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稜線  作者: 竹取裕基
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第七章

第七章




 その日から一週間後のある日の午前のこと。

 幸三の家のチャイムが鳴った。

 幸三の家のドアを開けると、そこには若い屈強な男性三人と、山田と、そして恵子が立っていた。家の前には、二台の車が停められているのがみえた。

「……おはようございます。わざわざお呼び立てしてすみません」

 深々と静子が頭を下げた。

「いえ、こちらこそ。ところで、裕二さんは?」

 恵子は落ち着いた様子である。

「まだ寝ています」

「そうですか」

「……この前、お話しした通り、です」

 横から幸三がそう言った。

「なるほど、それは危険な状態ですね。しかし、こうしてこの家にいても大丈夫なのですか?」

「わかりません。結局、ビジネスホテルに三日ほど泊まって、様子を見に家に帰ったのですが、裕二も部屋にこもったきりで、特に腹を立てている様子もなかったのですから、そっと家に帰ってきた、というわけなのです」

「そうですか……しかし、お話を伺う限り、緊急保護の必要がありますね」

 真剣な表情で、恵子はそう言った。

「私もそう思います。緊急保護をしたほうがいいと思います」

 横から山田もうなずいていた。

「しかし、できればあまり手荒な事をせずに、穏便にうまく施設へ連れて行ってくれませんか?」

 幸三がそう言うと、

「もちろんです。まずは説得を試みてみようと思います。しかし、どうしても同行に応じられない場合は……」

「その場合は、仕方ありません。お任せします」

「ありがとうございます。お任せください。何とかいい方向へ持っていきますよ」

 自信たっぷりに、恵子はそう言うと、若い男三人、山田を伴って二階へと上がっていった。

 その後を心配そうに、幸三と静子が続いた。

「おはようございます」

 ドアを恵子がノックした。ドアには大きな穴が開いていた。

「わたくし、『ひだまりのいえ』の理事をしております桜木恵子と申します。今日は、裕二さんとお話をするために、ご両親の了解を得て、参りました」

「……」

 裕二は、まだ寝ているようだ。

「裕二、今日は桜木さんが見えたんだ。ちゃんと起きて、挨拶をしなさい」

 幸三が、心配になって声をかけた。

「……誰だ。何の用だ」

 裕二が大声を出した。

「裕二!」

 幸三が叫んだ。

「お父さん、ちょっと落ち着いてください」

 恵子があわててとりなした。

「……すみません」

「大丈夫ですから。お任せください」

「はい……」

「裕二さん、入りますよ」

 恵子が、ドアを開けようとしたその時である。

「入るな!!」

 裕二が叫んだ。

 ドン!

 ドアをバットで殴りつける音がした。

「入ってきたら殺すぞ!」

 裕二が叫んでいる。

 あわてて恵子が逃げ出した。

「……やっぱりまずいわね、山田君」

「寮長、そのようですね」

「説得してお連れしたかったんだけれど、やっぱり無理かもしれないね」

「ええ」

「バットを持っているし……困ったわね」

「そうですね」

「とりあえず、じっくりと説得してみよう」

「わかりました」

 ……ドア越しに、恵子が粘り強く説得を始めた。裕二は最初、興奮していたが、だんだんと気持ちがおさまってきたらしく、バットを振り回すことはなくなった。しかし、警戒心が強いのか、恵子が話しかけても、「はい」「いいえ」ぐらいしか返事をしない状態が続いた。

