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十九話

 気まずい空気が漂い、いつの間にか夜になった。

「何か食う物買いに行ってくる」

「あ、あたしも行く。遠野くんだけにやらせるのは申し訳ないでしょ」

「でもあんた、絶対にドジなことするだろ。余計なことされたくねえんだよ」

「大丈夫だよ。もう高校生なんだよ? 一人で家事もできるし、絶対に迷惑はかけないよ」

 笑って見せたが、龍介はとても信じられないというふうに視線を逸らして出かけてしまった。

「……全然、心の中開いてくれない……」

 ため息を吐く。龍介くんと呼ぶのも嫌がっていたし、完全に赤の他人扱いされている。

「どうしたら、仲良くなれるんだろう……?」

 悩んでも、いいアイデアなど生まれない。ただ、追い出される心配はなさそうなのでよかった。

 一時間ほど経って、龍介は戻ってきた。弁当を二つ入れたビニール袋を持っている。

「好きな方、選んでくれ。残った方を俺が食べる」

「遠野くんが選んでよ。あたしが残った方を」

「さっさと決めろよ」

 睨みつけられた。だらだらと冷や汗をかきながら、適当に弁当を手に取った。ダイニングテーブルに向かい合わせに座り、龍介も蓋を取る。ふとあることに気が付いた。

「あれ? 遠野くんって左利きなんだ」

「それがどうしたんだ」

「あたし、周りに左利きの人がいないの。ちょっとびっくり」

「へえ。ただ左利きってだけで驚くのか。変わってるな」

「う、うん。友だちからもけっこう変わってるって言われる。好きな男の子のタイプもおかしいって馬鹿にされるし」

「好きな男のタイプ?」

「そう。冷たくてとっつきにくい性格がいいの。優しくて穏やかな人よりも」

 話してから、ぎくりとした。龍介に惚れていると遠回しに告白しているのと一緒ではないか。しかし龍介は気づかず、こくりと頷いた。

「そうか。それは変わってるって言われても仕方ないな」

「ははは……。そのせいで彼氏できなくて。もしかしたら一生独りかも」

「あんたは恋人がほしいって考えてるのか。俺は邪魔だし、いらねえけど」

「でも、真知子さんは遠野くんが女の子と愛し合ってるところ見たいって願ってるよ? こうやって家に連れてくるのも、早く彼女ができるようにってことでしょ?」

「ほしくなったら、自分で探す。それよりも今は、将来の仕事が大事だ」

「え? 仕事?」

「これまで育ててくれた真知子に恩返ししたいんだ。安心して暮らしてもらいたい。金がたくさん稼げて俺にもできそうな職業はないかって探してるんだよ」

 それは楓にはわからない。はっきりとアドバイスしたいが、さすがに無理だ。

「遠野くんが得意なものって何? やってみたい仕事はあるの? とりあえず、まだ高校生だから焦らないで決めていくといいよ」

「そんなの、あんたに言われなくても始めから考えてるよ」

 ふん、と固い口調で返ってきた。全く役に立てない自分に嫌気が差した。

 食事が終わり、次は風呂だ。バッグからパジャマを取り出す。大好きな人の家で服を脱ぐのだから、心臓が恐ろしいほど速くなっていく。覗くわけないと思っていても、手が震えて止まらない。

「なるべく早めに出るよ」

 動揺を隠しながら伝えて、洗面所へ行った。

 熱いシャワーで、汚れを落としていく。まさか、手に届かない高嶺の花と二人で暮らす日が来るとはと、未だに信じられない。たぶん龍介も同じ気持ちでいるだろう。楓を変わっていると話したのは、行動についても驚いたという意味かもしれない。これまで、出てけと睨みつけると女の子たちは泣いて逃げて行った。しかし楓は逃げずにここにいると叫び、おまけに住み込みで働くことにまでなった。なぜ逃げないのか。怖がらないのか。

「……もっともっと、龍介くんとの距離、縮めるぞ……」

 呟いて、ぐっと拳を作った。まだ始まったばかりなのだ。




タオルで髪を拭きながらリビングに戻る。龍介はテレビをつけたまま、ソファーに横たわって眠っていた。コップがテーブルに置きっぱなしになっている。

「あらら。疲れてたのかな?」

 小声で呟き、キッチンでコップを洗う。本当は龍介の寝顔を眺めていたいが、もしこっそり見ていたとバレたら不機嫌になりそうだ。早く仲良くなりたいが、いきなり急接近するのはやめておいた。

