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蜘蛛次郎

どこに発信機を捨てるべきだろうか、ゲートでなるべく遠くに捨てれば奴らはそこに探しに行って時間が稼げる。しかし急に発信機の位置が遠くに移動すれば明らかに何かおかしいと勘付かれるだろう。翔子のゲート能力がばれてしまうかもしれない。


翔子はショートパンツのベルトを緩めた。七分袖のシャツが五分袖になり子供の姿から大人に戻った。


学校の近くの山沿いの崖にある二車線道路に現れると、軽トラックがハザードランプを点滅させ路肩に止まっているのが目が留まった。


中には誰も居ない。運転手は用を足しにでも行ってるのだろうか。荷台に発信機を滑り込ませると翔子は木陰に隠れ様子を窺った。


なかなか戻ってこないので翔子は焦れてきた。ヒッチハイカーを装い車を止めた方がよかったかもしれない。


戻って発信機を回収しようとすると脇の林から運転手らしき男がズボンのベルトを締めながら上がってきた。ガードレールを跨ぎ道路を横断するとトラックに乗り込んで発進した。


急いで翔子は体育館に戻る。ゲートが無いので帰りは自分の足で帰らなくてはならない。体力に自信は無いが学校目指して木立の細道を懸命に走って上った。


Dが心配だった。翔子は息を切らせて通学路に出るとグラウンドに誰も居ないことを確認し横切った。


扉をスライドさせて体育館の中を覗くとDはそのままの状態で倒れていた。何も変わったことは無い。ホッとすると同時にお腹が鳴った。時計を見るともう昼過ぎになっていた。翔子は一旦校舎に戻り一息入れようと体育館を出た。


気配を感じて顔を上げるといつのまにかグラウンドの真ん中に巨大な蜘蛛がいた。その影に入り、薄手のロングコート着た中年男性がこちらをじっと見ている。


「いつのまに?」


翔子は冷や汗が出てきた。あの蜘蛛は研究所で巨大化した超人小学生だ。どういうわけか大人と一緒に行動している。


コートのポケットに手を突っ込みながら男は翔子の方に悠然と歩いてくる。巨大蜘蛛はその後をゆっくりとついてきた。


いきなり現れたので心の準備が出来ていなかった。だが男が勿体ぶって歩いて来るのでその間に翔子は気持ちを落ち着かせることが出来た。


翔子の前に来た男は後ろの巨大蜘蛛を指さして言った。


「あなた、あんなデカい蜘蛛を見てよく平気でいられますね」


「え?」


「叫んだり逃げたりしますよね。人間よりデカい蜘蛛が現れたら」


翔子は咄嗟にその場にへたり込んだ。


「私、腰が抜けてしまって」


「あらあら、そうなんですか。でも気にしなくていいですよ蜘蛛次郎は私のペットですから全然危険はありません。散歩に連れて来ただけなんです」


「すぐに連れて帰ってください」


男は少し慌てると、不揃いの黄色い歯を見せて笑顔を作った。


「調教されている蜘蛛なので全然危険はありません。安心してくださいお嬢さん」


翔子は目の前の男を観察することにした。シミのついたロングコートは皺だらけでなで肩の襟がずり下がっている。典型的なビール腹でベルトを緩めたズボンを腰穿きのようにはいていた。後ろに流した白髪交じりの髪は所々癖毛が跳ねていて、脂ぎった顔には剃り残しのヒゲが生えている。清潔感の無いだらしない中年男という印象だった。


