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7 決意



 アイは力が抜けたように膝をつき、その場にへたりこんだ。魔力を絶たれた黒炎がすべて塵となって消えていく。

 くるくると回転するものが空から落ちてきて、地面で一度跳ね、土の上に転がった。それを遥か天上で見下ろす戦侯ミトラスは、銀の聖槍を振るい刃の穢れを落とす所作をしてみせる。

 銀凱の騎士。不敗を誇るその名にふさわしく、勝利を得て戦いを終結させた天人は、この界に存在する意味と権限をかわりに失った。

 戦いの「場」が消えた今、人界への干渉は結界に阻まれる。輝く羽根が天上へと浮き上がり、ミトラスの姿も同様に空へ浮いた。光の粒子が水中の泡のように追随し、弾けて消えていく。ミトラスは無数の翼で己の身を包み、翼からは羽根が舞い散って、ひとつひとつが輝きを纏って光の粒となる。

 かたちをすべて光に変え、戦侯ミトラスは天界へ去っていった。

 森に拡がっていた炎は力の源たる天魔と同じように消え、後には煤けた匂いと灰ばかりが残る。


「がる……ガルメディウスさま……」

 腰が抜けてろくに立てないまま、アイは地べたを這って空から落ちてきたものへとにじり寄った。震える手を伸ばし、陽光に鈍く光るそれに触れる。

 特徴的な二本の角。獄炎の魔人が一度も外したことのない、角を生やした黒い兜。

 掴みとって引き寄せたその内側には、何も無かった。そこに生き物の頭が納まっていたのなら、髪の一本、血の一滴くらいは残っていそうなものだが、何の痕跡も見つけられない。

 汗のあと、体温の残滓、生き物が残す生命活動の名残もない。兜の中は最初からなにも無かったかのように、さらりと小奇麗だった。空虚なほどに。

「ガルメディウスさま……!」

 アイは物言わぬ兜を胸に抱き、肩をふるわせる。

 声を殺して涙をこぼすアイに夜色の竜が擦りよった。首を伸ばして兜に鼻先を寄せ、小さく鳴いて項垂れる。

 あるじを失い取り残されたしもべ達は、悲しげに身を寄せあった。


 その様子を同じようにこの場に残された天人の男がじっと見つめていた。背中の痛みを堪えながら立ち上がり、側へと歩み寄る。


「なぜそれほどに嘆く」

 男には理解し難いことだった。魔人は快楽主義で刹那的に己の利益だけを貪る強欲な輩ばかりだ。感情のまま身勝手に振る舞う魔人の下にいることが良いわけがない。

 だというのに、こうも悲しげに消沈した姿を見せられると、必要ないはずの罪悪感が胸のうちに沸き起こる。

「丁度いいだろう、獄炎の魔人は力を失った。お前は奴隷の身分から解放されたのだ。人の世に戻ればいい」

 目を覚ましてやれば考えを変えるかと声をかけたが、逆に涙を溜めた黒い瞳にきっと睨みあげられた。

「わたしは奴隷じゃありません、ガルメディウスさまに仕えるメイドです! それに身ひとつでどうやって人界で暮らせというのですか、行き倒れるだけですよ!」

 疎い人界のことを説かれて、男は言葉を詰まらせる。記憶を手繰り、人間が幼生期を乗り越える手段を思い出そうとした。

 弱くある人間はすぐに死ぬ。それを補うため、成熟した者が幼い者を守り育てる共同体を形成し、情報を伝達して自己を補完する。その共同体は何という名称だったか。

「……人の子には家族というものがあると聞いたが」

 少しばかり自信に欠けた発言に、冷ややかな答えが返される。

「わたしは知りません。魔界に召喚される前の記憶はなにも無いんです」

 擦り寄る小竜を片手で撫でながら、硬い声でメイドは身の上を語った。

「……とある魔族のかたに気まぐれで異界から呼び寄せられたのだそうです。その時の影響で、何も覚えていなくて。召喚された直後は手も足も動かせなかったので、すぐに飽きられて捨てられました」

 あまりにも突飛な話に天人の男は絶句する。

「魔物に喰われそうだったところを、ガルメディウスさまが拾ってくださったんです。そうして館に住むことを許してくださったんですよ。このかたのお陰でわたしがどれだけ助けられたか……」

