ローズナの場合
夏のホラー用に書こうと思いましたが、無理でした。
ホラーにならず、修正してこの作品になりました。
今日は私、ローズナ・グラバッドの誕生日。
………………16歳を迎えた。
その日は一日中雨が続き、厚く覆われた雲から光射すことはなかった。
「もうお別れだよ。今の萎れた君は、俺に相応しくない。…………潮時だ」
その日彼は、連絡もなしに邸に押し掛けて来た。
勝手な台詞を呟く唇の主は、婚約者である伯爵令息のエルラーク・ブライトン。
子爵家の一人娘である私、ローズナに何度も愛を呟き、父親を説得して結んだ婚約だったのに…………。
付き合ってから知ったのは、彼の本当の目的。
私の家の有り余る財産を手にし、最終的には子爵家を手に入れることだった。
彼はもう、それがいらなくなったらしい。
◇◇◇
話は婚約話が来た時に遡る。
私はこの婚約に反対だった。
けれど、父親であるフュードラには逆らえない。
「……ローズナ、分かっているね。これは必要な犠牲なのだ。辛いだろうが、すまない…………」
「良いのです、お父様。暗い顔をしてしまい、申し訳ありません。私ならば、大丈夫ですから」
『深窓の令嬢で体も弱く、滅多に社交にでない世間知らず』
それが私に付いてまわる噂だった。
私は、エルラークを見かけたことがあった。
断ることのできない王宮の夜会に参加した時、多くの男女がダンスホールで微笑み、クルクルと踊っていた。
その中でも人目を惹いていた二人。
可愛らしい王女殿下と優雅に踊る、美しくてスラリとした体躯の男性が彼だった。
周囲はお似合いのカップルだと囃し立てるが、伯爵家の次男に彼女を娶る力はない。
今踊っているのも、彼女の護衛騎士と言う立場に過ぎず、婚約者のいない彼女の我が儘で、踊っている体だった。
「悲恋でしょうね…………」
王女を降嫁させられる家格と財力等を持ち、年の近い年齢の子息は、この国にはいない。
かと言って20歳も年の離れた侯爵の後妻では、王女が可哀想だと嘆く国王ラルケ。
けれど家格を落として嫁がせるのは、国にとって益がなさ過ぎると言う王妃の意見も、無下には出来ない。
寵妃である側室の娘である王女は、きっと他国に嫁に出されるだろう。
家を継げないエルラークでは、相手にもならない。
だからこそ彼の父親である伯爵も、彼を平民にさせないように私を彼に薦めたのだろう。
社交に殆ど出ない私を、彼が知る機会など、ありはしなかったから。
世間慣れしていない、コントロールしやすい令嬢。
彼らから見ればきっと、そんな認識なのだろう。
◇◇◇
婚約して半年後のこと。
彼は私を食事や買い物に、頻繁に誘って来る。
3回に1回はその誘いに従う。
そしていつも、支払いは私なのだ。
「このドレスは君に似合うね。ついでに俺の夜会用の服も良いだろうか?」
「このアクセサリー、カフスボタン、指輪もお揃いにしよう」
「……いつもすまないね。俺の予算では支払えなくて。
結婚したら必ず尽くすからね」
これがいつもの台詞だった。
「……良いのですよ。私にはこれくらいしか出来ないですから」
「ありがとう、ローズナ。そう言ってくれて嬉しいよ」
満面の笑みの彼は、僅か微笑む私の顔を見つめる。
機嫌を探っているのだろうか?
