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キャベツ炒め


 私が最初に作れるようになった料理は「キャベツ炒め」だった。

 キャベツを千切りにして、それを炒める。ただそれだけのシンプルな料理だ。

 確か私は当時小学3年生くらいだったと思う。母が作ってくれたキャベツ炒めがあまりに美味しくて、自分でも作ってみたいと思った……ということらしい。最も私はその当時の事はまったく覚えていなくて、のちに母から聞かされたことなのだが(母曰く、「わたしの作った手抜き料理に何故か強い関心を示したかと思ったら、作ってみたいと言い出した。あんたは昔っから変な子だったよ」)。


 小学生に作れるくらいだ。キャベツ炒めは難しくない。前述の通りキャベツを炒めて貪り食う、ただそれだけの一皿だ。ただこれだけの料理が私の心を射抜いた理由、それは恐らくバターの香りだっただろう。

 まずキャベツを千切りにする。コンビニで買ってきたような出来合いの千切りパックはよろしくない。千切りが細かすぎて、熱を通すとぺしゃんこになってしまうからだ。あくまでも自分の手で、不器用に切ったくらいの幅がちょうどいい。

 フライパンにほんの少しのサラダ油とバターを熱し、キャベツを炒める。

 キャベツがしんなりしたら、香り付けに醤油をひと回し。塩コショウで味を整えたら完成だ。


 たったこれだけの工程。こんなに簡単な料理なのに兎に角、箸が止まらない。

 柔らかいキャベツを箸でつまんで――まず、これだけで楽しい。炒めたキャベツというのは、私の知る中で箸でつまむのに最も適した物質のひとつだ。適度に柔らかく、しかし力を入れ過ぎても崩れる類のものではない。細い箸の先端にかかる圧力を、あのキャベツの母性を想わせる柔らかさは優しく受け止めるのだ(無論、最もつまむのが楽しいキャベツ炒めを作るためには、キャベツの切る幅を厳密に調整しなければならないのだが、ここでは詳しく言及しない)。

 箸でつまんで口に近付けると、専攻して匂いがやってくる。

 キャベツの甘い香り、バターの芳しい匂い、少し焦げた醤油……。それだけでよだれが止まらない。文章に書いているだけでも、唾が出てくるくらいだ。

 しかし、何時までも匂いだけを楽しんでいる訳にはいかない。キャベツがさめてしまう。少し名残惜しい気持ちを抱きながらも、キャベツを口に入れる。


 甘い。

 味覚としての甘さではない。匂い、食感、味……全てを統合した「キャベツを食べる」という体験が、胸の奥を甘く疼かせる。

 キャベツ炒めに、派手な味はない。ただ塩とコショウと醤油と、バター。その程度だ。でもその程度が、その程度だからこそ、美味しい。キャベツ炒めは、長旅を終え、自宅にたどり着いた瞬間の様な安心と安堵を私たちに与えてくれる。

 しゃくしゃくとキャベツを咀嚼すると、ほんのりとした塩気とキャベツの自然な甘みが混ざり合い、優しい味になる。自然な優しさだ。バター、醤油の香りも、ささやかで優しい。噛めば噛むほどキャベツの甘味が口の中に行き渡っていく。口の中もそれを歓迎するようにどんどんと唾液を湧かせている。


キャベツ炒めの優しさに胸を打たれ、田舎のおじいちゃんおばあちゃんや、久しく合っていない旧友の顔なんかを思い出している内に、何時の間にかキャベツ炒めは無くなっている。

ああ、旨かった。今日も平和に一日を過ごせてよかった。

こんなふうに心から思えるのだ。


現実的な話をすれば、キャベツ炒めより素晴らしくて豪勢な料理は沢山ある。

でもキャベツ炒めほど、しみじみと、ゆっくりと美味しさをかみしめられる料理は多くない。

夜食としてもぴったりだ。

簡単に出来るしカロリーも高くない。キャベツ炒めの優しさに打たれ、穏やかな気持ちで夜を過ごすことも出来る。

遠慮しないで、冷蔵庫の中を確認しても良いんですよ。キャベツ、ありました?


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