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帰郷


第四章 6




 救急車は八王子ジャンクションから高速道路を下りて郊外へと進み、やがて見覚えのある森に囲まれた、レンガ色の建物が見えて来る。

 関東医科大学八王子医療センターに到着すると、ストレッチャーのまま病棟に入り、そのまま外来のロビーを抜けて奥にある処置室へと運ばれて行く。

 中で暫く待っていると、あの頃お世話になった菅橋先生が入って来る。東京湾沿いの病院から付き添ってくれた看護師さんも一緒にいる。

「こんにちは、お久しぶりですね」

 と迎えてくれた菅橋先生はさすがに白髪が増えているけれど、12年も経っていることを感じさせないくらいあの頃のままだった。

「それじゃ先生、宜しくお願いします」と言って看護師さんは菅橋先生に頭を下げてから、亜希子の側へ来ると「それじゃ、お大事に、頑張って下さいね」と声を掛けてくれる。

 父さんと母さんが丁寧にお礼を言って、看護師さんは処置室を出て行く。

「すいません。また戻って来ちゃいました」

 と舌を出して言うと菅橋先生は「千葉の医療センターから引継ぎの診断書は受け取りましたから、準備は出来てますからね、心配しなくて大丈夫ですよ」とあの頃と代わらない笑顔を見せてくれる。

 そんな先生の顔を見ていると、ああ本当に戻って来てしまったんだという感慨が込み上げて来る。あの頃私は、まだたったの26歳だった。

 手術の為に検査をしておきたいからと言って、菅橋先生は血液を採取したり、心電図をとったり、呼吸機能を計ったりと、いろいろな検査を進めて行く。

 全身の断層撮影をする前に造影剤を入れる為の点滴をして、検査台に乗せられる。それからMRIというSF映画みたいな機械の中へ入って行く。

 一通りの検査が終わると夕方だった。病室へ行くのにお父さんが押してあげるから車椅子に乗りなさいと言う。ゆっくりなら歩くことも出来るのでいいと言ったのだが、いいから乗りなさいと言うので素直に乗って押して貰う。

 病室は四人部屋で、三人の患者さんがそれぞれのベッドに寝ているところへ車椅子に押されながら入り、誰に言うでもなく「こんにちは~」と頭を下げながら指定されたベッドへ行く。

 夕食までにはまだ時間があるので、お母さんに売店で新聞や週刊誌を買って来て欲しいと頼んだ。

 もしかしたら、越川と俊一のことが何か載っているかもしれない、と思った。当初の約束どおり越川が俊を連れて警察に出頭しているとしたら、きっと記事になっているに違いない。

 だが、その日の新聞にも週刊誌にもそれらしい記事は見当たらなかった。

 もしかしたら俊が逃げて検見川浜のマンションに帰って来ていないだろうか……という希望はあるけれど、俊はドアの鍵を持っていないから、もし逃げて来たとしても部屋に入ることは出来ないだろう。




 夜になって夕食が出て、お父さんとお母さんはこれからの入院生活に必要な着替えやタオル等を家から持って来ると言って、帰って行った。

 もしかしたら上手く鍵をこじ開けて、俊がマンションに戻っていないだろうかと思い、公衆電話から電話してみる。呼び出し音の後に亜希子の留守番電話の音声が流れる。

『はい、倉田です。ただ今留守にしております。発信音の後にメッセージをお入れ下さい』

ピーッ……。

「もしもし、俊、そこにいないの? 私だよ、亜希子だよ、もしいたら電話に出て、もしもし、もしもし……」

 何度も呼びかけてみたけれど、やはり受話器を取る人はいなかった。




 翌日の朝、家から沢山の荷物を持って父さんと母さんが来た。今日も新聞を買って来て貰ったけれど、何も出ていなかった。病室のベッドに備え付けのテレビでワイドショーやニュースを観ても、やはりそれらしき報道は無い。




