12. 自責
それから季節は変わり、秋の涼しい風が吹きはじめた。
学園では剣術の大会が行われている。これも乙女ゲームのイベントの一つだった。
アルバートは決勝まで残り、コーディリアもそれを応援しにきていた。
だが試合前、アルバートはたくさんの女子生徒に囲まれており、とてもじゃないが話せそうな状況にない。
「コーディリアさん、行かなくていいんですか?」
一緒に試合を観に来たティナがそう尋ねる。
「うーん、アル、すごく人気みたいだし……」
「コーディリアさんという婚約者がいるのに、あんなに群がって、まったく!」
「別に、ここは学園だし、応援するのは皆の自由よ」
「でも……」
「試合前にあまり邪魔もしたくないしね」
納得できない様子のティナにコーディリアはそう言った。
そして、試合は始まり……
さすが決勝戦というべきか、これまで数多くの大会で優勝してきたアルバートにも危ない場面があった。その度にコーディリアは大声で応援したくなったが、周りの目があるのであくまでも微笑んで見守っている体を装った。しかし、アルバートがついに優勝を決めたときは、思わずガッツポーズをしてしまった。
「すごかったですね! あたし、ハラハラしっぱなしでした」
「そうね、アルは本当にすごいわ」
興奮しきったティナと話していると、試合が終わったアルバートが真っ直ぐにコーディリアの方に向かってきた。
「ディリィ、観ててくれたか?」
「もちろん、ずっと応援してた。本当にかっこよかったわ、おめでとう!」
「ありがとう……」
コーディリアが心から祝福すると、アルバートはとても嬉しそうに笑った。
「でもアル、私に気づいてたのね?」
「え?」
「だって、試合前はずっと女の子たちに囲まれてたんだもの」
「もちろん、ディリィがどこにいてもわかる。話しかけられて、なかなかディリィに会いにいけなかったけど……っていうかそれって」
嫉妬なのか、という希望的観測をアルバートは飲み込んだ。こういうときは大抵、アルバートのぬか喜びで終わるのがオチだ。
「アルって皆に好かれてるのね。いいことだわ」
「はぁ……」
やっぱりそうだ、とアルバートはため息をついた。
「……いいことなのに、ちょっと寂しかったの。だから、試合が終わってアルが真っ先に私のところに来てくれて嬉しかった」
コーディリアの思わぬ言葉にアルバートは目を見開いた。
「今度は私から会いにいってもいい?」
「ああ、もちろん!」
そんな二人の様子を見て、ティナは心をときめかせていた。
(やっぱり、スコット君ってコーディリアさんの前だと別人みたい! こんな嬉しそうな顔見たことないもん!)
そして、本気でアルバートを狙おうと考えていた女子たちも、アルバートのコーディリアに向ける笑顔を見て戦意喪失したのだった。
* * * * *
数週間後の晴れた休日、コーディリアとアルバートは二人で湖を訪れていた。昔、カルロスと三人で来たところだ。
ボートに乗るため、アルバートがコーディリアに手を差し出す。
「ふふっ」
「どうしたんだ?」
「なんか昔を思い出して。おじさんと一緒に来たことあるでしょ?」
「ああ、そうだな」
「あのときは、まだアルのこと嫌なやつだと思ってたな」
「それは俺の黒歴史なんだよ……」
アルバートが頭を抱える。あれから何度、最初のコーディリアに対する無礼な態度を後悔したことか。
「でも今となってはいい思い出じゃない」
「俺は今でもやり直したい……」
「えー、でもそういえばあのとき、アルもボートが漕げるって自慢してたっけ」
「本当だからな?」
「ふふ、じゃあ今日はお願いします」
アルバートは宣言通り、巧みにボートを漕ぎ始める。
__穏やかな一日だ。今日は貴族のしがらみも周りの目も気にする必要はない。
きっとコーディリアはアルバートのそばにいるとき、一番自然体でいられるのだ。
「風が気持ちいいね」
コーディリアが自然と笑みをこぼすと、アルバートは眩しそうにコーディリアを見つめる。
「ああ」
「そうだ、だいぶ漕いでるけど疲れてない?」
「大丈夫だ」
「そう……でも実は、私も漕いでみたいなって思ってたんだ」
「じゃあ、漕いでみるか」
「うん!」
そこで移動しようとしたコーディリアはバランスを崩し……アルバートに抱きかかえられるような姿勢になってしまった。
(アルの匂い……)
ダンスの練習で慣れ親しんだアルバートの匂いは、なんとなくコーディリアを安心させてくれる。
(アルの匂い好きだなぁ……ってなんか変態みたいじゃない)
そこで、コーディリアはアルバートがさっきからまったく動かないことに気がついた。だが……
(心臓がバクバクしてる……)
そっとコーディリアが見上げてみると、アルバートは首まで真っ赤になって明後日の方向を向いていた。
……コーディリアがずっと悩んでいたのはこれだった。アルバートの気持ちを知ってから、彼の反応は本当にわかりやすい。コーディリアが少し距離を詰めるだけで赤くなるし、コーディリアを見つめる目はときどき熱っぽくて、本当に好きなんだなと伝わってくる。
学園に入って、もしかしたら他の人を好きになるかもと思っていたが、剣術大会でも、今だってアルバートはコーディリアへの好意を隠せていない。
コーディリアはそれが嫌なわけではない。こんなにも好かれているなんて幸せだと思う……だからこそ、申し訳なくなるのだ。
コーディリアがカルロスに恋していたときは、カルロスのそばにいるだけで胸が高鳴ったものだった。ましてや抱きしめられたら、気絶しそうになったかもしれない。
しかし、アルバートと抱き合っても、全く緊張しないのだ。むしろ安心してしまうのだが、アルバートの方は心臓の音がコーディリアに聞こえるくらいドキドキしている。
このままの気持ちでコーディリアはアルバートと結婚してもいいのだろうか。おそらく何か起こらない限り、二人は結婚することになるだろう。だが、アルバートに好かれることが幸せだと思うからこそ、コーディリアは同じくらいの幸せをあげたかった。
(ごめんね、アル……どうして、こんなにも好きでいてくれるのに、同じ気持ちを返せないんだろう……)
そうしてコーディリアは一人、自責の念に駆られていたが……
「……で、ディリィ、も、もうとっくに限界だから……」
絞り出すようなアルバートの声に、コーディリアは慌てて身体を起こした。
「ごめん、アル、痛くなかった?」
「大丈夫だから……こっち見ないでくれ」
そういうアルバートはやはり頬を紅潮させていた。
「わかった……あ、このボート結構広いから二人でも一緒に座れそうだね」
「……ああ」
「一緒に漕いでみてもいい?」
「……ああ」
一応の許可を得て、コーディリアはアルバートと一緒にボートを漕ぎ始める。
初めは少し苦戦したものの、すぐにタイミングを合わせられるようになった。
「楽しい。私たちって息が合うよね。ダンスもアルと一番上手く踊れるんだ」
「……そうだな」
「あ、でももしかしてアルが合わせてくれてたの?」
「そんなことないけど、俺は……ずっとディリィを見てたから、自然と合うのかもしれない」
「……そっかぁ」
二人でボートを漕ぎながら、コーディリアはこの穏やかな時間がずっと続けばいいのにと思った。その気持ちだけはアルバートも同じだった。