そしてまた、優しく微笑むのだ。
まるで本当に愛しているかのように。
私の髪は紫紺色、瞳は紅色だ。
彼は藍の髪と、黒い瞳。
そしてアン王女は、金の髪と紫の瞳を持っていた。
彼が選ぶ物はいつも、紫色がメインになるものだった。
私は、それでも良いと思っていた。
だってこのままなら、私は16歳の誕生日にはこの世にいないはずだから。
せいぜいこの陳腐な、寸劇のエキストラを楽しもうと思う。
◇◇◇
13歳で婚約をして、私は15歳になった。
私はあまり体調が優れず、相変わらず家に籠っている。
定期的にエルラークは、気分転換にと私を外出に誘い、彼は欲しい物を強請り私が購入する。
「結婚したら必ず尽くすからね。出来ることなら何でもするよ。この命さえ差し出して」
そして、いつもの台詞を口にする。
出来ないことは、言わない方が良いのに。
「そうね。お願いするわ」
私も余計なことは言わず、微笑んで彼に微笑んだ。
私は茶会も、夜会にも行かないから、エルラークの装飾品はアン王女に合わせて、彼自身が購入したと思われている。
彼は私に私物を強請って、浮いた資金でアン王女にドレスをプレゼントしていた。
夜空のような藍色のドレスは、スパンコールや刺繍が丁寧に施され輝いている。
だから私が久々に王宮の舞踏会に参加しても、彼の指輪やカフスボタン等が紫紺色でも、誰も何とも思わないだろう。
だってその色は、エルラークとアン王女の色が併さった色だから。
私と合わせて買ったと思う者は皆無だ。
周囲から見れば良くて蔑ろにされて可哀想、悪くてお邪魔虫は神経が太いと言う程度だろう。
アン王女の為に、エルラークがその身に誂えたと思われる紫色の衣装。
生成り色のドレスを纏った私は、アン王女の代わりに彼の腕を取る。
さすがに婚約者を差し置いて、いつものように彼の手は取れないようだ。
いつもその場所には彼女がいるのに。
私は彼らの仲を裂く、冴えない邪魔者なのだ。
私は、藍と黒色の物を身に付けたりしない。
身の程は弁えているつもりだ。
彼が王女と話をする為に、私を伴ったままで王女の元へ挨拶へ行く。
私の知らない会話で盛り上がり、微笑み合う2人。
私もそつなく微笑むも、彼女から僅かに優越感の滲む、蔑んだ顔が刹那にかいま見えた。
彼に見えないように右口角を上げる、可愛らしい王女らしくない表情。
私はそれに気付かぬ振りをし、ずっと微笑んだままでいることを選ぶ。
いつものように。
でもそれで良いと思う。
他人のモノと言うスパイスは相手の嫉妬や妬みを呼び、恋を燃え上がらせるだろう。
極少量で燃料となる、薪なようなもの。
王女達が本気で困らないように、小石のような障害であれば十分なのだ。
ただでさえ彼女は、この国の王女。
私が護衛騎士の婚約者であり続けるだけで、障害になるのだから。
その日、変わりない日常から役割を与えられた私は、それだけで少し楽しい気分なった。
◇◇◇
私が15歳になった少し後、アン王女の婚約が決まった。
少々気性が荒い、隣国の第二王子だと言う。
以前の婚約者は慰謝料を払ってまでも、その役を降りたと噂されていた。
隣国より国力が低い我が国は、王女への婚約の打診を断れないと言う。
きっとエルラークは、落ち込んでいるはずだ。
そんなある日。
私の父親が不在だと知っている日に、突然エルラークが訪問して来た。
いつも夜会の前、何かをねだる為に先触れを出して来るだけだから不思議だった。
「何かあったのかしら?」
応接室で待つ彼の元に訪れた私に、エルラークが悲しく告げる。
「……アン王女の婚約が決まったんだ。後1年で彼女は隣国へ渡り結婚する。
護衛騎士達は、当然解散だ。
配属先はたぶん騎士団となり、遠征にも行くはずだ。
でも俺は、卒業後にここに婿入りになるだろう?
だから王女が嫁いだら王宮の職を辞そうと思うが、良いだろうか?」
どう言うことかしら?
まあ王女の護衛騎士は解散するでしょうけど、結婚の日程も決まっていないのに、騎士を辞めても良いかなんて私に決められないわ。
私は困惑して、彼に伝える。
「申し訳ないけれど、私ではなくて貴方のお父様か、私の父に頼んだ方が良いのでは?
私はまだ何の権限もないですから」
けれど彼は諦めないで、言葉を重ねた。
「そこは……君が俺と離れたくないとか、傍にいて欲しいと言えば叶うんじゃないかな?