 父さんと母さんを交えて、菅橋先生から手術についての説明があった。

 MRIの断層撮影や血液検査等の結果、亜希子の肝臓に出来ている腫瘍は悪性である可能性が高いということで、明後日の9月30日に管橋先生の手で開腹手術を行なうことになった。

 先生は用意しておいた書面を私と両親に見せて説明して行く。

 先生が言うには、肝臓に出来ている腫瘍を取り除く手術になるのだが、この腫瘍の摘出で病気が完治出来るかどうかはその後の検査結果を診てみないと何とも言えない。それに他の臓器への転移も考えられるので楽観は出来ないということだった。

 そして手術した時に考えられる身体に与えるリスクについてもひとつひとつ説明して行く。手術の間の出血の量によっては輸血する必要があること。万が一合併症になる可能性もあること。等等……。

 一通りの文面を読み終えると、先生は書面を私達に差し出して、それらの手術に伴うリスクについて予め了承し、同意しましたという趣旨のサインをして下さいと言う。

 もし手術で何らかの不足の事態が起きたとしても、何も文句を言わないで下さい、と約束させられているみたいで不安になるけれど、どんな病気の手術でも、こうした同意書は必要な物なのだと菅橋先生は教えてくれた。




 夜になって両親も帰り、病室に一人になった。夜中にまた暫く治まっていたあの痛みに襲われて、あまりの辛さにナースコールを押してしまう。

 来てくれた看護師さんがすぐに痛み止めの注射と座薬を入れてくれる。暫く痛みを忘れていたので少しは回復しているのではないかと勝手に思っていたけれど、それはあくまでも薬の力で感じていなかっただけで、決して治っている訳では無かったのだと思い知らされる。




 いよいよ明日は手術という日、真由美姉さんがお見舞いに来てくれた。お盆に会って以来、ほんの一月半くらいの間に私がこんな風になってしまって、きっと驚いているだろうと思うけど、全くそんな素振りは見せず、私を気遣ってくれているのが分かる。

「大丈夫だから元気出して頑張んなよ~」

 といつになく明るくて、ひたすら私を元気付けようとしてくれる。

 でもそれがかえって空々しくて、何だか他人行儀な感じがする。こちらも努めて元気な様に世間話に調子を合わせているけれど。なんだか姉妹というよりも友人の様な気さえしてくる。

