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1 アイ



 世界は三つに分かたれている。



 ひとつは天界。

 青き空の遥か高み、雲の向こうに、天人が住む。


 もうひとつは魔界。

 暗く深い地下の大空洞、溢れ出す溶岩がつくりだした地底の山脈に、魔人が住む。


 そしてそのふたつの界に挟まれた人界。

 かつてはただの界と呼ばれていたが、天人と魔人の間の者──人間がそこに栄え、自らが住む地を人界と呼ぶようになった。



 天人と魔人は互いを忌み嫌い、争いあう。

 界を渡る手段を持たない弱き人間は、人界でしばしばおきる天魔の戦いに怯えて逃げ惑い、崇め、縋る。




 だがそれは、魔界で暮らし魔人に仕える人間のアイには関係のない事だった。

 天魔の界は互いに不可侵。魔界にいる限り、ここに天人が現れて争いが起きる事はない。そして人間はその弱さ故に、魔人の歯牙にもかけられない。

 玩具として遊ばれることはあるが、アイの所有者は獄炎の騎士ガルメディウスだ。実力だけならば魔王の側近にも負けぬ強さを持つ重装騎士。その持ち物に手を出すなど、いくら魔人が奔放で刹那的な輩ばかりであってもそうないだろう。


 アイにとって、魔人のもとでメイドとして働くことは、安全で居心地のよい空間で暮らすことと同義だった。


 暗い地底山脈には界に光を降り注ぐ太陽が存在せず、昼夜の区別がない魔界に最初は戸惑ったが、それもすぐに慣れた。

 山脈の火山から溢れ出る溶岩が黒い闇を仄かに照らし続けているので真っ暗闇というわけでもない。さらにはょうどいい周期で噴火してくれるので、一日の始まりの基準、目覚まし代わりにたいへん役に立つ。


 今日もいつもと変わりなく、山脈が唸るような轟音を響かせ始めた。

 噴き出す溶岩の流れが闇を赤く染め、火山雷の閃光が瞬いて、アイの目蓋をくすぐる。遅れて届く雷鳴に覚醒を促され、アイはベッドに埋もれたまま身体を伸ばした。シーツからにょっきりと白い腕が生えて、先端の拳がぷるぷる震えた後に脱力し、ぱたんと落ちる。


 数秒の沈黙。

 ささやかに、身体のどこかを爪で引っかく音がして、それからシーツがもそりと盛り上がった。その下から現れた頭の色は黒。癖のない真っ直ぐな黒髪が、柔らかい綿の寝間着の上を滑り落ちていく。

 胸の下を緩く絞っただけの、袖のない寝間着の裾から素足がのぞき、石床の上におろされた。

 アイはベッド横のサイドテーブルから銀色の鍵を拾い上げると、それを共に据え置かれていた結晶石に軽く叩きつける。

 りぃん、と澄んだ音が鳴り、石は青く発光を始めた。同時に共鳴作用が働いて、館のあちこちに設置されている結晶石すべてが青い光を灯す。

 鳴光石と呼ばれるその石は一見するとただの黒い鉱物の塊にしか見えないが、純度の高い銀で叩くと振動で発光し、一定範囲内にある他の鳴光石も共鳴を起こして発光する性質を持っている。

 これは夜目の利く魔人と違って暗闇では目が不自由になる人間のアイのために、主のガルメディウスが設置したものだった。


 獄炎の騎士ガルメディウス。

 席を置く階位は中ほどのままだが、実力は高位の魔人のそれを持つ。

 強さに見合わない階位であることは誰もが知る事実だが、階位をあげる条件のひとつに従える下僕の数がある。

 ガルメディウスは戦士として武人として、己が力のみで戦うというのを信条に、これまで隊のひとつ、部下のひとりも持たずにいた高潔の騎士である。


 だというのに、いくあてのないアイを拾って下僕に加えてくれたガルメディウスは、アイにとって唯一無二のあるじだった。

 鳴光石を始めとして、人間が暮らすために必要な環境を整え、自由に動くことを許してくれる。これほど寛容なあるじは他にないだろう。


 アイは青い光に照らしだされた石壁の部屋に立ち上がり、壁際に置かれている化粧台へ座りなおす。木彫りの枠に囲まれた正面の鏡には、長い黒髪を几帳面に切り揃えた女が映って見えた。

 顔立ちは小作りで控えめだが、黒い目だけがやけにぱっちりと大きく、それがずいぶん幼げな印象を抱かせる。

 アイは自身を成人した大人だと認識しているが、この容貌のせいか能力を軽く見られ、信頼されない傾向があるのが不満だった。

 しかし顔は変えようがない。せめて堅実に見えるようにと身だしなみはきっちり整えていく。

 目蓋を伏せればがらりと雰囲気が変わり、その落差が妙に儚く謎めいてみえるのだが、鏡を通してでしか己の姿を確認できないアイには知るよしもない。

 そのふとした瞬間に見せる女の顔と元々の童顔にくわえ、普段の硬すぎる四角四面な振舞いが捉えどころなく、他者の興味を引き寄せるのも、彼女は知らぬことだった。

 いつもと代わり映えのない己の顔などたいした興味もない。

 アイは化粧台から櫛を取りだし、髪に滑らせて梳きはじめた。

 視線を据えていた鏡の中に黒い影が動いたのをみとめて、足元を見下ろす。

「あら……どうしたの、シャルロ?」

 シャルロと呼ばれたその影は、猫よりもひとまわり小さく、獣のように四つ足をついていた。ただの獣と少々違ってみえるのは、背中に飛膜を張った一対の翼があるからだろう。

 シャルロは夜の闇と同じ色の鱗をもった竜だった。額にひとつ、大きな銀の星を戴いている。それと同じ輝きが後頭部から尻尾の先まで粉をまぶしたように続き、夜空の星河を思わせた。

「もしかして、ガルメディウスさまが?」

 アイの問いかけに、シャルロはくるると喉を鳴らす。滑らかな鱗が並ぶ長い首をアイの脚に擦りよせて、何事かを訴えていた。

「お迎えをしなくちゃ……ふふ、嬉しいね」

 シャルロはあるじの気配に敏感だ。ガルメディウスの長い不在のあとはいつもこうして帰還を知らせてくれる。

 敬愛するあるじに会えることに興奮しているのだろう、くねる尻尾が急かすようにせわしなく床を叩いた。

「すぐに準備をするわ」

 ガルメディウスに会いたいのはアイも同じだ。手早く髪を梳かして、身仕度を急いだ。




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