 ドアを開けて、ようやく裕二の部屋に入るのを許されるまで、軽く三時間が過ぎていた。

 すでに時計を見ると、正午を過ぎていた。

「とりあえず、食事よ」

 静子が持ってきた食事を、黙って裕二が食べていた。

 裕二は、ぼさぼさの長い髪を汗でぬらしながら、あぐらをかいて黙ってチャーハンを食べていた。

「お茶」

 そう言うと、あわてて静子が湯飲みに茶をついでトレーに乗せた。

 幸三は、久しぶりに裕二の姿をまじまじと見た。

 幼いころの可愛らしい、利発そうな少年の面影はなく、見事に怠惰な生活でだらけきった中年男の表情になっていた。眠そうで、いつもイライラしているような眼、そして髭も伸び放題で、散らかり放題の部屋には、だらしなく画面が開かれたデスクトップ、飲みかけのペットボトル、食べた後のカップ麺が割り箸を突っ込まれたまま床に置かれ、数日を経ているのか、残り汁が変色していた。腹も出て、中年太りが進行し、ウエストは軽く100センチはある感じである。腹も脂肪で動くたびに、揺れた。

 自分の息子とはいえ、その姿をじっくり見た事がなかった自分自身を不思議に思ったのだ。

 昼夜逆転して二階の自室に籠ったまま、ほとんど出歩かない裕二と接点がほとんどなく、同じ屋根に過ごしながらほとんど会話らしい会話をしてこなかったことが、妙に不思議な感じがしたのであった。

