ゲートからの脱出
顔を上げた尊の眼は濁っていて暗い雰囲気を漂わせていた。別人にも見えたがこの野生児のような張りのある巨体は尊で間違いない。翔子は尊を助けようとゲートに導いたがそれで良かったのかいつも心に引っかかっていた。目の前の尊を見ただけで報われたような気がした。
「尊君。ここに居たのね」
だが尊の反応は素っ気ないものだった。
「ああ、昔の先輩ですか」
「昔ってどういうこと?」
「教室の先輩とは顔が違います」
「どの教室?」
「6年6組だって自分で言ってたじゃないですか」
「あなたも一緒に来て」
腕を掴み引っ張るが尊は全く動こうとしなかった。
「俺は無理です。Dが放してくれないから」
校門の周りには誰も居ない。雰囲気も変だが中身もおかしくなってしまったようだ。
「学校の中ではいじめられるので俺はここにいます」
「あなた本当に尊君なの?」
翔子は埒があかないので一人で校舎に入り6年6組の教室に来た。引き戸を静かに開けると生徒達が一斉に翔子を見てくる。ここは本物の世界ではないと自分に言い聞かせた。
教室の中を探してみると昔の顔をした生徒が窓際の席に座っているので声を掛けた。
「そこの山田翔子さん。こっちに来てくれる」
手招きすると立ち上がって真っすぐ向かってきた。「今は授業中です」と教師が注意してきたが無視した。山田翔子は不機嫌そうに扉から出ると翔子に言った。
「誰よ?常識ないわね」
眉根を寄せて言われると翔子は自分の嫌な部分を見ているようでクラクラしてきた。
「なんであなたは私の顔をしているの?」
「はあ?どういうこと。あんた顔なんか無いくせに」
驚いて自分の顔に指を滑らすと引っかかるものは何もなかった。慌てて手洗い場の鏡の前に立つとそこにのっぺらぼうが居た。
「みんな、ここにカオナシがいるわよー」翔子はクラスメートを呼んだ。
みんなが教室から出て来ると翔子の顔を指さして大笑いした。トラウマが蘇ってきて心臓の鼓動が早くなってくる。
「まずい、この世界は危険だわ」
翔子は廊下を走って逃げた。この状況を整理するために一旦元の現実世界に戻るべきだがどうすればいいのか迷ったていた。結局いつものようにゲートを作って二人が居る山奥の場所をイメージするとあっけなく帰ることが出来た。
ロッカーから出てくると蜘蛛次郎は言った。
「どこに行ってたんですか姉さん。お花摘みですか」
「何分くらいだった?」
蜘蛛次郎は腕時計を見て言った。
「3分くらいでしたよ」
「え、30分じゃなくて?」
肩をすくめる蜘蛛次郎の前を通り過ぎると、野っ原に大の字で男泣きしているDの元に立ち見下ろして言った。
「吉報よD、ゲートの中に尊君が居たわ」
「ほんとうでござるか。何でゲートの中に尊パイセンが」
起き直るDに翔子は研究所であった真実を初めて話した。聞き耳を立てていた蜘蛛次郎も近くに来て加わった。
「尊君が校門から動こうとしないのよ。でも私が引っ張って連れてくるのは無理だわ」
「そこで拙者の出番でござるな」
「失敗したらあなたも帰れなくなるのよ。私が研究所でどれだけ苦労したと思ってるの」
翔子は母親のように言った。
「帰れなかったら拙者ゲートの中で尊パイセンと暮らす所存でござる」
「あっそう」
翔子は口を尖らせた。
「わかった。その覚悟があるなら一緒にいきましょう。蜘蛛はどうするの?」
「俺は行きたくないですね。Dが戻ってこれるか確認しないと怖くて行けません」
「まああなたは関係ないことだし」
「姉さんの可愛い顔は見てみたかったけど次の機会でいいです」
翔子は照れを隠すようにDに向き直った。
「まだ私の顔は覚えてるでしょD」
「暫く会ってないからもう忘れたでござる」
翔子は肩を怒らせ扉を指さした。
「校門の前の尊君をイメージして入るのよ、わかった」