どの道、俺達は結婚するのだから!」
今日のエルラークは何か変だわ。
少し……焦っているような気がするもの。
気が付くと、いつの間にか私付きの侍女マリアが、私の傍からいなくなっていた。
そしてエルラークが、部屋の内鍵をカチリと閉めた。
「ローズナ、お願いだよ。俺を受け入れてくれ。
君は俺と王女のことに、微塵も嫉妬することがないよね。
俺を捨てて、他に婿を見つける気だろう。
そんなことはさせない!!!」
彼は応接室のソファーで、私を押し倒した。
急なことで困惑する私の腕を片手で固定し、スカートを無理矢理たくし上げる彼は、とても愛が溢れて結び付きを欲する態度ではなかった。
「嫌っ、止めて! お願いだから」
「どうせ夫婦になれば、することなんだ。
だから、ね」
(…………なんでよ……もう貴方を思いたくないのに)
◇◇◇
私の力では抵抗叶わず、あっさりと純潔を散らされた後は気絶していたようだ。
エルラークは私の目が覚めるのを待たず、邸を後にしたと侍女から聞いた。
「お嬢様、申し訳ありません。私はお嬢様の了解も得ずに、勝手なことを致しました…………。
どうぞ殺して下さい。
覚悟は出来ておりますから」
私がソファーで目を覚ますと、土下座したまま何度も何度も謝罪をするマリアの姿があった。
既に私の体は清拭され、綺麗な衣装に取りかえられていた。きっと起こさないように、丁寧に行ってくれたのだろう。
マリアが離れたのは勝手な判断ではあった。
けれどそれも、私を思ってやったことなのだろう。
だから私は、「分かってるから、もう良いのよ。罪になんて問わないから、頭をあげて頂戴。ね、マリア」そう言って彼女の背を撫でたのだ。
「お嬢様、私はお嬢様に生きて、生きて欲しいのです。
お嬢様が生き残れるなら、私は何でも致します。
だから、諦めないで下さい……。
お願いです。うっ、うっ」
泣きじゃくる彼女に、私も少し考えて答えた。
「マリア……私は運命を受け入れようとしていたのだけど、どうやら穏やかには終われないみたい。
少しだけ足掻いてみることにするわ」
「お嬢様。是非そうしてください。
私も命がけで手伝わせて頂きますから!」
がばりと顔を上げたマリアの顔からは止めどなく涙が溢れ、私は跪いて彼女を抱きしめた。
「ありがとう……大好きよ、マリア」
自分が泣きながら震えていることに気付いたのは、少し時間が経ってからだった。
(あぁ、本当は私も怖かったんだ)
目を逸らし誤魔化してきた感情が、溢れ出した瞬間だった。
◇◇◇
ローズナの父、フュードラは、マリアから報告を聞いて嘆息していた。
「そうか……でも少し乱暴だったな。ローズナの様子はどうだ」
特に叱責を受けることもなく、マリアはフュードラに状況を伝えていく。
「エルラークはローズナを愛していると、声に出して言ったんだな?」
「はい、何度も……。エルラーク様の方は、婚約解消されることを異様に恐れているようでした。
それを愛と言う言葉で、誤魔化しているようにも思えたのですが…………」
「そうか……。あやつはきっと、王女の護衛騎士の職を失えば、再編隊された場所で勤まらないことを知っているのだろう。
仮にも騎士であるのに、良いのは顔だけで鍛練もしない怠惰な男だ。
兄に子が生まれれば、職を失っていても伯爵家を出されて平民となるから、後がないのだろう。
それならば彼が望む通り、結婚を進めようじゃないか」
「はい、それが良いかと。たぶんもう、エルラーク様は◯◯様に存在を認められたでしょうから」
「ローズナは巻き込みたくないと言っていたが、今さらだろうな」
「恐らくお嬢様も、覚悟をお決めになったかと」
「そうか……。ありがとう、マリア」
「滅相もございません。私の命は、とうの昔にローズナ様の物なのですから」
安堵した様子のフュードラとマリアは、ただただローズナのことを案じていた。
◇◇◇
翌日になると、エルラークが子爵邸に訪ねて来た。
ローズナへの思いが昂り、彼女の純潔を散らしたことをフュードラへ謝罪する為に。
「申し訳ありません、お義父さん。
ローズナが愛しくて、つい先走ってしまいました。
責任を取る意味でも、早期に婿入りをさせて下さい。
彼女の為に、誠心誠意尽くすとお約束しますから」
応接室で薄っぺらな謝罪をする彼に、フュードラは些か嫌悪したが、それを顔には出さなかった。
「……残念なことに、君が娘を好きとは思えない。
君とアン王女の噂を知らない者は、少ないだろう。
事実か否かは、噂をする者から見ればどうでも良いことだから、面白おかしく尾ひれも付いているしな。
こちらとしては、君の有責で婚約破棄しても構わないんだ」
「そんな……傷物になったローズナは、今後まともな家へは嫁げないですよ。それでも良いんですか?」
どの口がと、憤りそうになるが堪えるフュードラだが、ローズナのことを考えて怒りを抑えた。
「君は何故、家に婿入りを望む? 伯爵令息の立場なら、もっと上の爵位の婿入りも望めるだろうに。
その整った顔は、令嬢に人気があるだろう?」
フュードラは、すぐに許すとは言わなかった。