 水の音で、龍介はゆっくりと起きた。寝ぼけた顔もかっこよくて、どきどきする。

「おはよう。お風呂、空いてるよ」

「そうか。コップ、洗うの忘れてた」

「いいよ。というか、あたしはアルバイトで泊まりに来たんだもん。遠野くんのお世話をするためなんだよ」

「別に、あんたがいなくても一人でできるけど」

「そんな寂しいこと言わないでよ。一生懸命、頑張るから」

「ところでバイト代だけど、五千円も払えないからな」

「え?」

「あんたをやる気にさせる嘘だよ。どんなに多くても、五円くらいだろ」

 くらっとめまいが起きた。たった五円しかもらえなかったら、とても生活できない。

「嘘だったの? でも、塵も積もれば山となるで、いつかは一〇〇万円になったり」

「五円じゃ、一〇〇万なんて何年かかるんだよ。うちも金持ちじゃないんでね。俺が一人暮らししたくてもできないのは、アパート借りられないのが理由だよ。安いアパートでも無理なんだ。五円どころか、一円だけの時だってあるんじゃねえの」

 ガーンとタライが降ってきた。確かに、あまりにもおいしい話だとは思ったが、嘘だったとは。真知子が嘘をつくはずがないと信じていた。

「そ、そんな……」

「普通は、騙しだって気づくだろ。あんた、めちゃくちゃ単純なんだな」

「だって……。とにかく、お金がないの。ちょっとでもいいから、ほしいの」

「あんたの父親って、働いてないのか? 困ってるなら相談すればいいじゃねえか」

「親と子供の使うお金は別だって、くれないんだよ。すっごく厳しいんだ。中学ではアルバイト禁止だったけど、お金がなくて仕方なく隠れてやってたんだよ」

「ふうん。あんたも、父親のせいで苦労してきたのか」

 ほんの少し、声が柔らかくなった。自分と同じような環境で暮らしてきたのかと考えているみたいだ。もちろん、まだ関係は赤の他人で友人にもなっていない。

「お母さんは、子供想いで優しい人だったけどね。真知子さんにそっくりだよ。雰囲気が似てる」

「じゃ、父親が死ねばよかったのにって思ってるだろ」

「え? 死ねば?」

「困ってるのに助けてくれない奴なんか、いなくてもいいしな。尊敬してる、愛してるなんて、ただの作った言葉。本心では、父親なんかいなくていい。どうして父親が死ななかったんだろうって悔しいんだろ」

 楓の心を見透かしているような眼差しに、どきりとした。確かに、なぜ秋穂がいなくなったのかと悲しくなる。ずっとそばにいたのも、穏やかで明るかったのも秋穂だ。八つ当たりしたり怒鳴ったりも一度もない。

 黙って俯くと、ほらなという表情で続けた。

「やっぱり、俺の言う通りだな」

「だけど、お父さんが死んだら、それも寂しいし辛いよ。遠野くんみたいに喜んだりしないよ」

「まあ、金稼いでくれる奴はいなくなるわけだから。母子家庭じゃ生活できないなら、再婚すれば問題ない」

 父親は、ただ金を持ってくるだけの人間だと見ているようだ。楓は、そういうイメージはなかった。きちんと血の繋がった大切な存在だ。

「あ、あたしは」

「じゃ、風呂入ってくる。あんたは先に寝てていいぞ」

 遮って、龍介は洗面所へ行った。

 龍介の話は、確かに正しい。なぜ秋穂なんだと何回も落ち込み、泣いた。どちらかと別れなくてはいけないとしたら、絶対に和彦と別れると答える。秋穂を失いたくない。

 今まで、こういうことを言ったのは龍介が初めてだ。みんな「可哀想」と同情するが、「でも優しいお父さんがいて幸せ」と言う。楓の心の奥は、誰もわからなかった。

「……どうして、龍介くんには見えたのかな」

 不思議だが、悶々しても仕方がないので眠ってしまおうと決めた。

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