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倫理学:女王様の特別講義~眞栄田豪姫の灼熱講話録  作者: 和子


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5限目 箱根湯本演芸場こけら落し(2)

第十三回 箱根湯本の本格話芸

 箱根湯本の駅前は、昼過ぎになると決まって少しだけ騒がしくなる。

近年、人気観光地として来客者は安定して増加している。

その賑わいは日常の延長でありながら、土産物屋の呼び声は軽やかで、温泉饅頭の甘い匂いが通りに溶け、観光客の足取りには、名所の探訪にかける意気込みと高揚が混じっている。


 その雑踏の通りに並ぶ、新たな観光スポット「湯本演芸場」の高座に、今日の主役はいた。


 高座の中央に座る男の名は――笑角亭(しょうかくてい)力介(りきすけ)


 年の頃は四十がらみ。痩せすぎでも太りすぎでもなく、ただ190cmの巨体であった。顔立ちもどこか「通りすがり」で、記憶に残りにくい。着物も派手さはなく、渋い鼠色。だが、噺を終えて丁寧にお辞儀を終えた時、場の空気がふっと静まった。


 「ええ……本日は、箱根湯本演芸場へお初のお運びをいただきまして、厚く御礼申し上げます。

僭越ながら、初っ端(しょっぱな)の出し物でお耳汚しをいたしました。

この後、『真打』師匠の噺をご堪能いただけますので、どうぞ楽しみにお待ちください」


 声は低めで、よく通る。

張り上げるでもなく、媚びるでもなく、まるで昔からそこにあった音のように、自然に耳へ届く。


 この男、世間的にはまだ二ツ目である。

 落語界においては、四十代半ばで二ツ目という歩みは、決して早いとは言えない。

だが、この世界には年齢や肩書きでは測れない力量を持ち、一部で根強いファンを集める噺家もいる。力介は、まさにそうした一人だった。


 派手な名声こそないが、彼の高座には、なぜか“分かっている客”が集まる。評論家でも、通ぶった素人でもない。噺の呼吸や間を、体で知っている人間たちだ。


 力介は、もともと相撲取りだった。

 新小岩の相撲部屋に入り、三年。序ノ口にもなれず、気づけば後輩に抜かれていた。力はあった。だが、相手を本気で押し切れない優しさが、土俵では致命的だった。


 ――押せないなら、全身で語れ。


 そうして辿り着いたのが、落語だった。

師匠・笑角亭来福からもらった芸名「力介」は、力士時代の名残であり、同時に「力を、別の形で使え」という戒めでもあった。


 派手な身振りも、大げさなオチの強調もない。

力介の噺は、ゆっくりと進む。

だが、気づけば客は、箱根の温泉街ではなく、江戸の長屋の縁側に座っている。


 「――というわけでして、お次が落語の真髄をお見せいたします真打、務諾威笑来むだくい・わらくでございます。どうぞ、お後をお楽しみに」


 その一言で、客席から小さな笑いが漏れた。爆笑ではない。だが、確かに"効いた"笑いだ。


 その仕草には、前座を務める二ツ目らしい遠慮と、今日の高座を一緒に作ったという手応えが、同時に(にじ)んでいた。

 

 箱根湯本の片隅で、その日、ひとつの本格話芸が静かに始まっていた。

それは、数多(あまた)ある日本の温泉地のひとつに、日本の伝統話芸を発信する新たな地が、確かに産声(うぶごえ)を上げた瞬間でもあった。


 新恋羽寄席の落語家の間には、少し変わった決まりがある。

一席につき、演者は「マクラ」「ネタ」、そして最後に短い締めの小話「座布団返し」と呼ばれる小噺までを、一人で務める。もっとも、実際に座布団を返す所作はしない。トリまで同じ座布団で通すのが、この寄席の流儀だった。


 きっかけは、先輩落語家たちの小さな工夫だった。

サゲと同時に拍手が起こり、それをかき消すように次の出囃子が鳴り、前の演者がそそくさと引っ込む。そんな慌ただしい流れに、どこか味気なさを感じたのだという。


 そこで改められたのが、この小噺の「座布団返し」だった。

噺をきれいに落とした後、ほんのわずかなフリートークの時間を設ける。客への礼を述べ、次の噺家を紹介したり、時には客席と二言三言やりとりを交わす。すべては一分以内。その間、場の空気を整え、次に鳴る出囃子を、きちんと“聴いてもらう”ための時間だった。


 出囃子もまた、落語という芸能の一部である。

その音を背負って真打が現れる――その瞬間を、客にきちんと味わってもらうための、ささやかな仕掛けだった。


 この「一人三部構成」は思いのほか評判を呼び、若手の中には遊び心を発揮する者も現れた。

ヘビーメタルの名曲を三味線用に編み直し、出囃子として使う噺家までいる。破天荒ではあるが、場は不思議と荒れない。中には、出囃子が流れ出した途端、それを聴き分け、思わず落語家の名をコールしてしまう通人が現れるほどだった。そこには、落語という型を大切にしてきた者たちの、共通の呼吸があった。


 力介は高座を降りながら、出囃子の一音目に、そっと耳を澄ませた。

今日もまた、この寄席は、静かに、しかし確かに前へ進んでいる。


 高座をゆっくりと下がる力介の巨体は、この箱根の地に産声を上げた新しい演芸場そのものを象徴しているかのようだった。祝福を受けた大きな赤児が生まれ落ちたように、確かな命として、そこに在った。


 