それどころかたとえ婚約者とは言え、強引に体を繋げてしまったことに、激しく抗議をした。
「それは…………本当に申し訳ありません。
愛しい気持ちが強すぎたせいです。
何れ結婚するのですから、許して頂けませんか?」
彼がローズナを望むのは、アン王女のことを知っていても責めたりしないことと、思うまま貢いでくれる都合の良い存在だからだ。
他の令嬢では悋気ゆえに、婿は好き勝手出来なそうだが、ローズナならば浮気も愛人も許してくれそうな、甘い打算があった。
アン王女のことも彼女が黙っているからこそ、世間から責められないどころか、憐れみさえ向けられているのだから。
体が弱く社交もしないローズナは、簡単に操れそうな優良物件だった。
今さら手放すことは出来ない。
訪問して来た時のようなヘラヘラした様子は霧散し、エルラークの顔に焦りが生じたのを、フュードラは見逃さなかった。
「そうか。ならば誓約書を書けば、信じてみようじゃないか」
「誓約、ですか?」
「ああ、そうだ。娘を愛しているのだろう?」
「勿論です。愛を書面に残せば、信じて頂けるのですか?」
「……信じてみよう。書かなければ、婚約は破棄として話を進める」
「か、書きます。ここで書けば良いのですか?」
「そうしてくれ。用紙はこれを使え」
「はい、ありがとうございます。
でも……愛する気持ちを文字にするなんて、なんか照れますね。ははっ」
誤魔化すような愛想笑いで、ローズナの愛を綴っていくエルラーク。
フュードラは横目でチラリと見ただけで、彼から目を逸らして窓の下を眺めた。
2階から庭を眺めれば、日傘をしたローズナと付き従うマリアが目に入った。
ローズナは脆弱だ。
理由は体内の魔力量が多すぎて、体の負担になっていたからだ。
そしてもう一つの理由もあった。
日の光でさえ負荷となり、日傘と遮光手袋は欠かせないアイテムだ。
(あの子は優しい子だから、他者の犠牲を嫌う。
私はお前さえ幸せになるなら、どんな非難を浴びても構わないのに。
ほんに、儘ならぬものだ)
そんなフュードラに気づくはずもないエルラークは、言われるままに誓約書と言う名のラブレターを書き上げ、最後にサインをした。
「出来ました、お義父さん」
「そうか。じゃあ、婚約は継続するとしよう。
ただ昨日のことで、娘はそういう行為に恐怖心があるようだ。
結婚式を挙げるまでは、もう止めてくれないか?」
「あ、はい。そうですよね、スミマセン。
もう、無体なことはしないと誓います。
これから愛を伝えて、心を開いて貰えるように努力します」
「…………頑張ってくれ。悪いがこれから客が来る。
今日はそのまま帰ってくれ」
「分かりました。また窺います」
「今度は先触れを出してくれ、必ずな」
「はい、承知しました。では……失礼します」
首の皮一枚が繋がったと、ほくほくと笑顔のエルラーク。
「契約書じゃなくて、たかが誓約書を書かせるなんて甘いな。
さすがは下位貴族だ。あははっ」
彼はフュードラを甘く見ていた。
爵位のこともそうだが、アン王女のことを言って来ないのは、自分の父であるブライトン伯爵を恐れているのだと考えていた。
◇◇◇
エルラークの早期の婿入りは果たされないも、彼はアン王女に侍り続け、ローズナにも愛を囁く生活を送っていた。
だが、転機は訪れた。
アン王女の婚約者である隣国の第二王子が、暴力沙汰で廃嫡になり、婚約が白紙となった。
歓喜したアン王女は父である国王ラルケに、エルラークとの結婚を強請った。
数年の婚約期間でもうすぐ20歳になる王女は、行き遅れに差し掛かる。
隣国との婚約を断れずに受け、さらに相手が問題を起こして白紙となれば、愛娘だけに瑕疵が付き憐れに思うラルケ。
愛娘の願いを拒むことが出来ず、王命でアン王女とエルラークの婚約を結ぼうとした。
王妃への許可取りも水面下で調整を行い、さあ王命を出す直前となり、アン王女は「まだ王命は使わないでいて。王命にしたら、政略結婚だと思われてしまうから」と言うのだ。
「だが……それではグラバッド嬢が傷付く。それくらいなら王命にした方が良いではないか?」
「私、グラバッド嬢が嫌いなの。だって私とエルラークが仲良くしても、全然嫉妬しなくて余裕でいたのよ。
最後は自分のところに戻って来るって、婚約者づらしてさ。
きっと私が政略結婚させられるのを、良い気味だと嘲笑っていたに決まってるわ。
だからギャフンと言わせたいのよ!」
愛娘の醜い嫉妬を垣間見て、ラルケは押し黙った。
こんなことは認められない。
王妃だって、忠心に背くことはきっと許さないだろう。
なのに可愛くねだられて、理性がとんだラルケは、その希望を叶えてしまった。
◇◇◇
その頃のローズナは王家主催の夜会も休むほど、体調が悪化していた。
エルラークが何度訪問の打診をしても、引き籠った彼女には会わせて貰えない。
エルラークは思った。
(きっと俺とアン王女のことを聞いて、ショックを受けたのだろう。
食事も喉を通さぬくらいに、窶れているのかもな?
意地を張らずに、俺を婿に迎えていれば良かったのに。
まあでもアン王女の願いなら、結局離婚したか。
面倒事にならなくて良かったのか?