私の人生と姉の人生と、対抗意識がある訳ではないけれど、こんな惨めな姿を見せていることが、とても哀しくなってしまう。

明日の手術の為にいろいろと検査しなければならないことがあって、あまりゆっくり話している時間がなかったことに、むしろ救われた様な気さえしていた。

 採血室へ行って腕から血液を採り、尿も採られる。看護師さんがお腹の周りの毛を剃ってくれて、おへその穴も綺麗にして貰う。

 病室に戻るとまた例の腰から胸にかけての痛みが凄くなって来て、看護師さんに頼んで痛み止めの注射をして貰う。

手術の前は消化の良い物しか食べてはいけないということで、今朝の食事はおかゆ、昼は食パンとスープだけだった。

 夜はお風呂に入った後、下剤と睡眠剤を飲んで寝る。それでも身体が緊張しているのか、なかなか熟睡することが出来ない。

時々薄っすらと眠った様な眠らない様な状態を繰り返している。そのうちに便意をもよおして来たので、暗い廊下を歩いてトイレへ行って、またベッドに入る。

 そんなこんなでようやく眠れたかと思った途端に「お早うございまーす」と看護師さんが元気よく入って来てカーテンを開く。

 外はすっかり夜が明けて明るくなってる。いよいよ手術の日になった。

 今日は手術が終わるまで食事は無しで、その代わりに点滴を打って貰う。

 息をするとお腹の中が空っぽになった感じがする。手術の始まる午後3時まで、このまま待っていなければならない。

 午後になって父さんと母さんが来て、また週刊誌や女性雑誌を買って来てくれた。今日も俊に関する記事は出ていない。

 そうこうするうちに手術室に行く時間になったので、すぐに裸になれる様になっている手術着に着替える。パンツも脱いで下半身にはT字帯というふんどしみたいな物を着ける。

 準備が出来るとベッドに乗ったまま看護師さんたちに動かされて、そのまま病室を出ると廊下を走って手術室へと向かう。

 天井の蛍光灯の光が過ぎては来て、また過ぎて行く……自分が生きるか死ぬかの大手術を受けに行くところだというのに、父さんと母さんがこんなに心配しながらついて来ているというのに、それらは何処か他人事の様に感じていて、頭の中には俊のことが浮かんでいる……。




 俊はまだ警察に出頭していない……あの時、越川は私に二度と姿を見せるなと言った。越川は最初から俊を警察に出頭させる気なんてなかったのではないのか。

 俊はまだ生きてるんだろうか。それとも何処かに閉じ込められているんだろうか、また虐待されているのではないか……大丈夫なの? 元気でいるの? 今でも亜希子の目にはあの、経堂のアパートの側で毎朝すれ違っていた、自転車に乗った儚げな少年の姿が浮かんでくる。

あの男は、越川はまだあの会沢診療所で勤務しているんだろうか、あの男の居場所が分かっていれば、俊のことをどうしたのかと聞くことが出来るかもしれない。でも……恐ろしくて私にはそんなことは出来そうにもないけれど。




 亜希子を乗せたベッドは手術室の前へ辿り着いた。両親はここで締め出されてしまう。

 心痛そうに黙っていたお母さんは「亜希子、大丈夫だからね、頑張ってね」と言って手を握ってくれる。亜希子は「うん。大丈夫だから、頑張って来るね」と母に答える。父さんは黙って見ている。手術室へ運び込まれるとバシャンと扉が閉められて、父さんと母さんは扉の向こうに消えた。

 12年前の手術の時は苦しかったし急だったのでよく見ることが出来なかったけど、手術室の中は沢山の機械や設備が整っていて映画のシーンみたいだ。

 ああ、凄いな……と思って天井を向いていると、横に麻酔を担当する医師が来て「最初に硬膜外麻酔をしますので、横を向いて身体を丸めて下さい」と言われてその通りにする。背骨の間に針を刺して注入する麻酔なのだという。

 検見川浜のマンションから救急車で運ばれて、検査も含めて身体中に止め処なく針を刺されてきたので、もう慣れっこになったけど、背中に刺されるのは初めてだった。

 手術してくれる菅橋先生は何処にいるんだろう、と思いながら元通り仰向けになっていると、口の上に透明なマスクをかざして「それじゃ、今度は全身麻酔をかけますので、ゆっくり数字の1から順番に数えて下さいね」と言うので頭の中で「いち、にぃ、さん……」と数える間もなく意識が遠のいて行く……。




 薄っすらと目が覚めて来る。手術は終わったんだろうか……腕には両方とも点滴の管が繋がってる。胸には心電図の導線が貼られていて、モニターがピッ、ピッ、と音を立ててる。お腹にも何本も管が刺されていて、股の間には尿管が付けられてる。何だか手術する前よりも大変なことになっている気がする。

 そこは病室ではなくて、手術の後で容態が安定するまで様子を診る為のICU(集中治療室)という部屋だった。

 手術の間ずっといてくれたらしく、お父さんとお母さんが私の顔を見て「気が付いたかい?」と声を掛けてくる。

「手術は無事に終わったからね、大丈夫だからね」

 そう言う母の顔はとても疲れている様で「お母さんこそ大丈夫なの?」と私の方が心配になってしまう。

 父さんはそんな母さんの横に立って、黙って私を見下ろしている。

 ICUには窓が無いので外がまだ明るいのか暗いのかも分からない。でも父さんと母さんの服装が手術の前と同じなので、きっと日付は変わっていないのだと思う。私が目を覚ますのをどれくらい待っていたんだろうと思うと胸が痛む。

