第1話 代打デートでマッチング
「頼むって、海斗。評価が下がると次からマッチングできなくなるんだよ! 飯代も全部出すから!」
金曜の夜、自宅のソファでくつろぐ俺のスマホにかかってきたゼミ仲間・宏志からの電話は、やけに必死だった。
マッチングアプリで知り合った女の子と明日デートの約束があるのに、どうしても外せない予定ができたらしい。
「嫌だよ。責任もってお前が断るか行けよ」
最初は即答で断った。けど、宏志は食い下がった。
最近のアプリは「評価システム」というものがあって、ドタキャンしたり、印象の悪いことをすると星が下がり、次のマッチンぐに不利になるらしい。
(評価性で世の中はどんどんシビアになっていくな)
現に宏志の評価は★2.9。
「待ち合わせに十分も遅刻された」
「メッセージの返事が遅い」
「写真がないのは不安」
「直前キャンセル二回。さすがにない」
とまぁ、散々なコメントが並んでいた。
(これ以上評価を下げたら終わり、ってわけか。自業自得だけど)
結局、押し切られる形で了承したのだった。
* * *
翌日の昼過ぎ、俺は大学最寄りの駅前に立っていた。
腕時計を見て、ため息をつく。
「……ホントに何やってんだ、俺」
宏志のアカウントでアプリを開き、相手のプロフィールを確認する。けど、顔写真は載っていない。相手の女の子も非公開設定にしているらしい。
これじゃあ、待ち合わせといっても本当に会えるのか怪しいもんだ。
(今日はせめて、“ドタキャンしない人”っていう評価だけでも回収して帰るか)
そう決めて、待ち合わせ時刻の五分前に東口の時計台へ向かう。
時計台の柱には“最近話題”のアイドルのコンサート告知ポスター。
周りでは中高生が写真を撮り合っていたり、献血の協力を求めるアナウンスが聞こえたり、だだをこねる子供が泣いている声が聞こえたりしている。
俺はひとつ深呼吸をして、視線を巡らせた。
待ち合わせ時間ちょうど。けれど、約束の相手らしき人影は見えない。
腕時計を見る。
秒針が一周する。
人の波が入れかわる。
もう一度アプリを開いて、メッセージ欄を確認する。特に連絡はない。
(まあ、顔写真なしだしな。すれ違ってる可能性だって――)
人混みの中でキョロキョロしていると、不意に声をかけられた。
「おまたせ!」
振り返ると、黒髪の綺麗な女の子が立っていた。
大きな瞳に、控えめな笑顔。思わず息を呑むほど整った顔立ちで、だけど派手さはなく、どこか落ち着いた雰囲気を纏っている。
「あ、あの……」
彼女は戸惑うように言葉を濁した。
緊張しているのかな。俺は待ち合わせ相手のプロフィールの名前を思い出しながら言った。
「もしかして、マッチングアプリの……えっと、遠山さんだっけ」
「あ、うん。そうだよ! 今日はよろしくね。えーっと……」
「あ、俺? 藤井海斗です。こちらこそよろしく」
「そっか、カイトくんね」
彼女は頷くと、えくぼを際立たせる綺麗な笑顔を作った。
(……マジか、宏志。こんな美人とマッチしてたのか? そんな日にはずせない予定だなんて、つくづく運のないやつだなあ)
思わず内心で苦笑してしまった。
「じゃあ、遠山さん、ご飯でも食べに行く?」
「あ……うん。じゃあ、あっちにカフェがあるから、そこでいい?」
彼女は駅の中を一瞬振り返り、すぐに俺の腕を軽く引いた。
その仕草が、やけに急いでいるように見えたのは気のせいか。
歩き出す後ろ姿は、黒髪がふわりと揺れるたび、柑橘のような香りを残した。
俺は半歩うしろからついていき、彼女がさっき駅の方を気にしたことを思い返す。
なにかを探している、というより、なにかから視線を外したい、そんな目の動きだった。
(って、考え過ぎか。とにかく俺は宏志の代打としてそつなくやって、早めに帰るだけだ)
俺達はカフェに入って向かい合うと、彼女はストローを指先でくるくる回しながら微笑んだ。
「こういうの、なんだか緊張するね」
「まあ……お互い初めて会うしな」
「確かに!」
彼女が笑う。えくぼができる。
この笑い方、どこかで見たことがあるような気がして、喉の奥に言葉が引っかかった。
会話は案外、軽快に弾んだ。俺の大学の話、趣味の話。それを聞きながら彼女はよく笑った。
気づけば、俺も自身が「代打」だということを忘れそうになるくらい。
俺は喉が渇いてアイスコーヒーを口に含む。氷がカランと音を立てる。
(それにしても)
ぱっと見の見た目は清楚系なのに、どこか芯の強さを感じさせる子だ。
「カイトくんはアプリは……その、どれくらいやってるの?」
「ん?」
「ほら、さっきのマッチングの。今日が初めて?」
(おっと、今はアイツのフリをして応えなきゃな。えーっと、どういえばいいだろう)
「あ……えっと初めてじゃあなくて、何回かは使った、かな」
「ふーん、そうなんだ。CMとかネット広告で最近流行り始めたみたいだもんね」
「みたいって――」
そのとき、俺のスマホが震えた。
「……ん?」
画面を見ると、マッチングアプリの宏志のアカウント宛てのメッセージが届いていた。
遠山:《ごめんなさい。今日は行けなくなりました。また今度にしてください》
(は?)
心臓がドクンと跳ねる。
目の前の彼女は、確かに「遠山だ」と言った。
でも、本当の相手はドタキャンしていた。つまり――この子は、別人。
それにあの時、彼女は自分の口で名乗ったわけじゃない。
(じゃあ……誰だ? なんで俺の前に座ってる? 一体なんの目的で)
疑問が頭を駆け巡る。
その時、彼女がふいに窓の外を見た。
すっと笑顔が消え、真剣な表情に変わる。
「カイトくん……ごめん、立って。今すぐ」
「え?」
戸惑う俺の手を、彼女が強く引いた。
カフェの窓越しに視線をやると、黒いスーツ姿の男たちが無線機を手に歩いている。駅前のロータリーには黒いセダンが二台、横付けされていた。
(な、なんだよあれ……!)
彼女は俺の手を握りしめて、低い声で言った。
「お店を出たら走るよカイト君!」
「はい?」
わけもわからず、会計を済ませて店を出る。
――次の瞬間、俺は彼女に手を引かれてカフェを飛び出していた。
(なんだか面倒なことに巻き込まれてないか俺!?)