「ねえ、恥ずかしいと思わない?」

 突然、恵子が口を開いた。

 周囲は、凍りついた。

「……あなたのお父さんも、お母さんも朝から何も食べていないんだよ。よく平気で食事ができるね」

 恵子が、そう言うと、裕二がにらんだ。

「なんだと?」

「だから、恥ずかしくないのかって言っているの!」

「なに!」

「よく平気で食事ができるわね。その食事、誰が作っているか解っているの?」

 裕二が黙り込んだ。

 その眼は、激しい憎悪に満ちていた。

「なんだと、この野郎!」

 裕二の手が、こぶしを作って恵子に飛び掛かった瞬間、先ほどまで部屋に一緒にいた三人の若者が裕二を取り押さえた。

「やめましょう!」

 口調は丁寧だが、三人とも武道の心得があるのか、あっという間に裕二を押さえつけていた。

「離せ!」

「駄目です、落ち着きましょう」

 三人は、言い方は丁寧だが、有無を言わせないうちに、裕二の手を器用に後ろ手にして、あっという間に手錠をかけた。

 その様子を見ていた静子は、驚きで声が出なかった。

「なにをするんだ! 俺は何もしていないぞ! 手錠をかけるなんて! 離せ! 離せよ!」

「お父さん」

 恵子が、あっけにとられている幸三に話しかけた。

「……申し訳ありませんが、緊急保護させていただきます。よろしいですね?」

「え、ええ……」

「では、承諾をいただいたと?」

「はい……」

「わかりました。こちらにサインをお願いします」

 隣から山田が書類を差し出した。

 紙には、『特別支援承諾書』と書かれていた。

 よく読まずに、思わずサインをした。

 それは、二枚になっており、一枚をはがすと、

「これは控えですから」

 と言って幸三に渡した。

承諾書は、びっしりと細かい文字で書かれており、老眼のひどい幸三にはよく判別できなかった。

「では、只今より緊急保護を開始します!」

 厳然と恵子がそう言うと、三人の男たちは、裕二を無理やり連れだした。

「やめろ! 離せ! 親父、なんでこいつらの言いなりになっているんだよ!」

 裕二が絶叫した。

「やめろ! こんなの犯罪じゃないか! 俺は何もしていないのに! 離せ!」

 裕二の絶叫は、すさまじいものがあった。

 その足も、いつしか用意してあったロープでいつの間にか縛られており、全く抵抗ができない状態にされていた。

「母さん! こんなのひどいじゃないか! 親父! 何でこんなことするんだよ!」

 裕二が絶叫しながら、階下に引きずられるようにして、玄関から出された。

 裕二の必死の叫びもむなしく、三人の屈強な男たちは裕二を引きずっていった。

 そして、既に止めてあったバンに押し込めると、三人の男たちはそれに乗って走り去った。

 呆然としている静子と、同じく呆然としている幸三に、恵子が先ほどまでとは打って変わった様子で優しく声をかけた。

「大丈夫ですよ。きっと裕二さんは、回復して元気になって帰ってきますから」

 幸三が恵子の顔を見たとき、恵子は優しく笑った。








 ……しばらくして、恵子と山田が帰って行った後の事である。

 幸三は、リビングで、夕刊を読んでいた。

「ねえ、父さん」

 静子が、幸三に話しかけた。

「なんだ」

 幸三は、夕刊を読みながら返事をした。

「あれでよかったのかしら」

「わからん。でも、あの場合はそうするしか、仕方がなかったじゃないか」

「そうね。でも……」

「でも?」

「あの子が連れて行かれる時、叫んでいた。『母さん、こんなのひどいじゃないか!』って」

「ああ」

「……私たち、裕二にひどいことをしてしまったんじゃないかしら」

「仕方がない。あいつのためさ」

「……」

 静子は黙り込むと、台所へ去って行った。

 ――本当に、あれでよかったのだろうか?

 幸三はそう思うと、夕刊をたたんでテーブルに置いた。

 








 その日の夜の事。

 「ひだまりのいえ」の事務所の中で、恵子と山田が話をしていた。

「寮長、うまくいきましたね」

「まあね、山田君」

 そう言うと、恵子は笑った。

 恵子は、年上の山田を、施設では「山田君」と呼んでいた。

「しかし寮長も、人が悪い」

「何で?」

「あの時、わざと、あいつを挑発したでしょう?」

「当たり前じゃない。これで、三百万だよ! あの夫婦、今頃びっくりしているんじゃない?」

「ははは、まあそうですね」

「大体、あの歳でニートで、社会復帰なんて、できるわけがないのがわかんないのかな、あの夫婦も」

 薄ら笑いを浮かべた恵子は、タバコを取り出した。

 すぐにさっと山田がライターで火をつける。

「まあ、ああいう馬鹿な親たちに夢を見させてあげてるの、私たちは」

 山田は答えず微笑した。

「ねえ山田君……ニートは、何のためにこの世に生まれてくるのか、知ってる?」

 タバコを吸いながら、恵子は山田に話しかけた。

「さあ、私にはわかりませんが……」

 山田は、恵子の言っている意味がわかっていないようだ。

「わからないの? この法人のためなのよ」

 そう言うと、満足げにタバコを吸いこむと、大きく紫煙を吐き出した。

「つまり寮長、ニートは私や寮長の『金づる』になるために生まれてきた、ってことですよね?」

「やっと解ったんだ」

 二人は、面白そうに笑った。

「それにしても、緊急保護費三百万円払いますかね?」

「……そこを払わせるのが、あんたの腕の見せ所でしょ? それに、あの契約書には書いてあるんだよ。……すごく小さい文字で、だけどね」

「それを見落としてサインしたあの夫婦の落ち度、とも言えますね」

「そうだよ。世の中、そんなものだよ。油断しているやつが悪いの」

「全く寮長は……怖い人だ」

 山田はおどけて笑った。

「なにを言っているのよ、前科四犯の詐欺師に言われたくないわ」

「やめてくださいよ、誰かに聞かれたら困ります」

「わかってるって」

「『ひだまりのいえ』事務長が、前科者だなんて口が裂けても言えないからね」

 そういうと恵子は軽くウインクした。

「それにしても、寮長。最近、行っているんですか?」

「どこに?」

「もちろん、あのホストクラブです。『ドリーム』でしたね、そこの確か如月(きさらぎ)とか言った……」

「ああ、海斗(かいと)ね!」

 恵子は如月海斗の名前を呼ぶとき、まるで恋する少女の出すような甘い声を出した。

「だって、海斗、私の事、好きだって言うんだもん。私以外の女なんて考えられないって言うのよ」

 うっとりとした表情を浮かべた恵子は、頬を上気させた。

「ふふ、寮長。あまりホストに入れ込むと火傷しますよ」

「なにを言っているのよ。余計なお世話ね。海斗は別なの。海斗は私の事しかみていないもん」

 如月海斗の事を思ってうっとりとしている恵子を、山田は微笑を浮かべて黙っていた。

 



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