第十四回 円熟のオネエ落語家登壇

 次に高座へ上がったのは、務諾威笑来<むだくい・わらく>である。

年の頃は五十。真打として最も脂の乗った時期にあり、玄人筋からの評価も高い噺家だった。


 一見すると、なよりとした印象を受ける。細身で、所作も柔らかく、声にも角がない。だが、ひとたび噺に入れば、その芯の強さはすぐに知れる。

 (したた)かな遊郭の()手婆(てばば)や、気位の高い大奥中臈(ちゅうろう)――そうした女たちを()らせれば、右に出る者はいない、と評される所以(ゆえん)である。


 この笑来(わらく)、もう一つの特徴があった。

 マクラが長いので有名なのだ。


 高座に座るなり、手前の客と目が合うと、そのまま世間話が始まる。天気の話から、道中の電車の混み具合、箱根の坂のきつさまで、話題はとりとめがない。客席はいつの間にか、それを噺として聴いている。


 平均すれば十分ほど。

 だが、だからといってネタが手抜きになることはない。むしろ、その助走があるからこそ、本題に入ったときの濃密さが際立つのだ。


 じっくり味わいたい落語好きにとって、これほど贅沢な時間はない。


 笑来の高座は、今日もまた、そんな客たちを静かに満たしていく。


「やあねえ、もう!」


 笑来のひと言をきっかけに、手前に座っていた外国人男性とのやり取りが弾み、その波はすぐに客席全体へと広がっていった。その外国人男性とは、スペイン文学のアントニオ・ロペス教授である。

 AIによる同時通訳のため、言葉の壁はここではほとんど意味を持たない。他の外国人客までが、意味を掴んだ瞬間、手を叩いて笑い出す。


 「お客さんがやってるのは"不倫のお泊まり"じゃない!

温泉まんじゅうって、不倫相手の"お(ムネ)"のことでしょ?

それを奥さんへのお土産に持って帰ったら――修羅場、間違いなしね」


 噺が落ちるたびに、笑いはさまざまな形で返ってくる。


 顔を覆い、天を仰いで肩を震わせるヒジャブ姿の女性。


 冬場だというのにTシャツに短パン姿の欧米人は、身振りも大きく、腹を抱えて笑っている。


 同じ噺を聴きながら、笑い方は違う。

だが、その違いこそが、この場の豊かさだった。

客席には、それぞれの国、それぞれの文化が、確かに息づいていた。


 落語は多く江戸時代の世界観を舞台にする。

しかしながら、江戸時代の武家社会や身分制度を、いちいち説明していては、外国人観光客にはどうしてもハードルが高くなる。

 そこで笑来は、あえて噺を“作り替えた”。それも、原典をきちんと「()れる」力量があればこそ可能な改編だった。


 演目は――

「妾馬」ならぬ、新作落語「義理の兄(Brother in law)」。


「ハチゴロウという男がいましてね。

学校にもろくに行かず、地元の仲間と遊んでばかり、のんきに暮らしていたんですが……妹が、えらく出来のいい子でして」


 口調は軽い。だが、噺の骨格は揺るがない。


 「なんと、大金持ちの貿易会社の社長夫人になっちまいました。

で、兄貴のハチゴロウが、社長のパーティーに呼ばれまして――“妻の兄”として紹介されることになったんでさあ、大変!」


 客席のあちこちで、もう笑いが起きている。

堂島のような落語好きは、この時点で気づく。

――ああ、これは「妾馬」だな、と。


 パーティー会場では、お仕着せのタキシードを着せられ、上流階級の紳士たちと噛み合わない会話を必死で切り抜けるハチゴロウ。

それがなぜか、社長の気に入るところとなり、話は思わぬ方向へ転がっていく。


 「君、操縦士を探してたんだ。ちょっと乗ってみないか?」


 こうしてハチゴロウは、なんと社長のプライベートジェットのパイロットに“採用”されてしまう。


 コクピットでマニュアルを真剣に読んでいた、その時だった。

うっかり、エンジンのスイッチを入れてしまい、機体はそのまま滑走を始める。


 『お兄さん! どこへ飛ぶんですか!?』


 慌てる妹に、ハチゴロウは胸を張る。

『マニュアルに“オートパイロット”って書いてある!

