十七話
こんなはずではなかった。楓が思い描いていたのは、大好きな男子とどきどきしながら過ごす青春だった。しかし現在は悪魔の城に監禁されているのと同じ。どきどきではなく、びくびくだ。あーみんは助けてくれないし、真知子は仕事で戻ってこないし、今日は何をされるのかと恐怖が胸に溢れ返っている。
「おい」
「ひゃあっ。ごめんっ」
「ごめん? どうして謝るんだよ」
「だって、あたしがそばにいてイライラしてるんでしょ?」
聞くと、龍介は違う答えをした。
「これから俺は昼寝するから。部屋に入ってくるなよ」
「わ、わかった。おやすみ」
ぎこちなく笑う。龍介は勢いよくドアを閉めた。
仕方ないので、楓も出かけることにした。バッグから携帯を取り出す。
「あーみん。暇? よければお茶飲みに行かない?」
「いいよ。あたしが奢るね」
「ええ。申し訳ないよ」
「でも、お小遣いないじゃない。親友に遠慮なんかしないの」
「ありがとう。あーみんって、女神さまだね」
「困ってる人は放っておけないよ。女神さまじゃないから」
はははと軽い笑い声に、胸が熱くなった。
喫茶店は、よく利用している『黒ゆりコーヒー店』だ。秋穂とも何度も行っている。コーヒー店という名前だが、一番人気は紅茶だ。店に向かうと、すでにあーみんは立っていた。
「ごめん。遅れちゃって」
「いいって。それより早く入ろう。期間限定のパフェもあるよ」
「だけど、あーみんのお金使わせたくないから、お茶だけで」
「気にしないでよ。よそよそしい楓なんか見たくない」
「そ、そう? じゃあ入ろうか」
頷き、ドアを開いた。
注文してから、あーみんが質問してきた。
「まだ遠野くんに惚れてるの?」
ぎくりとした。バレないよう、こくりと頷く。
「惚れてるよ。一人で追いかけてる」
「いい加減やめたら? 楓が傷つけられて泣いたりショック受けて落ち込んだりしたら、あたし遠野くんが許せないよ」
声に熱がこもっている。楓を大事に想っているのが、しっかりと届いた。だが、この初恋は諦められない。
「冷たくてとっつきにくい男の子がタイプだし、ポジティブ思考で立ち直りも早いから。心配しないでよ」
「優しい人と愛し合った方が幸せだよ? わざわざ険しい道を選ぶなんて、あたしには理解できない」
「そうだね。頭おかしいよね。でも、辛い道を乗り越えていつか恋人同士になれた時の達成感、ものすごいよ」
「恋人同士になれるって、信じてるの?」
あーみんの口調が固くなった。どきりと緊張する。
「え?」
「あたしは、無理だと思うよ。死神みたいな奴が、心を開くわけない。きっと友だちにもなれない」
はっきりと言われ、そっと俯いた。楓も、そうだとすでに想像していた。そばにいるだけでイライラ。声も聞きたくない。関係のない赤の他人。とてつもなく嫌われている。同じ空気も吸いたくないというような態度。
「男の子なんて、数えきれないほどいるよ。遠野くんだけって決めつけないで」
「ごめん。もうこの話、終わりにして。これ以上聞きたくない」
首を横に振って遮ると、あーみんも黙った。
その後は、いつもの楽しいおしゃべりをした。来週のテスト勉強は一緒にやろうと誘われ、こくりと頷いた。
「久しぶりに、うちに遊びに来てよ。ココも楓に会いたがってるよ」
「あたしにだけ懐くんだよね。あーみん達にはツメ立てるのに」
「生まれつき動物大好きって、感じるんだろうね。それにココの命を救ったのは楓だし」
中学の頃、帰り道で子猫がダンボールに入れられ鳴いていた。病気にかかっていると気付き、和彦に診てもらった。回復すると、たくさんご飯を食べさせ綺麗に洗ってあげた。飼い主がいなかったが、あーみんに相談したところ「あたしの家で育てる」と答えが返ってきた。
「全く、命を何だと思ってるんだろう? 子猫一匹が死んでも別にいいやって考えてるの? だったらペット飼うなっ」
「血は繋がってないけど、大切な家族だもんね。最後までそばにいて可愛がってあげなきゃ。それができないなら、始めから飼わない」
「そうそう。急にいらなくなったから捨てちゃおうなんて、絶対にしちゃいけないことだよ」
「楓のお母さんは、野良猫を助けて亡くなったんだよね。とても立派なお母さんだよ。死んじゃったのは悲しいけど、素晴らしい人だったんだね」
「誇りに思ってるよ。あたしも、お母さんみたいな女性になりたい」
子供にも動物にも愛をたくさん注ぐ。あーみんも大きく頷いた。
二時間ほど経って、ようやく喫茶店から出た。そのままあーみんは買い物に行くと、すぐに別れた。楓は暇なので散歩をすることにした。あてもなく、足の向く方に歩いて行く。いつもと同じ風景。平和で穏やかな街。一つ変わったのは、龍介と二人暮らしを始めたことだ。手の届かない場所にいた大好きな人が、すぐ目の前にいる。誰にも邪魔されず近づける。これはものすごいチャンスだが、ドジでおっちょこちょいな自分がうまく二人暮らしを続けられるか緊張した。
「……あたしは、龍介くんと友だちにもなれないの?」
死神みたいな奴が、心を開くわけない。いくらこちらが歩み寄っても、にこりともしないで逃げてしまう。真知子には好かれているようだが、龍介には完全に嫌われている。距離を縮めるのも無理なのだろうか。
「まあ、これからだ。これから頑張れば……」
呟きながらくるりと後ろを振り向くと、遠くに中尾が立っていた。走って近づく。
「中尾くん。こんにちは」
「あ、佐東さん」
「どこかに行くの?」
「暇だから、ちょっと散歩」
「そっか。あたしも暇なんだ」
「なら、一緒に歩かない? 一人だとつまらないじゃないか」
どきりとした。中尾に誘われるとは思っていなかった。
「ありがとう。じゃ、さっそく行こう」
にっこりと笑い、足を踏み出した。