「了解したでござる。久しぶりでござるな尊パイセン」
Dは扉の前まで意気揚々と歩いて行った。
「そうそう、私たちが入ったら時間を測ってくれる?あっちの世界と違うような気がするの」
「わかりました。」
蜘蛛次郎が腕時計を確認すると翔子はその画面を覗き込んで言った。
「普通より大きいと思ったらGPSがついてるのね」
「はい、便利なんですよこれ」
翔子はロッカー前で待っているDの元に行き、蜘蛛次郎は二人を手を振って見送った。
二人が校門の前に出現すると尊は先ほどと同じ場所に居た。相変わらず隅っこで所在なさそうに体を丸めて体育座りをしているようだった。
「間違いなく尊パイセンでござる」
Dは嬉しさのあまり駆け寄ると、尊は驚いて後ずさりした。
「来るな、お前はもうたくさんだ。俺の前から消えていなくなれ死神」
Dは信じられないといった表情をした。
「そんな尊パイセン。一体どうしてしまったのでござるか。拙者がわからないのでござるか」
「彼は長く居ておかしくなってしまったようなの。ここの住人は性格悪そうだから精神攻撃を受けたんだわ」
「尊パイセン。拙者と一緒に現実に帰るでござる」
Dは腕をつかみ連れて行こうとすると尊は強引に振りほどいて言った。
「地縛霊だろお前は、そこから動くな」
「どういう意味でござるか?」
助けを求めるように翔子の方を見る。
「ああ、もうじれったいわね。無理やり尊君を連れていくのよD」
「御免」
尊の腹にボディーブローを入れた。
「おぶっ」
尊は頭だけの存在になってしまった。
「なんで尊パイセンは頭だけなのでござるか」
「いちいち私に聞かないでよ。頭を持ってトイレに行くわよ」
女子トイレの中で翔子は言った。
「じゃあみんな蜘蛛次郎の居る場所を思い浮かべてみて」
「蜘蛛次郎って誰?」
尊の呆けたような顔を見ると翔子は冷や汗が出てきた。
「尊パイセンは蜘蛛次郎を知らないでござる」
「そうだったわね。じゃあ尊君は知ってる場所を思い浮かべてみて」
「そう、じゃあ俺は校門に戻る」
翔子は急に自信が無くなってきた。取り合えずDだけでも元の世界に帰さなければならないと思った。
「Dはあの場所を思い浮かべて、さあ帰るわよ」
「了解でござる」
同時にゲートの中に入った。
目の前に居た蜘蛛次郎はダイニングチェアーに座りカップから湯気だつコーヒーを啜っているところだった。
翔子に気づくと時計を見て言った。
「ええと6分30秒ぐらいですかね」
「そんな、10倍くらい早さが違う」
「あれ、Dはどうしたんですか?」
はっとして振り返った翔子は頭を抱えた。
「やっぱり失敗したようだわ」
蜘蛛次郎は椅子から立ち上がると翔子の近くに来て言った。
「二人はまだゲートの中にいるんですか?」
「私の能力なのに仕組みがわからないなんて情けないわ」
翔子は涙ぐんできたが見られるのが嫌で顔を伏せた。それに気づいて蜘蛛次郎は優しく声を掛けた。
「俺も一緒に解決法を考えてみるので姉さんの能力をもっと詳しく教えて下さい」
翔子は自分を落ち着かせるためにも整理するようにゲートについて蜘蛛次郎に説明した。
「要は姉さんだけがゲートに入って自由に移動出来るということなんですね」
「そう。他の人は入ってあっちの世界に行くことは出来ても帰ってこれないみたい」
「姉さんは移動するということにこだわっているようですが、同じ世界が存在するというならを鏡の表と裏を出入りするようにしてみたらどうですか」
「それってどうやればいいの?」
蜘蛛次郎は頭を掻いて言った。
「俺に聞かれても困るんですが」
「どうしよう。失敗したら」
珍しく翔子は落ち着きが無くなって弱気になっていた。Dがここに居たらこうではなかったのかもしれない。