この人に聞いてみるよ!』


 ついに、飛行機は大空へと舞い上がった。

雲の上で、ハチゴロウは、まだ見ぬ“オートパイロット”に呼びかける。


 『飛行機のパイロットなんだから……

雲の上に、いるんだろ?』」


 客席がどっと割れた。


 「社長と妹は絶叫する『ハチゴロウ! カムバーーーック!!』」


 最後は、笑来自身の叫びとともに、場内は大きな拍手と笑いに包まれる。


 「Thank you for having fun with me!(楽しんでくれてありがとうございます!)」


 その一言が、いくつもの言語に翻訳され、寄席を満たしていく。

そこには、国の境目などなかった。

あるのは、噺を聴き、笑い、誰かと共有したという、ただそれだけの実感だった。


 客席で堂島剛は、思わず下を()いた。


 これは――うまい。


 古典「妾馬」の笑いの急所を、寸分違わず掴み取り、それを新作落語へと見事に落とし込んでいる。

本家のサゲは、「馬に聞いてくれ!」。

理屈も分別も放り出した、あの痛快な投げ方だ。


 それを笑来は、こうひっくり返した。

「雲の上の“オートパイロット”さんに聞いてみるさ!」


 馬が、空へ駆けた。

 しかもジェット機になった。


 バカで、のんきで、考えなし。

ここまで来ると呆れるしかない――のだが、その呆れが、そのまま笑いへと転ぶ。

堂島は、そこで気づいたのだ。


 (これは単なる現代化ではない。

人の愚かさと愛嬌、そのどうしようもなさを、時代も国境も越えて伝えるための“変換”なのだ)と。



第十五回 鎌勝(かまがち)教授の解説

 落語研究会の顧問である鎌勝大樹教授は、堂島たちの方を振り返り、小さく(うなず)いた。


 「どうでした?皆さん」


 教授は声を落とし、あくまで噺の余白を邪魔しない調子で解説する。


 「ハチゴロウは、無教養で、世間知らずだと見透かされている。だからこそ、社長の友人たちは彼を笑いものにしようとする。

『お兄さん、結婚のお祝いのスピーチをお願いします』――無理やりマイクの前に立たせるのは、そのためです」


 確かに、あの場面までは、よくある(おろ)か者を嘲笑(ちょうしょう)する構図だった。


 だが、ここから噺は一気に転じる。


 ハチゴロウは、言葉に詰まりながら、ぽつりぽつりと話し始める。

自分は親不孝ばかりしてきたこと。

その一方で、妹は賢く、真面目に働き、親孝行をしてきたこと。

そして――妹を(めと)ってくれた社長への、心からの感謝。


 「どうか……どうか、妹を、よろしくお願いします」


 さらに、照れくさそうに付け加える。

早く赤ちゃんが生まれてくれたらいい、と。

それだけが、今の自分の願いだと。


 飾り気はない。


 うまくもない。


 だが、その言葉には、計算の入り込む余地がなかった。

パーティー会場は、やがて大きな拍手に包まれる。

喝采(かっさい)だった。

涙に目を潤ませる高齢の客や、そっとハンカチを目元に当てるご夫人の姿もある。


 「無教養な庶民でもね」


 鎌勝教授は、静かに言った。


 「真心は人の心を動かすんです」


 最後は、大惨事(だいさんじ)を予想させる展開となってしまった。

だが教授は、そこにも意味を見出す。


 「例えば、あの噺をキリスト教圏の人が聴いたなら――

飛行機で雲の上に飛び立ってしまったハチゴロウは、神のもとへ召された、と受け取るでしょう」


 堂島は、思わず息を呑んだ。

笑いの奥に、祈りがある。

だからこそ、この噺は、国境を越える。


 箱根の寄席で披露された一席は、単なる新作落語ではなかった。

人間の愚かさと尊さを、同時に抱えた話芸として、確かにそこに()った。


 ハチゴロウという男の悲喜劇は、江戸の町から、ジェット機のコクピットを経て、世界へ放たれた。

落語という話芸が、言語や文化を超えて生き続けることを、今まさに証明している。


 堂島は、深く息をついた。

 ――参ったな。

これは間違いなく、一流の噺家の仕事だ。 



第十六回 暗い目論見

 堂島は、自分の想像が、真相の淵にかなり近づいていると感じていた。

このSAIGYOのメタバースARこそ、自分が探し続けてきた「黄金のロマン」に違いない。


 胸の奥に渦巻く悔しさと(たか)ぶりを抑えきれず、堂島は手にしていたパンフレットを、掌でぱん、と二度叩いた。

だが、彼の意識はすでに別の場所にあった。


 堂島が舞台袖に向かったのは、もともと当初の目的どおり、高座の様子を裏側から覗き込み、評論家としての視点――いわば落語界の裏知識を充実させるためのものだった。


 だが、先ほど目にし、耳にした、眞栄田教授とロペス教授の会話は、「悪徳」と呼ぶほかない真相。

問題は、それをどう開示するかだった。


 必要なのは、単なる告発ではない。

証拠を突きつけるよりも、「どこまで知っているの?」と疑わせ、その疑念がもたらす、恐怖という「負債」を背負わせること。

そうして、自分が債権者として回収する構図を作る。


 証拠を周到にちりばめたレポートを提出すれば、形式上の結末は決まっている。

――「評価A」。

その三文字を、堂島はすでに視界の先に見据えていた。



第十七回 真打・アヌシュカ

 高座は、ここで少し趣向を変えた。


 次に始まるのは、SAIGYO執行役員、高柳アヌシュカによる挨拶である。


 堂島は、豪姫教授と親密に言葉を交わしていた、あの美しいインド人女性の姿を思い出しながら、玄人ぶった調子で小さく呟いた。


 「せっかく客席も温まってきたっていうのに……これじゃ寄席の雰囲気が台無しじゃないか。まあ、運営側がまだ慣れてないんだろうけどさ」


 ぼやきつつも、視線は舞台から離れない。


 高座の上手(かみて)にマイクが設置され、座布団はそのまま残された。

背景は、これまでの和風の障子絵から、映像投影用のスクリーンへと切り替わり、SAIGYO社のロゴが表示される。

挿絵(By みてみん)

 待ち時間に流れ始めたのは、賑やかな三味線ではなかった。

静かな、琴の連弾である。


 どこか懐かしい旋律だった。三十年ほど前、日本のアニメで使われていた曲のひとつ――おそらくは、落語家の出囃子に代わるものとして選ばれたのだろう。伝統と現代の折衷。その意図は、はっきりと伝わってくる。

