十三話
遠野との距離を縮めるのもそうだが、いい加減バイトしないとだめだ。 いつも通り、バイト募集のポスターを眺めながら歩く。よさげな場所はなく、肩を落としてため息を吐いていると、となりに立っていた人に声をかけられた。
「あの……。ちょっといい?」
「え?」
顔を上げると、ベージュのワンピースを着た長い髪の若い女性が、微笑んでいた。少し秋穂にイメージが似ている。
「あなた、新昇高校の子?」
「は、はい。そうですけど」
「よかった。この後、予定ある? 話したいことがあるの」
「話したいこと?」
「そう。あなたに頼みたいのよ。高校生の女の子にしかできないの」
意味がわからず首を傾げる。女性は楓の腕を掴み、歩き出した。
「とりあえず。喫茶店でお茶でも飲みましょう。詳しい話も、そこでするから」
「は、はあ……」
悪い人には見えなかったため、ついて行くことにした。
近くに建っていた店に入り、向かい合わせに座る。さっそく女性は自己紹介をした。
「私の名前は、真知子。ウエディングプランナーをやってるの」
「ウエディングプランナー?」
「結婚式の日時やドレスを用意する仕事よ。聞いたことない?」
「いえ。結婚式ですか。ロマンチックですねえ」
「この間も、結婚式があってね。みなさんの幸せな姿、とっても癒されるわ」
真知子の顔をまじまじと見つめる。この丁寧でお姫様のようなしゃべり方も、職業がウエディングプランナーだからかもしれない。
「羨ましいです。結婚って、女の子の憧れですからね」
「ただ、お休みがないの。毎日忙しく働いてて。結婚式は、土曜日でも日曜日でも挙げるから」
「頼みたいのって、まさかウエディングプランナーのお手伝いですか? あたし、手先不器用だし、経験したことないから無理ですよ」
「違う違う。私の息子の面倒を見てほしいのよ」
「息子?」
「最近、めっきり言うこと聞かなくなっちゃって。もともとわがままな性格だったんだけど。もう私じゃだめだから、他の人にお世話してもらうしかないって考えたのよ」
「他の人だったら、もっと言うこと聞かなくなると思いますよ」
「そんなことないわよ。他の人には、少しはいい子になるんじゃないかな? ……というわけで、息子の面倒を見てくれない? だめ?」
身を乗り出してくる。あまりやる気がわかず、首を縦に振らなかった。それに気づいたらしく、真知子は付け足した。
「ただではないわよ。ちゃんとアルバイト代は払う。そうね。時給五千円でどう?」
「ええ?」
驚いて立ち上がった。ずっと探していたアルバイトが、こんなところで見つかるとは。
「時給五千円? そんなにもらえるんですか?」
「頑張ってくれれば、もっと増えるわよ」
「やりますっ。やらせてくださいっ」
「あら? 急にやる気満々になった? なら、あなたの名前を教えてくれる?」
「佐東楓です」
「メープルシロップちゃん?」
真知子が目を輝かせた。どきりとして聞き返す。
「メープルシロップ?」
「メープルシロップって、サトウカエデっていう葉から作られてるのよ。もちろん、漢字は違うだろうけど」
メープルシロップの材料がサトウカエデだと、初めて知った。可愛いと褒められているようで照れてしまう。
「そうなんですか。あたしの名前はお母さんが付けたんですけど。メープルシロップっていう意味で付けたのかな?」
「質問してみたら? もし知らなかったら、教えてあげたらいいんじゃない?」
「できませんよ。死んじゃったので」
「え? 死んだ?」
かなり衝撃を受けたようだ。こくりと頷き、過去の出来事を伝える。
「……そうだったの。悲しいし、寂しいわね。お父さんも家に戻ってこれないなんて」
「慣れちゃいましたけどね。泣いたりもしませんよ」
「辛かったら、私に話してね。どんな内容でも構わないから」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げ、その日は真知子と別れた。
言うこと聞かない子供の面倒を、一人で見れるか不安だった。動物の世話は得意だが、人間は違う。もともとわがままな性格らしいし、叱っても無視されるかもしれない。真知子は二十代後半くらいなので、息子も小学生だろう。
「……でも、お金がもらえるんだし……」
ドジでおっちょこちょいと馬鹿にされても、やり通すしかないのだ。時給五千円だったら、充分暮らしていける。いいアルバイトが見つかって、本当によかった。
アルバイトの悩みは消えたので、遠野に夢中になっていても、あーみんに怒られない。さっそくアルバイトについて教えた。
「ふうん。子供の面倒を見るバイトねえ」
「あたしにもできるよ。小学生なら難しくないでしょ?」
「あたしは、やめた方がいい気がする」
「え?」
「真知子さんを疑ってるわけではないけど。本当に、五千円もくれるのかな?」
「騙そうとしてるって意味? 真知子さん、とっても優しくて綺麗な人だったよ。絶対、騙したりしないよ」
「楓って、単純だからな……。もしあたしだったら、ちょっと考えさせてって答える」
「そんなふうに言わないで。真知子さんを悪者扱いしないでよ」
むっとすると、あーみんは目を逸らして黙った。仲良しの親友でも、真知子を詐欺師のように呼ぶのは許せない。たとえ血が繋がっていなくても、真知子は第二の母親だ。あの暖かくて柔らかな笑顔が、秋穂にそっくりだ。ずっとずっとそばにいてほしい。
初恋は実らないという言葉を聞いたことがある。頑張って告白してもフラれたり、すでに恋人がいたりする。辛い思いをしたくないと、恋愛を怖がる人も多い。楓も毎日遠野を探し回っているが、全く会えない。
「あーあ。昨日も今日も、遠野くん教室にいなかったよ」
「そうなの? 偶然どこかですれ違ってるのかな?」
「それとも、あたしが来そうって予感がして逃げてるのか。もしかして、この恋は実らないのかな?」
「うん。無理じゃない」
あまりにもストレートな返事に、目が丸くなった。
「そ、そんな……。もっとオブラートに包んでよ」
「だって、いくら会いに行ってもいないんでしょ? 追いかけても逃げられるんでしょ? それじゃ誰だって無理って考えるよ」
確かに、あーみんの言う通りだ。けれど諦めたくない。
「遠野くんじゃなくてもいいじゃん。優しくて穏やかな方が、安心して付き合えるよ」
「だめ。ツンツンしてる男の子じゃないと、盛り上がらない」
「どうして盛り上げないといけないの? 普通の恋で充分だよ」
呆れた口調で答える。しかし、たった一度きりの人生。一度きりの青春。無駄にしたくない。
サバサバとして男っぽいあーみん。楓とは違い、大人っぽくて家事もできて頭がいい。中学ではモテまくっていたし、現在も「永井絢美は可愛いけど、佐東楓はちょっと……」と比べられる。本人は否定しているが、間違いなく美少女だ。これから、さらに美しく綺麗な女性に生まれ変わるだろう。
「あーみんとなら、遠野くんも恋人同士になるのかな?」
その場にしゃがんだ。子供っぽくて魅力がない楓とは関わりたくない。近づきたくもない。だからこうして逃げているのかもしれないと考え、がっくりと項垂れた。