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台風コロッケ

 不謹慎かも、なんて思うんだけど台風が来るとわくわくする。理由は三つある。

 第一に大学が休校になるかも知れない。どうせ後で補講することになるんだろうけど、降ってわいた休日は無条件で心躍るものなんだ。

 第二に家でゴロゴロしていても、まったくひとつも罪悪感が湧かない。ごうごうと言う風の音、雨粒が窓をたたく音、家がきしむ音を聞いていると、こりゃ家から出る訳にはいかぬ仕方がないからお布団の中にこもっていよう、という気持ちになる。

 第三にコロッケが食べられる。


 台風の日にコロッケを食べるなんていう習慣……というか遊びが始まったのは、00年代あたまの某大型掲示板への書き込みが発端だそうだが、このさい起源なんて問題ではない。コロッケを食べるか食べないか、それが問題だ。

 コロッケが食べられると思うだけで、台風が楽しみになる。「明日は台風だ、停電になったらどうしよう。恐いよぉ……」なんて部屋の隅で膝を抱える一日が、コロッケを食べられると言うだけで「明日はコロッケだ! 台風? コロッケを食べるためだけの演出だよね」となる。

 台風が来るか来ないかでコロッケの味が変わるわけないじゃないか、と思った君。ハッキリ言って君は浅はかだ。恋人と隣あって食べるファストフードが特別に感じられるように、家族で囲む鍋が心を芯から暖めるように、「何時・誰と・どこで」というのは食事において大切なファクターだ。

 台風とコロッケ。この組み合わせは、少なくとも私にとっては最上の組み合わせ。

 部屋に閉じこもり風の轟音を聴く孤独感と閉鎖感、コロッケを揚げる期待感が混然一体となり、私の心は拡大と収縮を同時に体験する。私が狭い部屋に閉じ込められているのか、台風が部屋の外に閉じ込められているのか分からなくなる。コロッケは、哲学だ。


 明日は台風です、なんてニュースが流れると、私はおもむろにスーパーへ向かう。ジャガイモやニンジン、玉ねぎ、普段は高くて手を出さないひき肉なんかを買って、そうそうキャベツも忘れずに。いざ進めや、と鼻歌を歌いながら買い物をすませる。

 逸る気持ちを抑えもせず、全速力で自転車を駆り、帰宅する。

 ジャガイモを茹で、ニンジン玉ねぎひき肉を炒め、つぶして混ぜて、俵型に成型して冷蔵庫で冷やす。明日朝一番で揚げられる様にするためだ。丁寧な調理なんてやってられない。重ねて言うが、台風の日にコロッケを食べるか食べないか、それが問題なのであって、そこに調理の楽しさだとか、作る喜びなんて不純なものを挟んではいけない。


 次の日――台風コロッケ本番当日は出来るだけ早起きする。日が昇りきる前、未明が好ましい。

 布団から出て、身支度をし、遠く部屋の外に風の気配を感じながら調理を開始する。

 俵型に成型したつぶしジャガイモに、小麦粉、卵、パン粉の順につけて揚げる。

 からからからから、じりじりじりじり、ぷぴーっ、しゅるー。陽気なんだか間抜けなんだか分からない軽い音を立てて、コロッケが揚がっていく。パン粉に包まれて真っ白で、まるで味も色気もなさそうだったコロッケが、みるみるキツネ色に変化していく。からからからと音を立てて気泡を吐きながら油の中を泳ぐコロッケは、全身で喜びを表現している。お祭り騒ぎをしている。このコロッケがひとつの惑星だとしたら、中では住民全員が揚げられ記念日をお祝いしビールかけでもして大騒ぎしているに違いない。コロッケを揚げる時の小さな泡音は、コロッケ星人があげている喜びの声なのだ。


 コロッケが揚がったら、十分に油をきって真っ白で大きな皿の左側に盛り付ける。独り暮らしの私が持つ、一番大きなお皿だ。右側には千切りのキャベツ――よく研いだ包丁で薄く千切りにしたキャベツをたっぷりと乗せる。コロッケ一個につき、ひと掴み、ケチらずにたっぷりとのせよう。

 お皿の白、キャベツの緑、コロッケの茶。実に美しい。しかし、何か物足りないような……。三者が三様に、等しく美しいが美しいだけだ。

 足りないのは、そう。ソースだ。

 ソースの深い色合いと光沢があって初めて、この絵画は完成する。


 コロッケにソースをかける。

 そしてサクサクの衣がしけってしまう前に、しかし十分にソースが浸みこんだ瞬間に箸を突き立てる。一瞬、さくっという感触が指に伝わり、すぐに抵抗が弱くなる。コロッケのジャガイモ部分に箸が割って入る「ぐにゃり」という触感を指で味わう。

 からりと上がった衣を強引に突き破りその中の真っ白なジャガイモを露出させるという行為……ああ、何とエロティックなんだろう。直ぐに食べてしまいたい。

 一口サイズのコロッケを口に運ぶ。十分に冷ましたつもりでも、コロッケは熱々で口の中がやけど寸前だ。でも、こう口の中にコロッケを入れて、はあはあ喘ぎながら必死の思いで飲みこむのさえ楽しい。私はコロッケという女王に跪くためだったらマゾヒストになっても良いとさえ思ってしまっている。

 しかし、私は本当の意味でマゾにはなれないだろう。コロッケ女王に傷つけられた口内は、キャベツ君の清涼感を求めている。爽やかなキャベツに口の中の熱と油を拭い去ってもらう、この快感は計り知れない。傷つきっぱなしじゃやってられない、やっぱり癒しがなきゃあ……。コロッケとキャベツはワンセット、この真理は覆せないだろう。

 キャベツで鎮められた心と口を、再びコロッケで昂ぶらせよう。

 さっきより大きめの一口を、さくり。うん、うまい。

 ほのかにミルクの風味と甘味を感じる。隠し味として入れた練乳が上手く効いているようだ。

 練乳は入れ過ぎるとしつこい甘さになってしまうが、適度に使えばコロッケの風味をぐんと底上げしてくれる必須の調味料である。コロッケを咀嚼して、飲み込んで、ふうこの一口も旨かった、と鼻から息を吐き出した瞬間にミルクの香りを感じる程度でいいのだ。


 次はソースたっぷりの部分を、次はキャベツと一緒に、次はジャガイモの部分だけを……なんて言っているうちにあっという間にコロッケは無くなってしまう。少し寂しいが、でも食べれば無くなる。当たり前だ。

 でも大丈夫、コロッケはまだある。今日はゆっくり本でも読みながら昼も晩もコロッケを食べよう、なんて意気込んでいた矢先、「台風が通過したため、本日は通常授業」なんていう連絡が入ったりするのだ。

 私は仕方なしに、残りのコロッケとキャベツを適当にお弁当箱に詰め込み、しぶしぶ、いやいや、心底かったるく大学に向かう。


 昼休み、学生控室でしけってふにゃんふにゃんになってしまったコロッケを食みながら、ああ今回も台風コロッケを堪能し損ねた、とひとりごちる。でも次回こそはきっと、と次の台風に思いをはせる所まで含めて、やはり台風コロッケは美味しい。

 


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