湯豆腐
豆腐を見ていると元気だった頃おじいちゃんを思い出す。
私のおじいちゃんはここ数年ですっかり足も腰も弱ってしまって、最近はとうとうボケまで始まった。一日中床で横になっているか、昼食の後20分だけおばあちゃんの話をソファーに座りながら聞いているか、それだけしかしていない。おばあちゃんの話を聞いている時ですら、目が開いているんだか閉じているんだか分からないほど目を細くして、ときどき小さな声で「うん」と相槌を打たなければもしかしたら寝ているのか、はたまたもしかしたら、と思ってしまうくらいだ。
誰にでも優しかったおじいちゃん。欲は無く、人にやさしく、まるで仙人みたいな人だった。私が遊びに行くたびお小遣いをくれようとしたし、一緒に布団に入って寝る前には昔話をしてくれた。戦争に行って逝ってしまったお兄さんのお話しだとか、結構重い話もあったのだけれども、おじいちゃんの優しい口調で紡がれる体験談は、まるで障子紙の向こうにあるぼやけた異世界をのぞき見ている感じがして、わくわくしながらもすぐ眠くなる不思議な力を持っていた。
優しさも愛情も、お金も惜しみなく私に注いでくれるおじいちゃんだったけれど、食にだけは自分が優先で貪欲だった。私にお菓子をくれる時もこっそり自分用に一つだけ隠しもっていた。今思えばなんだかカワイイ。趣味は畑仕事とそば打ちで、町の役場をやめた後は、早起きして畑を耕し、そばを打ち、昼からは相撲を見る生活をしていたらしい(私は学校に行っていたので、その現場を直接見ることは出来なかった。そばの打ちかたを教えてもらう約束も、果たす前にボケた)。
私の家から、おじいちゃんとおばあちゃんが暮らす家までは徒歩2分。そんな近くに家を建てるのならば二世帯にすれば良かったのに、と一度おばあちゃんに言ったことがあったが「気を遣っちゃうでしょ、お互いに」とあっさりとした答えが返ってきた。おばあちゃんはクールでドライだ。
おじいちゃんとおばあちゃんの家には、ほとんど我が家と共同で飼っている様な雌の犬「ハナ」がいる。私は時々夜に彼女の散歩をしていた。
おばあちゃんとおじいちゃんの家を出発し、いつものコースをぐるりと周って、ときどきご近所さんやご近所犬とあいさつしながら、おばあちゃんとおじいちゃんの家に帰ってくる。「散歩終わったよー」と声をかけると「ちょっと上がっていきなさい」とおばあちゃんが答える。いつものやり取りだ。
家の中に入ると、おばあちゃんがお茶を出してくれる。おじいちゃんは大抵晩酌をしている。おじいちゃんは甘党で有るのと同時に、大酒のみだ。というか、多分嫌いな食べ物
はほとんどない。
おじいちゃんはいつも、湯豆腐を肴にみりんのお湯割りを飲んでいた。私が散歩を任されていたのは、日が短くなる秋から冬にかけてのことだったので、夏や春は別の酒を飲み、別の肴を味わっていたのかも知れない。
おじいちゃんは、みりんのお湯割りをちびちびやりながら野球中継や大相撲を見ている。おばあちゃんはお茶を飲みながら、なんとなしにテレビに視線を向けていた様に思う。私は野球にも相撲にもあまり興味が無かったから、おじいちゃんが時々箸を伸ばす湯豆腐を眺めていた。上からそばつゆがかかっていて、少しだけ豆腐の柔らかい白い肌が垣間見える。あのそばつゆは、おじいちゃんが打ったそばを食べるための、おばあちゃん特製の品だ。
おじいちゃんは私の視線に気が付くと、いつも同じ台詞を言った。
「湯豆腐はな、豆腐の真ん中に熱が通りきる直前が一番美味しいんだよ」
毎度同じ話だからもう分かってるんだけど、私はいつも同じように答える。
