気を放ち、背後に数多の配下を侍らせた男が目の前に差し出された献上品を見て、そう疑問を口にした。
ただそれだけで、心の臓腑を掴まれていまにも殺されんとする哀れなる雑兵の如く威圧されて縮こまってしまう。ただの言葉、疑問の言葉であるはずなのに、村長である老人を含めた村人はただただ全員の例外なく縮み上がる。
圧倒的な上位者、村長であるところの老人を含めた村人たちがどんなに束になってかかろうとも、不意打ちをしたり、卑怯な手を使ったところで圧倒的な力の眼には敵わないだろう絶対的な君臨者の覇気を受け、睨まれればこうなってしまうのは当然だった。
むしろ、口を開こうとできる時点で、いいや死んでいない時点で、運がいいのだ。常人であれば、彼の覇気を受ければそれだけで死んでしまうものすらいるのだから。
ただ、疑問には答えられない。口が開かないのである。圧倒的上位者の睨みに覇気が加わって、上位者に会うことに慣れているはずの村長ですら、口を開けずただただ震えるばかり。
「なんだ、と聞いている」
ゆえにもう一度の問い、これ以上はないという最終通告、もし答えられないのであれば殺されてしまうかもしれない、そんな想像が相当の唇を動かした。
「け、献上品、にご、ございま、す――」
辛うじて村長はそう言った。息が詰まりそうな深い水の底のような圧力の中で辛うじて息を吸って、声を絞り出して音を出したといった程度であるが、何とか言葉にできた。
ただそれだけで、村長の額と背中を汗が伝い、杖をついた手が、足が震えて吐く息が荒くなり、今にも心臓が止まりそうなほどであった。
そして、その裏で何が悪かったのかと必死に考えていた。戦が始まってから、他の村から逃げてきた者たちから聞いた噂を頼りに敵の将からお目こぼしを貰うための献上品を用意したのである。
それで見逃してもらおうとしたのだ、すべては村人、ひいては自分の為であるが、何を間違えたのか目の前の男から感じるのは不快感とも言うべきものだったのだからわけがわからない。
噂は間違いではないはずだった。それは目の前にある男を見ればわかる。山を砕き、海を割るほどの圧倒的な力を持つ者であり、術法と呼ばれる世界を揺るがすほどの力すら使えるという敵国の将。
残忍にして残虐、冷酷にして無比、天下全てにおいて、彼の者に武で以て並ぶ者ない者。人の形をした化け物、カムイモシリを治める偉大なりし帝よりコオンカムイという広大な国、覇と皇の名を頂きし覇皇――グレン。
戦場における伝聞から残虐性を満たせる愛玩道具でもと思ったのである。なぜならば、噂を聞く限り敵には全くと言ってよいほど容赦のない武将ゆえにの判断だった。
なにせ、ここは辺境の小さな村なのである。差し出せるものなど人以外になく、こんな小さな村の富や財産などいくら差し出したところで一国の王には意味はない。
なによりこの村で最も価値があるのは人であるがゆえに女を差し出すことにした。無論、村人は自ら娘を死に差し出すことなどしたくない。
だから、忌み子が選ばれた。親のいない、白い髪に肌、赤い瞳を持つ忌み子、村における最底辺の存在であり殴られ、蹴られるだけの存在であった少女を選んだ。
捨てると外聞が悪い上に、教会から異端の認定を受けて村が焼き払われる可能性すらあったために、村人の不満のはけ口として地下牢で飼っていたが、処分するにはいい機会であるため献上品として選んだのである。
幸いにして、忌み子は髪と瞳を覗けば見目は良い。なにせ村の若い衆が隠れて性欲処理の道具として使っていたために少なからずそう言った技巧を仕込んである上に、殴っても蹴っても石を投げても文句も言わないとなればこれほど献上品として良いものは他にないだろう。
傷だらけであるため服で隠し、それから見た目を整えてから差し出した。喜ばれると思ったのだが、結果は、不快感をあらわにされて睨まれている。