 暫くして菅橋先生も入って来た。ニッコリと笑って私の手を取ると「頑張りましたね、手術は無事に終わりましたから、後は術後の経過をよく診て行きましょう」と言う。

これで私は助かるんだろうか、まだ完全に麻酔が解けていないせいか、全てが現実のことではない様に思える。

「良かったねぇ、良かったねぇ」と繰り返す母に頷いて調子を合わせてあげながら、もう一度元気になれるものなら、一日も早く良くなって、俊の消息を探しに行きたいと思う。




 その夜は病室へは戻らずにICUの中で過ごした。

 両親が帰ってからは、無機質な機械が発するピッ、ピッ、という脈拍を示す規則的なアラームの音だけに包まれている。

 麻酔が切れ初めているのか、目が覚めた時はあまり感覚が無かった身体の質感が戻ってくるのと同時に、何か巨大な重しが圧し掛かってくる様な鈍痛が身体を包み込んで来る。

 遠くからスーッと来て、ワーッと身体を縛り込む様な感覚が絶え間なく襲って来る。

 身体中がズンと重みのある痛みに包まれている様で、とても辛い。それでも背中から注入されている痛み止めのお陰で本当はもっと痛いところを救われてるのかもしれない。それでも痛い……。

 とても眠れそうにないのでベッドについているナースコールのボタンを押す。看護師さんが来て、痛み止めの注射と座薬を入れてくれる。

 俊のことが気になる……けど、この苦しみに襲われるとそれどころではなくなってしまう。ああ、苦しいよう……私は二度と自分で立ち上がることも出来ないかもしれない。

 薬が効いて来たのか、身体が軽くなって来る。これで眠れるのかと思うと、またフワッと高いところから落ちてくみたいな感じがして目が覚め、身体の奥底から痛みがジンジンと広がって来る。

 どうして眠らせてくれないのかと思いながら、また堪らなくなってナースコールを押す。

そんなことを繰り返して、ぐっすりと眠ることが出来ないまま朝を向かえてしまう。




 今日からはICUを出てまた一般の病室へ移されることになった。

 でもまだ脈拍をチェックする導線と点滴は繋がったままだし、尿管も付けられている。それほど容態が安定していないということからか、病室はナースステーションのすぐ隣にある4人部屋だった。そこには他の患者さんたちも重症そうな方達ばかりが入っている。

 私はベッドに横になったままで、両親と一緒に菅橋先生から、手術の結果についての説明を受けた。

 先生は「これからは御家族との協力体制で、病気と戦って行かなければなりません」と言うので、やっぱり昨日の手術だけでは完治した訳ではなかったんだと思う。

 先生が言うには、手術で肝臓に出来ていた腫瘍は取り除いたのだが、周囲の部位にも転移が見られたということだった。

 今後の治療方針としては体力が回復するのを待って、今回の手術で採取した腫瘍細胞の病理組織の診断結果から判断して、放射線治療と抗癌剤治療、それにホルモン療法等を併用しながら治療に当たって行きましょうということだった。

 私の身体は癌の進行具合を示す段階でいうとステージ4といって、レベルとしては最悪の段階なのだという。

 父さんと母さんは真剣な面持ちで事実を受け止めている。私の為にこんな思いをさせていることが情けなくて堪らなくなる。

 誰も口には出して言わないけれど、もしかしたら私はもう助からないのではないかと思う。抗癌剤とか放射線とかいろんな治療方法があるっていうけれど、それで幾らかは生き延びることが出来たとしても、それも長くは続かないのではないか。そんな思いが浮かんで来てしまう。