先ほどのロゴが写された画面の下には、無機質な文字で「しばらくお待ちください」と表示される。


 どうやら今回は、スクリーンが主役で、演者であるアヌシュカは舞台の端に立つ“弁士”の役回りらしい。


 そんな(しつら)えを眺めているうちに、二分ほどの時間が過ぎた。


 やがて、照明がわずかに変わり、アヌシュカが舞台に姿を現した。 


「彼女ね、実は落語家の真打なのよ。

芸名は――笑角亭願叶しょうかくてい・がんが。インドの女神、ガンガーから取った名前」


 豪姫教授は、舞台に立つアヌシュカを、親愛のこもった眼差しで見つめながら続けた。


 「ビジネスの顔と、落語家の顔。その二つを重ねて、どんな高座を演じるのかしらね」


 アヌシュカ――いや、笑角亭願叶は、マイクの脇に立ったまま、静かに一礼した。


 拍手が完全に止む、その少し前。音の余韻を計るように、すっと頭を上げる。

「本日は、冷え込みが深まる中、当・湯本演芸場の開館記念寄席にお運びいただき、厚く御礼申し上げます。SAIGYOの高柳アヌシュカと申します」


 声を張り上げることはない。

それでも、そのしっとりとした言葉の響きは、客席の隅々まで行き渡った。


 AIによる音声エフェクトではない。

修練を重ねた末に身につけた、願叶自身の発声が、ただマイクを通してそこに在った。


 その瞬間、堂島は悟った。

この女は、単なる“挨拶役”では終わらない――と。


 どうやら、高座に座らなければ、メタバースARの効果は発動しないらしい。

間近に迫る高座特有の迫力は、そこにはなかった。


 それでも――。


 舞台に立つ彼女の美しさは、まるで顕花(けんか)のようだった。

静かに、しかし抗いがたい存在感で、客席の視線を一身に集めていく。人々の胸の奥に、ふっと息が漏れる。溜息(ためいき)にも似たざわめきが、広間をゆっくりと満たしていった。


 五つ紋の色留袖。

挿絵(By みてみん)

 端正な和服に身を包んだその姿は、華美ではない。だが、どこにも無駄がなく、凛とした気配だけが際立っている。


 笑角亭願叶(がんが)

そして、高柳アヌシュカ。


 ビジネスの最前線に立つ執行役員と、真打の噺家。

その二つの顔が、今この瞬間、ひとつに重なっていた。


 高座に座らずとも、技術に頼らずとも、人の心は掴める。

その事実を、彼女は登場しただけで、静かに証明してみせた。



第十八回 新しいSNSのプレゼンテーション

 笑角亭願叶――高柳アヌシュカは、舞台の端に立ったまま、深く息を整えた。

その所作ひとつで、客席のざわめきが自然と収まっていく。


 「メタバースARと量子AIによる十カ国同時通訳は――」


 抑えた声量だったが、不思議と隅々まで届く。

それは技術の力ではなく、言葉に宿る意志の強さゆえだった。


 「世代を超えて、できるだけ多くの皆さまにコミュニケーションの幸せをお届けするために、弊社が提案させていただいたシステムです」


 スクリーンには、各国の言語で同期する字幕が浮かび上がる。しかし客席の視線は、映像ではなく彼女自身に注がれていた。


 「私の母は、こう言っていました。

『おもてなしは、笑顔が最高のシステム』だと」


 その一言に、場の空気がふっと和らぐ。

アヌシュカはわずかに微笑み、続けた。


 「どれほど優れたプログラムも、笑顔のおもてなしには及ばない――そう自戒(じかい)しながら、私は業務に邁進(まいしん)してまいりました。湯本演芸場は、その成果の一つだと考えております」