何がまずかったのか村長は必死に考えてもわからないゆえに、すぐにでも別のものを用意しますと提案する。
「き、気に入り、ませんでした、か?! そ、それでしたら! す、すぐに別のものを!」
このままではまずい。村長はすぐさまそう提案する。このまま村が潰されてしまっては元も子もない。
「…………」
そんな村長をグレンは塵をみるような目で見下ろしていた。
「…………」
そんな男と村長の狭間におかれた献上品の少女は、ただ中空を見つめている。その瞳には何も映していない。虚ろ。まるで、赤い穴でも開いているかのように虚ろだった。
それを見たグレンは、
「良いだろう」
ただ一言そう言った。そこに込められた意志を村長は、見逃そうと言ったのだと思う。だからこそ、笑みをつくった。引きつってはいるが、それでも笑みだった。
「そ、そうですか! で、では、どうぞご自由にお使いください」
「ああ、そうしよう」
その瞬間、村長の首が飛んだ。笑みを浮かべたまま。村人たちが恐怖で蜘蛛の子を散らすように悲鳴をあげて逃げていく。
「どうします?」
グレンの隣に糸目の男が現れる。細身で二刀を腰に差した男だ。どこかキレ者であると感じさせる男は、視線を逃げていく村人に向けて男に向けてそう言った。
「聖上の命は絶対だ。消す」
グレンは、手を前にかざした。
「火の紋よ、我が理を喰らいて、根源より紅蓮の劫火を汲み出せ!」
その言葉と共に、グレンの身体に刻まれた紋が輝きを放つ。紅い粒子を撒きながら輝いて、それは根源より劫火を汲み上げる。
グレンの腕へと劫火がじゃれるように絡みつき、そして、次の瞬間には全てが灰燼へと帰った。ただ一人、献上品とされた少女を残して。
「流石は、お館様。では、こちらの少女は如何致しましょう?」
殺しますか? 言外にそう言って腰の二刀の片方に手をかけながらグレンへと問う。
「…………」
そう問われて、グレンは少女を見下ろす。誰もが恐怖にすくむだろう視線を受けて、少女は何の反応もしなかった。ただ虚ろな表情で、虚ろに視線を彷徨わせている。
献上品とされていた少女だが、とてもそうは見えなかった。一度も身体を洗っていないのだろう。髪はぼさぼさで、肌は白であるがゆえに汚れが目立つ。ある程度整えられたのがまた悲壮感を与えてきた。
食事すらろくに与えられていないようで、化粧で隠されてはいるが唇は水分不足でひび割れている上に、ぼろ布のような服の下はがりがりで肉などついてない皮膚と骨ばかりだ。
性欲を発散させるにはやせ過ぎで女の魅力に乏しすぎる上に十代前半、成人すらしていないで幼すぎる。そのことからして仕事を任せることすらできなさそうだ。
持って帰る利点などなく、むしろ損をするだろうことは確かで、世話をするだけ富がかかり無駄になるだけだ。
何よりこんな少女に何が出来るのかというのか、何もできやしないだろう。働くこともしらず、出来ることは殴られること、蹴られること、性欲の処理に使われることくらいであり、そんなものを持ち帰ったところで得にはならない。
だがグレンは、
「せっかくの献上品だ、持ち帰っておけ」
持ち帰ることにした。
そこにどのような思考があったのだろうかはわからないが、部下の男は何も聞くことはなく指示に従う。
「では、そのように」
男は、何も聞かず部下に指示を出し、一人の部下が少女を抱えそのまま荷車に載せる。かかえ上げられても少女は逃げようとはしなかった。グレンは、それを横目で見て、
「帰るぞ」
馬に乗り、軍勢へと号令を発した。
それより十日と少しの道程を経てグレンはコオンカムイへと帰還する。少女もまた、そこまで連れて来られていた。
「…………」
少女は、載せられた荷車から外を眺める。赤くよどんだ虚ろな瞳がうつすのは見たこともない景色だった。
コオンカムイの城下町。村の牢から見た景色とは違う平屋が規則正しく多く立ち並び様々な商店を示す色鮮やかな看板や垂れ幕が下が軒を連ねている景色が献上品の少女の瞳にうつっては流れていく。