 くちびるを噛み、メイドはあるじの兜を抱き締めて額を寄せた。涙と憂いをにじませて小さく洩らす。

「ガルメディウスさまがいらっしゃらなければ、お館にも帰れない……」

 界を渡るには力が必要だ。ガルメディウスの助けがない今、魔界の館へ戻る方法は無くなったも同然だった。


 帰る場所と頼るべき存在から切り離され、人界に取り残されて涙を落とす娘の姿はひどく哀れで弱々しい。天人の男は己の心にこびりつく罪悪感から過ちをひとつ見出だした。

「……わかった。主が魔界の番犬とはいえ、お前がその庇護を失った責は俺にもある。魔人などに従う心を改め人界に戻る術を見つけるまで、俺が護ろう」

 間違いは正さなければならない。魔人は滅すべき存在だが、人の子はその範疇にない。この娘が魔の眷属から抜け、新しく生きていく方法を探し出せば収まりがつく。

 しかし男の申し出に返ってきたものは視線すら寄越さない氷のような拒絶だった。

「護っていただかなくて結構です。わたしのことなんて放っておいて天界にお帰りください」

 長く対立が続く天魔の関係と、いわば主人の仇相手であることを考えれば当然の態度である。尽くす言葉も見つからず、男は苦い顔で眉をゆがめた。


 すすり泣くメイドは頑なに背を向け、禍々しい角の生えた兜を抱き締める。

 どうやっても拒む気配が感じられて、打つ手のない男が所在無げにメイドを見下ろしていると、どこからか獣が唸るような低い異音が聞こえてきた。

 メイドが腕の中の兜をはっと見つめる。小さな竜は興奮した様子で四肢を突っ張り尾を立てた。

「ガルメディウスさま……?」


 大気を震わす重低音は、二本角の黒い兜から発せられていた。雷轟のように低く重く鳴るそれは言葉として意味を成さない単なる音でしかなかったが、あるじの声によく似ている。

「ガルメディウスさま!」

 兜に宿るあるじの気配を感じて、アイの黒い瞳が希望に輝いた。

 ガルメディウスはここにいる。獄炎の騎士を形作っていた甲冑を散らされても、それで消え失せはしなかったのだ。

 アイはあるじの意向を汲み取ろうと必死に耳を澄ました。


 兜から響く低音はやはり言葉としては聞き取れない。それでも、もともと言葉少ななあるじの心を理解しようと努力を重ねていたアイには、なんとなくだが感覚的にわかる部分もあった。

 あまり機嫌が良いようには聞こえない。それはそうだろう、このように傷を負わされたのだから。かといって怒りをみせているわけでもない。どちらかというと、叱っているような、たしなめているような。

 そこまで考えて、アイははっとあるじの状態に思い至った。身動きできない不自由な身体を、メイドの手で抱えられている。

「申し訳ございません! わたくしなどに触れられていたらご不快でしょう、ええと……」

 慌てふためいたアイはエプロンをつまみ、ポケットを探り、結局は頭を覆うフリル付きの布を取り払って、その上に兜を鎮座させた。

「どうぞ、こちらに」

 エプロンも手巾も汚れを拭き取るものだから適切ではないと考えたのだった。そうして、そのフリルの帽子に乗った黒き兜を掲げ持つ。

「これで!」


 何が「これで!」なのか理解しかねて、天人の男はただ黙って見下ろした。男の感覚からすればどれも繊細な装飾が施された柔らかく華奢な布であって、エプロンも帽子も大差ない。可愛らしい白のフリルの上に、他者を威嚇し威風を誇るべき騎士の兜を置くのはいかがなものか。

 その低い異音が本当に魔人の意思を表しているのであり、兜に魔人の魂が宿っているのなら、実に気の毒な話だ。それでも女の胸に押し抱かれたままよりはいくらかましだろうことを思うとさらに悲哀を誘う。