 形式ばった挨拶のはずなのに、不思議と胸に残る。

彼女の言葉には、誇示ではなく、積み重ねてきた落語修練(しゅうれん)の重みがあった。


 「さて、これからご紹介いたしますのは、SAIGYOが来春、世界に発信する予定の新しいSNS――

『Thanks alley』です」


 その名が告げられた瞬間、客席の一角がざわついた。


 「すでに世界十カ国でβ版をリリースしており、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません」


 すると、数人の外国人男性が笑顔で、持っているスマートフォンの画面を高く掲げた。

画面には、見慣れないがどこか温かみのあるアイコンが映っている。


 「If so, the app is already installed!(そのアプリなら、入ってるよ!)」


 英語混じりの声が飛ぶ。

会場に笑いが起きた。


 「まあ……本当にありがとうございます。Thanks!」


 アヌシュカは心から嬉しそうに目を細めた。


 「Thanks alleyは、そのまま訳せば『感謝の小路』。ですが、私はそこに "Sanctuary"――『神聖な場所』という意味も込めて、発案しました」


 彼女の声は、静かだが揺るがない。


 「人が誰かに感謝し、それを言葉にする場所。

それだけで、世界はほんの少し、やさしくなると信じています」


 その瞬間、堂島は気づいた。

これは企業のプレゼンテーションではない。

ましてや単なる挨拶でもない。


 ――これは、ひとつの“噺”だ。


 笑角亭願叶は、座布団にすら座っていない。

だがすでに、高座は完全に彼女のものになっていた。



第十九回 閉ざされた遊び場

 笑角亭願叶は、すっと背筋を伸ばし、扇子を軽く畳んでから、にこりと笑った。

「えー、本日のお噺でございますが、題して

『黒いもやとスマホ』なんて、ちっとも艶も品もないお題でございますねぇ」


 客席にくすりと笑いが起こる。


 「もっとも、悪いのは噺じゃなくて、決めた人たちのほうかもしれませんよ~」


 ここで、扇子でぽん、と音を発し少し声を落とす。


 「2024年の十一月でございました。

 えらい人が集まるお部屋で、こんな相談があったそうで。


 『最近、子どもが元気ないなぁ』

 『うん、なんだか悩んでる顔してる』

 『よし、原因は……SNSだ!』」


 一拍の間。


 「――早いですねぇ。落語なら、まだマクラですよ?」


 客席がどっと笑う。


 「こうして決まりましたのが、『十六歳未満、SNS禁止』

 親がいいって、言ってもダメ。

 本人が泣いてもダメ。

 ダメなものはダメ」


 扇子でピシッと水平に線を引く。


 「でもね、罰を受けるのは子どもじゃない。運営会社。

『ちゃんと年齢確認しなさい』しなかったら、ドーンと五十億円」


 客席から「おお…」という声。


 「子どもは罰せられるわけではない。

……ええ、表向きはね」


 願叶、少し首を傾げる。


 「それが決まる前までの、放課後です。

『明日、遊びに行こう』

『時計台の前、十時ね』

これ、昔は一行で済んだんです。


今はどうするか。


『ママのスマホ借りていい?』

『あ、仕事中なの、後にして』

『じゃあ後でまた聞くわ』

……はい、もう遊ばない」


 静かな笑い。


 「動画もダメ。

『変な顔したカエル』もダメ。

『新作ネイル』もダメ。

『誰にも見せなくていいでしょ?』

って言われましてもねぇ」


 扇子を胸に当てる。


「見せたいんですよ。

理由なんかない。

ただ『見て』って言いたい年頃なんです」


 少し間を置き、低い声で。


 「そこで子どもが聞くんです。

『ねぇ、大人のオジサン。

ネットで遊ぶのって、いけないことなの?』」


 客席が静まる。


 「大人は答えません。

いや、答えられません。

代わりに出てくるのは、

『専門家によると』

『可能性が』

『証拠はないけど』」


 扇子で空を撫でる。


 「そのうち、黒い(もや)が出てきます。

悪者はいません。ただの“思惑(おもわく)”です。

『責任取りたくない思惑』。

『何かしたことにしたい思惑』」


 願叶(がんが)、ふっと笑う。


 「この靄、便利でしてね。

ゆっくり包むんです。苦しくない。

でも、遠くが見えない」


 「子どもは最初、怒ります。

次に、文句を言います。最後は……黙ります」


扇子を畳み、両手に持つ。


 「だって、これ以上言うと、

『スマホ、取り上げるよ』

……これが一番怖い」


 客席から苦笑が漏れる。


 「液晶画面は光ってます。

でも、遊び場じゃない。

監視灯みたいなもんです」


 願叶、顔を上げ、柔らかく締める。


 「大人は言います。『守ってるんだよ』って。


 でもね、

何から守ってるのか。

誰のためなのか。


 ――それだけは、

どこにも表示されなかったそうで」


 願叶の語りに合わせて、高座の背後に設えられたスクリーンが、静かに息づき始めた。

メタバースARと連動した映像は、CGめいた誇張を排し、人肌の温度すら感じさせるほどリアルな役者たちを映し出す。


 母親が眉をひそめる。

 少年がスマホを握りしめ、言いよどむ。

 議場では無表情な大人たちが、重々しく頷き合う。


 ――だが、誰ひとりとして声を発していない。


 願叶がひとこと放つたび、

 「ねぇ、大人の……」

 「ダメなものはダメだ」

 「守っているんだよ」


 その台詞は、映像の口元と寸分違わず重なり、あたかも彼ら自身が語っているかのように見えた。

声優によるアフレコはない。

あるのは、落語家の声と、間と、呼吸だけだ。


 客席は気づき始める。

 これは映像芝居ではない。

 ましてや朗読劇でもない。


 落語が、役者を“演じさせている”のだ。


 願叶が間を取れば、映像の人物も沈黙する。

 扇子が軽く動けば、少年は視線を落とす。

 わずかな溜めに合わせて、母親の肩が震える。


 言葉は一つ。


 語り手は一人。


 それなのに、登場人物たちは確かに生き、悩み、黙り込んでいる。


 堂島は息を呑んだ。

これはAI技術のデモンストレーションではない。

話芸という「人間の設計図」に、AIが忠実に従っている状態だ。


 ――噺が先。

映像は後。


 願叶の声が止まった瞬間、スクリーンの人物もまた、動きを止めた。

拍手が起こるまで、誰も口を開かない。


 落語とは、語る芸ではない。

想像させ、演じさせ、世界を立ち上げる芸なのだ。


 この夜、湯本演芸場でそれを証明したのは、

笑角亭願叶の一席と、

それに従属する、沈黙のAI役者たちであった。


 演者の表情が解けて、SAIGYO役員の顔に戻りやわらかい視線を客席に向ける。


「次にご紹介致しますのは、箱根外国語大学・倫理学教授の『眞栄田(まえだ) 豪姫(あき)』教授です。どうぞ」


 

第二十回 高座の女神たち

 いつの間にか、豪姫(あき)教授は客席から姿を消していた。

鎌勝(かまがち)教授も、古葉も、堂島も、誰ひとりとしてその瞬間を見ていない。まるで、噺の「間」に吸い込まれるように、気配ごと高座裏へ溶けてしまったかのようだった。


 そして今――

その豪姫が、高柳アヌシュカと並び、壇上に立っている。

挿絵(By みてみん)

