令和のアラフィフ、昭和を生き直す。
入学式が終わったばかりの校舎裏。
本来なら誰もいないはずの場所に、俺は呼び出されていた。
身長は平均程度、顔も目が少しキツいくらいで特に特徴がある訳でもなく、黒い詰襟学生服――学ランもきちんと襟まで留めている。胸には“昭和六十一年度入学生”と書かれたリボンが風に揺れる。
おろしたてのズボンは折り目もピシッと真新しく、短めに整えた髪は時折風にそよぐ。
自分で言うのもなんだが、いかにも真面目な、さわやか高校生だ。
「あ、あの、何の用ですか?」
「あぁ!?」
呼び出したのは上級生二人。改造した学ランに、片方に両足が入るんじゃないかという程太いズボン、ギトギトのリーゼントとくれば、もう誰がどう見ても不良。
いわゆる“ツッパリ”である。
長身痩躯と大柄デブ。そのデブの方が俺の胸ぐらを掴み、頭の上からダミ声を落としてきた。
「てめぇの入学式の態度がでけぇからよぉ、こっちぁ忙しいのにわざわざ呼び出してやったんだよぉ! テメ、生意気に大股かっぴらいて腕組んでふんぞり返ってやがっただろうぉがよぉ!!」
やば。
そういえば“きちんとした格好”に気を取られすぎて、行動まで気が回らなかった。
「よ、良く見てますね……」
「てめぇのことなんざ見てねえよ馬鹿が、見てたのはてめぇの隣に座ってた女の方だ!!」
あぁ、あのポニテの子。ちょっと悪そうだけど意外と化粧っ気がなくて可愛かったな。いや、どっちかといえば美人タイプか。
「そ、そうですか……あは、あはは……」
「……何笑ってやがんだこのシャバ僧コルァ、ぁあ!?」
シャバぞうってのはいわゆる“真面目くん”のことだ。懐かしいな。
おうおう、肩張ってヨタッちゃって。いかにも過ぎるだろ。
それにしても、高校でもまたこんなスタートなのかよ。
「まぁ待てよタカ」
後ろでニヤニヤしていた長身ニヤケ顔の優男がデブの前に出た。
言われたデブは大人しく俺から手を離し、一歩下がる。
「いきなり脅したら後がめんどくせえぞ」
「どけよカズくん、こんなヤツ一発シメりゃすぐ泣きが入るんだからよぉ!」
カズくん、か。このヒョロいのが格上だな。ニヤニヤしやがって。
あーあ、高校こそは大人しく真面目に生きようと思ったのに。
これじゃあ前と同じじゃねえか。
前と同じってのは、俺の“前の人生”のことだ。
高木哲郎、職業:総合格闘家兼プロレスラー。
令和元年10月死亡、享年48歳。
試合中の事故で命を落とした俺は、気がついたら自分に生まれ変わっていた。
自覚したのは物心ついた5歳の頃だ。好きなヒーローごっこをしてる時、突然思い出したのだ。
最初こそ混乱したが、やがてすぐに気が付いた。
これは“今の頭であの頃に戻りたい”が現実になったってことだ。
こうなった以上、思い残したことをするしかない。
今度こそ真面目に生きよう。そう決めた。
だが、因果と言うべきか。
今この時点で、俺はしっかり以前と同じような人生を歩んでいる。
記憶はそのまま、メンタルは年相応。
それが今の俺だ。
「……ハァ」
「ぁあ!? テメ、今ため息つきやがったな!?」
「えーそんなこたしてないっすよーセンパイー」
ま、しょうがねえか。
さっさとカタつけて戻ろう。
「……んのヤロ、優しくしてりゃなめやがぁぁっ! いっでえええっ!!」
タカが“カズくん”の肩に手をかけ、どかしながら手を伸ばしてきた。俺はその手首を取り、軽く外側に捻る。タカの巨体がぐるりと縦に回転し、腰から地面に叩きつけられた。
それを見た“カズくん”が声を上げる。だからうるせぇって。
「なにもんだてめぇ!」
そう言いながら“カズくん”が掴みかかってくる。ひょいと躱すと、途端にデブの悲鳴が一際大きく、甲高くなった。
「ひいいいいいいっ!! ぎぇぇぇぇあああっ!!」
「あ、いけね」
避けた拍子にうっかりデブの手首極めちまった。
不慮の事故だ、気にすんなよ。
デブは地べたにひっくり返り、極められた腕を軸にもがく。んなことしたらもっと痛えぞ?
