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To tell the truth

作者: こんにゃく

 爪を塗ったら平常心が保てるかと思ったんだけど、逆に手が震えてはみだしまくった。雑誌にはきれいにマニキュアを塗る方法が特集組まれてるけど、そういうのを見るのは少し癪。あたしは自分の爪の形や大きさは結構好きだから、マニキュアを塗るとそこはかとなくテンションは上がるけど、今日みたいな日にはうまく塗れなくて、逆にテンションはがたさがり。

 ふと意識を集めたら、はあー、と自分のくちから深刻なため息がこぼれていた。やだやだ。こういう辛気臭いのは好きじゃない。いかにも不幸ですって顔をしてるやつも、それを遠回しに自慢してくるやつも。何より、辛気臭いなんてのはあたしには似合わないって彼なら言うだろうからその期待に沿うように。赤いマニキュアがまたはみでた。しかも許容できる範囲じゃない。

 さっきから縮こまってぬっているもんだから肩がこってきた。全然関係ないのに、かかとにできたくつずれが痛む。この間買ったサンダルがまだ足になじんでなくて、無理してはいたらかかとに水ぶくれができててまた全然知らんふりしてはきつづけていたら、水ぶくれはやぶれて中から水じゃなくて血があふれた。帰ってきてなんかぬるっとして激痛、と思ったら足がかかとから血まみれになってるからちょっと笑ったし、今までの経験上、ああいうサンダルってたぶんずっとやわらかくなることもないし、なじむこともないけどたぶんあたしは捨てない。正直、使い勝手の悪い道具を傍に置いておくのは癪だけど、それでも彼があたしに似合うといって、ほほえんで、あの服にもあうとかこの服にもあうとか言ってくれて、最終的に買ってくれたサンダルを、捨てられるわけがない。あ、またマニキュアはみ出た。ため息。やだやだ。

 今日は帰ってくるっていった。もう絶対に帰ってくるって言ったのだ。 昨日の夜も、今朝も、そうしてお昼も、夕方も、彼はこまめにメールをくれた。彼の友達の朝幸(ともゆき)くんだって、あいつのこと信じてやってよ本当にゆかりちゃんのこと好きなんだよってゆってたし、たぶん彼よりも朝幸くんの方が信用できるってのもどうなんだって感じもするけど、でもやっぱり朝幸くんの方が信用できるし、そんな朝幸くんが言うのだから信じるしかない。

 と、思ったけど、あと十五分で日付がかわる。日付が変わったら今日じゃない。

 今日はもう帰って来ないかもしれない。

 除光液をコットンにしみこませて、よれたマニキュアを剥ぎ取っていく。まとうのは慎重にしなければいけないけれど、こうして拭い去るのなんか一瞬で終わってしまう。

 信頼を築き上げていくのは大変でも、音をたてて崩れていくのは簡単ってこと。

 でもあたしは彼を信じてる。信じるっていうのはあたしのスタンス。もう意地になってる。たぶん、彼が裏切るのが前提の信じるっていうことで、ていうかもう裏切るっていう言葉は彼には似合わないってゆーか、そもそも彼はあたしのこと裏切るとか思ってないんだろうしたぶん彼にはあたしにとって「裏切る」っていう異常な行為は異常性をひとかけらももってなくて、あたしがこんな風に、彼に執着してるっていうのが異常で、こっちからしてみれば一回や二回じゃなくて、もう何年も彼とキスしてセックスして、そういうことの前にもっと愛情育てるような食事とかデートとか、ケンカは一回もしたことないけど、でもそうやって、はぐくむことしてきたから、裏切るってのはあたしが使えるけどもしかしたらあたしの立場にある人は他にいて、いやいるんだけど、そういう場合彼はあたしのとこにくるのがその人にとってはたぶん裏切りで、どっちにしろ、彼は誰かをどこかで「裏切ってる」ってことになるんじゃないかって話。

 だけど、彼は昨日あたしに謝ったのだ。昨日で1ヶ月、彼はあたしに会いにきてはいないけど、彼から電話があって

「元気?」

 と問われたから

「元気だよ。また一緒においしいもの食べたいな」

 と答えたら、彼はしばらくの間押し黙ってそうしてかすかに嗚咽をもらしたのがあたしには聞こえた。彼がそこで泣く意味もよくわからないし、あたしはそんなに感動的な言葉を言ったのかもよくわからなかったけどでもわかっているのは、彼はひどく弱くて浮気性で、でもいつもなぜか最後にはあたしのとこに帰ってくるということ。それを誇らしいと思ったことも、昔はあったけど今はもう「ああおかえり」といえるぐらいの心境になっている。

