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稜線  作者: 竹取裕基
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第四章

第四章


 それから数日後のある日。

 幸三は、ポストに分厚い郵便物が入っているのを見つけた。

「とうとう来たか」

 思わず顔をほころばせた。

 自宅に待っていた郵便物が届いたのだ。

 送り主は、NPO法人「ひだまりのいえ」からである。

 A4サイズの大きな封筒に、資料が入っているらしく、持ってみると重い。

 ……この前、検索しようとしても、できなかったNPO法人は、ふとしたところからその場所を特定できたのであった。

 静子が、前に勤めていた会社の同僚と、お茶をした際に、息子の事をつい話題に出した際に、その元同僚が、テレビを見ていたという。しかも、自分の親戚にもひきこもりがいるので関心があり、メモを取っていたというのだ。

 その元同僚に、後からメモの内容を電話で教えてもらったのである。

 そのNPO法人の名前は、「ひだまりのいえ」という団体だのだという。

「ひだまりのいえ」で検索したら、連絡先が解った。東京都町田市に拠点を置いているNPO法人らしい。


 そこに幸三が電話で連絡したのであった。 

 電話口には、中年女性が出た。

 「ひだまりのいえ」の代表 桜木恵子と名乗ったその女性は、さわやかな感じの好感の持てる話し方で幸三も安心した。自分の息子の事を話すと、「一緒に解決策を探しましょう」と話した。

 そして、とりあえず、資料を送るので参考にしてほしい、ということであった。

 

 その郵便物が、とうとう届いたのだ。

 幸三は、その封筒を持って書斎で開けてみた。

 各種施設の写真入りのきれいなパンフレット、契約までの簡単な流れを書いた書類、そして実際の支援の内容などが書かれている。もちろん、写真入りだ。

 ……契約までの流れとしては次のようになる。


 まず、両親とNPO法人が話し合い、支援の方針を固める。そして契約を結ぶ。契約の前に施設を自由に訪問もできるし、見学して中にいる利用者(つまり、ひきこもりたちだ)と話もできる。そして、納得した上での契約となっている。


そして、施設は、全寮制となっている。これは、長年引きこもっていた利用者が、社会生活に慣れるために集団生活を体験する必要があるからである。施設での一日は、午前六時に起床して、午前七時に朝食、午前九時よりそれぞれ利用者の状態に応じて「日課」を課せられる。「日課」には、いろいろある。主に施設での就業支援だが、勉強会をすることもある。この「ひだまりのいえ」では、カフェ「きぼう」を経営している。ここでの接客や作業を通じて、社会性を養うのだ。性格的に接客が苦手な者もいるが、それでもカフェでの体験は役に立つのだという。また、作業所「あゆみ」では、主に車のハーネスの加工、または売れなくなったCD、DVDソフトなどの解体と整理などの作業もある。こちらも毎日、作業をすることによって「仕事の楽しさ、働くことの素晴らしさ」を利用者が学ぶことを狙いとしている。作業所は、もう一つあり、「ゆめ工房」では、パンを作っており、これを販売しているほか、カフェ「きぼう」でパンを販売してもいる。

 日課は、就労支援の場合、朝九時から始まり、夕方は五時で終了となる。

 勉強会や研修なども基本的に同じ時間割だ。

 日課が一般社会の八時間労働より一時間短い理由は、五時から六時までその日の振り返り、ディスカッションを行ったり、指導員から見て利用者の足りない部分を振り返り、利用者の就労技術の向上や就労意欲を向上させるのを狙いとしている。

 そして、午後六時に「ひだまりのいえ」に戻り、午後七時に夕食、そして午後十時までは自由時間である。消灯は、午後十時となっている。

 基本、就業があるのは、月曜日から金曜日までとなっており、土曜、日曜は自由に過ごせる。

 また、「ひだまりのいえ」は、定員三十名となっているのだが、実際には入所希望者が殺到しており、場合によっては数か月、または一年ぐらい待たされることもあるそうである。

 入所しても、実際のところ、すぐに就業支援に結びつかないこともある。ひきこもりは昼夜逆転している者も多いので、まずは規則正しい生活をして、ちゃんと仕事に行けるように持っていくのだとのことだ。

 また、年齢層が若い中学生、高校生ぐらいの者は、日中はフリースクールのように「ひだまりのいえ」で、過ごす者もいるという。

 施設での支援は、半年から一年で社会復帰、具体的には実際の社会での就労を最終目標としている。施設の「卒業生」が、社会のあちらこちらで働いているということだ。

 また、施設では、自助グループ「みらい」もあり、利用者は全員このグループに加わることになっているそうである。先輩の利用者が、社会復帰に向けて後輩を指導したり相談に乗ったり励ましたりもするという。

 そして、「ひだまりのいえ」代表である桜木は、社会福祉の専門家であり、臨床心理士、社会福祉士、精神保健福祉士、介護支援専門員などの各種の資格を持っている。ほかの指導員も、臨床心理士や社会福祉士、精神保健福祉士などの資格を持った者が多い。

 「『ひだまりのいえ』では、常に保護者や利用者の目線に立って『寄り添う支援』を行い、就労支援や社会復帰へと手助けをさせていただきます」

 とパンフレットに書かれている。

 ――なるほど。読んだ感じでは、なかなかよさそうな施設だが……。

 幸三はそう思った。

 とりあえず、静子にもこのパンフレットを見せて、同意を得よう、そう考えた。

 しかし、静子は裕二のひきこもりを治すのに、外部の業者を使うことにあまり賛同していない。静子の賛同を得るのは、少し難しい面もあるだろう。

 ただ……一つだけ、引っかかる点があった。

 利用料金が一切、書かれていないことであった。

 パンフレットには、利用者たちの運動会の様子や、きれいな二階建ての新築の建物である「ひだまりのいえ」や、こぎれいなカフェ「きぼう」、利用者たちが真剣な表情で作業をしている作業所「あゆみ」や、小さなパン工房だが、利用者たちが笑顔で作業している「ゆめ工房」のきれいな写真はあるのに、なぜか肝心の利用料が書かれていないのである。

 ――どうして、利用料が書かれていないのだろうか?