はははっ)
◇◇◇
さらに数日が経ち。
エルラークはまた、打診せずに子爵家を訪れた。
彼からすれば、たとえ婚約破棄をしてグラバッド子爵に睨まれても、アン王女と言う後ろ楯でカバー出来ると考えたのだ。
「そうか。王女と婚約……か。君有責の婚約破棄だから、慰謝料を貰うぞ」
「ええ、そのくらいなら払いますよ。
今までお世話になりました、お義父さん」
やはりエルラークは、グラバッド子爵を下に見ていたのだろう。悪びれもせず、誓約書の時とは態度が変わり、高圧的だった。
(本当に寄生虫のような男だな。これで私の罪悪感も薄くなる)
呆気ないほど簡単に婚約破棄は成立し、エルラークとローズナは他人となったのだ。
ローズナは、エルラークと会うつもりはなかった。
けれど先触れがなかったことで、彼の来訪を知らなかった彼女は、楽器部屋でピアノを弾いて部屋へと戻る途中、彼に出会してしまった。
「え、なんでエルラーク様が…………」
「ああ。久しぶりだね、ローズナ。
もうお別れだよ。今の萎れた君は、俺に相応しくない。…………潮時だ」
その冷たい言葉に、ローズナは満面の笑顔で応えた。
「ええ、その通りですわ。エルラーク様、私の婚約者になって頂きありがとうございました。
とても楽しい時間でしたわ」
「え、あぁ、うん。それじゃあ、元気で……」
「はい。エルラーク様もお体に気をつけて」
いつも表情の乏しい彼女は、窶れているが輝く表情をエルラークに見せた。
元から美しい顔である彼女から、眩しい生命力を感じた。
とても婚約破棄で、悩んでいたようには見えない。
(やせ我慢には見えないし、本当に体調が悪かったのか。
これから婚約者探しも大変だな。
まあ具合が悪いなら、それどころじゃないか)
こうして一組の婚約が破棄されたのだ。
◇◇◇
「ああ、ローズナ。お前生きているね。妖精の呪縛が解けたのだな!」
「はい、そのようです。今までよりも体も軽くて。
ずっと死ぬのが怖かった。
でも愛してくれる人を犠牲に出来ないと、生きることに執着しなかった……つもりでした。
なのに、エルラーク様が私を抱いて下さって、愛していると囁かれて、死にたくなくて…………。
生きたいと願ってしまいました」
「お嬢様、よう御座いました。
生きていて下さって、ありがとうございます!」
父フュードラと侍女のマリアは、ローズナを抱きしめて泣いていた。
ローズナも堪えきれず、嗚咽を漏らす。
「わ、わたし、エルラーク様を犠牲に、ひぐっ、うぐっ」
「あいつは自分で選んだのだ。気にするんじゃない」
「でも、でも…………。それでももう、私は黙って死を受け入れることは出来ないのです」
「それで良いんだ、ローズナ。絶対に私がお前達を守るから、安心しろ!」
「ありがとうございます、お父様」
「私も守りますわ、お嬢様」
「ありがとう、マリア。私、頑張って生きるわ!」
婚約破棄で落ち込むと思われた子爵邸だが、そんな様子は微塵もなくて、使用人達は安心した。
だがさすがに、元婚約者であるエルラークが王女と結婚することになり、この国にいるのは肩身が狭いと考えたフュードラは、彼の従弟が住む別の国へ移住することになった。
急なことであり、使用人達には給金の1年分の退職金と健全で働きやすい職場への紹介状を渡した。
フュードラとローズナは大変優しくて貴族らしくないので、使用人達は心から別れを惜しんだ。
ただグラバッド子爵家は、領地がなく商売が中心だったので、貴族家よりも平民と関わりが多い。
その為国を去る際には、パーティーが行われることもなく、大変静かなものになった。
国への届け出もスムーズだった。
国王はローズナに罪悪感があったし、略奪婚の噂で騒がれて困るのは被害者のローズナと、加害者のエルラークとアン王女なのだ。
彼女がいないことは、大変に助かるのだった。
だが国王は、グラバッド子爵が貴族になった成り立ちを忘れていた。そこが王妃から、愚かだと言われる由縁だった。
エルラークは「慰謝料を貰う」と、フュードラから言われていたが、請求を待っているうちに彼らは国を離れた。
たぶんもう、戻っては来ないだろう。
「やっぱり父の力と、アン王女の力に畏れをなしたのだろう。所詮下位貴族だな。言えば、ローズナの純潔を奪った分だけでも払ったのに」
