小さな魔女の森~Twilight Traveler~
その男に話しかけられたのは、俺が前の仕事の時に愛用の剣を折ってしまい、不貞腐れて自棄酒をあおっていた時で。騒がしい酒場で楽しげに酒を飲む連中を眺めて、卑屈になり始めていた時の事だった。
黒いフードを目深にかぶったそいつは見た目にもすごく怪しく、俺は警戒レベルを高めに設定しながら、ボソボソしゃべるそいつの依頼を慎重に聞き取っていた。ハッキリ言って正気の時だったこんなヤツの依頼になんて、耳も傾けなかったかもしれない。だがその話には、これまでの日常には無い、何か引き付けられるものが有ったと言えるだろう。
「魔女を……探して欲しい」
「魔女って、迷いの森の?」
迷いの森には魔女が住んでいる。
それは誰もが子供の頃に祖父母から聞かされるような、御伽噺レベルの話だった筈だ。そんな謂れのある森が、この町のそれほど離れていない距離に存在している事は情報として知ってはいたが、あえて探索するような面白いネタが有るわけでもなかったので、町の住人も俺のようなしがない傭兵たちも『ああ、そういえばそんなのも有るな』程度の認識でしかなかったのだ。
聞き返した俺に濁った目を向けて、黒衣の男は小さく肯いた。
どうでも良いが、もっとハッキリとしたリアクションを返してもらえないだろうか。
「迷いの森へ行き……ある物を、取り戻して欲しい。報酬は……これだけ払おう。十分な……額のはずだ」
周囲の喧騒に気づかれない様、紙の切れ端に提示されたものは、なるほど魅力的な金額だ。財源の節約をうたっている最近の政府の依頼なんかより、高額だったかもしれない。
「……で、何を取ってくればいいんだ?」
十分に考えてから返答するつもりだった俺の口からは、話を促す台詞が出てきた。これじゃあまるで、俺がこの依頼を受けたいみたいじゃないか。当然、向こうもそう受け取ったらしく、『にやり』という表現がしっくりくる様な邪悪な笑みを、浮かべてきた。
止めておけば良かったと一瞬にして後悔したのは、間違った反応ではないと思うね。
そんなこんなで俺は今まさに、鬱蒼と生い茂る迷いの森に足を踏み入れたところだって訳だ。
『迷いの森』と言っても、その大きさ自体はさして広大と言うわけではなく、むしろ小さい分類に入るだろう。それが何で『迷いの森』かって言うと、単純明快。迷うからだ。どこぞの樹海のように磁場が狂っているわけではない、というところまでは解っているらしく、じゃあ何で迷う人が出るのかっていうと、「それはおそらく未知の魔法だろう」というのが政府の調査隊の見解だ。
なんだそりゃ、ほとんど解ってねぇじゃねぇか。大体、本当に魔女なんて居るのかよ。教えてくれよ、誰か。
とまあ文句を言っても聞いてくれる人も居ないので、俺はサクサクと森の中を鬱陶しい枝葉を掻き分けながら進む事にした。だが、やわらかい土と狭い視界は、俺の体力を容赦なく奪っていく。自然破壊は心苦しくもあるが、それらを少しだけ排除しようと、俺は剣に手をかけた。
ちなみにこの剣は、依頼主から前金代わりに譲り受けたもので、魔女の魔力を受け付けないという魔法が掛かっているらしい。銘はなんていったかな……まあ良いか。
ともかく俺は、その剣を抜いて木の枝を払ってみる事にしたんだ。
魔法の剣なんて扱った事の無い俺は、少しだけ緊張しながら剣を上段に構え、一気に振り下ろす。その時俺は、枝葉の他に何か別のものを切った感触を確かに感じた。何だ今の?
訝しく思いながら、恐る恐る顔を上げる。するとそこには、間違いなく人の手が入った“道”が開かれていて……。
えっ? 俺が――この剣が道を作った?
