十二話
あーみんのお守りが、ついに効いてくれたらしい。ある日昼休みにE組に行くと遠野の横顔だけ見えた。目が鋭くキリっとつっていて、前髪が長い。端正で大人っぽくてお金持ちというイメージ。少し中尾に似ている。冷たくとっつきにくそうな雰囲気も溢れている。その美しさに、どくんっと心臓が高鳴った。A組まで走って、あーみんに早口で伝えた。
「遠野くんの顔、ちらりとだけど見えたよっ。超かっこいいっ。あんなイケメン……。まさにあたしが追い求めてきた王子様だあっ」
「ふうん。この学校にイケメンくんがいたとはね」
「最高だよ。名前も男らしくて素敵って思ってたけど。絶対に仲よくなりたいっ」
目がハートになった楓に、あーみんは呆れた口調で聞いた。
「どうやって仲良くなるのよ? 死神って呼ばれてるのに」
「いっぱい会って、いっぱいおしゃべりすれば」
「楓が話しかけても無視するだろうね。特に女の子は嫌でしょ」
「そんなことないって。きっといつかは」
「じゃあ、実際に話しかけてみれば? 何だこいつって馬鹿にされて終わりだよ。大体、声をかけられるチャンスがあるかもわからないよ」
冷や汗が流れた。確かに、あーみんの言う通りだと感じた。けれど、ようやく出会った運命の人を放っておきたくない。いきなり彼女になれるわけないので、まずは友人になるのを目指そうと決めた。
さっそく翌日から、遠野との距離を縮める計画を始めた。休み時間はE組へ行き、こっそりラブラブ光線を放つ。どんなものが好きか嫌いか。趣味や特技は何か。一つ一つ彼について知っていく。そして楓についても知ってもらう。友人になれば、きっとうまくいく。全てポジティブ思考。緊張したり躊躇ったりしてはいけない。
と張り切っていたが、あーみんの予想通りだった。声をかけるどころか、そもそもE組に行っても遠野がいないのだから。どこかですれ違っているのか、それとも遠野が逃げているのか。驚くほど会えなかった。おまけに、どうして遠野と仲良くしたいのかとE組のクラスメイト達から変人扱いされるようになった。楓がE組に現れると、じろじろと注目してくる。親友のあーみんまで変人の仲間だと呼ばれたのは申し訳なくなった。
「本当にごめん。あたしのせいで、嫌な思いしてるんだもんね」
「別に気にしてないよ。それよりバイトは? 見つかったの?」
「それが……。まだなんだよね」
「早く探しなよ。遠野くんよりバイトでしょ」
「うう……。わかってるよ」
がっくりと項垂れる。あーみんも、やれやれとため息を吐いた。
しかし、すぐそばに理想の恋人がいたとは。となりの校舎だったため、全く気づかなかった。たった一度ちらりと視界に映っただけだが、胸にぐさりと刺さった。
「あたしが一目惚れするなんて。お金はないけど幸せ……」
頬が火照る。周りから嫌われているから、ライバルなどもいないはずだ。頑張って告白すれば、恋人同士にだってなれるかもしれない。秋穂にも伝えた。
「ねえねえ、お母さん。あたし好きな人ができたよ。遠野くんっていう、超かっこいい男の子。きっと仲良くなれるよね。恋人にはなれなくても友だちにはなれるよね? お母さんも、そう思うでしょ?」
秋穂の口癖は、いつも笑顔でいること。後ろ向きにならないこと。どんなに悲しいことがあっても、その後に嬉しいことが待ってるから、だった。その口癖のおかげで、独りぼっちでも生きてこれた。秋穂に何度も救われてきた。
「お母さん……。いつもありがとう」
柔らかく暖かな手に包まれ、心配も不安もなく暮らしていたあの頃に戻りたい。写真を抱きしめ、こぼれた涙を拭った。
遠野との距離は、どんどん離れていった。頑張れば頑張るほど、遠ざかっていくようだ。バイトも相変わらず決まらないし、あーみんもアドバイスしてくれない。やがて、和彦にバレてしまった。
「楓が働いてた喫茶店、三カ月も前に潰れてたって本当か?」
「あ……。う、うん……」
「じゃあ、ずっとバイトしてなかったのか。金はどうしてたんだ?」
「あーみんに借りてたよ。財布も道に落としちゃって」
「落とした? どうしてお父さんに相談しなかったんだよ? ここまで馬鹿だと思ってなかったぞ」
ぎゅっと目をつぶった。楓は、和彦に疲れさせないようにと隠していたのに、馬鹿と怒られてしまった。秋穂は優しく子供想いだったが、和彦は短気で常に集中する仕事のため八つ当たりする性格だ。
「ごめん。でも、あたしは」
「でもじゃないだろ。この大馬鹿娘っ。絢美ちゃんにも迷惑かけて……。お母さん、天国で泣いてるぞっ」
厳しく怒鳴られ、一方的に電話が切られた。秋穂だったら、こうして頭ごなしに言わないはず。和彦を嫌ってはいないが、突然やってくるイライラはやめてほしかった。
「あーあ。どうしてあたしのお父さんって、ああいう性格なんだろう」
放課後、ため息を吐きながら帰り道を歩いた。子供を可愛がらない。褒めない。好き勝手八つ当たりする。父親らしいことを一つもしていない。そのくせ、自分は親なんだと偉そうな態度。秋穂とも喧嘩ばかりしていたし、素晴らしい医師と呼ばれているのが不思議になる。
「あれ? 佐東さん」
後ろから声をかけられ、びくっと足が止まった。振り向くと、中尾がこちらへやって来た。
「偶然。学校の帰り?」
開名高校という、全寮制男子校の制服を着ていた。私服だけではなく、制服もお似合いだ。
「うん。今日も疲れたあ」
「遠野は? 見つかったのかな?」
「とりあえず、横顔だけはちらっと見たよ。超かっこいいね」
「佐東さんは、遠野と仲良くしたいの?」
楓の心の中を読んだような口調で聞いてきた。冷や汗が額に滲む。
「仲良くというか、一度でいいからおしゃべりしてみたい。もう、おはようとかこんにちはだけでも」
「あいつ、女の子と話するかな?」
「え?」
「いや。挨拶くらいならするか」
「どういうこと? 挨拶もしないの?」
「とにかく寡黙で、気分が悪いと怒鳴るんだよね。女も子供も容赦しないよ」
「ど、怒鳴るの? だから怖いって噂されてたんだ」
「俺もよく叱ってるよ。愛想よくしろって。そうするとさらに怒鳴るから、意味ないけどね」
ぞくぞくと全身から血の気が引く。遠野に一目惚れしてしまったが、やめておくべきだったのではないかと少し後悔した。けれど、この初恋を諦めるつもりはない。友人になれば、怒鳴ったりしないはずだ。
「これからも頑張って。応援してるよ」
そう言って、中尾は歩いて行った。