「ところでお嬢さん、廃校になった小学校で何をしているんです?お名前を聞いてもよろしいか?」


「私は森田陽子と申します。この学校の卒業生です。ここはお友達との思い出が詰まった大切な場所なので来ていました。周りの風景も素晴らしいでしょう」


思いついたことを言ってみた翔子だったが自分のわざとらしい演技に顔が熱くなった。


「そうですね。ここは風光明媚ですから素晴らしいのは私にもよくわかります」


男は柔軟性の無い首を目一杯回して風景を楽しんでいる体だが興味があるようにはちっとも見えない。別の事に気が行ってるのが見え見えだ。


「それでお嬢さん、ちょっとお聞きしたいんですけどね。世紀末救世主のような筋肉野郎がここに現れませんでした?」


「すみません。もう一度お願いします」


男は溜息をつくとコートから写真を取り出した。


「私はこいつを探しているんです」


それはDが校門前で立っている写真だった。


「いえ、見たこともないですこんな人」


「今はもっと不細工になってるかもしれませんけどね」


「だとしても全然知りません」


「ほんとに?」


「しつこいですね」


「あれ?あなたの顔」


写真から視線を上げると男は覗き込むように翔子の顔を見た。


「先ほどから思っていたんですが、あなたの顔は何か変ですね。不気味の谷というか」


「失礼ですね。さっきからずけずけと、あなたこそ何者なんですか?」


「ああ、申し遅れました。わたくし根黒と申す者で調査員をしております。わたくしは人間観察が好きで休みの日は人通りが多い場所で朝から晩まで人を観察しているんですがあなたのようなお顔のパターンは今まで一度たりともお目にかかったことがありません。それで驚いて口に出たんですね」


「へーそうですか。へー」


翔子にとって一番嫌なタイプの者を寄越したものだった。これは偶然だろうか。


「申し訳ない、こんなずけずけと言う性格なものでわたくしは直ぐ人を怒らせてしまうんですね。気を悪くしたなら謝罪いたします」


頭を下げると根黒はずり下がったコートの襟を正しズボンを上げてベルトをきつく締めた。


「それでは私は筋肉野郎を探すことにします。奴は極悪人なので危険が及ぶかもしれない。今のうちに逃げた方がいいですよお嬢さん」


「なんで警察じゃなくて、あなたみたいな人が極悪人を探しているんですか?」


「警察の手に余るような極悪人には私のような正義の味方が必要なんです」


特殊部隊がやって来なかったのは幸運だったが、研究所はなぜこんな男に依頼したのだろうか。


翔子の横を通り体育館に向かうのを見て慌てて引き留めた。


「体育館はさっき見ましたけど誰も居なかったですよ」


「そうですか。無駄が省けて助かります」


言葉と裏腹に根黒はそのまま体育館に向かって歩いていく。


「私の言う事を聞いてました?」


「自分で確かめないと気が済まない性質なもので」


根黒は扉の前で立ち止まり言った。


「あれ?鍵を壊して中に誰か入ったようですね」


発信機は違うところを移動しているはずなのに何故そちらに根黒は向かわないのだろうか。


根黒が体育館の扉に手を掛けた時、翔子の体は硬くなった。Dに注目している間にゲートから逃げる事は可能だろうか。


いや無理だ。


研究所の監視カメラに映る蜘蛛の糸は思っていたよりずっと射程が長かった。根黒が指示を出せば一瞬で翔子の動きが止められるだろう。


おぞましい研究所の実験が頭をよぎり視界が歪んだ。


(私はあそこで正気でいられるのだろうか)



だが、何でか根黒は扉を開けずに考え込むと振り返って言った。


「そうそう、お嬢さん。あなたはこの岩柳小学校の何期生だったんですか?」


翔子は呆気にとられていたが語気を荒げて言った。


「もうとっくに忘れましたよ。そんなことを聞いてどうするんですか?」


「そうですよね。気を悪くしたなら申し訳ないです。あれ?」


根黒は明滅に気付いてポケットから端末を取り出すと、目を細めて画面に顔を近づけた。


「おかしいな、奴は車で移動している。もうここにはいないようだぞ蜘蛛次郎」


扉から手を離すとグラウンドに向かってガニ股で走り出した。追い抜いた蜘蛛次郎に飛び乗ると山を下りて行った。


翔子は心の中でガッツポーズをした。急いで体育館の扉を開けるとDは先ほどの状態のまま倒れていた。


危なかった。もう少しで全てが終わるところだった。翔子はその場にへたり込む。


根黒が発信機を探している間は時間が稼げるからその間にDをどこかに移動しなければ。


翔子は重い腰を上げDの傍まで行った。気のせいではない。驚いたことにDの姿形が元に戻ってきている。


翔子は突如希望があふれてくるのを感じた。



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