いや、違うな。元から道はあったんだ。それを覆い隠していた『魔法』を、この剣が切ったんだ……と思う。なるほど、すごいな魔法剣。これは思わぬ拾い物だったかも知れない。
黒く鈍く光り、なおも木漏れ日を切り裂こうとする魔法剣を頭上に掲げ、しげしげと見つめた後、俺は魔女の元へ続くであろうその道を、浮かれた足取りで進む事にした。
今思うと、もう少し警戒しても良かったんじゃないかと思うほどに、ね。
その道は緩やかなカーブを描きながら、森の中心辺りに向かって伸びているようだ。
ただ、道なりに歩いていると、小さな違和感に気付く。普通の森なら聞こえてきて当然の、動物たちの鳴き声がしない。いや、動物どころか小さな羽虫すら見かけない。それだけ、覆っていた魔法が強力だったという事か。
いや、だが動物の代わりに、何か別の存在の気配を感じる。これはこの先に居る魔女のものだろうか? それとも本当に別の何かが潜んでいるとでもいうのか……。
不用意な自分の考えに、背筋が軋む。それを振り払うように首を振り前を向くと、道が終わり森が開けるのが見える。いよいよ魔女との対面だ。緊張を集中に換え、気合を入れなおす。
ところで魔女って、どんな奴なんだ?
森の中心部は円状に開けた空間になっていた。
久しぶりの青空に、目がくらみそうになる。突き刺してくる陽の光に手をかざし目を凝らすと、白い壁の小さな家と、家庭菜園とは思えないほど立派な畑が見えてきた。
これが魔女の家?
ハッキリ言って、そうは見えない。妖精の棲家とか、エルフの隠れ家だって言われた方がしっくり来るぞ。
はたして妖精は居た。いや、違うな。畑でハーブか何かを摘み取っていたのは、年端もいかぬ可愛らしい少女で、彼女は俺の姿を見つけて立ち上がる。
そして、ガラスのコップを弾いた時のような澄んだ音が鳴り――。
「こんにちはぁ。旅の方ですかぁ?」
それが彼女の声だと気付くのに、数秒の間が必要だった。
ペコリとお辞儀をして挨拶をした少女の笑顔につられるように、俺も頭を下げる。
「ど、どうも。いや、そうじゃなくて。えーと、俺はここに魔女が居るって、聞いて……」
そこまで言って言葉を濁す。
それは、彼女のあどけない笑顔が可愛すぎて生きるのが辛くなったのでも、陽の光を反射してたなびく金髪に見とれていた訳でもなく、ある可能性が脳裏に浮かんだからで。つまりそれは、『まさか』とか『もしかして』が頭に付くわけで――。
「はい。魔女はここに居ますよぉ。私が魔女ですのでぇ」
青空を映したような藍色の瞳を細め、白いと言うには白すぎる頬にほんのりと紅を落として、少女ははにかむ。その仕草に、今度こそ見惚れてしまった俺を、誰が責められるだろうか。
「立ち話もなんなのでぇ、家の中でお茶でも飲みながら、お話しませんかぁ?」
提案に無言のまま頷いた俺を、彼女は自分の家に招き入れた。
家の中はきちんと整頓されていて、掃除も行き届いている。少女はリビングのテーブルに俺を案内すると、お茶の用意をすると言って、奥の部屋へ行ってしまった。
ふうん。礼儀も正しいし、間延びした喋り方を除けば言動もしっかりしている。もしかしたら見た目どおりの年齢ではないのかもしれないな。……魔女だし。
あ、先に言っておくが、俺はロリコンじゃないぞ。
そんな事を考えているうちに、彼女はお盆に乗せたティーセットと共に戻ってきた。それらを机に移し、手順良くお茶の準備を整えて、俺の向かいの席に着く。少し警戒した方が良いかとは思ったが、彼女が俺に危害を加える理由を見つけられず、俺は手元に置かれたティーカップから溢れるハーブの香りを、口の中に入れてみることにした。
「ハーブティーですが、お口に合いますかぁ?」
「ああ、美味いよ」
良かったと呟いて、彼女もカップに口をつける。