いやらしく笑うエルラークからは、ローズナが好きだった時の面影は確実に消えていた。
早期に国を離れて正解だった。
◇◇◇
ローズナとエルラークは、2歳違いである。
ローズナと婚約破棄をした彼は、1年後にアン王女と婚約した。
その1年後にはエルラークに伯爵位を持たせ、グラバッド子爵が住んでいた、王都の邸に住むことが決まっている。
王領から領地も貰えることになり、至れり尽くせりの状態は結婚予定の2人を幸福で満たしていた。
けれど…………。
エルラークが19歳になった頃から、彼は不調を訴えることが多くなり、寝たり起きたりを繰り返す生活になった。
アン王女は半狂乱になって国王ラルケに泣きつくも、医者は原因が分からないと匙を投げ、魔導師は妖精の祝福だと言った。
眉も髭もぼうぼうに伸びた、白髪の爺姿の魔導師は、背丈ほどの木の杖を突きながら、ラルケの前で話し始めた。
「祝福ですって! じゃあどうして彼は動けなくなったの? ねぇ!」
「祝福には、良いものも悪いものもあるのです。
今回で10回目。契約最終と出ています。
これは妖精に王家の者が犯した咎を、グラバッド子爵家が犠牲になって来た回数。
おおよそ300年前に、妖精の住む地を奪おうとして、返り討ちになった王子がいました。
彼は王太子で、その家臣である騎士が自分が罰を受けるとして、悪い方の祝福を受けました。
それが今のグラバッド子爵の成り立ちです。
いやもう、他国に移住したのでしたな。
グラバッド家では代がわりごとに、魔力が一番強い子供が16歳となる日に亡くなる祝福。
それはその子供の魔力を、妖精が奪うからです。
その見返りとして彼らの領地が潤うように、妖精が別の祝福も授けました。
ただ子爵には領地がないので、商売の方に運気が配分されたようですが。
それ以外にも子爵邸周囲の、他領地がいつも豊作なのは、妖精の力が漏れ出したからなのです。
グラバッド子爵に領地が与えられたなら、どんなに肥沃な土地になったことか。惜しいですな。
あまりにも憐れだと思った妖精王は、一つグラバッド子爵に提案をしました。
『悪い祝福を持つ者を心から愛する者が現れた時、悪い祝福を代わりにその者が変わることが出来るようにした。
代わりの者は、20歳の誕生日に亡くなることになるだろう』
愛する者が代わりに亡くなるのは、とても悲しいこと。でも子爵家の祝福を知る者は、知っていてもなおその多くが対象者を愛して命を捧げました。
中には子爵の一人息子の悪い祝福を引き継ぎ、子を2人成してから亡くなった奥方もおられました。
妖精は救済のつもりでも、そこら辺が人の感覚と違うようでした。
過去には、16歳の寿命を受け入れて亡くなる者も、勿論いました。
夫婦として結ばれなくとも、片想いで対象者を愛して寿命を変わった者もおりました。
これこそ、無償の愛なのでしょう。
そして今回の対象者ローズナ様は、誰にも会わず愛することもなく、寿命を終えようとなさっていました。
けれどそこにいるエルラーク様は彼女を愛し、彼女の純潔を奪い、誓約書にも愛の言葉を綴られていました。
今は婚約破棄をされたそうですが、妖精には関係がありません。心の中は分かりませんので、表面で判断します。
見張りの妖精は、エルラーク様が真実の愛を捧げたと確認しました。
残念ながらエルラーク様は、20歳の誕生日に亡くなることが決定しています。
そのことは今、ローズナ様が生きていることが証明になるでしょう」
「そ、そんな、嘘よ。お父様はこのことを知っていたの?
知っていてローズナとエルラークを婚約させたの?
どうしてそんな酷いことをしたの?」
「私は知らん。いや、歴史で学んだと思うのだが、よく覚えていなかった」
「そんなぁ。祝福を破ることは出来ないのですか?
魔導師様ぁ!」
「無理じゃよ。もうローズナは祝福から逃れたし、妖精は長年尽くしてくれたグラバッド家の味方なのだ。
不義理な男の味方はせんじゃろうな。
諦めなされ」
「嘘だろ? 俺死ぬの? こんなはずじゃなかったのに。
全部うまくいくと思ったのに…………うっ、うっ、うっ」
「死んじゃうなんて嘘よ。彼はまだ、こんなに若いのよ。
何か方法があるはずよ。お父様、何とかして探してよ、ねえ、ねえってば! お母様も方法を探してよ!