翔子の意外な一面を見れて蜘蛛次郎は悪い気はしなかった。
「まあ、いろいろやってみるのがいいんじゃないですかね。向こうは時間の流れが遅いようだし」
蜘蛛次郎言われて翔子は段々元気を取り戻してきた。最初会った時は蜘蛛次郎に軽薄な印象を持っていたが今は彼の冷静な分析に一目置いている。
「そうね。今は行動するしかない。じゃあ行ってくるわ蜘蛛次郎」
「それでこそ姉さんです。健闘を祈ります」
蜘蛛次郎は手を挙げて見送った。
校門前では尊と交代したように今度はDが体育座りで一人項垂れていた。
「尊君はどこに行ったのD?」
「翔子パイセン、もっと早く来てくれたらよかったでござる。尊パイセンは拙者を見ると逃げ出すし、ここの翔子パイセンはやたら怖くて何も話を聞いてくれないのでござる。拙者、もう途方に暮れていたでござる」
「成功するかわからないけど蜘蛛次郎がいいヒントをくれたから今度こそ尊君を連れて現実に帰るわよ」
翔子とDは校舎に入り尊を探したがどこにも居ないようだった。外に出ると何やら校庭の方が騒がしいので向かうとと校庭でサッカーしている子供たちはサッカーボールとして尊を蹴って遊んでいた。Dは憤怒の表情で校庭に入って行った。
「止めるでござる。それはボールではないでござる」
「化け物だ、逃げろ」
Dの剣幕に怯えた学と仲間たちは散り散りに逃げ出した。
ゴールポストに横たわっている泥だらけの尊の頭を拾い上げると言った。
「おいたわしやパイセン」
頭の泥を綺麗に取ると両手で大事そうに抱えた。翔子のいるところまで戻り三人で女子トイレに向かった。
翔子は清掃ロッカーをまじまじと見ると後ろを振り返り言った。
「ちょっと時間がかかるかもしれないけど気長にそこで待ってて」
手が震え緊張していた。これが駄目なら二人を元の世界に戻せない。
手をかざすとロッカーの奥に現実世界の同じ場所を思い浮かべた。世界は繋がっている。
20分ほどして授業終了のチャイムが鳴った。
「翔子パイセンまだでござるか。生徒が出てくるでござるよ」
「わかってる」
後ろを振り返り
「私の後からついてきて」
「了解でござる」
ロッカーの中を真っすぐ歩くと裏側の扉に突き当り、開けてトイレに出てきた。
「特に変化は無いようでござるが」
後ろから声が聞こえて翔子は力が抜けた。
「ロッカーを真っすぐ歩いてロッカーの外に出てきたのよ」
その時廊下から曲がってトイレに入ってきた女子小学生は尊の頭を持ったDに驚き卒倒した。
「早くここを出ないと。警察なんか呼ばれたらまずいわ」
Dは尊の頭を裾からシャツの中に隠し二人は急いで廊下に出た。
「慌てるとかえって不審者に思われる。私たちは堂々と校舎を出ればいい」
「もっともでござる」
廊下を2人は何食わぬ顔をしながら歩いていると階段に差し掛かったところで声を掛けられた。
「あれ?Dじゃないか。転校したんだろ」
4年4組で同じクラスだった健太郎君が声を掛けてきた。
「ああ、健太郎殿、拙者忘れ物があったのでござる。これにてご免」
Dが走り始めたので翔子は後を追いかけた。ずいぶん遅れてから校門の外のDに追い付き翔子はアスファルトに崩れた。
「ちょっと休ませて」
休憩してどこか人けのない所を探すことにした。いつも尊が通学に使っている裏路地があるとDが言うのでそこに向かった。
「なんか狭いし汚いし臭いと」
「だから人が来ないのでござる。尊パイセンはこのような場所をすり抜ける名人だったのでござる」
「そうなの。それであなた達はどうやって蜘蛛次郎に合流する。私はゲートで帰れるけど」
「あそこは目印も何もないでござるからな」
「じゃあ蜘蛛次郎のGPSを借りてくるわ。あの地点をマークした地点を目標にあなたの脚力と体力なら直ぐに来れるでしょ」
