vol.2 始動
[Ⅰ]
総司は診察室に呼ばれ、頭部MRIの画像をPCのモニター越しに見せられていた。
中年と思われる眼鏡をかけた主治医の男は、マウスをスクロールしながら、目を細めて画像を見ている。
モニターには白黒の脳の断面画像が2つ映っていた。
今回のものと前回のものだ。
程なくして主治医の男は、総司に向き直った。
「ふむ……今のところ、前回から特に異常はなさそうですね。ここが手術した部分ですが、半年前と何も変わりないですから。画像見る限りにおいては、大丈夫とみて良いでしょう。それにしてもつくづく運が良かったです。頭蓋骨は少し割れましたが、脳の損傷は殆どなかったですから」
「そうですか。それはよかったです」
結果を聞き、総司は少しホッとした表情になった。
「ところで、お身体の方に変調はないですかね? 手足の感覚とか、頭痛とか?」
「今のところは大丈夫です。ですが……やはりまだ奇妙な色が見える事がありましてね。それが気になるところです」
医師は画像を見ながら、少し考え込んだ。
「前回も仰っていた症状ですね。一概には言えませんが……宇田川さんが被害を受けたこの部分は前頭葉ですから、そういう事もあるのかもしれませんね。前頭葉には、視線の動きや注意を司る領域がありましてね。そこにダメージがあると、視覚に違和感が出ることもあります。ですから、怪我の影響で、そういった症状が出ている可能性も無くはないです。因みに、生活に支障が出るくらいですかね? 前よりも症状が酷くなっていますか?」
「いえ、そこまでではないです。前回と同様、稀にそういう事があるというだけです」
医師は若干困った素振りで唸った。
「稀に……ですか。まぁ……そういった症状の方もいないわけではないですが、多くの場合は脳梗塞が原因でそういった症状が続く事があります。ですが、宇田川さんの場合、その兆候はまったく見られませんので、別の要因かもしれませんね」
「別の要因? と言いますと?」
「怪我の影響かもしれませんし、精神的なモノや、神経系の場合も考えられます。とりあえず、引き続き様子を見ましょうか。脳の検査上、問題は見当たらないので、もしかすると、眼科的な症状の場合もあります。どうします? うちの病院の眼科にも掛かってみますか?」
総司は少し考えた後、首を横に振った。
「いえ……生活に支障があるわけではないので、引き続き様子を見ますよ。もしかすると治まる可能性もありますし」
「そうですか。わかりました。では、また次回の定期検診の予約を入れておきますね。その間に何かありましたら、また外来で受診してください」
「はい」
脳に問題はない。
だが、それが一番問題なのだと、総司は思った。
[Ⅱ]
定期検診から1ヶ月後の6月下旬。
ある日の朝、総司はいつもより早く身支度を整え、アパートの玄関ドアを開いた。
今日はある書類を提出するため、警察署と税務署に行かねばならないからである。
それもあり、いつものようなラフな服装ではなく、ややフォーマルな装いをしていた。
といっても、刑事時代によく着ていた衣服だが。
すると時を同じくして、隣の玄関ドアも開かれる。
それと共に、中の喧騒も聞こえてきた。
「ミサキ、アンタ、また遅刻なんじゃないの! 何度も遅刻しないでよ!」
「はいはい、大丈夫だって、ママ。今日は遅刻なんてしないから。ん?」
出てきたのは隣に住む女子高校生であった。
因みに総司と面識はない。
総司はここ最近、この集合住宅に引っ越してきたからだ。
ブレザーの制服を着たその女子高校生は、長い黒髪をストレートに下ろし、少しツンツンした気の強い感じの子だった。
世間一般的に、可愛いと言われる部類の見た目である。
今どきの高校生らしく、スマホを片手にしながら、だるそうな表情で総司を見ていた。
その顔は『何見てんだよ』とでも言いたそうな雰囲気であった。
総司はとりあえず、軽く微笑み、挨拶をした。
「おはようございます」
刑事時代に培った緊張を解く、微笑みスマイルといったところだろう。
捜査中の事情聴取の時は、決まってこの表情を使うからだ。
「え? あ、おはよう……」
いきなりで驚いたのか、女子高校生はキョトンとしていた。
「では、失礼」
総司はそれだけを告げ、この場を後にした。
[Ⅲ]
警察署と税務署に書類提出を終えた総司は、アパートの近くにあるカフェに入り、休憩となった。
さすがの総司も歩き疲れたようだ。
空いてるテーブル席に着いた総司は、ブラックコーヒーを頼み、提出した書類の控えを眺めた。
それは探偵業の届出と、探偵事務所の開業届であった。
役所の定番書類というやつである。
(ふぅ……今日は疲れる1日だったが、まぁこれで粗方は片付いた。警察署に見知った顔がいたから、話し込んで時間を食ったが、無事終了だ。あとは……事務所の備品を揃えないとな。何れにしろ、ゆっくりやるか)
総司はコーヒーを口に運び、腕時計を見た。
時刻は午後5時を回ったところ。
総司はそこで背もたれに寄りかかり、肩の力を抜いた。
(まだ5時か……どうすっかな。中途半端な時間だ。一度、事務所に戻って片付けでもするか。ン?)
するとそこで総司の近くのテーブル席に、制服姿の若い男女が腰掛けた。
その2人は高校生であった。
総司はそこで女の方と目があった。
するとその女はなんと、今朝、隣から出てきたあの女子高校生だったのだ。
女の方も総司を見て気づいたのか、何とも言えない微妙な表情になっていた。
それを察してか、総司も知らんふりしているところだ。
(彼氏とデートか……邪魔しないでおこう。面識はないに等しいし。ン?)
だがその時だった。
勢いよくカフェのドアが開かれ、血走った目をした中年の髭面男が、若い女に拳銃を突きつけながら入ってきたのである。
明らかに異常なシチュエーションの男女であった。
女は怯え、泣きじゃくっている。
髭面男は鼻息荒く、目がギラついていた。
拳銃を持った腕には、和彫りの入れ墨が手首辺りまで入っている。
これだけでどういう感じの者か、大体の者はわかるだろう。
店員は引きつりながら、男に話しかけた。
「い、いらっしゃいませ……」
男は拳銃を店員の後ろにある鏡に向け、トリガーを引いた。
パンという乾いた音と共に、後ろの鏡がパリン! と甲高い音を立てて割れる。
店舗内に一瞬の静寂が生まれた。
この場にいる者達は、拳銃を持つ男に畏怖の視線を注いでいた。
続いて男は拳銃を店員や客に向ける。
「動くな! 動いたら全員ぶっ殺すからな!」
そして店内はまたたく間に、阿鼻叫喚の様相へと様変わりしたのである。