 ロペス教授は興奮して立ち上がり、

「¡Hermosas! ¡Diosas!(美しい!女神たちよ!)」と叫んでいる


 客席に、さざ波のようなどよめきが走る。


 二人とも和服姿だった。

派手さを品良く抑えて、二人の美しさを存分に引き出す佇まい。

布の重なりや所作の一つひとつが、計算ではなく"身に染みた文化"としてそこにあった。


 江藤裕也(えとうゆうや)が、半ば冗談、半ば本気で小声を漏らす。

「これさ……『私も落語家でーす』って、カミングアウトする流れじゃね?」


 その言葉に反応せず、三山世理は舞台に釘付けとなっていた。

「……ステキ……」

崇拝にも似た眼差しで、教授とアヌシュカの並び立つ姿を見つめている。二人が放つ静かな存在感に、言葉を失っていた。


 節津(せっつ)京香(きょうか)は少しだけ視点が違った。

観察するように、しかし確信をもって言う。

「お二人とも、着物の着付けも、色合わせのセンスも完璧ね。流行りじゃないのに、古くも見えない……“ザ・和装”って感じ」


 舞台上の二人は、まだ何も語っていない。

それでも、すでに一席終えたかのような余韻が、場を満たしていた。


 客席と高座の境目が、曖昧になっていく。

 誰が噺家で、誰が聴き手なのか。

 誰が学者で、誰が演者なのか。


 その曖昧さこそが、この夜の本題なのだと、

堂島は、なぜか確信していた。



第二十一回 倫理学とプログラミング

 高柳アヌシュカは、マイクに軽く視線を落とし、ひと呼吸置いてから語り出した。

その声は先ほどの噺と同じく、張り上げるでもなく、客席の奥まで自然に届く。


 「SAIGYOは、子どもたちがSNSを取り戻す"助け"がしたいと考えました」


 助け――

その言葉に、堂島はわずかに眉を動かした。

禁止でも、管理でもない。選ばれたのは、その中間にある曖昧で、しかし覚悟の要る言葉だった。


 「そこで、眞栄田教授のお力をお借りしたのです。その成果が、倫理プログラミング・ライブラリ『Etiqaエティカ』です」


 スクリーンに、簡潔なロゴと数行のコード例が映し出される。

専門家でなくとも、"仕組み"がそこにあることだけは伝わる構成だった。


 「現在、二十二個の関数を一つのパッケージにまとめ、Pythonプログラムに実装できる形にしています」


 淡々とした説明のはずなのに、客席には奇妙な静けさが広がっていた。

それは技術への関心というより、倫理をコードにするという発想そのものへの戸惑いだった。


 「わが社が来春リリース予定のSNS、『Thanks alley』には、この『Etiqa』が組み込まれています」


 外国人客の何人かが、小さく頷く。

若い聴衆の中には、無意識にスマートフォンを握り直す者もいた。


 アヌシュカは、そこでふっと表情を和らげた。


 「――では」


 ほんのわずかな間。

その沈黙が、舞台の空気を再び“噺のもの”へと引き戻す。


 「噺を、続けさせていただきます」


 その一言で、技術説明も、企業プレゼンも、すべてが舞台袖へ退いた。

再び声の主として中央に戻ってきたのは、落語家・笑角亭願叶だった。


 堂島は理解する。

これは説明ではない。

噺の一部なのだ。


 倫理も、SNSも、子どもたちの未来も――

すべてを包み込んで語るための、長いマクラだったのだと。



第二十二回 鏡の中の動物園

 アヌシュカは、扇子を握り直し、にこりと微笑んでから噺を始めた。


 「えー、本日のお題は

 『鏡の中の動物園』でございます。


 これはね、"悪い子のお話"じゃありません。

ご安心ください。

 ちょっと失敗した子のお話でございます。


 さて、主人公は11歳のカイト君。

クラスではまあまあ目立つ方でして、勉強もそこそこ。

 ところがこの日、塾のテストが大失敗。

帰り道から、もうイライラが頭のてっぺんまで来ておりました。


 そんな時に見つけたのが、

クラスの目立たない女の子が投稿した

『お気に入りの読書ノート』。


 一生懸命まとめた感想が、ずらーっと並んでいる。


 ――そこで、カイト君。

悪い心が、ぴょこんと顔を出す。


 『これ、誰が興味あるの?時間の無駄w』

……はい、皆さん。

今の、送っちゃいけないやつですねぇ。


 ところが、送信ボタンを押す前に、

スマホの画面が、ふわっと紫色に光りまして。

スマホがしゃべるんです。


 『カイト君。ちょっと待ちなさい。

今日は塾のテストでイライラしてるね?

八つ当たりすると、君の“徳ポイント”下がるけど、いいの?』


 カイト君、

「うるさいな!」と舌打ちしまして、

そのまま――ポチッ。


 するとどうでしょう。


 『判定:よろしくない言葉づかい。

これよりカイト君を

"ナチュラル・アニマル・パーク"へご案内します』


 目の前が、くるん――。


 気がつくと、カイト君、

いつものSNSの通りじゃありません。

広ーい広ーい、不思議な場所。


 空を見上げると、

自分が書いた

『時間の無駄w』

これがですね、

でっかいネオン看板になって浮いている。


 さらに、カイト君、

自分の姿アバターを見てびっくり。


 ……犬。


 しかも、

自分の尻尾を追いかけて、

ぐるぐる回る、

目が回ったラブラドール。


 そこへ、他の子どもたち。


 「わー!カイトが犬になってる!」

 「"時間の無駄"って言ってる本人が、一番ムダじゃん!」


 スタンプが、ポンポンポン。

字幕まで踊り出す。


 【速報:世界一ムダに回る犬、発見】

 【哲学:尻尾は、追う意味があるのか?】


 最初は、

顔を真っ赤にして怒っていたカイト君。


 でもね、

あんまりにもマヌケな自分の姿に、

だんだん……力が抜けてきた。


 一週間も経つと

「……なにやってんだ、俺」


 そう言って、

思わず、くすっと笑ってしまった。


 その瞬間です。


 スマホが、また光りまして。


 『はい、反省、確認しました』


 犬の姿が、すーっと消えて、

元のカイト君に戻りみんなが集う通りに立っていた。


 画面には、こんな言葉。


 『おかえり。

今の君なら、

別の言葉をかけられるよね』


 ――これでおしまい。


 この“動物園”は、

悪い子を閉じ込める場所じゃありません。

自分の未熟さを笑って、

他人の気持ちを考えるための(かがみ)