「そうなんだ」
「出汁はな、昆布でとるのが旨い」
「そうなんだ」
「おばあちゃんの作る辛めの汁が、豆腐によく合うんだ」
「そうなんだ」
そう言いながら、おじいちゃんはぱくぱくと湯豆腐を食べ、ちびちびとみりんのお湯割りを飲んだ。
真っ白い豆腐に、カツオの出汁が効いた辛めのそばつゆ。薬味にはネギ、時々ショウガ。鰹節を散らしていたこともあったっけ。
豆腐なんて、そもそも好きとか嫌いとかあまり考えた事は無かったけれども、おじいちゃんが食べている豆腐だけはなんだか美味しそうに見えた。
熱せられた豆腐は少しだけ柔らかくなって、ふるふるとふるえていた。あの豆腐を口に入れて、口の中をやけどしないように少し喘ぎながら、舌で押しつぶしたらさぞかし美味しいだろうな。昆布とかつおの香り、そこにかすかに混ざる大豆の匂い。落とさないようにそおっと運ぶ、箸の上の豆腐の揺らぎを見ているだけでも唾液が止まらなかった。
湯豆腐を分けてもらおうと、「今日は一段と冷えるね(だから湯豆腐をよこせ)」「おじいちゃん、あんまり食べると明日にさし障るよ(だから湯豆腐をよこせ)」と私がさり気なく主張しても、おじいちゃんは微笑むだけで、湯豆腐を分けてくれなかった。
おじいちゃんの身体が弱って、起きている時間より寝ている時間が多くなってしまうまで、晩酌は続いた。優しかったおじいちゃん。でも湯豆腐は分けてくれなかった。
おじいちゃんは大好きだけれども、この恨みだけは忘れない。
独り暮らしをするようになってから、大分経った。
昔は分からなかった豆腐の良さも理解できるようになった。主に値段と、タンパク質源という意味でだけど。
もともとものぐさな性格の私に凝った料理なんか出来るはずもなく、けれども外食をしてお金を浪費したくないので、「ものすごく簡単な料理をして食いつなぐ」という戦術を採る様になった今日この頃。寒い季節の定番メニューは「レンチン豆腐」だ。
お湯を沸かすためにプロパンガスを使うのすらケチる私が湯豆腐を作るはずもなく、けれども気温の低い時期に冷や奴を食べたくもない。そんな私が、電子レンジで豆腐を暖めるというあまりにも乱暴で、はたして調理と呼んでいいのか分からない調理方法を見いだしたのは当然の帰結と言えよう。
工程は簡単。パックから出した豆腐を器に入れ、レンジにかける。それだけだ。
時間も計らない。電子レンジに豆腐を突っ込んでいる間に、冷蔵庫からめんつゆのボトルをだし、あれば薬味を用意し、テーブルをセッティングした所で過熱を止める。時々加熱しすぎて豆腐が破裂したりするが、気にしない。
やけどをしないように電子レンジから豆腐を取り出す。鉄の様な大豆の匂いが6畳のキッチン兼居間兼寝室に広がる。
一パック50円の絹ごし豆腐、それを半分にしたから25円。貧乏学生の晩酌には丁度良いだろう。箸で豆腐に穴をあけて、慎重にめんつゆを少しだけかける。めんつゆは濃縮タイプだからかけ過ぎるとくどくなってしまう。
飲み物は、おじいちゃんにならってみりん。おじいちゃんはお湯割りだったけど、私にはソーダ割りの方が合う。友達からは「みりんって飲めるの?」「みりんでひとり晩酌だなんて、いろいろと終わってるね」と言われるけれども、そんなの知ったことか。それにそう言うことを言う奴らに限ってカシオレとかカルーアミルクが好きとかのたまうのだ。
おじいちゃんが飲んでいたのは多分ちゃんとしたみりんで、私が買うような安売りの一本198円ではないだろう。でもこんなみりんでもそれなりにいける。ソーダで割ったみりんは黄金色の泡を抱いていて、見た目だけなら高級酒だ。ねっとりとした甘い香りは、紹興酒を思い出させる。