この子は本当に魔女なんだろうか? その疑問に答えるかの様に、会話は彼女の方から始まった。
「それでぇ、貴方はどうやってこの場所に来れたのかしらぁ? ここは結界で覆われているから、人は入って来られないはずだったのですけどぉ。……あ、もしかしてどこかに綻びが有るのかしらぁ?」
彼女の話からして、俺がここに来ている事は普通ではありえない事らしい。その割に彼女の口調には、事の重大さや緊張感が感じられないが。
「えーと、多分この剣で切ったのが、その結界とかいうやつだと思うんだけど……」
彼女にも見えるように剣を持ち上げると、興味深そうに覗き込んでくる。そのまま剣を鞘ごと腰から抜き、ティーセットに気をつけながらテーブルの上に置く事にした。こんな小さな魔女に剣を渡しても、危険はないだろう。多分。
少女は剣を食い入るように眺めた後、こちらに視線を送る。
「魔法剣、ですねぇ。あの、手にとって見ても良いですかぁ?」
「ああ、良いぜ。重いから、気をつけて」
物を見ただけで、彼女はそれが魔法剣だと当ててしまった。
簡素な鞘を含め、黒塗りの魔法剣は彼女の身長に届きそうなくらいの大きさと、それなりの重さがある。テーブルを擦りながら剣を降ろし、鞘から抜こうとするだけで、彼女の小さな体はよろけてしまう。俺が手を貸そうと腰を浮かせた瞬間、彼女の体がテーブルの向こうに消えてしまった。そして聞こえてくる大きな音。
「お、おい!」
重さに耐えかねて倒れてしまったのだろうか。慌てて俺はテーブルの向こうに回り、剣を抱えるようにして倒れている少女を抱き起こす。どうやら意識を失っているようだ。倒れた時に頭でも打ったのか?
「しっかりしろ、大丈夫か?」
頭を打っているとしたら、あまり動かすのは良くないかも知れない。取りあえず出来るのは、魔法剣を彼女の体から離してやる事くらいだろうか。
「う……んぅ」
「気が付いたか?」
剣を除けてやると、少女は意識を覚醒させた。一先ずホッと胸を撫で下ろす。
「ふわぁ……ビックリしましたぁ」
「ビックリしたのはこっちだよ。平気か?」
「はい。どうやらその剣は、因果律を切り離す魔法が掛けられているみたいですねぇ」
徐々に調子を取り戻しつつあるのか、彼女は剣に掛けられた魔法の解説をしてくれた。
「因果律? 魔法を切る剣じゃないのか?」
「はい。さっき言ったかも知れませんが、この森を覆う結界は簡単に破れるものじゃないんですぅ。それに結界が壊れたら、私が気付くはずでしたぁ。結界と私との関係性を切り離されてしまった為にぃ、それに気付かなかったんですねぇ」
「悪かったな。結界、壊しちまって」
彼女の話は、正直半分も理解出来ていなかったが、自分が彼女の魔法をどうにかしたのだという事は解る。謝罪を口にした俺を見て、少女はそっちの方に驚いたように目を見開いた。
「き、気にしないで下さいぃ。壊れたものは直せば良いんですよぅ。それよりも、その剣をあまり近づけないでくれますかぁ? さっきも魔法と切り離されそうになって、意識を失ってしまいましたからぁ」
「そ、そうだったのか。ごめん」
もう一度謝罪を口にすると、少女は微笑を浮かべたままようやく体を起こした。それを支えるように椅子に誘導し、魔女への最大の脅威となった魔法剣は、彼女から離れた壁に立てかけておく事にした。
「貴方が優しい人で良かったですぅ」
「何だよそれ」
「ふふ。あ、そうだ。まだ名前を伺っていませんでした。私はユーフォニアムと申します。どうぞユフィとお呼び下さい」
少女――ユフィはエプロンドレスのスカートを持ち上げ、優雅にお辞儀をした。その姿にまた見惚れそうになる。ただもう一回言って置くが、俺はロリコンじゃないんだ。
「お、おう。俺はバソン。しがない傭兵だ」
なんだか妙に緊張した自己紹介を終え、俺は自分に淹れられたお茶を、妙に渇いたのどに流し込んだ。