その時シャツの中の尊の頭が激しく痙攣し始めた。
「尊パイセンにはバイブ機能がついているようでござる」
「ふざけないでよ。尊君の頭をそこのポリバケツの上にのせて」
「拙者はいつでも真面目でござるが」
シャツの裾から頭を取り出すとポリバケツの上に置いた。尊は苦悶の表情を浮かべ歯を食いしばって震えているようだった。
「どうしたのでござるか。ただ事ではない様子でござるが」
「呼吸ができなくて苦しいのかも」
すると力の抜けた呆けた顔をして黒目がぐるぐると回りだした。口角から涎をたらしている。二人はわけが分からずそれを傍観することしかできなかった。
いつもの表情戻ると目のピントが合い翔子に向かって何か言っているようだった。
「やっぱり頭だけでは声は出ないみたい」
「拙者不思議なのでござるが、尊パイセンはどうやって生きてるのでござるか?」
「私に聞かないでって言ってるでしょ」
尊を見ていると翔子は閃いた。
「首のとこから空気を入れたら声帯が震えて話すんじゃないかしら」
Dは尊の首の穴を吹いて空気を送り込んでみた。尊がやたらゲップをするので翔子に違う穴を吹くように言われた。
すると尊は話し出した。
「翔子先輩、なんでもっと早く助けてくれなかったんだ。俺はずっと待ってたんだ」
「しょうがないじゃない。それより大丈夫なの?死にそうだったけど」
「ちょっと気が狂いそうになっただけです」
「全然大丈夫じゃないでしょそれ」
「高校生がいたらバラバラにして殺してたかもしれませんね」
尊は笑った。二人の表情が固まっているのを見ると尊は真面目に言った。
「それより俺の体を取り戻すために一緒に研究所に行ってくれますよね翔子先輩」
「行くわけないでしょ」
「そういうと思った」
尊は軽蔑したように翔子を一瞥してからDに視線を移した。
「お前は研究所に行ってくれるよなD」
「わかったでござるパイセン」
翔子はぎょっとしてDの顔を見た。
「何を言ってるの。今度こそ研究所で殺されるわよ」
「尊パイセンはきっとなにか策があるはずなのでござる」
「わかってるの尊君。せっかく頭だけ助かったのに、頭にも細工されたらもうあなたは何者でもなくなるのよ」
「研究所には交渉しに行くんです。それで俺の体を返してもらう」
「交渉って、あなたに取引材料が何かあるの?」
「奴らは俺の体を好き勝手してくれた。逆にそこにつけこむ要素があったということです」
「D、わかる?」
「拙者は尊パイセンにお任せするだけでござる」
「あーわかったわ。二人とも好きにしなさい」
翔子は母親のように言った。
「俺を研究所に連れて行ってくれD。頭だけじゃどうにもならないからな」
「ちょっと待ってよ。GPSがあれば後で私達と合流できるでしょ。直ぐに借りてくるからここで待ってて」
「わかりました。俺を助けてくれたように直ぐ来てくださいよ翔子先輩」
尊は馬鹿にしたように翔子の後姿に声を掛けた。
何か変だ。尊の表情が一瞬で目まぐるしく変わった後、別人のようになった。一体この短時間で何があったというのか。
胸騒ぎが止まらない。翔子は慌てて帰り路を探し戻った。
「今後翔子先輩と行動するつもりはない。出発しようぜD」
「尊パイセン。拙者はもう首を吹いてないでござる」
Dは驚いて言った。
「ああ、たった今空気を送る器官を作ったんだよ。これで普通にDと話が出来るようになっただろ」
「よかったでござる。拙者たちには積もる話が山ほどあるでござるからな」
「ああ、そうでござる」
二人顔を合わせて笑った。
翔子は不法投棄された冷蔵庫から蜘蛛次郎の元へ移動した。事情を話すとGPSの付いた腕時計を貸してくれた。直ぐに裏路地に向かうと二人の姿はもうなかった。
「そう、最初から待つつもりはなかったというわけね尊君」