 そこが引っかかるといえば、引っかかる点であった。

 




「どうだ?」

 その夜、リビングで静子にパンフレットを見せた幸三は、静子の考えを聞いてみた。

「……確かにきれいなところね」

 それだけを言うと、静子は黙ってしまった。

 じっとパンフレットを見て、考え込んでいる様子である。

「どうだ? きれいなところじゃないか。それに、カフェやら、作業所やら、パン工房まであるぞ。こういうところで仕事の練習をして、社会に出ていけるように教育してくれるらしい」

「……そうね」

「それに、毎日規則正しい寮生活をさせてくれるそうだぞ。裕二なんか見ろよ、あいついつも夜通し起きていて、明け方に寝て、昼ごろ起きてくるじゃないか。あれでは働こうにも働けないだろう? まずは、そういうところから直していってくれるみたいだ」

「まあ、そううまくいけばいいけれど」

「……確かにうまくいくかどうかは、わからない。でも、今まで三十年以上、俺たちもいろいろやってみただろう? 裕二をアルバイトに行かせたり、朝は早く起こしてみたり、夜は早く寝るように言ってみたり……もしかしたら気が晴れるかなと思って旅行にも連れ出そうとしたりもやってみた。けれど、あいつには効かなかった。俺も怒って、あいつと取っ組み合いになったこともある。けれど裕二の怠け癖は治らなかったじゃないか」

「まあ確かにうまくはいかなかったよね」

「そうだろう? 一度、この施設の偉い人……確か桜木さんと言ったな……この人としっかり面談してみてはどうだ? 俺も一度、桜木さんと電話で話をしたんだが、感じのいい人だったぞ」

「……本当にいい人かどうかなんて、電話で解るかしら?」

「確かにそうだ。桜木さんが本当に信用できる人かどうかなんて、そんなのは、解らない。解らないからこそ、一度話だけでも聞いてみたい気がしているんだ。どんな人なのか? 裕二の事を真剣に考えてくれる人なのか? 俺たちや裕二の事を真剣に考えて、一緒に支援してくれる人なのか? そして、その施設そのものが、いいところなのか? そういうことを含めて、一度話をしないと、何もわからないじゃないか」

「……でも、何となく私は気が進まない」

「不安なのはわかる。でも、不安だからと言って、何もしないのなら、今までと何も変わらないだろう? 考えてもみろよ、俺も、お前も、もう若くはないのだ。この先、いつまで生きていられるかどうかも、わからない」

「……そこって、いったいそもそもどこにあるのよ」

「東京の町田にある」

「町田ってどこよ。町田区?」

 幸三は思わず苦笑した。町田区、なんて区は東京にはない。

「町田市だよ」

「へえ、東京にも市があるのね。区しかないのかと思っていたわ」

 静子は、怪訝な顔をした。本当に、東京には区しかないと思っていたようだった。

「お前は本当に、ものを知らないな。東京に市も、あるに決まっているだろう」

「それにしても、ちょっと遠いわね。四日市からだったら、名古屋とか、愛知あたりにそういう施設がないの?」

「まあ、あるかも知れないが、この前テレビで出ていた施設は、ここなんだ。俺は、テレビでもやっていたぐらいだから、変な施設じゃないと思う」

「……でもなんか気が進まない」

「……どうするんだ? 嫌なのか?

 幸三がそう言いながら、静子の顔を見た。

 静子は、しばらく考えていた。

「裕二の意見も聞くべきじゃない?」

「あいつか……嫌だと言いそうだな」

「やっぱり本人の意見も聞くべきよ」

「そうかも知れないが、あいつが首を縦に振るとは思えないんだ。ここは無理矢理にでも入れてしまったほうがいいような気がする」

「それはよくないわ。私は反対だわ」

「わかった。とりあえず、裕二の意見は後でちゃんと聞こう。ただ、桜木さんは、とりあえずご両親だけでもお話をしたいと言っていたぞ」

「そうなのね」

「ああ」

 幸三がそう言うと、静子はあきらめたような表情を浮かべた。

「とにかく、そこに一度、行けばいいのね?」

「ああ、一度、話を聞きに行こう」

「わかったわ」

 そう言うと、静子は急須からお茶を自分の湯飲みに入れた。

 そして、お茶をしみじみとすすった。

 その様子が、幸三にもうとっくの昔に亡くなった祖母を思い起こさせた。

 ――俺達には、もうあまり時間は残されていないんだ。

 なんとしても、俺たちが死ぬ前に、裕二を社会に戻す。それができないとしても、何とかアルバイトぐらいはできるようにしてやろう。

 家は何とか残した。後は、生きていく(すべ)を身につけてやれば何とか生活できるだろう。

 ふと、目線を窓にやった。

 小鳥のさえずりが、聞こえていた。

 



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