少し気持ちを落ち着けようと、世間話なんかを振ってみる事にした。
「お前……ユフィはここに一人で住んでいるのか?」
「はいぃ。三年ほど前までは、母と一緒だったのですがぁ……」
ユフィはそこで一度言葉を止め、目を伏せる。
「母は『星』になってしまいましたからぁ」
そして今度は笑顔を作って見せるのだ。
何だよ俺、さっきから余計な事しかしてないじゃないか。自分の不甲斐なさが嫌になる。
「わ、悪い。思い出させちまったかな」
「いえ、仕方ない事ですし、少し寂しいだけですからぁ。気にしないで下さいぃ。それよりも、何か用事が有って来たのではなかったでしょうかぁ?」
「あ、ああ。そうだったな」
彼女の助言で、ようやく俺はここに来た目的を思い出した。彼女もさっきの話題を遠ざけたいと考えたのかも知れないので、丁度良い。
「『黒宝珠』っていう物を持っていないか? 俺はそれをあんたから譲って貰って欲しいと依頼されたんだが」
実際にはもっと物騒な言われ方だったのだが、ここは穏便に済ませた方が良いだろう。
「『黒宝珠』ですかぁ? もしかして、アレの事かしらぁ」
首を傾げ少し考えた後、ユフィの脳裏にはなにかしらの品物が浮かび上がったようだ。席を立ち、奥の部屋から物々しく封印された箱を抱えてきた。
「おそらくこれの事だと思いますぅ。母がどこからか持ち帰って、ずっと宝物庫に補完されていた物なのですがぁ」
ユフィは一つ一つ丁寧に封印を解いていく――って!
「おい大丈夫なのかよ、そんなに簡単に開けちまって!」
「あ、はい。これには魔法や物理攻撃を当てても、反応しませんしぃ。知識もなしに簡単に扱える品物ではないのですぅ」
「え? 魔法のアイテムじゃないのか?」
彼女の説明に、俺はどこか間の抜けた質問をしてしまった。一般的な魔法のアイテムは、簡単なアクションやキーワードを言ったり、魔法使いが魔力を込めれば起動する。今回の依頼の品も、そういった物だと勝手に思い込んでいたのだ。
ユフィは俺の質問に静かに頷く。
「バソンさんは、この世界に昼と夜が有るのは何故だと思いますかぁ? 夜空に星が光っているのはぁ、何故だと思いますか?」
そうして投げかけられた質問は、今までの会話から逸れた突拍子も無いもののように感じられた。だが彼女は真剣な顔で、俺が口を開くのを待っている。
何なんだ? それが『黒宝珠』とやらと何か関係が有るのか?
「いや、悪いけど解らない」
正直に答えた俺に、ユフィはさっきよりも深く頷いた。
「実はあれが『魔法』の原理なんですぅ。月日を重ね大きな力を得た優秀な魔女は、この大地を離れ『星』になるんですぅ。そして太陽から溢れてくるエネルギーを、大地に送り続けているのですよぅ。だからこの地上では、魔法が使えるんですぅ。太陽と月が順番に入れ替わるのは、魔女たちを交替で休ませる為なのですぅ」
身振り手振りで説明してくれたユフィには悪いが、スケールがでか過ぎて頭が追いつかない。
「植物も動物も、少なからずその恩恵を受けているんですよぅ」
「つまり何だ、この世界は全部魔法で成り立っているのか? 俺たちが生きているのも、魔法のおかげって事なのか?」
「違います、そこまでは言ってませんよぅ。私達が使っているのは主に現象を手繰り寄せる力で、貴方が生きているのはぁ、貴方自身の力です。人の命は魔法では操れないんですぅ」
やばい、本格的に理解不能だ。まぁ、魔法がどういった物なのかを、俺が理解する必要はないだろう。それよりも――。
「それとこの『黒宝珠』と、どういう関係が有るんだ?」
話を元に戻した俺を、ユフィは天使の微笑で迎え受ける。
「この『黒宝珠』の中にはぁ、人の魂が詰まっています。だから魔法で扱える品ではないんですぅ」
驚愕の事実を口にしながらも、ユフィはその笑みを絶やさない。その時俺は、はじめて天使が怖いと思ったよ。