 男の憐憫に同調するような、溜息にも似た短い音が兜から響いた。


 根本的な何かを理解していなくともその落胆を感じ取ったアイは、何がいけなかったのかと顔を蒼くした。あるじの意図を読み間違えるなど、しもべとして失格である。

 蒼白なメイドは続けて発せられた重低音に懸命に耳を傾けたが、やはり音は音でしかない。あるじの言わんとするところを察せられずにくちびるを噛んだ。

「ガルメディウスさま……申し訳ございません、わたしには……」

 聞こえないのです、と悔しそうに口の中で呟く。縋る思いで見つめる先の兜から発せられる音は、次第に小さく弱くなりはじめた。

「ああ……お待ちください、待って……!」

 アイの目の前で、あるじの兜は形を崩す。二本の角は黒い煙となって風に散り、その他の部分も炭が燃え尽きて灰となるようにほろほろと輪郭を失っていった。

「ガルメディウスさま……!」

 あるじの声によく似た、アイにとっての預言ともいうべき低い音は消え失せて、騎士の顔を隠す面頬だけがその手に残る。

「そんな……」


 掲げられていた腕はゆっくりと膝の上に落ちて、メイドは項垂れた。小さな竜が慰めるように身体を擦りつけ、その顔を覗きこむ。メイドは時の流れを忘れたようにしばらく俯いたままだったが、小竜がそれを繰り返した何度目かに、顎をぐっと引き上げた。決意の炎を瞳に宿して。


 あるじのかけらはまだアイの側にある。自分を救ってくれたあるじの窮地だというのに、力の限り尽くさなくて何がメイドか。

「決めました。わたしがガルメディウスさまのお身体を必ず取り戻してみせます」

 お声が聞こえないなら聞こえるようにするまでだ。表情を引き締め、誓いを口にした。

「お前も手伝ってくれるでしょう?」

 そうシャルロに問いかける。夜色の竜はしゃっきりと背筋を伸ばし、アイの瞳をしっかり見つめて尻尾を揺らした。その様子に目元を緩めると、いつものように鱗をくすぐって労ってやる。

「ありがとう。まずは最初の予定通り、マーゴさんの所へ行こうと思うの。すぐに帰るつもりだったから、遠出の備えもないし……」


 きょろきょろと周囲を見回して何かを探す。シャルロが一声鳴いて走り出し、隅に転がっていた籐籠に駆け寄った。転ばされた時に手放してしまっていたのだろう。アイもほっとした顔でシャルロを追いかけ、籐籠を拾い上げた。中身を確認して安堵の吐息を洩らす。

「よかった、割れてない」

 精油を入れた瓶以外は布や小さな石ばかりだ。あとは燻された煤の匂いが布に付いていなければ上々なのだが、今は周囲の焼けた匂いが強すぎて確認のしようがない。いたずらに触れて汚してしまうほうが心配で、すぐに蓋を閉じた。

「これを買い取ってもらえれば、入り用なものも賄えるわ。行きましょう、シャルロ」

 あるじの面頬と決意を胸に、アイは歩き出す。


 その後を天人の男が静かに続いた。

 後ろを警戒して振り返る小さな竜のそぶりから、草を踏むもうひとつの足音があることに気が付いたアイは、硬い声で言い放つ。

「護衛などいりませんとお伝えしたはずです」

 牽制が込められた台詞に足音は一度止まったが、すぐにまた後をついてくる。アイは苛立ちを感じ、眼差しを鋭くして振り返った。

 男は足元に落としていたらしい視線をはっとアイに合わせ、再び立ち止まってばつが悪そうに俯いた。己の肩口に右手をやり、指先をぐっとくい込ませている。その手も皺の寄った服も灰に染まり、煤に汚れる整った顔は随分とやつれてみえた。

 ガルメディウスとの戦いで受けた傷があるのだからそれも当然だった。むしろよく立っていられるものだと驚嘆すべき所だろう。

 空を翔けるための翼は獄炎に焼かれ、ほとんどを失っている。背中に残る付け根部分のわずかな羽は焦げ付いたような黒に染まっていた。翼を失い魔に穢れた天使は天界まで飛べないはずだ。たとえ到達できたとしても、魔を帯びていては結界に阻まれて天界には入れない。

 道を見失い、家に帰れぬ状況はアイと同じだった。

 この天人がなぜこの森に現れたのかはわからないし、アイは興味もなかった。ただ同類を相憐れむ気持ちが少しばかりわいて出る。

「……別に護ってもらわなくて結構です。邪魔だけはしないでください」


 相変わらずの拒絶とほんの少しの許容をみせ、前へ向き直り歩き出す。まっすぐに進むメイドの横に小さな竜がぴたりと付いて共に歩いた。先ほどまでの悲嘆にくれる儚げな気配はもうない。


 その後姿を目にした天人の男は、かすかに安堵をにじませて息を吐く。五歩ほどの距離を開け、ひっそりと、後に付いた。




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