うわあぁん」
騒然とする中を去っていく魔導師。
アンとラルケを見て、呆れ顔の王妃。
王妃は全てを知っていて、我が儘なアンに見切りを付けていた。
見た目の条件を付けなければ、とっくに嫁げていたアンだが、美しいエルラークに執着して婚期を逃していた。
せめて隣国で引き取ってくれたら良かったのにと、何度思ったことか。
婚約者のいる護衛騎士を、恋人のように振る舞い恥を晒す義娘を、王妃は嫌悪していた。
アンに諫言をしても甘やかすラルケにも、愛想が尽きていた。
アンの実母の側妃も、言うことを聞かない娘を持て余していた。そのせいで王妃に、何度も苦言を呈されて来たのだから。
この国には王妃が生んだ、長男、次男、三男がいる。
政略に使えない、愚かな王女はいらないのだ。
「エルラークが好きなの。誰でも良いから助けてよ。
あの女、ローズナに代わりをさせれば良いわ。
兵士達に捕まえさせてよ。
お父様!!!」
「俺、俺は、もう、後1か月で20歳になるのに…………。
もう、お仕舞いだ。嫌だ、イヤだよ。
助けてくれーーーー!」
アン王女の金切り声と、エルラークのボソボソと囁くような呪詛のような呟き。
城で治療を受けていたエルラークは、王妃の命令で離宮に押し込められた。
医師だけは定期的に点滴に向かうが、他に出来る治療はなかったのだ。
そしてエルラークが20歳になると共に、天に召されたと噂が流れた。
その噂は移住したローズナ達にも届いたのだった。
『あの国の王女は、婚約していた隣国の王子は廃嫡になるし、次に婚約した伯爵令息は病気で亡くなるしで、疫病神と呼ばれているそうだぜ。
誰も貰い手がなくて、修道院に入れられたそうだ』
『まあ、そうなの? 王族に生まれても大変なのね』
『王族だからだろ? 下手に他国に嫁いで、旦那が亡くなったら国が責められる』
『なるほどねぇ。平民で良かったよ』
『『『違いねぇ、ハハハハッ』』』
どうやら歳の年の離れた侯爵にも嫌われて、結婚出来なかったようだ。アン王女は修道女アンとなり、厳しい戒律の中で生涯を終えた。
「なんで、こうなるのよ。せめてお城にいさせてよ!」
それには王妃も、実母である側妃も却下したらしい。
王子達も我が儘王女と王子妃達の折り合いが悪く、修道院行きを止めなかった。
国王だけが止めても無理だったのだ。
城に現れた魔導師は、精霊王の変化した姿だった。
300年の貢献に応じて、この国を豊かにしようと思って出てきたが、悪い祝福の対象者が粗雑に扱われていたことで、不快に思ったのだ。
「元々は王族の無礼だったのに。ローズナが可哀想じゃないか!」
精霊王は面食いだった。
100年ぶりに起きたので、ローズナを追っかけてこの国から出て行った。
他の妖精達はまだ残っているけど、ローズナの周辺に緑溢れる山脈があれば引っ越すかもしれない。
ちなみに悪い祝福をかけたのは、精霊王ではない普通の精霊なので、精霊王の命令には従うのだった。
◇◇◇
「ほら、エルンスト。今日はこの絵本を読みましょう」
「はい。おかしゃま(お母様)」
「本当にエルンスト様は、ローズナ様が大好きですね。
私では駄目だとフラれました。トホホ」
「まあ、エルンストったら。マリアを困らせては駄目よ」
「はい、おかしゃま(お母様)」
「困ってはおりませんよ。麗しいだけでございます」
「ほほっ。エルンストはモテモテだな」
「あ、お帰りなさい、お父様」
「じじ、おかえりぃ」
「お帰りなさいませ、フュードラ様」
「町のお土産は、マカロンじゃよ。久しぶりじゃろ。
マリアも一緒に食べよう。お茶を頼むよ」
「はい。ただいまご用意しますね。
外で召し上がりますか?」
「うむ。今日は暖かいから、そうしよう」
「わー、きれいね。じじ」
「そうだろう。好きなのをお食べ。
味も色で違うらしいぞ」
「あんがと、じじ」
「良いってことさ。お前が喜ぶと、じじが嬉しいんじゃ」
「まあ、お父様ったら。甘やかして」
「可愛いから仕方ないのぉ。でも食べたら剣術を教えるぞ。護身術も兼ねるから、お前も参加すると良い」
「はい。お願いします!」
「うむ」
甘やかすだけではないフュードラなら、きっとエルンストは、キリリとした紳士になれるだろう。
ローズナもエルンストもマリアも、ペタンコ靴で、蜜柑畑を走り回っている。
家庭菜園も最近充実していて、しかも美味しく実りだした。ミニトマトを摘まんで食べるエルンストが、「おいしいね」と綻ぶのもまた可愛いのだ。
純潔を奪われた日にローズナに宿った命は、元気に育っていた。フュードラに、『エルンスト』と命名されて。
エルラークが婚約破棄に来た時は、丁度つわりの最中で少し窶れていたのだった。
彼のことは、既に吹っ切っていた。