ユフィは箱から取り出した黒宝珠を、簡単に俺に手渡した。
「扱いの難しい品ですが、貴方になら任せても大丈夫だと判断しましたぁ。どうぞぉ、持って行って下さい」
「い、いや。これを欲しがっているのは、俺じゃなく、見た目も怪しい黒フードの男なんだが?」
黒が蠢く球体を、恐る恐る受け取る俺を、小さな魔女は心配そうに見つめてきた。
「……何でそんな人の依頼を受けたんですかぁ?」
「いや、成り行きで」
この仕事をキャンセルしようかと本気で考え始めた時、小さな魔女の家の扉が大きな音を立て吹き飛び、部屋の中で嵐が起きる。
「きゃあぁっ!?」
「な、なんだ!?」
あっという間に風は治まり、目を開けた二人の目の前には、黒いフードの怪しい男――依頼主が立っていた。
「お、お前……何でここに?」
俺の質問に、男は不適に微笑む。さっきのユフィが天使なら、こっちは悪魔だな。
「ふふふ、ご苦労だったな君――バソン君だったかな? 悪いが後をつけさせてもらったよ。戦いで剣を折るような傭兵をイマイチ信用できなくてね。これは貰って行くが、構わないだろう?」
依頼主の右手にはいつの間にか黒宝珠が乗っている。野郎、いつの間に……。
「あのあのぅ。それをどうするつもりですかぁ?」
「無論、我が魔力の糧とするのだ。これには六百六十五人分の魂が封印されている。過去に我が祖国の同士が作り出した至高の品だ。あと一人分の魂を吸収する事が出来れば、その力で私は最強の魔導師になれるのだっ!」
酒場での陰鬱な様子はどこへ行ったのだろうか、黒き魔導師は饒舌にこの世の春を詠う。
「無理だとぉ、思いますよぅ?」
上目遣いの魔女は気持ち良さ気に口上を述べる魔導師に、遠慮がちに現実を告げる。理由は先程の魔法の説明に含まれていたのだが、向こうにはそれが、己の未熟を指摘されたように聞こえたのかもしれない。
「ふんっ! 貴様に無理でも、因果律を操作する術を身に付けた私には、不可能など無い! こんな所に何百年も篭っているから力も衰えるのだ。『破壊の魔女』も地に落ちたものだ!」
「そ、それは母の二つ名ですぅ。私は破壊より直す方が得意なんですからぁ!」
反論する所がずれている気がするが、二人は気にせずに互いの持論をぶつけ合う。話について行けない俺は、この隙に例の魔法剣を取って来ようとその場を離れる事にした。
だが、そんな俺の足元を光が穿つ。
「そうはさせんぞ、傭兵。その剣はここへ辿り着く為に渡したが、貴様には過ぎる品物だ」
「家を壊さないで下さいぃ!」
「そうだ、貴様を最後の生け贄にしてやろう。名誉な事だ、誇りに思えよ」
「聞いてますかぁ!?」
食って掛かる魔女を無視して、魔導師の指先には光がともる。
冗談ではない。俺は死を誇りに思えるほど、悔いの無い人生など送ってはいないのだ。だが魔導師は、そんな事はおかまい無しに光を放ってくる。
降り注ぐ光の雨の中、俺はどうにか手を伸ばし、魔法剣を掴み取る事に成功した。一気に抜き去った黒い刀身で、眼前に飛んできた光の矢を切り捨てる。
いつの間にか魔導師は、ユフィの方にも攻撃を仕掛けていた。彼女は防御の魔法で抵抗しているようだったが、これでは反撃もままならない。俺は無作為に巻き散らされる光を除けながら、ユフィから解決法を聞き出そうと声をかける事にした。
「ユフィ、この状況、何とかならないのか!?」
「非常にぃマズイですぅ!」
「確かにマズイんだ。だから……」
「違いますぅ! あの黒宝珠っ、は、発動しようとしてますぅ!」
「なっ!?」
ユフィの指摘で魔導師が抱えている黒い球体に目を向ける。確かに、玉の中に蠢いていた筈の黒いオーラが、今は魔導師の感情に呼応するかのように溢れ出して彼を覆っている。
「何でだよ! 魔法じゃ動かないんじゃなかったのか!?」