 誰かがひどい言葉を作れば、

倫理ロジックがすぐ検知、

それを止める仕組みが足される。


 怒鳴られない。

殴られない。

ただ、自分で気づく。


 えー、

昔はこれを

“親の説教”と言いましたが、

今は……

AIがやる時代でございます。


 さて、皆さん。

鏡の中に映るのは、

動物か、

それとも――

ちょっと成長した自分か。


 それは、

これから打つ一言しだい、

というお話でございました」


 アヌシュカは、静かに扇子を畳み、

にっこりと頭を下げた。


※ 実は、このネタは別のエピソードも続いていて、12分程度はあるのだが、豪姫教授を立たせたままにはできないので、ショートバージョンで切り上げた。本来の噺の続きは以下の通り―――


 12歳の少女、レオナは、放課後の公園で「Thanks Alley」を開いた。 彼女のフィードに流れてくるのは、同年代の子が投稿した「枯れ葉で堆肥を作る最短ルート」や、「孤独を感じたときに読むべき3行の詩」といった、誰かの人生を少しだけ豊かにする断片だ。


 「あ、これ、役に立つ」


 レオナが『知的徳の評価』のボタンを押すと、投稿者に「感謝の雫」が送られ、レオナ自身の徳スコアもわずかに上昇した。この世界では、他者の成長を助けることこそが最大のステータスだった。


 しかし、この清らかな小路の裏側には、世界で最も残酷で、最も滑稽な「処刑場」が隣接している。


 「あ、また誰か堕ちたよ」


 レオナが画面の隅にある、禍々しくもカラフルなアイコンをタップした。 そこは「Natural Animal Park(自然動物公園)」。倫理Pythonによって「非倫理的」「搾取の意図あり」と認定された者たちが送り込まれる、隔離エリアだ。


 画面に映し出されたのは、ある大人のインフルエンサーだった。彼は「Thanks Alley」の規約をすり抜け、サプリメントのステルスマーケティングを「有意なチップス」に見せかけて投稿しようとしたのだ。


 だが、Etiqaの関数群は、その動画の背後にある強欲なアルゴリズムを瞬時に見抜いた。


 「さあ、大喜利の始まりだ!」


 レオナたちが画面を見つめるなか、AIがそのインフルエンサーの動画をリアルタイムで書き換えていく。彼のキメ顔は、不自然に膨らんだカエルのような姿に加工され、彼が語る「成功の秘訣」は、AIの手によって「なぜ私は、子供から小銭を巻き上げようとして失敗したのか」という自虐的なラップに変換された。


 『僕は強欲なアルパカ、計算ずくのスカスカ。  倫理のコードに弾かれ、今じゃただのギャグ・マシーン!』


 AIが生成する、あまりにも悲惨で、あまりにも的確な「大喜利」のネタ。 「Natural Animal Park」に隔離された者は、ブロックされることすらない。ただ、世界中の子供たちの前で、自分自身の非倫理性を徹底的に「笑いもの」にされるのだ。


 「ダサい……」とレオナは笑った。「こんなことしてまで、自分だけ得したかったんだね」


 ここでは、説教は必要なかった。非倫理的な行為は「悪」である前に、圧倒的に「格好悪い」ものとして定義されていたからだ。


 かつての、禁酒法と同じように、SNSを禁じた大人たちは、自分たちの「お粗末な判断」を恥じた。彼らは子供たちを守るために「壁」を作ったが、新しい世代は倫理を「コード」として組み込むことで、「誘惑を笑い飛ばす力」を手に入れたのだ。


 夕暮れの公園。レオナは「Thanks Alley」を閉じた。 彼女の心には、誰かを(だま)そうとするノイズではなく、明日の学校で友だちに教えたくなるような、ささやかな知恵だけが残っていた。