そこでは大勢の人が行き交い、グレンたちに向けて頭を垂れるか、歓声をあげたりしており、そんな人々は荷車に戦利品と共に載せられた少女に対して興味深げな視線を向けている。
忌避や忌憚と言った色は見えず、少女にはそれが不思議であった。物心ついて幾許か。両親が死んでからはずっと地下牢で忌み子として生きてきた。
それ以外に何もなく、自らの存在は忌むべきものであると理解しており、自らが先頭を行く男に献上されたことも理解していた。
だから不思議と荷車の上で首をかしげる。そんな少女の仕草をグレンの部下である二刀を腰に差した男が、問いかける。
「不思議そうですね」
「…………」
「口が聞けませんか?」
ふるふると少女は首を振る。しゃべられないわけではないようだが、警戒でもしているのか。
「そんなに警戒する必要はありません。貴女は我が主への献上品なのです。つまりそれはグレン様の所有物。この国で、そんな貴女に手を出す者などいませんとも」
「…………」
少女はごろんと寝転がる。安堵したのか、それとも話したくないのか。
「やれやれ」
肩をすくめながら所定の位置へと戻る。少女は横になっている間に、いつしか眠りについていた。
そして、少女は、見知らぬ天井の部屋で目を覚ました。どうやら上等な布団に寝かされているようであった。
感じるはずの石牢の臭いではなく、鼻腔を突くのは上等な畳の匂いであり、自然な木の匂いすら感じられ、見るからに上等な部屋だということがわかる。
それらに視線を彷徨わせていると、
「目を覚ましたか」
横から声をかけられた。圧倒的な覇気を内包した低い声であり、一瞬にして、誰がそこにいるのかがわかってしまうほどであり、
「…………」
「ほう、存外、ものを知らぬというわけではないのか」
少女はグレンを認識した瞬間、頭を下げていた。覇者の気がそうさせるのだ。
「名は?」
「…………」
首を振って少女は答える。名はあったはずだが、いつしか忘れてしまっていた。ゆえに名前はないため、聞かれてもわからない。
「不便だな。ならば、名をくれてやる。トゥル。灰という意味だ。燃えカスのような貴様にはお似合いの名だ。そう名乗るが良い」
「……トゥル?」
「貴様は何ができる」
「……のぞむこと、を、ごほうし、します……」
「不要だ。貴様になど滾らん。読み書きは」
ふるふると首を振る。
読み書きなどこの時代できるとすればそれなりに裕福なものに限られるが、このコオンカムイではかなりの識字率を誇る。それもこれもグレンが教育を徹底したからであるが、それゆえに読み書きができない者には仕事がないといえるのだ。
無論、読み書きがいらない体を使う仕事をすればよいのかもしれないが、教養として知っておいて損はない。この場合、グレンの侍従として働くにしても読み書きは必要である、書簡を運ぶ、他国の要人の接待などの時物を知らぬものを使うことは国の品位に関わるのだ。
ゆえに、トゥルには仕事がない。
「ならば覚えよ。貴様に仕事をやるのはその後だ――いや、まずは風呂にでも入れ、見苦しい」
そういった瞬間、背後の襖が開き、数人の侍女たちが現れる。やるべきことはわかっていますと言わんばかりの彼女らは、トゥルを立たせると困惑している彼女を連れて浴場へと向かい体を清め始めた。
「ん、ぁ……」
その初めての感覚にトゥルは暴れるが、数人の侍女たちにやせぎすの力のない少女が敵うはずもなく、何より彼女らは普通の人間よりも強い竜人族であれば、少女がたとえ普通の状態であったとしても逃げることはできなかっただろう。
「こら、暴れない。洗えないでしょう」
逃げられずされるがままになるトゥル。こうなってしまえば暴れるよりもそのままの方が早く済むことを彼女は本能的に察したのである。