「おい、やめろてめぇ、タカを離せ!」
「だいじょーぶっすよ、まだ折れないっすから」
「あああああっ!! ぃででででででっ!!」
「てめぇっ!!」
右側にいる“カズくん”から殺気を感じて、俺はデブの手を離し半歩ステップする。
それとほぼ同時に、俺がいた場所に金属の棒が振り下ろされていた。
三段特殊警棒かよ。
「……あっぶね」
「避けんじゃねえよ!」
“カズくん”が俺に向かって警棒をブンブン振り回してくる。デタラメで大ぶりな動きだが、予測がつかない分面倒くさい。
とりあえず煽って動きをまとめよう。
「だいぶ必死っすね、センパイ!」
「うるせぇ! てめぇだきゃ殺す!!」
あーもー、クラスはもう自己紹介とかしてんだろなー。
“カズくん”の警棒を避けながら、俺はそんなことを心配していた。
何しろ入学式が終わり、そのまま連れてこられたのである。
クラスではきっと今頃『入学式はいたのに、教室には戻ってこない不良』みたいな扱いになっているに違いない。
「てんめぇ! ちょろちょろすんなっ!!」
かかった。
特大の一振りが横薙ぎにくる。俺はそれを避けず、あえて前に出て受けた。打点がずれ、最大のダメージには至らない。
が、腐ってもアルミ製の警棒、痛いものは痛い。
「ってぇ……っ!!」
俺は痛みを我慢してさらに踏み込み、バランスを崩しかけた“カズくん”に頭から突進した。
「そろそろウゼェよ! センパイ!!」
「がはぁっ!!」
俺の頭が長身の“カズくん”の顎にヒットする。頭突きってやつだ。
たまらずよろけた“カズくん”の肩と股に腕を入れ、奴の身体を縦に抱え込む。
「おうらぁっ!!」
俺は大きく身体を反らして“カズくん”を持ち上げ、後ろに捻りながら背中から地面に叩きつけた。
パワースラム。
そういう名前のプロレス技である。
「かっ……は」
“カズくん”は肺の空気を全て強制的に吐き出させられ、そのまま気を失った。
いけね。
つい昔の癖が出ちまった。まぁ死ぬことはねえか。
「……さて、おいタカセンパイ」
デブは手首を離されてから、その痛みに立ち上がれない。極められた右腕を抱え込んでいたが、俺が声を掛けると軽く飛び上がった。
「ヒッ!」
「ヒッじゃねえよ」
俺はゆっくりしゃがみ込み、タカのリーゼントを鷲掴みにする。そして強引に顔を上げさせ、目を合わせた。
「でけぇ身体で可愛い悲鳴あげてんじゃねえよ。さてはてめぇら、高校デビューだな?」
高校デビューとは、高校でいきなり不良に転じた者のことである。
つまり、ニワカだ。
「こっちぁ中学でやんちゃは卒業したんだよ。余計な真似して怒らせんじゃねえ潰すぞコラ」
「ひっ、すいませんっ!」
「ったく、なんのためにこんなシャバい学ラン羽織ってると思ってんだよ。……おう、今日のこと誰かにチクりやがったらてめぇ、まともに外歩けると思うなよ?」
デブは首がちぎれんばかりに何度もうなずく。ちょっと可愛いなおい。
俺はそのまま校舎に向かって歩きながら、真っ直ぐ戻らなかった言い訳を考えていた。
「あーくそ、どうすっかな……。急に気分悪くなって保健室行ったとか言ってごまかすか……」
校舎裏から戻るには教室の外をぐるっと回るか駐輪場を通ることになる。辺りに人影は見当たらない。
少し遠回りだが駐輪場から行こうと決めた俺は、乱れた制服を整えながらダラダラと歩いていた。
それにしても。
折角高校からは真面目に地味に生きようと思って、頑張ってそこそこの公立に入ったのに、いきなりこの有様だ。
もはや俺にはわんぱくな道しか用意されていないのだろうかと、つい斜め下に目がいってしまう。
いっそ開き直ってヤンキーとして全国制覇でも狙ってみるか、などと半ばヤケクソになりかけていると、どこからか女の声が二人分聞こえてきた。
あたりを見回すと、俺のいる駐輪場から見える部屋の窓が開いている。
部屋の中には布の間仕切りが見える。保健室か?
などと考えていると、聞くとはなしに会話が耳に入ってきた。
「ごめんなさい、調子悪いのに」
「まぁかったるいから保健室来ただけなんですけど……なんですか? 狭山先生」
おう、同じこと考えてるやつがいるな。
ちょっと興味が湧いたので、窓に近づいた。
そこにいたのは、一見中学生と見間違える程若い白衣の女性と、濃紺のセーラー服を早速着崩し、くるぶしまである細かいプリーツのロングスカートを履いたポニーテールの長身美女だった。互いに向かい合い、顔を見つめている。
「あの、あのね、ちょっと清水さんにお願いがあって!」
「……はぁ」
あのロリっ娘、入学式で見たな。保健医だったか。あの見た目で。
で、あっちの清水ってのは……さっき隣の席にいた美人か!
「あのっ! ……お、驚かないでね?」
「いや、聞かないと分かりませんけど」
「だ、だよね! ええと、ええと」
大きく頷いた後、意を決したように顔を上げた保健医が吐いた言葉は、色んな意味でツッコミどころ満載だった。
「私のっ! お姉さまになってくださいっ!!」