 「次は、私が誰かの役に立つチップスを書こうかな」


 そう呟いた彼女の瞳には、かつてのインターネットが失っていた、真に自由で、意義深い世界の景色が映っていた。


 2050年の新しいSNS、Thanksalleyには他にも面白い機能があるが、またいつかアヌシュカの口から語られることだろう。※※※



第二十三回 豪姫教授の解説

 アヌシュカに軽く促され、豪姫教授は一瞬ためらうようにしてから、マイクの前に進み出た。

客席のざわめきが、すっと静まる。


 「ええ……倫理学の研究と、学生たちの指導をしております。

眞栄田豪姫と申し増します」

名乗りは控えめだったが、声には不思議な芯があった。


 「先ほどお話のありました倫理関数――いわゆる『Etiqa』の構築に、ほんの少し関わらせていただきました」


 そう前置きしてから、豪姫は隣に立つアヌシュカへと視線を向ける。


 「高柳アヌシュカ取締役は、私の大学時代の先輩にあたります。

当時から、学問のことも、生き方のことも、いろいろとご指導いただきまして……」


 少しだけ、言葉を選ぶ間。


 「今も親しく交流させていただいております。

これは私の勝手な思いですが――実の姉のように思っております」


 その瞬間、アヌシュカは思わず笑みをこぼし、

(とんでもない)とでも言いたげに、ひらひらと手を振った。


 だが豪姫は、その手をそっと、両手で包み込むように押さえる。

二人は目を合わせ、声を立てずに笑い合った。


 そのやりとりに、客席から柔らかな笑いと、温かな拍手が起こる。


 豪姫は、もう一度マイクに向き直った。

「さて……コンピュータ理論と倫理学。

一見すると、ずいぶん遠く離れた分野に見えるかもしれません」


 そう言って、プロジェクターの方へと歩み、表示された数式を指し示す。

「けれど、倫理学というのは、実はプログラミングととても相性がいい学問なのです。

コンピュータの世界では、従来から論理式が多用されていますね」


 スクリーンには、簡潔な記号が並んでいた。


 「論理学が扱うのは、『真(True)か、偽(False)か』。

一方、倫理学が扱うのは、『善(Good)か、悪(Bad)か』です」


 会場の空気が、静かに引き締まる。


「問題は――この二つを、どう橋渡しするか」


 豪姫は、指先で式をなぞる。


「たとえば、

A = B, ; B = C のとき、A = C である。

これは、論理の世界ではごく当たり前の話です」


 少し間を置いて、視線を客席へ向ける。

「では、この考え方を、倫理の文脈で再構築するとしたら、どうなるのか」


 微かに、微笑む。


 「本日は、そのための三つのアプローチを、ご紹介させていただきます」

その言葉とともに、スクリーンが切り替わり、

新たな図とキーワードが浮かび上がった。


 学問の講義でありながら、

どこか一席の噺のような、静かな期待が、

湯本演芸場の空気を満たしていた。


### ① みんながやっても大丈夫?(義務論の考え方)


 まず一つ目は、とてもシンプルです。


> 「私がやろうとしていることを、もし“みんな”が同時にやったら、世の中はちゃんと回るでしょうか?」


 たとえば、私だけが嘘をつくと楽かもしれません。

でも、全員が嘘をつく世界になったら、誰も信じ合えなくなってしまいますよね。


 ですから、

「自分だけならOK」という行為は、実はOKではない

――そう気づかせてくれる考え方です。


プログラムで言えば、

「それを何度も繰り返しても壊れない?」と確認する安全チェックのようなものですね。


### ② いちばん幸せが増える選択は?(功利主義の考え方)


 二つ目は、結果を見る考え方です。


> 「どの選択が、より多くの人の幸せを生みますか?」


 一人を助ける行為も尊いです。

でも、五人を助けられる選択があるなら、そちらを選ぶべきではないか。


 これは、冷たい計算ではなく、

「幸せをできるだけ大きく広げよう」という発想です。


 プログラムで言うと、

一番良い結果を出すルートを選ぶ、最適化の考え方に近いですね。


### ③ あなたの痛みは、私の痛み(共感の考え方)


 三つ目は、少しやさしい視点です。


> 「あなたが傷つくなら、私も同じように傷ついている」


 ここでは、「同じ」という言葉は、数字の一致ではありません。

心がつながることを意味しています。


 技術的に言えば、

ただ比べるのではなく、気持ちを同期させるようなもの。


 この考え方があると、

「できるかどうか」よりも

「していいかどうか」を自然に考えるようになります。


### まとめ:倫理は、プログラムに“思いやり”を足すこと


プログラムを倫理で再構築できるのか?と問われれば

数学的な論理を「倫理」に変換することは、「意味セマンティクス」のレイヤーを追加することで可能ということになります。スクリーンをご覧ください


◆従来の論理:  if A == B: execute(X)(もしAとBが一致するなら、Xを実行せよ)


◆倫理的論理: if is_fair(A, B): execute_with_care(X)(もしAとBの等しさが『公正』であるなら、『配慮を持って』Xを実行せよ)


 プログラムは本来、

「条件が合えば実行する」という、とても素直な命令の集まりです。


 そこに、ひとつだけ問いを足します。


> 「それは、公正ですか?」

> 「誰かを傷つけませんか?」


 すると、命令は

意図と責任を持った行動に変わります。


### 最後に


 「私の行動が原因で、誰かに何かが起きる」

その間にある"責任"を忘れないこと。

それを、そっとプログラムに重ねていく――


 そんな小さな工夫から、

人にやさしい技術は生まれていくのだと思います。


 次は、その"やさしさを添える仕組み"を、

一緒に形にしてみませんか?



第二十四回 学生たちの不満

 古葉玲央は、腕を組んだまま小さく舌打ちした。


 「なんだよ……俺たちのときと、ずいぶん違うな」


 その声音(こわね)には、()ねたような、どこか置いていかれた感情が滲んでいる。


 隣の堂島剛が、肩をすくめて応じた。

「あれだよ、外面(そとづら)がいいのさ。内弁慶ってやつだ」


 二人のひそひそ話を、偶然ではありえないほど自然に拾った男がいた。

アントニオ・ロペス教授である。


 彼はゆっくりと首を巡らせ、穏やかな笑みを浮かべたまま口を開いた。


 「君たちは、まだ彼女の本質を見ていない」


 低く、よく通る声だった。

軽い冗談を挟むような調子で続ける。


 「彼女にはね、計り知れないほどの“芸の引き出し”がある。

状況に応じて顔も声も思考も変える……そうだな、女性版の変身ヒーローとでも言うべきか」


 古葉と堂島が思わず視線を向けると、ロペス教授はふっと笑みを消した。

その表情は、冗談を語る者のものではなかった。


 「ただし――」


 一瞬の間。

場の空気が、わずかに張り詰める。


 「一つだけ、忠告しておこう」


 そして、はっきりと、噛みしめるように言った。

「眞栄田豪姫ほど、美しく、そして恐ろしい女性はいない――ということだ」


 その言葉は、脅しでも誇張でもなかった。

むしろ、事実を淡々と述べただけの声音だった。


 古葉は何も言い返せず、堂島も笑いで誤魔化すことができなかった。

壇上で柔らかく微笑む豪姫の姿が、今までとはまったく違う輪郭をもって、二人の目に映り始めていた。

ーー続くーー 

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