 先生はただ「気力をしっかり持って、頑張って治療に当たって行きましょう」と言うだけで、生死の問題については触れようとしない。




 次の日になると、心電図を取っていた導線と点滴や尿管を外して貰えて、お腹から胸にかけて切り開いた手術の傷跡を自分で見ることが出来た。

 トイレに行きたくなって、お母さんに支えて貰いながらゆっくりとベッドから降りる。傷口が傷むのではないかと思ってソロソロと動く。

 手術をした後は内臓が癒着してしまうのを防ぐ為に、なるべく歩いて身体を動かした方が良いのだと看護師さんに言われている。

 やっぱり途中で傷のところが凄く痛んでしまい、立ち止まってしまうけれど、少ししてまた歩くのを繰り返しては廊下を進み、やっと洗面所まで来る。

 母さんに扉の前で待っていて貰い、個室に入って用を足すことが出来た。こんなことでも身体の機能がちゃんと働いていることにホッとする思いだった。

 個室を出て、手を洗い、そこにある鏡を見た途端にショックを受けた。それが自分だとは思いたくない。それはもうこの世の者とは思えない、ミイラだった。

 取り返しの付かない人生がそこにある。もうそんな自分を侘しく思う気力さえなくしてしまいそうだった。

 まだ少しでも若さを保っていたいとお風呂に入る時は冷水のシャワーと湯船を繰り返して入っていたことも。週刊誌を見てせっせと作った豆乳ローションを顔に付けていたことも。風呂上りにせっせとストレッチをしていたことも、全部が馬鹿みたいなことだったと思う。

それでもまだ俊のことは気になっている。今日からは毎日母さんに新聞を買って来て貰い、病室のテレビでニュースとワイドショーを欠かさず見ることにしようと思う。

 病院の一階にある図書室には患者が自由に使えるパソコンがあって、インターネットを見ることも出来ると看護師さんが教えてくれた。

 事件のことを検索すれば何か新しい情報が得られるかもしれない。と思うけど、まだ一人でそこまで行くのは無理っぽいし、母さんと一緒だと何故私がそんな事件のことを調べるのかと不審に思われてもいけないので、まだやめておこうと思う。




 日が経つに連れて徐々に歩くのが苦痛では無くなって来た。今日は母さんも家のことがあるからと言って病院へは来ないので、出来れば病室から一人で一階の図書室まで行ってみようと思う。

図書室は一階のロビーを過ぎた奥の、売店や喫茶室の並びにあると聞いた。ソロソロと気を付けながら廊下を歩いてエレベーターに乗り、一階まで来ることが出来た。でもロビーを過ぎた辺りで身体が重く疲れてきてしまう。

 少し止まって休み、売店でジュースを買って、図書室へ入るとパソコンの席に座る。

 ぐったりとしながら、少しずつジュースを飲んでいると身体が落ち着いてきたので、インターネットを繋いでキーワードに「世田谷区」「高校生」「母親を刺殺」と書き込んで検索ボタンをクリックする。

 ヒットした項目の中から以前にも見ていた新聞社の事件報道を選び、表示してみる。

画面を見て驚いた。4ヶ月前に母親を刺して逃げたまま行方が分からなくなっていた高校生が、交番に保護されたという記事が掲載されている。

 その記事がアップされたのは3日前で、亜希子が手術を受けた日だった。その日は新聞を見ることが出来なかったのだ。その記事には次の様に書かれている。




『4ヶ月前に世田谷区で母親を刺して逃亡していた男子高校生が、中央区の交番に保護された。少年は母を刺して逃げた後、親切なホームレス等の世話になりながら逃亡を続けていたが、ここ数日間悪い連中に捕まっていたところを、隙を見て逃げ出して来た。と語っている。母親とはテストの成績のことで口論となり、思わず刺してしまったが、殺そうなどとは思っていなかった。まさか死んでしまうとは思わなかったので、ニュースで母の死を知った時はとても悲しかった。と話しているという……』




良かった! 俊が無事に生きてた!