大人しくなればあとはもう侍女たちの独壇場となった。髪を洗い長すぎれば切り整えて、肌を清め傷の手当を行う。
溜まりに溜まった垢は手ごわく随分と時間を要したが、その甲斐もあってトゥルの姿は見違えるほどになった。
白髪は陽光を受けて輝き、肌も白さが戻っている。無論、やせ過ぎで浮き出た肋骨などは変わっていないのは当然ながら、背中など全身にある擦過傷、切り傷、火傷などの傷あとは手当しても一生涯残り続けるだろうことが明らかだった。
それはひどく痛々しく、侍女たちはトゥルを憐れに思ったが、主人の献上品ならば彼女は幸せになれるだろうという確信があり、容姿を整えていく。
最後に爪を整えて綺麗な服を着せればそれで終了である。立っているだけならば小国の姫といえるかもしれないほど。
「さあ、次はお食事です。グレン様には、良くするように言われています。では、グレン様とお待ちください」
侍女は食事の支度に出ていき、部屋にはグレンとトゥルだけが残された。トゥルはどうすれば良いのかわからずただ立っている。
「座れ、鬱陶しい」
グレンは手元の書簡から目を外さずにそういう。トゥルはこくりと頷いて言われるままにその場に座る。それからしばらくして食事が運ばれてきた。
「どうぞグレン様、トゥル様」
すぐに書簡は片付けられ食事となる。盛られた飯をがっつくように食らうグレン。彼と同じものがトゥルの膳にも載せられている。
「どうした。食わぬか。貴様の為に用意されたものだ」
「い、いの……? こんな、ごうか、な……」
「食らえ、そのように痩せられていては仕事も任せられん」
「は……い……」
箸の持ち方も知らないのか、二本をまとめて握って飯を恐る恐る食べる。その瞬間、彼女の瞳は驚きに見開かれ、がっつくように食べ始めた。
その食べ方は獣が餌をくらうかのようであり、あちこちにこぼしたり頬に米粒などをつけていたりしてみっともなかったが、グレンは気にせずに食事を続ける。
食事が終わったくらいで、再び侍女たちがやってきて膳を下げ、トゥルのこぼした料理や顔につけた米粒などを拭き取ってから手を取って立たせる。
「寝ろ。明日から貴様には読み書きを覚えてもらう」
「…………」
トゥルが案内された部屋は、城内の一室であったが、やはりここも他と同じく上質な部屋のようであり、敷かれた布団なども大きく、ふかふかであり沈み込むかのように感じられた。
何かの間違いではないのだろうかとトゥルは思う。もしくは、夢なのかもしれないとも。こんなにも幸せなことが本当なのかとすら思うのだ。
だが、何をやっても夢は覚めずこれが現実だと知らせているのだ。だが、寝ろと言われたのなら寝る。トゥルは敷かれた布団に入った途端、眠りについた。
それから、朝が来ると侍女に起こされ、着替え、食事のあと読み書きを教えられ、終わるとあとは自由が与えられる。
食事は三食あり、風呂も入れる。それが毎日だ。無茶を言われることもなく、嫌なことをされることもなく、むしろ誰もが親切にしてくれる。
読み書きも覚えた頃には、すっかりと肉付きも普通の少女ほどとはいかないまでもある程度はついてきた。
読み書きを覚えてからは高等な知識を覚えさせられる。いろいろなことを学ばされた。科学というものから、術法、武術、音楽、教養といえるものはすべてだ。
ある時、グレンと会う機会があり、トゥルは聞いた、
「なんで……こんなに、よく……してくれる……の……わた、し、忌み子、なのに……」
「なぜ? そんなもの決まっている。貴様がこの我の所有物であるからだ」
「それ……だけ……?」
「それ以上でも以下でもない。わかったのならば励め」
それはぶっきらぼうながらも確かな愛だったのだと成長したトゥルはわかるのだが、今はただわけがわからないままだった。
ただ言われるままに励み、トゥルはグレンに一生が仕えることとなる。
武骨な男と少女の組み合わせっていいよね。