ちびりと一口含むと、優しい甘さが広がる。砂糖甘さのように尖ってはいない。なんだか甘酒みたいな自然な甘さだ。ただし、決してすごく美味しいとは言えない。甘さはべたっとしているし、アルコール度数も結構高いからすぐくらくらする。でもこの安っぽさがなんだか癖になるのだ。
口の中が酒精で犯されて来たら、豆腐を一口。レンジから出してすぐは熱くて口の中に入れられないほどだったけれど、少しお酒を楽しんでいる間にちょうどいい温度になる。甘めのめんつゆが、みりんの甘さと少し喧嘩するけれど、あまり気にしない事にしよう。電子レンジにかけた豆腐は内部にところどころ亀裂が出来てしまうが、そこにちょうどめんつゆが入り込み、味にむらがでないのがいい。
みりんのソーダ割り三口に対し豆腐一口。これが私にとっての黄金比。
豆腐の味に飽きてきたら、ショウガをそえる。おじいちゃんの湯豆腐に添えるショウガは、生の物をすりおろしていたが、私のはチューブだ。でもこれで十分。マンネリ化した豆腐とみりんの世界に、少しの刺激があれば良いのだ。
私はショウガが大好きなので(というか刺激物が好きなのだ)、あっという間に平らげてしまう。お酒のせいか、ショウガのせいか、はたまた豆腐のせいか、体は温まり、額には薄く汗をかく。ふう、と一息はきながら晩酌の余韻にしばし浸る。インスタントに得た身体の火照りはあっという間に引いてしまい、本格的に冷える前にと、私は歯を磨いて早々に布団に入ってしまうのだ。
おじいちゃん、豆腐うまかったよ。私は湯豆腐を分けてもらえなかった恨み、まだ忘れていないよ、なんて考えながら睡眠の世界に入る。
何か打ち込めるものがある訳でもない、恋人もいない、バイトも勉強もうまくいっていない。でも、食べる、というだけで幸せなんだな。おじいちゃんは自分のことよりも他人の事ばかり心配していた様な、まるで宮沢賢治が夢想した理想の人物みたいな人だったけど、多分、いつでも幸せだったと思う。だって何か食べている時は、おじいちゃんはいつでも楽しそうだったもの。私も食べているだけで幸せだ。やっぱり私はおじいちゃんの孫だ。
先日、久しぶりにおじいちゃんに会った。
一段と衰えて、がりがりだった。
最近は食事がのどに通らないらしい。大好きなそばを打つために、そばを栽培し、山まで湧水を取りに行くあのおじいちゃんはどこへいった。
ボケは進行してしまったみたいだけど、あの穏やかな性格だけは変わっていないみたいで、それだけは救いだ。
おじいちゃんは、私のことを忘れかけている、らしい。
私が声をかけると、とりあえず反応してくれはするのだけど、私を孫と認識しているのか、介護施設の職員と勘違いしているのかは分からない。
私が現在住んでいる町から、おじいちゃんのもとまでは、高速バスで6時間。そう頻繁に会いに行ける距離ではない。
私が日々の忙しさに、物理的距離の遠さに、根拠のない後ろめたさに押しつぶされそうになって、おじいちゃんに会えないでいるうちに、きっとおじいちゃんは私を忘れる。
でも、私はみりんを飲むたびに、そばをすする度に、まだ見ぬ我が子に昔話を語る度に、いるかも分からない孫におやつを与える度に、おじいちゃんの事を思い出す。
電子レンジから豆腐を出す度に、いつかお金や時間に余裕が出来て昆布で出汁をとった本格的な湯豆腐を食べる度に、湯豆腐を分けてもらえなかった恨みを思い出す。食べ物の恨みは重いのだ。絶対に忘れることなど出来はしないだろう。三代先まで呪ってやろう。