 だが、嬉しさのあまり始めは気付かなかったけれど、読み返してみるとこの記事にはいろいろとおかしな点があることに思い当たる。

 そもそも何故中央区の交番で保護されたのか? 一人で交番に保護されたということは、越川が付き添って出頭したのではない。それに俊は4ヶ月前から逃げている間、親切なホームレス等の世話になっていたことになっていて、亜希子のことは全く書かれていない……どういうことなんだろう。越川の元から逃げて来たということなんだろうか。

 ここに書いてある俊の言動についてはいろいろと不思議に思うけど、新聞社のサイトに書いてあるのだから、俊がこう語ったということは間違いないのだろう。

 とにかく無事でいてくれたことは本当に良かったと思う。

 生きていればまた会うことが出来るかもしれない。けれど私には、これから図書室を出て病室まで一人で戻れるのだろうかと、そんなことが不安になっている。

 情けないと思って泣きたくなってしまうけど、頑張って歩かなくちゃ。なるべく身体を動かす様にと言われてるんだから。そして、少しでも良くなって、また外を歩ける様にならなければ。でなきゃ俊に会いに行くことが出来ないもの。




 手術してから4日目になった。やっと流動食が食べられる様になって、朝食におかゆが出た。看護師さんが「徐々に普通の食事も出来る様になりますからね」と言ってくれる。

 リハビリから始めるのだと思ってゆっくりと食べる。おかゆの味を確かめながら。頭の中では考えを巡らせている。

 ……昨日図書室のインターネットで見た記事によれば、俊が保護されたのは9月の30日だと書いてあった。今日は10月5日だから、保護されてから5日が経っていることになる。

亜希子が思っているのは、自分のところへは警察が来ないのだろうか、ということだった。

 あの時越川は私に『……もしまた俺達に関わったら、警察に突き出してやるからな』なんて言ったけど、そもそも私は俊を越川の許へ連れて行こうと決めた時から、警察に捕まる覚悟はしていた。

 なのに、俊が保護されてから5日も経つのに私のところへは警察が来ない。ということは、俊も越川も私のことを警察には話していないということだ。

 亜希子はむしろ警察に逮捕しに来て欲しかった。何故ならそうなることは俊が亜希子のことを警察に話したということであり、警察は亜希子が俊を匿っていた事実を認め、亜希子は越川の暴力について警察に訴えることが出来る。そして越川にもそれを邪魔することは出来ない。

 そうなればきっと週刊誌やワイドショーがいっぱい押し寄せて来るんじゃないだろうか、よくテレビでスキャンダラスな事件を起こした関係者が、自宅に押し寄せた大勢のカメラマンやレポーターに揉みくちゃにされてるみたいになって。

 私はマスコミに、俊に暴力を振るっていたのは詩織さんではなく、父親の越川だったということを話して、世間に公表することが出来る。

 その為には亜希子も自分のしたことについて、犯人隠匿でも青少年に対する猥褻行為でも、罰を受ける覚悟なんてとっくに出来ている。

 でも未だに警察が来る気配がないということは、越川が俊に私のことは警察に話すなと言い含めているからではないだろうか。

 つまりあの記事に出ていた、俊が語ったという内容は、全て越川の指図通りに俊が喋っているということではないだろうか。

 母を刺してしまったことを後悔しているということも、今までホームレス等に助けられて方々を放浪しているうちに悪い人たちに捕まって、そこで暴力を受けて逃げて来たということも、そして俊が一人で中央区の交番に保護されたことも、全ては越川の差し金なのではないだろうか。

 私のことを無かったことにしているのは、警察に俊が反省しているという印象を与える為に、行きずりの女の家に匿われていたなんてことは知られたくないからだ。

 それにもし私の存在が明るみに出れば、俊に暴力を振るっていたのが自分だということが発覚してしまうかもしれないから。




 夕方になって看護師さんが運んで来てくれた夕食もおかゆだった。結局その日は三食とも薄いおかゆだけだった。それでも文句も言わず、リハビリだと思ってゆっくりと食べる。

 俊の為にも早く元気にならなくちゃ。ネットに出ていた記事の内容を考えると頭が混乱してしまうけど、とにかく今は身体のリハビリに努めなければと思う。

 