「か、彼の心に反応したんだと思いますぅ。魂は、同じ音色に惹かれますからぁ」
「じゃあ、俺たちもこのままあれに吸収されちまうのか!?」
黒いオーラを指差すと、そこには闇に囚われ、逃れようともがく魔導師が居た。
「な、なんだこれは! せ、制御が利かない……だと!」
闇色のオーブからは、どす黒い瘴気とともに人の手を模した様な黒い触手が伸びてきて、魔導師の腕を絡めとっていた。必死で逃げ出そうともがく魔導師を嘲笑うかのように、瘴気は範囲を拡大し魔導師の身体を飲み込んでいく。
「うわっ!? た、助け……」
ついには、魔導師の姿は見えなくなってしまう。断末魔の声すら飲み込んで。禁断の力に手を伸ばしてしまった哀れな魔導師の末路というわけだ。
魔導師の末期を哀れに思ってやる暇もなく、力を増した闇の固まりは、少しずつ範囲を広げ始める。
「で? どうするんだよ……これ」
光の矢に打ち抜かれる心配は無くなったが、うねる触手を伸ばしてくる目の前の闇を、放っておく訳にはいかなかった。
ユフィは、少し考える仕草をした後に、俺と向き合う。
「その剣でぇ、切っちゃいましょう」
「私が印をつけるのでぇ、そこを切って下さい。大丈夫、六百六十六箇所切れば終わりますよぅ」
六百――って結構多いぞ。それをさっきから、さも簡単に指示してくるんだよ、あの魔女は。
「大丈夫なのか? あれに近付いたら、取り込まれるんじゃないのか?」
「大丈夫ですぅ。真っ直ぐな意思は同化されないはずですぅ。それにもし何かあれば、私が魔法で引っ張りますのでぇ」
あまり安心できないが、それでもやるしかない。ちなみに、取り込まれるとどうなるのかは、聞かない事にする。どう考えても楽しい答えが返って来くる事は無さそうだからな。とにかく俺は闇と向き合い、剣を持つ手に気合を入れる。
そんな俺のやる気を押し出させたのは、小さな唇から漏れた、小さな魔法の一言だった。
「貴方になら、出来ますよぅ」
単純だな、俺も。
眼前に広がる闇に、六百六十六の小さな光が灯る。俺は一番近くに有ったものから、順番に始末していく事にした。
振り下ろした剣に光が触れると、この世と魂の因果が破壊され、闇の一部が欠ける。なるほど、闇に触れないように気をつけていれば、そう難しい作業ではなさそうだ。
俺は次々と闇から魂を引き剥がしていく。開放され、世界に溶けていく闇の一部がこちらに向けて笑ったように見えたのが、俺の気のせいじゃないと良いんだけどな。
「良し、これで後一つか……」
最後の一つは、明らかに依頼主の姿をしていた。だがその体は透けていて、元の通りに戻す事は無理に思える。一応後ろを向き確認してみるが、魔女は静かに首を横に振った。
魔導師の影は、抵抗もせずにじっと俺の挙動を見守っていた。自分がこの世から切り離される、その瞬間まで。
「もしかしたら、そんなに悪い奴じゃなかったのかもな」
「もう、人が良過ぎますよぅ、バソンさんは」
空に消える依頼主を見送ると、俺の手元には魔法剣だけが残った。まぁ、報酬としては悪くないかな。
全ての事態が収まり、ユフィと俺はどちらからともなく微笑み合う。そして、俺達は今回の依頼の最大の被害者を見上げた。そこには、魔導師の攻撃と闇の侵食で壁の崩れた魔女の家がある。
「どうするんだ、これ」
「うぅ、魔法で作り直せなくはないのですがぁ、建て直した方が早いかもしれないですぅ……」
西日に染まる無残な姿の我が家を見て、涙声の魔女が呟く。気持ちは解らなくはないが、こればかりは俺の出る幕はない。
いや、一つだけ彼女を手伝える方法がある、かな?
「一緒に行くか? 森の外へ」
「それも良いかもしれませんねぇ。貴方と、一緒ならぁ」
差し出された小さな手も、すくい上げた俺の手も、どこか懐かしさを感じさせる、黄昏の色に染まっていた。
<了>