「ごめん、ごめんねゆかり、俺、やっぱりゆかりが一番好きだよ、愛してるよ。明日には絶対帰るから」

 鼻をすすった彼は、何度も何度も同じことを繰り返した。あたしはうん、と答えるだけ。


 だから彼の好物を用意しようと思って、久しぶりにスパイスからスープカレーをつくった。日曜日だったから、丁寧に鶏がらからダシをとってもみた。すごくおいしくできあがったのに。彼は今日中には帰ってこないんじゃないかっておもって、もうどうせ水仕事しないししたくないし、とマニキュアを塗ったけど気分はどんどん時計の方に引き寄せられてしまう。彼が帰ってこないならこないで闇雲に暴れたい気もするし、彼が帰ってくると帰ってくるで「ああそう」という諦めにも似た気持を抱くしこうして待っているこの時間、あたしは一番彼を疑って疑心暗鬼になっている。醜い女になりさがる。


 もう一度、マニキュアを塗る前に意味もないけどかかとのくつずれに絆創膏を張った。200枚はいって150円の、安くてすぐにはがれて通気性もなくてようするに使い勝手の悪いやつ。だけど、あたしが指を切ったときに彼がびっくりしてあわてて買ってきたれを、捨てられるわけがない。どんどん良いやつがでてるし、買わないわけじゃないけれどこういうばかみたいな傷にはこれを貼る。すぐにはがれるからはがれないように変な風に足を折りたたんで、もう一度自分の指を向き合う。

 今度は綺麗にはみ出さないように、でもやっぱり雑誌の特集は見たくない。あたし、器用だって言いたいしそうしたらまた、彼はあたしを一つ見初めてくれる。彼はあたしに好かれようなんていうことはしていないように見えるし、実際彼にはやっぱりそんな意識ないんだろうし、そういう打算的なところがないのにあれだけもてる彼は、やっぱりある種の才能を兼ね備えてるんだろうしこんだけぐるぐる考えているけれど、彼に一度も言ったことのない我慢強いところはあたしの才能だと思う。


 あと五分で日付がかわる。彼は帰ってこない。帰ってくる途中なのか。

 朝幸くんにためしに「帰って来ない(笑)」とメールを送ると、すぐに返信がきて「絶対帰ってくる」と言う。朝幸くんは彼の中学からの友達で、あたしとは高校生のときからの友達で、たぶん一番頼れる男だと思う。友達にそういうと、じゃあ朝幸くんと付き合えばいいじゃないのというけれど、彼は高校卒業と同時に同じ学校の子と結婚した。出来ちゃった婚。唯一朝幸くんが信じられなかったことはそれだけど、人間性はすごく良い。だからあたしは不安になると、朝幸くんにメールをする。決して彼に探りをいれないけれど、朝幸くんはいつも信頼できる情報をくれる。だからあたしは信頼して彼を待つ。たぶん、彼も朝幸くんを信頼しているし、朝幸くんも彼を信頼していると思う。そういう関係ってうらやましい。お互い頻繁に会ってるわけでもないだろうに、お互いがよくわかりあっている感じがいい。


 あと三分、というところで部屋の鍵があいた。靴を脱ぎ捨てる音がして、そうしてすぐに彼が飛び込んできた。どこでどうしてたのか知らないけれど仕事はちゃんと行っていたみたいで、スーツを着ているけれど走ってきたのか着崩れていて珍しく格好悪かった。あたしはマニキュアを片手だけ塗り終えていて、立とうにも立てない。彼は今にも泣きそうな目であたしを見ている。こういう瞬間があると、改めて彼がイケメンなんだって思う。 がくん、と彼は膝から落ちてあたしにすりよってきて、ぎゅっとあたしを抱きしめた。かすかにせっけんの匂いがする。お風呂に入りたてのような温かさがあたしを包み込む。ぐっと何かを言いたくて、でもいえない。彼にはそれが尋常なのだから、それなら仕方がない。

 異常な状態の彼が通常なら、病気にかかっていないあたしは逆に異常なのだ。

「ただいま、ただいま、会いたかったよ、今日が終わるまでは抱きしめさせてて」

「お好きに、どうぞ」

 ぐっと力がこもる。あと二分弱。彼の口は上手い。上手いことしかでてこない。それはいろんな人を安心させる嘘。嘘じゃないときもあるし、感じ方によっては嘘のときもある。けれど彼は基本的には真実しか話さない。まるで嘘のように聞こえるう真実しか話さない。だから嘘に聞こえる。それでも、その恩恵を味わってしまうというのなら、あたしはもうそれを非難することができない。それに彼は心から嘘を発している。嘘はいつのまにか、真心を兼ね備えると真実になるんじゃないかって、ちょっと思った。

「ゆかり、ゆかり。今日が終わる前にお前に会えてよかった。ゆかり」

 彼はあたしの名前を呼ぶ。泣きそうになって呼ぶ。あたしは小さくおかえり、とつぶやいたけど彼の耳には届いてないようだった。


END

光源氏の「紫の上」はどんな気持ちで待っていたのか、ということを考えていたらできたお話でした。

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