 次の日のお昼からやっと普通の食事が出来る様になった。看護師さんが運んでくれた他の人たちと同じ白いご飯とお味噌汁を見た時、ああ、これでやっと私の身体も回復して行くのかもしれない、と思って嬉しくなる。

今更ながら普通にご飯が食べられるということに感動と感謝の気持ちを覚えながら、ひと口ずつ噛み締めて食べていく。

 ……俊は警察に保護されたといっても、まだ完全に越川に支配されているんだ……俊、何故私に助けを求めてくれないの……。

 そしてある恐ろしい考えに思い当たる。もしかしたら俊は、私が裏切って越川に自分を引き渡したとでも思い込まされているのではないだろうか。

それならば、私が自分から警察に出頭して、俊との今までの経緯や、越川から暴力を受けたこと等を訴えたらどうだろう。

 でも今の様な状況になってしまっては、警察に話したとしても、私が俊を匿っていたことを信用して貰えないかもしれない。

何か俊を匿っていた証拠になる物でもあれば……ダメだ。検見川浜に引っ越す時に俊が着ていた血糊の付いた制服も、凶器の包丁も他のゴミに紛れ込ませて捨ててしまった。もうとっくに何処かのゴミ処理場に運ばれて燃やされてしまっているかもしれない。今から探して見つけ出すことなんて不可能だろう。

 越川と交わしたメールの遣り取りや俊の寝顔を写した画像が残っていた携帯は、あの時越川に引き千切られてしまったし。何か他に方法はないだろうか……。

 そうだ……もし警察に検見川浜のマンションから俊の指紋を検出して貰うことが出来れば、私の言うことが真実であることを認めてくれるに違いない。それは頑張って働きかければ出来るのではないかと思う。

 でもそうなれば、その後はどうなるだろう……私が逮捕されて、越川の俊に対する暴力を世間に公表することが出来て……。

……俊に暴力を振るっていたのが詩織さんではなく、悪いのは越川だったということを公表出来たとしても、それでもあの男が俊の父親であることに代りはない。

 俊の人格は完全に越川への恐怖と裏返しの尊敬によって支配されている。生涯あの男が俊の父親でいる限り、俊はあの男の支配から逃れることは出来ないんじゃないだろうか。




 手術をしてから7日目になって、傷口を塞ぐ為につけていた小さなホッチキスの針みたいな物を外してくれた。

抜鈎ばっこうという作業なんですよ」と看護師さんが教えてくれる。

 縦に延びた傷に沿って小さな針が並んで付いていたのを、カチャカチャと手際よく外して行く。麻酔をしている訳ではないけれど、ちょっとチクッとするくらいでそれ程の痛みは無い。

 手術の傷口も塞がって、このまま身体の中も治ってくれてたらいいのに、と思う。




私が警察に出頭して、悪いのは父親の越川だということを訴えたとしても、俊は自分の口からは本当のことを言わないのではないかと思う。

 俊は3ヶ月も私と暮していながら越川の暴力については一言も口にしなかった。それはきっと越川への絶大なる恐怖が、潜在的にも俊を支配しているからだ。

 俊は「尊敬しているから」ということを言い訳にして、越川の恐ろしい部分は考えない様にしているんだ。幼い頃からそれが日常化していたから、そのことを他人に話すなんてことはあり得なかったんだ。  

 だからもし、あの時私が俊を匿わずに警察に引き渡していたとしても、俊は越川の暴力については警察に言わなかったと思う。

 抜鈎が終わった後、手術後の内臓の癒着が無いかを調べるのと、今後の治療方針について判断する為にCT撮影をするということで、菅橋先生が来て一緒に放射線検査室へ行く。




 菅橋先生から「明日は今後の治療のことについて説明したいので、御両親にも来て貰って下さい」と言われたので、次の日の午後からお父さんたちにも来て貰い、一緒に先生の話を聞いた。

