9、悪魔と虫
今日は神学で、悪魔のことをやるので授業を受けに来た。令嬢たちも他に六人ぐらいいる。先生は神官だ。神学の授業はテキストが20まであって、「1、国と神のあらまし」とほかの9コマを取ればカリキュラムは達成となる。先生の話をほとんどの令嬢は聞いていないが、神官は寄付さえしてもらえればいいので注意することはない。
先生の話では、
「この国には光魔法を使う聖女がいないことで、瘴気が出て魔獣が多いと言われています。聖女はもう百年近く現れていません。
瘴気が多いと人々の心も悪に傾いて、悪魔に憑りつかれる者も増えます。逆にそのような状態だからこそ、聖女が存在しないのかもしれません」
なるほど。この国はかなり危機的状況ということなのか?
「悪魔は人の負の心から生まれたと言われています。人は弱いもので、悪魔に囁かれると逆らうことができません。悪魔に魂を捕らえられると、そこから逃げ出すのは困難で、転生することができないそうです。悪魔は人の魂から負のエネルギーを受け取ると力が増します。
悪魔につけ入られないように、日ごろから敬虔な心を持つことが肝心です」
怖い……。
午後、私はリネン室で洗濯物をたたみながら、悪魔のことを考えていた。
「悪魔ってなんだろう」
『呼んだか?』
どこからともなく声がした。私は辺りを見回した。
『ここだ』
横を見ると、机の上にクリーム色の芋虫がいた。取って来た覚えがない。最近イタズラはやめた。多分、洗濯物に付いてきたのだろう。芋虫はよく見ると気持ち悪い。
芋虫を見ていると、赤くて細長い目が出てきた。目は体からはみ出ている。その目の下にも左右二つずつ裂けめができて、開くと赤い目のようだ。
「ぎゃー!!」
私が叫ぶと、中年の修道女が開いたままのドアから声をかけてきた。
「どうしましたか?」
「何でもありません!」
悪魔がいるとは言えない! 私は引きつりながらも笑顔を作った。この国で悪魔を崇拝すると、もれなく死刑だ。
「虫でもいたのかしら」
「はい!」
そうです。修道女はフフフと笑うと行ってしまった。私は赤い目の芋虫を見る。
「あなた悪魔なの?」
『そうだ。私はこの国を管轄している、大悪魔のサルティーだ』
「大悪魔!」
大悪魔は魔王の次に強い悪魔だ。何でここに。そして、
「なぜ芋虫に?」
「魔力温存のためだ」
芋虫がすまして言う。悪魔って結構不自由よね。——そうだ! 聞いてみよう。
「聞きたいことがあるのですが」
『なんだ?』
「私に子デビルが憑いているみたいなんですが、今日もいますか?」
『いないな。私がいるから消えたんだろう』
「そうですか。誰が送っているか分かります?」
芋虫は間を開けて、私を横目でちらりと見た。
『知りたいのか?』
そう言われると知るのは怖いかもしれない。あ、でも、悪魔は嘘をつくと先生が言っていた。本当のことを言うわけないかも。あと、お願いすると、大事なものを支払わなくてはいけない。対価がいるのだ。
ドアに黒い男が立っていた。伯爵だ。まずい……。でも、虫だから気がつかないか。
「悪魔の強い気配がすると思ったら……。お前、とうとう大悪魔を召喚したのか……」
ダメだった。伯爵は蔑みの目で私を見下ろしていた。お茶を飲んだ時の仲の良さが嘘のようだ。
「違います。勝手に来たんです」
「悪魔は呼ばないと来ない」
私の信用は枯葉のように軽い……。そういえばさっき、
『呼んだか?』
って言ってた。いや、あれは呼んだうちに入らないでしょ。どうしよう。このままだと処刑される!?
「ただの芋虫ですよ。ちょっと気持ち悪いけど」
「虫だとは言ってない」
ぐはっ、自分から言っちゃったよ。すると芋虫から、するすると煙のようなものが出て、悪魔の姿を形作った。上半身は裸で、引き締まってたくましい体をしている。胸から下は黒くぼやけて細くなっていた。癖のある短い髪は黒く、左右非対称の曲がった短い角が二本生えていた。土色の肌に、赤くて細い鋭い目。瞳は黒い。目の下の皮膚は虫と同じように二つずつ裂けていて、目のように赤くなっている。
なんて恐ろしく、醜悪なの……。私は唖然とした。
『どうだ、私の本当の姿は。美しかろう』
美しい? これが? ……悪魔の美的感覚は、恐ろしさにあるのかしら? それより姿を見せたら、ますますまずいじゃん。
『久しぶりだな。カイゼル』
悪魔は腕を組むと伯爵に身を乗り出して挨拶した。二人は知り合い?
「知り合いなんですか?」
『そうだ、こいつは、私の宿敵だ』
芋虫もいきり立っていた。伯爵が芋虫を摘まむと、悪魔の姿が消えた。
『何をする!』
伯爵は芋虫を床に投げつけると、足で踏んだ。
『ぎゃ!』
「ぎゃー!」
私も叫ぶ。その床を掃除するのは私なんですよ! 外に捨てたらいいじゃないですか。ひどい! こいつは、虫も処刑するなんてやっぱり悪魔よ! 伯爵は芋虫から足を上げた。潰れているのでモザイク処理しよう。うっ、うっ。私は掃除のことを考えて心で泣いた。
『お前はなんてことするんだ!』
「俺に潰されないものに憑りつくんだな」(今は黒い丸い靄になったな)
私には見えないが、そこに向かって話していた。
『なら、この娘に憑りつくとしよう』
私の中に何かが入って来た。
(目の色が変わった。憑りつかれたか……)
『お前は、あいつが憎いだろう。復讐するんだ』
私の中で、別の声がする。ええ、私、伯爵が憎いわ。だって、私に虫の死骸を掃除させるんだもの。復讐するわ。
『そうだ。串刺しにしてやれ』
串刺し? いいえ、三角巾を被らせ、スモックを着せて、床を掃除させるわ。
『お、お前……やることが小さすぎるぞ! そんなんじゃ、あいつは殺せない!』
いいえ、これでいいのよ! いつもスカしてるんだから、三角巾とスモックがお似合いよ! さあ、やるわよ。
私は伯爵を見た。伯爵は私を黙ってじっと見ている。……できない。こんな麗しい顔に三角巾を付けさせるなんて……はっ、まさか!
「あなた、私に魅了の魔法を使ったわね!」
(魅了の魔法? そんな魔法あったか?)「どうしてそう思った?」
「だってあなたのこと、麗しい顔だと思ったもの!」
「? 他には?」
「他には、……カッコよくて、背が高い?」
「ふん」(言われると、悪くないな。——黒い靄が外に出ている。悪魔が離れたな)
『おい、目を覚ませ! おかしなことを言っているぞ』
「その続きは、休憩室で一緒にお茶を飲みながらゆっくり聞こう」
「分かったわ!」
『おい、お前、そいつに騙されてるぞ!』
伯爵は私の肩に手を回すと、リネン室を一緒に出た。
バタンと、ドアが閉まった。