「私を生かしてくれてありがとう」ってな感じだった。
ローズナ達は3年前に緑溢れる土地を購入し、酪農と蜜柑の栽培をしている。
丁度この国に移り住んで、フュードラの従弟に紹介されこの地を拠点にした。
元々住んでいた老夫婦も元貴族で、屋敷も広く立派な建物だった。
仕事から手を退いて、老後は南の島に行こうと考えていたところに、ローズナ達が来たらしい。
渡りに船ととても喜ばれた。
雇っていた従業員もそのまま労働してくれることになり、特に苦もなく経営が行えている。
みんな気の良い、優しい人達だ。
彼女達が住み始めると、土地の状態がさらに肥沃になり、美味しい草を食べた牛の牛乳は、濃くて美味と評判になり、収入もうなぎ登りだ。
蜜柑の木も同じ物なのに、糖度が高くデザート用に購入され、さらに収入があがった。
いつの間にか若木もすぐに成長し、収穫量もさらに増えるおまけ付きである。
時々山の方から、牛乳を買いに美形な男性が来ることが、最近の変化であった。
もう貴族でないグラバッド家は、周囲の村人達とも協力して仲良く暮らしている。
◇◇◇
ローズナの父フュードラは、ローズナの前の悪い祝福の対象者だった。
彼を愛したのがローズナの母リズで、ローズナを生んだ後に20歳で命を落としている。
命をかけて自分を守ってくれたリズを愛していたフュードラは、再婚もせず未だにリズだけを愛していた。
ローズナが他人を犠牲にしない気持ちは知っていたが、エルラークはローズナの初恋だった。
魔力で不調が強く邸にいるローズナは、物語の王子のようにエルラークを愛していた。
フュードラは、エルラークがローズナを愛さなくても傍にいて欲しいと思っていた。
それが娘の唯一の慰めになると思って。
もしエルラークがローズナを愛しても愛さなくても、ローズナ亡き後は親戚から女性を引き取り、エルラークに子爵を継がせても良いと思っていた。
けれどエルラークの不誠実な態度に、妖精のずれた感覚の話を参考にして、愛を強調して妖精に誤認させようとしたのだ。
もし失敗して妖精の罰が自分にあたっても、フュードラは構わないと思っていた。
今回は、まんまと成功したのである。
「エルラークには慰謝料は貰うと言ってあった。
あやつの不誠実さ。
主に強姦と、強受り(ローズナにすべて支払いをさせていた)と、不貞と侮りと、まあいろいろあるが、慰謝料分を寿命で支払って貰ったと思えば良いじゃろ。ハッハッハッ」
良いじゃろではない。
「けどな。最初は悪い祝福のことを話して、婚約の継続をどうするか聞こうと思ったんだぞ。
それをする前に、王女と恋仲にはなるわ。
来たと思ったら、ローズナとは買い物とか外出が多いし、私がいない時ばかり邸に来るしで、避けられとったんだよ。
きっと小言を言われると思ったんだろうよ。
卑怯な奴だ。
ローズナには内緒だぞ」
それを聞いて、ただただ笑うだけのマリアだ。
マリアもローズナの気持ちを知っていて、席をはずしたら、抱きしめるくらいするかなって思って失敗したのだった。
まさか応接室に鍵をかけて盛るとは、考えてもいなかった。
ローズナの呼ぶ声が聞こえたら、中に入ろうとして待機していたのに、いつになってもそれがなく、まさか盛っていたなんて思いもしなかった。
ドアから出てきたエルラークは服が乱れながら帰っていくし、お嬢様は気絶しているしでてんやわんやだった。
泣きながらタオルで体を清めていると、お嬢様の意識が戻り、嬉しそうに恥じらっているので、戸惑ってしまった。
けれど嫁入り前に純潔を奪われたお嬢様に、申し訳なくて死のうかと思って止められたのだった。
「本当にあの時は、生きた心地がしませんでした。
申し訳ありません」
「もう謝るな、マリアよ。
それががあって、エルンストがいるのだから。
もう言うでないぞ」
「はい。そう致します」
そう言って頭を下げるマリアだ。
もうマリアはグラバッド家の一員なのだ。
◇◇◇
元々マリアは、ローズナの母リズの侍女だった。
リズが亡くなった後クビになれば、生家の男爵家の借金返済の為に、高齢で好色の金持ちの後妻にされるところだった。
ローズナの侍女として雇用が継続し、給金の殆どを家に送ることで後妻行きを免れていたマリア。
その後にフュードラが大金を払い、マリアの籍を男爵家から抜き、フュードラの妹として籍に入れたのだ。
マリアは心から感謝し、グラバッド家の為に生き、そして死ぬと誓っている。
2人の間に恋愛感情はなく、本当の兄と妹のような暖かい関係である(赤毛の◯ンのマシューとマリラ的な)。
16歳で死を迎える恐怖に1人で震えていた少女は、その年を越えることが出来た。
今は元気になり、家族で仲良く生きている。
※平民でも名字があるので、グラバッド姓はそのままです。