「CTの結果なんですが、内臓癒着の方は大丈夫ですね、それで次に始める放射線と抗癌剤を併用する治療についてなんですが、まだ手術で摘出した腫瘍からの詳しい病理診断が上がって来ていないので、すぐに始めることは出来ないんですよ。それでですね、次の治療を始めるまでの一週間くらいの間なんですが、良ければ退院してご自宅で過ごされてはどうかと思うんですが」

 先生の口から出た「退院」という言葉に驚いた。もう生涯病院から出られることは無いのではないかと思っていた。

 先生が言うには、抗癌剤の治療を始めたら一ヶ月くらいは毎日続けなければならず、その間はずっとベッドに寝たきりで、外に出たり歩いたりすることも出来ず患者さんはとても辛いのだという。

 それならと父さんと母さんと話し合って、容態が安定していれば明日にでも一度退院しましょうということになった。




 その夜から浴室でシャワーを浴びることが許された。

 そうっと裸になって、スポンジにボディソープを付けて、ゆっくりと身体中を丁寧に洗っていく。腕も、足も、指の間も。

 身体中泡まみれになって、それからシャワーを浴びる。暖かい飛沫が身体を流れて行く。目を閉じて思わず「あ~」とため息が漏れる。

 この先に待っている闘病生活はきっと辛いだろうと思うけど、今はただ明日退院出来るということが嬉しい。

 身体を洗い終えると今度は頭からシャワーを浴びて、シャンプーを手に取り髪を洗う。髪の毛が引っ掛かってしまうのでゆっくりと手を動かしていく。

 今頃俊はどうしているだろう。ねえ俊……貴方は本当はお母さんを守ってあげる為に父親を殺すべきだった。でも弱い貴方にはそんなことは考えも及ばなかった。

 俊……貴方は強くならなければならない。でなければ例え罪を償って社会に出て来ることが出来たとしても、真相を隠したままでは一生涯本当の自分の人生を生きることは出来ないのよ……。

 目を閉じてシャンプーの泡を洗い流す。そしてまたスポンジにボディソープを付けて、始めからゆっくりと全身を洗い直していく。




 手術から9日が経った今日。先生からの許可が下りて、一時退院して家へ帰ることになった。

 病院の表玄関から両親に付き添われてタクシーに乗り、実家へと向かう。離れて行く病院の建物を見ながら、もう戻って来なくても良ければいいのに……と思う。

「良かったねぇ久しぶりに家に帰れて、一週間もあるんだからのんびりして美味しい物でも食べてればいいわよ」

 と母さんはまるで病気が治ったみたいに嬉しそうだ。

 次の治療を始めるまでの一週間というけれど、菅橋先生が一度退院させてくれたのはきっと『病院の外での最後の時間を家族で過ごして下さい』ということなのではないかと思う。この一週間を最後に、再び入院すればもう二度と出て来ることは出来ないのではないか……。

 でももう何も口に出して言うのはやめよう。一生懸命に笑顔を作っているお母さんに、どんなことになっても最後まで調子を合わせていてあげようと思う。だって私には、もう他に親孝行と呼べることは何も出来無い。

 病院を出て北野街道を走るタクシーの窓の外に、懐かしい町並みが現れて来る。

 少女時代を過ごした八王子の街。思い返せばあの頃がついこの間の様な気がする。

 こんな有様になってこの街に戻って来ることになるなんて、考えてもいなかった。人の人生なんて、なんて短くて儚い物なんだろうと思う。

 タクシーは京王線の北野駅前から八王子バイパスへ折れると住宅地へ入って行く、それから5分もしないうちに実家に到着した。


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